ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 神の目的とエホバの証者(その17)
    ものみの塔 1961 | 5月1日
    • 最高裁判所の裁判官,ルーイス・ビー・ブランディスは8人の兄弟たちを保釈するようにと命令し,4月14日に上訴する権利が与えられるべきだと指示しました。

      ただちに兄弟たちは釈放されました。3月25日の火曜日,彼らはアトランタの刑務所を出て,汽車に乗り翌日ブルックリンにつきました。この場所で1919年3月26日,各人は360万円の保釈金で連邦当局により次の裁判までは釈放されることになりました。a その釈放の知らせを受けて,兄弟たちが帰ってくるのを迎えにいったブルックリンの兄弟たちの喜びを,想像することができます。協会の本部は当時ピッツバーグにあったのですが,ニューヨーク市にいた忠実な兄弟たちは早速大きな宴会を準備し,ベテルの家でこれを開きました。そこに出席したものの話によると,全部の者が坐るだけの椅子もなかったそうですが,そんなことで彼らの気持や熱意はくじかれず,釈放されてきた兄弟たちの話に聞きいりました。このような楽しい時を過ごしてから,ルサフォード兄弟とその他の者はただちにピッツバーグに向かって出発しました。そこでもベテルの兄弟たちによる喜びにあふれた歓迎会が彼らを待ちうけていました。

      トム: でも兄弟たちがただ保釈出獄しているのだとしたら,まだその事件の結末がついてないということですね。それで最後にはどうなったのですか。

      ジョン: 兄弟たちの上訴した事件は1919年の4月14日に審理されることになっていました。それでその日にニューヨークの連邦第2巡回上告裁判所で審理されました。1914年の5月14日に,前年の夏なされた誤った判決はくつがえされました。事件を再審するため下級裁判所にもどすにあたり,ウォード裁判官は次の意見を述べました。

      この事件の被告たちは当然受くべき適当かつ公平な裁判を受けなかった。よって判決はくつがえされた。b

      これはどういう意味かというと,政府が再び起訴しないかぎり,兄弟たちが自由の身になれたということなんです。もう戦争も終わっていましたし,手元にある証拠から有罪と決定することは不可能だと彼らは知っていました。それで翌年,つまり1920年5月5日に,8人の者はブルックリンの公けの法廷で検事総長の命令で政府側の検事が訴訟を取下げると宣言した時,非合法的な裁判からすっかり解放されたのです。訴訟は原告の訴訟中止の同意により却下されました。c

      新聞はこの判決の取消しを,取りあげました。1919年5月15日付のザ・ブルックリン・イーグル紙は次のように報じています。

      ラッセル派に対する判決は上訴によりくつがえされた。「裁判は不公平だった」。ニューヨークの連邦地方上告裁判所の裁判官,ウォード,ロジャース,マントンは,ラッセル派の指導者たちの有罪の判決を今日くつがえした。ブルックリンで開廷された法廷で彼らはバーモントの裁判官ハーラン・ビー・ハウにより,徴兵を妨害し,入隊を思いとどまらせ,国家の軍隊の中に暴動と不服従を誘発したというかどで昨年の6月有罪の判決を受けた。

      裁判官,ハウの態度は〔3人の〕証者を取扱う際に不公平だったという判決である。……この判決はラッセル派の主張,つまりその成員に殺すことを禁じている制度は,兵役に服することから免除される資格があるということの合法性を認めているゆえに,この派の指導者たちが再び裁判にかけられるということはまずないように思われる……

      マーティン・ティー・マントン裁判官の意見は,ヘンリー・ジー・ウォード裁判官によって書かれた大多数の意見とちがっていた。d

      裁判官マントンが反対の票を投じたことは,意外なことではありませんでした。なぜならローマ・カトリック教徒としてよく知られているこのマントンは,1918年の7月1日に何の特定な理由もなしに,ルサフォードとその同僚の保釈を拒絶しているのです。このため9ヵ月も不当に刑務所に入ることを余儀なくされ,彼らは上訴することができませんでした。このように保釈を拒絶することは,

      アメリカ合衆国最高裁判所の法令に全く反するものである。以下はその法令からの引用である,「アメリカ合衆国の法令は,告訴された者が最後の手段である法廷で最後的に有罪の判決を受けるまでは,投獄あるいは刑罰を強制的に課せられることはなく,逮捕後,あるいは裁判前更に判決後あるいは錯誤令状が未決定の時にも,保釈は許される」― ハドソン対パーカ,156ユー・エス・277。e

      マントンは後程,法王ピオ11世により「セント・グレゴリー1世の勲爵士」にされましたが,彼が公平でなかったということは,1939年6月3日に遂に明るみに出されました。その時彼は,六つの判決に対して6696万円のわいろを受け取って,自身の高い連邦裁判官の権限を誤用したというかどで2年間の投獄とそれに加えて360万円の罰金という最も重い刑罰を課せられました。f

      トム: その判決がくつがえされたということは,ジャッジ・ルサフォードとその他の者が無罪になったという意味ですね。私はちょっと前のことですが,カトリックが発行した文書の中で,ジャッジ・ルサフォードのことを「前科者」と言っているのをみましたよ。

      ジョン: そのように言うことは本当にまちがっています。1919年5月14日に法廷は判決を下し,ルサフォードとその同僚が不法にも有罪と宣告され,投獄されたということを確証しているのです。そして更にルサフォード兄弟が前科者でないと証明した事実は,後になって彼がアメリカ合衆国の最高裁判所に弁護士としてはいれたことからでもわかります。もし彼が刑務所で服役した記録をもつ者と考えられていたなら,これは不可能なことだったでしょう。それでこのようなことを言う人は,全然事実を知らないか,それともルサフォード兄弟のことをわざとわるく言おうとしているかのどちらかです。

