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人を許さなかったどれいものみの塔 1971 | 5月15日
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わたしたちは,他の人にも同じようにしてあげなくてはなりません。ただ,その人を許すというだけではなくて,心臓からほんとうに許してあげなくてはなりません。そうする時わたしたちは偉大な師に従う者になりたいと,ほんとうに思っていることを示しているのです。
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良いたよりのさらに多くの宣布者が特に必要とされている所ものみの塔 1971 | 5月15日
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良いたよりのさらに多くの宣布者が特に必要とされている所
「マケドニア内に渡ってきて,わたしたちを助けてください」― 使行 16:9,新。
1,2 エペソを初めて訪問したパウロはどんな経験をしましたか。彼は何に気づき,どんな約束をしましたか。
神の王国の良いたよりを宣布するクリスチャンの責任を認識している者たちにとって,とどまって真理を教えてくれるようにと人々から懇願されるのは,胸の踊る経験です。イエス・キリストの使徒であったパウロは,小アジアのエペソ市を初めて訪問した時にそうした経験をしました。それは西暦1世紀の中ごろのことです。第2回目の宣教旅行をしていたパウロは,シリアのアンテオケへ向かって帰る途中,そこにしばらく立ち寄りました。彼が良いたよりを宣布するのを聞いたある会堂の人たちは,自分たちがもっと話を聞けるよう彼にとどまって欲しいと,しいて依頼しました。
2 パウロはエペソにおける良いたよりの伝道者の必要性が大きいことに気づきました。彼はその時にはとどまって彼らを助けることができませんでしたが,帰ってくることを約束してこう言いました。「エホバが望まれるなら,わたしは再びあなたがたのところに帰ってきます」。(使行 18:21,新)彼は3回目の宣教旅行の際にその約束を果たし,そこで3年間の実り豊かな時期を過ごしました。エペソに彼は会衆を設立しました。それは,40年余の後,復活したイエス・キリストによって特別に言及された会衆です。イエスは使徒ヨハネに霊感を与えて,エペソ会衆の忍耐と働きをほめると同時に,「初の愛を離れた」ことについて叱責を与えさせました。―黙示 2:2-4。
3 3回目の宣教旅行でエペソの人たちと話した際,パウロはどのように正しい態度を表明しましたか。
3 3回目の宣教旅行の終わりに,パウロはエペソの少し南にある小さな町ミレトに寄りました。そこで彼はエペソの会衆の年長の男たちを呼び寄せました。彼らが到着すると,パウロは彼らと話し合い,彼らが良いたよりを学ぶことができるよう自分がどのように尽力したかを思い起こさせました。小アジアの半島の西方を包含し,エペソをその首都とする,アジアのローマ領に足を踏み入れた当初から,迫害にもかかわらず彼は良いたよりの伝道を続けました。このりっぱな態度は,良いたよりの宣布者を大いに必要としている所へ行く人々に,今日要求されるものです。
4 マケドニアに来て,そこの人々を助けてくださいとの嘆願に,パウロはどのように応じましたか。
4 それよりも以前,さらに多くの伝道者を必要としている所ですすんで奉仕する用意があることをパウロは明らかにしました。それは2回目の宣教旅行の時のことです。彼は小アジアの半島の北西部先端にあるトロアスという町にいました。そこで彼は,マケドニアに来てそこの人々を助けるよう,自分に懇願しているひとりのマケドニアの男の人の幻を見ました。(使行 16:9,10)これを必要の非常に大きいその地域に行けとのエホバの指示に解したパウロは,さっそく船に乗り込み,マケドニアのネアポリスに向けて出帆しました。そこから彼は,通商路に当たるピリピ市に行きました。通商路に当たる諸都市に居を定めるのが彼のいつもの方法でした。そうすることによって彼の伝道した事柄が,旅行者たちによって他の都市に携えて行かれるように,と考えたからに違いありません。ピリピに彼が設立した会衆は,パウロの働きに常に特別の感謝の念をいだき,しばしば贈り物を送りました。
5 パウロ,アクラ,プリスキラはどんな模範をわたしたちのために残しましたか。
5 パウロは,今日のエホバの献身したしもべたちのためにりっぱな模範を示しました。自分の生活の中で神の王国の関心事を第一とし,伝道者を大いに必要としている他の場所にすすんで出かけて行きました。アクラとプリスキラについても同じことが言えたようです。パウロは2回目の宣教旅行中,コリントでこのふたりに会い,パウロが去るとき彼らはエペソまで同伴しました。彼らはそこにとどまって伝道しました。今日エホバの献身したしもべとなった人々は,同様に,自分たちのいる土地に比べて良いたよりの伝道者をさらに必要としている所で,自らすすんで奉仕する用意のあることを示せます。
必要の大きい場所
6,7 (イ)どうすれば王国の伝道者は自分の努力をもっと実り豊かなものにすることができますか。(ロ)自分のいる所で良い成果を収めているクリスチャンは,他の区域に移るべきですか。
6 王国の良いたよりの伝道者をさらに多く,また切実に必要としている場所は,今日たくさんあります。そしてそうした場所は現在の事物の体制に残された短い期間,宣教に対する努力をできるだけ実り豊かなものにするためのすばらしい機会を,エホバの献身したしもべたちに提供します。
7 それら献身したクリスチャンで,自分の会衆に割り当てられた区域内において良い成果を収めており,人々がエホバの組織と交わって王国の良いたよりに応じているならば,その人は言うまでもなく今の場所で必要とされているのです。宣教のための肥よくな畑を持っているわけですから,他の場所に行くよりそこで引き続き働くほうが良いでしょう。しかし,その区域で何度働くにもかかわらず,自分の努力がたいして実を結ばない場合にはどうしますか。努力の手をゆるめるか,やめてしまいますか。決してそうあってはなりません。その人の忍耐はエホバ神に喜ばれるものとなっています。
8 地域が産出的でない場合,もし可能なら他の場所に移ることが望ましいのはなぜですか。
8 しかしながら,さらに多くの伝道者が必要とされる他の地域で,援助の手を差し伸べることのできる立場にある人にとって,その地域に移るのは賢明ではありませんか。自分の舟の位置が漁猟に良くないことに気づく漁夫は,漁獲の可能性のもっと大きい場所に舟を動かします。一日が終わる前に,できるだけ多くの魚を取ることに関心があるからです。今日エホバの証人は霊的な漁夫として,自分たちの努力が最も多くの実を結ぶ所で働くことを欲しています。
9,10 他の国へ移ることのできる人が考慮できる,必要の非常に大きい国の幾つかをあげなさい。
9 伝道者をとりわけ大いに必要としている他の国へ行くよう,事情を調整できる家族もあることでしょう。アメリカにおける伝道者の比率は,人口524人につき一人ですが,それほど比率がよくなく,神の王国の良いたよりを伝道する人々がもっと多く必要であることを示している国が相当あります。たとえば,ボリビアでは4,222人に一人,エルサルバドル,1,951人に一人,グアテマラ,2,298人に一人,コロンビア,3,021人に一人,エクアドル,2,095人に一人,パラグァイ,2,963人に一人,ペルー,3,007人に一人という比率になっています。これらの国はすべて中南米にあり,“漁獲”はたいへん良好であることが証明されています。しかしながら,それらの中のある国には今でも,エホバの民から成る会衆が一つもない都市が幾つもあります。
10 ではアフリカを調べて,そこでの王国の伝道者の必要性がどれほど大きいかを見ることにしましょう。エホバの証人の比率は,ブルンジでは人口7万1,174人に一人,セネガル,2万339人に一人,ガンビア,3万5,111人に一人,象牙海岸,9,513人に一人,ケニア,1万1,094人に一人,マリ共和国,70万人に一人,ニジェール,10万6,296人に一人,チャド,5万人に一人,ウガンダ,9万8,234人に一人となっています。こうした国々は,他の国へ移ることのできるエホバの献身したしもべたちに,すばらしい“漁獲”の機会を提供します。
11,12 証人の宣教者がアフリカのある国々で経験している事柄を述べなさい。
11 それらの中のある国々においては非常に強い関心が見られ,証人たちは,聖書研究を望んで自分の順番の来るのを待っている人々の名簿を持っているほどです。たとえばケニアでは,約束を守らない人のために証人は時間を浪費しません。研究が行なわれるはずの時間に,人が家をるすにすることが二,三回あると,証人はその研究を取りやめ,認識をもっと示す他の人と時間を費やします。研究が取りやめになった後に,その人が取り決めを守ることを約束し,研究の再開を望むなら,その人は研究の番を待っている人々の名簿の最後の所に自分の名前を記入してもらえます。
12 ダホメーに行ったある宣教者の報告によると,わずか6か月かそこらの間に,15の家庭聖書研究を司会するようになったとのことです。彼女はこう書いています。「研究したい人すべてを構ってあげる時間はとてもありません。町でわたしたちのことはとてもよく知られるようになっており,人々はわたしたちを呼び止めては,自分と研究してくれませんかと尋ねます」。これらの国々における良好な“漁獲”の状況は,エホバの組織と交わっている人々のすばらしい増加からも示されています。この人たちも王国の良いたよりを活発に宣布しています。
13 ある証人はトラック諸島でどんな経験をしましたか。ついては,どんな質問が提起されますか。
13 想像がつくように,伝道者を特別に必要としている国々へ行った人たちは,力づけられる経験をしています。トラック地域にある多くの島々の幾つかを訪問したひとりの人は,聖書を一度も見たことがなく,王国の良いたよりを一度も聞いたことのない人々に出会いました。彼らはその人の話を熱心に聞きました。彼がしばらくのあいだそれらの人々に伝道してから島を去る時,「いつ帰ってくるのですか」と,島民は彼に何度も尋ねました。使徒パウロが最初に訪問した時の古代エペソの人々と似ているではありませんか。いろいろな国にいるそうした人々の,「渡ってきて,わたしたちを助けてください」という嘆願に,あなたは応じられますか。
自分の国の中で
14 自国内でもっと多くの宣布者が必要とされる所で,どのように奉仕をすることができますか。
14 家族で他の国へ行くことができなければ,自分の国の中の孤立した区域の一つに移ることはできるかもしれません。多くの証人はそうして,良い成果を収めました。自分たちの郷里から相当遠く離れた地域に移った家族もいますし,もっと援助の必要な,数キロしか離れていない所に移った家族もいます。ある場合には,その区域がエホバの証人の会衆から孤立しており,人々の関心を育てて,会衆を設立しなければならないことがあります。またある場合には,会衆はあっても,小さくて弱い状態であるということがあります。その会衆には助けと励ましが必要です。さらに,会衆がより強力なリーダーシップを必要としている場合もあり,それはエホバの組織の円熟した奉仕者にとって,家族を伴ってその町に行き,そこで会衆を助ける機会を提供するものです。
15 円熟したクリスチャンはどのように小さい会衆を助けることができますか。
15 円熟した証人が,助けを必要とする小さな会衆の所在地に移るなら,その益は大きいと言えます。宣教に熱心に率先することによって,会衆にいわば新しい生命を吹き込み,地方の証人たちがより産出的な「人を漁る者」となるよう助けることができます。(マタイ 4:19)そういう奉仕者たちは,パウロと彼の仲間がテサロニケの会衆にとってそうであったように,地方の会衆を鼓舞する模範となりえます。テサロニケの会衆のクリスチャンにあてて,パウロは次のように書いています。「神に愛せられる兄弟よ,また汝らの選ばれたることを知るに因りてなり。それ我らの福音の汝らに至りしは,言にのみ由らず,能力と聖霊と大なる確信とに由れり,且われらが汝らの中にありて汝らの為に如何なる行為をなししかは汝らの知る所なり。斯て汝らは……我ら及び主に効ふ者とな(れり)」― テサロニケ前 1:4-6。
16 使徒パウロはどんな特別な喜びを味わいましたか。今日の証人は自国内でどのようにその喜びにあずかれますか。
16 使徒パウロは,王国の良いたよりを伝道する新しい区域を切り開くことに大きな喜びを覚えました。ローマに住んでいたローマ人のクリスチャンにあてた手紙の中で,彼はその喜びを次のように言い表わしました。「我は努めて他人の置えたる基礎のうへに建てじとて未だキリストの御名の称へられぬ所にのみ福音を宣伝へたり」。(ロマ 15:20,21)会衆の設立されていない孤立した区域にすすんで引っ越す今日の証人たちは,同じ喜びを味わうことができます。
17 伝道者の必要が特に大きい所に引っ越すことを考えるのは,どんな人でなければなりませんか。
17 必要の大きい所に引っ越す人は当然,神のことばの真理に深い認識を持ち,宣教に熱心に携わることによってその認識を表明する人であるに違いありません。彼らは真理に強い人,『[自分たち]のうちにある希望の理由を[自分たち]に問う者すべての前で,弁明できる』人であるべきです。(ペテロ前 3:15,新)彼らは宣教を遂行するため,不便な事柄や苦労それに迫害をさえ喜んで耐える人でなければなりません。使徒パウロが持っていたのはそのような態度でした。彼らはこう言いました。「わがアジアに来りし初の日より如何なる状にて常に汝らと偕に居りしかは,汝らの知る所なり。即ち謙遜の限をつくし,涙を流し……迫り来し艱難に耐えて主につかへ(り)」― 使行 20:18,19。
引っ越すことのできない人
18,19 引っ越すことのできない人が必要の大きい所で奉仕するよう,どのように取り決められますか。
18 しかし,引っ越すことのできない人についてはどうですか。神の王国の伝道者がさらに必要とされる所で奉仕するにはどうすればよいでしょうか。約20の会衆から成る自分たちの巡回区の中に,良いたよりに関心を示す人が大ぜいいる区域があるかもしれません。しかも,その地方の会衆の区域が広すぎるため,それら関心のある人々が顧みられていないかもしれません。他の会衆の証人がそうした会衆と取り決めを設け,その区域に来て人々の関心を育てることができます。他の会衆に属しているとは言え,その会衆で処理しえない区域にもっと良い“漁場”があるなら,実を結ばない区域で時間を費やす必要がどこにあるでしょうか。
19 巡回区の他の場所にいる証人たちがそのような区域に出かけてくることができるなら,そこで人々の関心を育てるよう割り当てを受けられるかもしれません。人々が関心を示すなら,研究を始めてその研究を定期的に司会することを望まれるでしょう。それにはもちろん時間とお金が必要です。もしそうした犠牲を払えるなら,その人は移転しないでも,王国の宣布者をさらに必要としている所で奉仕することができます。
問題に対処する
20-22 宿泊設備や就職口に関して直面する可能性のある問題を述べなさい。それらはどのように克服できますか。
20 想像がつくように,自分の家から遠く離れた区域に行ったり,他の都市や国に移ったりする人は必ずいろいろな問題に直面します。それは引っ越しをする人にとって,今までに慣れていた生活基準以下の宿泊設備で満足することを意味するかもしれません。そのため,新しい区域で引き続き伝道するためには,自分の考え方を調整する必要が生じることでしょう。後ろに残してきたものを考えつづけるなら,とどまることは困難になります。
21 別の問題は仕事を見つけることかもしれません。しかし,それは解決しがたい問題だと言いきれるでしょうか。家族が仕事を捜すのを,地方の証人が助けてくれた例もあります。不慣れの仕事につかねばならない,という場合もありました。給料が今より低い仕事につかねばならないことさえあるでしょう。しかしそれも,伝道者が大いに必要とされているにとどまるためには,避けがたいことがあります。ここでも,正しい思いをつちかう態度が肝要です。パウロは次のように述べて,取るべき見方を指摘しました。「ただ衣食あらば足れりとせん」― テモテ前 6:8。
22 したがって引っ越しをする家族にとって,今までより低い収入で生活し,またそれほど好適でない宿泊設備に住むのが,王国の宣布者にとってもっと必要な所にとどまりうるための最善の策と言えましょう。それはイエスが勧めたように,神の王国の関心事を物質主義的な関心事よりもたいせつにすることになります。―マタイ 6:33,新。
23 良いたよりの宣布者がさらに必要な所で奉仕するため,親しい友人と離れることをどのように見なすことができますか。
23 親しい友人から離れるつらさが問題になる場合があるかもしれません。引っ越すからといって,それで友情が終わりを告げるわけではなく,むしろ友情を拡大する機会が与えられます。引っ越す家族は,それまでの友人に加えてさらに新しい友人を持つことになります。他の場所で王国の良いたよりを宣布するために親族をあとにした者は,百倍の親族と家を受けるであろう,と言われたイエスの約束を思い起こしてください。やはりエホバ神に献身したしもべである新しい友人たちは,肉身に劣らず親しい者となります。彼らは親切なもてなしの気持ちから,自分たちの家をそうした人たちのために開放してくれます。宣教者として他の国々へ行ったものみの塔ギレアデ聖書学校の卒業生は,イエスの言われたことの真実性を証明しています。―マルコ 10:29,30。
24 王国宣布者の必要な所で奉仕する際に生じる諸問題を軽くする助けとなるのはなんですか。
24 もっと多くの王国の宣布者を大いに必要としている所で奉仕しようとする際に生ずる問題は,たとえそれがどんなものであれ,神のことばの真理の知識に至るよう人々を助けることができるという喜びの前には,全く無意味なものとなってしまいます。努力と忍耐のしがいがあります。他の人々を助けているということ,そしてなかんずく神の目に楽しみとされる事柄を行なっているということを知っているので,内的な満足が得られます。円熟した証人は,宣教における自分たちの努力が実を結ぶ時にもたらされる満足感を知っています。必要の大きい区域で働くゆえにその実が豊かな時の喜びが,どんなに大きいかを考えてごらんなさい。エホバとその御子,および人類に対するエホバのすばらしい目的について学ぶよう人々を援助するため,惜しみなく自分の時間と精力とをささげることには,確かに幸福が伴います。
いっさいの事情を考慮する
25 引っ越しをする前に,家族は何をすることが必要ですか。
25 エホバに献身したしもべである者たちは自分の立場を吟味し,もっと多く伝道者を必要としている所に行くことを真剣に考慮すべきです。他の国または自分の国の中の他の場所に移ることができると考える家族は,当然いっさいの事情を考慮し,それに対処しうるかどうかを決定しなければなりません。そうすることがなぜ非常にたいせつかという理由は,イエスの次のことばで説明されています。「あなたがたのうちだれか,塔を建てようと思いながら,まず座して費用を計算し,自分がそれを完成するにじゅうぶんなだけ持っているかどうかを見ないでしょうか。さもなければ,彼はその土台を据えても,それを仕上げることができない……かもしれません」― ルカ 14:28,29,新。
26,27 わたしたちの努力が最も多くの実を結ぶ所で働くのは,どうして非常に思慮深いことだと言えますか。パウロはこの点でどんな模範を残しましたか。
26 この古い事物の体制のために残されている時間は非常に短いゆえ,わたしたちの努力が最も多くの実を結ぶ所で働くのは,きわめて思慮深いことだと言わねばなりません。引っ越しできる立場にあるのなら,“漁獲”がよく,伝道者が不足している区域がほかにあるのですから,実を産出しない区域で苦闘を続けるのは理にかなっていません。しかし家族で引っ越すとなると,そこにとどまることができなければなりません。したがって,前もって計画を立て,いっさいの事情を考慮することが肝要となってくるわけです。
27 使徒パウロは,自分のいる場所が漁獲のよくないところであることに気づくと,もっと産出的な区域に移るのが賢明であると考えました。彼がアテネに長くとどまらなかったのはそのためです。それは比較的実りの少ない区域でした。それで彼はコリントに移り,2回目の宣教旅行中1年半の間そこにとどまりました。それは主が彼に望まれたことでした。幻の中で彼はパウロにこう告げました。「おそるな語れ,黙すな,我なんぢと偕にあり。誰も汝を攻めて害ふ者なからん。比の町には多くの我が民あり」。(使行 18:9,10)そのとおりであることが証明されました。
28,29 より産出的でありうる場所に移ることができると決定した家族は,どんな手続きを取れますか。
28 いっさいの事情を考慮した後,良いたよりの伝道者をもっと必要としている所でとにかく奉仕ができる,ということを決定した家族はどうすべきですか。家族の各人は祈りでそのことをエホバに申し上げ,正しい決定をする導きと助けを祈り求めます。それから,新しい区域に着いたらそこに必ずとどまれるよう,前もって行なっておくべきすべての準備に取りかかれます。できることなら,特に引っ越す場合にはそうですが,新しい区域を下検分しておくべきです。宿泊設備それに就職口も捜しておく必要があります。
29 家族で他の国へ行くことを決定した場合にはどうすべきですか。行きたいと望む国にあるものみの塔協会の支部事務所に手紙を書き,必要な情報に関してなんでも問い合わせることができます。一方,家族が住んでいる国内での引っ越しを考えているなら,その国の支部事務所に手紙を書けます。協会は,もっと多くの良いたよりの宣布者が特に必要とされている場所をその家族に喜んでお知らせします。
30 イエス・キリストやパウロの模範に従う最善の方法はなんですか。その理由は。
30 家族が大部分の時間を宣教に費せるなら,それはたいへんりっぱなことです。はるかに多くの事柄が成し遂げられることでしょうし,そのほうが関心のある人々を見いだした場合にも,より良い世話をすることができます。これこそ大半の時間を宣教にささげたイエスや使徒パウロの残した模範に従う最善の方法です。
31 エホバの組織の大規模な成長に関するどんな証拠がありますか。その組織にはいってくる人々は,だれかが自分たちに良いたよりを伝道してくれたことへの感謝を,どのように示してきましたか。
31 第二次世界大戦終了後からの短期間におけるエホバの組織の大規模な成長のほどは,王国の良いたよりの宣布のわざがいかに実り豊かなものであったかを示す良い証拠です。さらに,用いられた方法も最善のものであることをよく示しています。1945年には,14万1,606名の証人が68か国で良いたよりを宣布していました。25年以後の1970年までに,組織の規模は,10倍以上に拡大し,148万3,430名の人々が,206か国で活発に宣布のわざを遂行するに至りました。良いたよりを聞き,それに応じたそれら多くの人々にとって,良いたよりを自分たちのところにもたらした者たちの足は,預言者イザヤが予告したように「うるわしい」ものでした。(イザヤ 52:7,新)現代,遠くの場所においてさえ喜んで王国の良いたよりを宣布する人々がいることに,彼らは感謝しています。彼らは自らも良いたよりを宣布することによってその感謝を表明し,さらに他の人々に益をもたらしています。そうすることにおいて,この人たちはエホバの組織の勧める方法に従います。
32 わたしたちはどのようにイザヤ書 60章22節の成就を見ていますか。
32 ここにわたしたちは,イザヤ書 60章22節の預言の成就を見ているのです。「その小きものは千となりその弱きものは強国となるべし,われエホバその時いたらば速かにこの事をなさん」。王国の良いたよりの宣布に人々の応じる度合が急速に増大していることから,今こそエホバがご自分の地的な組織をすみやかに成長させておられる時であることは明りょうです。
33 エホバの証人にとってどうすれば神の王国の良いたよりのさらに産出的な宣布者になれるか,ということを真剣に検討することが必要です。