  • 読者よりの質問
    ものみの塔 1961 | 5月1日
    • 読者よりの質問

      ● 輸血によって人間のからだに血を取りいれることの重大さを考えるとき,献身して洗礼を受けた者が輸血を受け,この点で聖書にそむいた場合,その人はクリスチャン会衆から排斥されますか。

      霊感された聖書は排斥されると答えています。西暦第1世紀の中頃,キリストの12弟子は,ユダヤ人でない人々をクリスチャン会衆に受け入れるための聖書的必要条件を決定するため,エルサレムの会衆の他の円熟した兄弟たちと共に集まりました。この重要な問題を決定するために集まった12使徒とエルサレムの会衆の他の円熟した代表者たちは,ユダヤ人もしくは割礼を受けた改宗者たちでした。それで彼らは,西暦33年のペンテコストまでは,モーセの律法の一部であった,動物の血を飲んだり食べたりすることを禁止する律法のもとにいました。そのモーセの律法の,レビ記 17章10節から12節で,神はユダヤ人にこういわれました,「イスラエルの家の者,またはあなたがたのうちに宿る寄留者のだれでも,血を食べるならば,わたしはその血を食べる人に敵して,わたしの顔を向け,これをその民のうちから断つであろう。肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で,あがないをするため,わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに,あがなうことができるからである。このゆえに,わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたのうち,だれも血を食べてはならない。またあなたがたのうちに宿る寄留者も血を食べてはならない」。

      それらユダヤ人のクリスチャンたちはいまや,神と人との仲保者イエス・キリストの血が死によってそそぎ出されることにより有効とされた新しい契約にはいりました。では彼らは,異邦人の信者をクリスチャン会衆に受け入れるために,どのような条件を彼らに課すことを決定したでしょうか。彼らの決定を示した命令はつぎのとおりです。「使徒たちと古い兄弟たちから,アンテオケ,シリヤ,キリキヤにいる異邦人の兄弟たちにあいさつを送る。……聖霊と私たちは次の必要なこと以外にはあなたがたにこれ以上の重荷を加えないことにする。すなわち偶像にささげられた犠牲と,血と,血を取りださずに殺したものと,淫行とを避けることである。注意してこれらのものから遠ざかるなら,あなたがたは栄えるであろう。ではお元気で」。(使行 15:23-29,新世)それで,すべてのクリスチャンにとって「必要な」事項のなかには,血と,血を出さずに殺したものを避けることが含まれていると,使徒の命令は,神の聖霊のみちびきのもとに述べています。使徒行伝 21章の25節によると,なん年かあとでも,その決定はクリスチャンに対して効力をもっていました。その決定は神がなされたものですから,廃止されたことは全くなく,今日も,献身し洗礼を受け1900年まえにユダヤ人として生まれたイエス・キリストの足跡に忠実に従うクリスチャンに適用します。

      預言者モーセの中だちによってイスラエル民族に与えられた神の律法のもとでは,動物の血を食べたり飲んだりすることを禁ずる律法を犯したユダヤ人もしくは改宗者は,神の選民から切り離されることになっていました。エルサレムでのあの会議から出された使徒の命令によると,クリスチャン会衆は,動物の血を食べるか飲むかした者に対して同じことをする責任がありました。使徒の時代には,輸血は流行していませんでした。しかし,12使徒とエルサレムの会衆の彼らの仲間のメンバーが,現代の輸血などを考慮に入れていなかったにせよ,それは,彼らの出した命令の範囲にはいっています。命を救うには輸血が必要だと医師はいいます。その輸血が,ほかの人のあるいは人々の血で,人間の血管を通し直接養うものであることを医学は認めています。

      神の律法は,人間の魂がその血の中にあることをはっきり述べています。ですから輸血を受ける者は,自分と同じ人間あるいは人々の血液にある神から与えられた魂を食べているのです。それは,クリスチャンに対する神のいましめを破ることです。それは重大なことであって,各自が良心に従って随意に決定すべきものとして見すごしたり軽視すべき事がらではありません。エルサレムの使徒たちの命令は,「注意してこれらのものから遠ざかるなら,あなたがたは栄えるであろう」と述べています。したがって,意識して輸血を受けて,血を避けないクリスチャンは,霊的に栄えないでしょう。来たるべき事がらの影を示すモーセの律法によると,輸血を受ける者は,排斥によって神の民から切り離されなければなりません。

      もし,献身して洗礼を受けたクリスチャンが,クリスチャンとしての円熟性と安定性に欠けていたがために輸血を受けるという罪を初めておかして,その誤りを認めて深く悲しみ,悔い改めて神と神の地上の会衆のゆるしを乞うなら,彼にあわれみをさしのべねばなりません。そして彼を排斥する必要はありません。その人は監視のもとにおかれて,この問題に関し,聖書に基づいて十分に教えられる必要があります。それによってその人は,将来同じような事件が起きたとき,クリスチャンの標準にしたがって決定が下せる力を養うのを援助されます。

      しかしがなら,その人がもし,要求されているクリスチャンの標準にしたがわなかったことを認めず,クリスチャン会衆の中でその事について問題を起こし,自分を支持させるために会衆内の他の者を感化しようとするなら,あるいは,将来輸血を受けることや,他の者にこの医療を施すための血を供結することをやめないなら,その人は心から悔い改めたのではなくて,神の要求に故意にそむいたことを示します。それで反逆者,クリスチャン会衆内の他の者に対する不忠実の例として彼を排斥し,会衆から切り離さねばなりません。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする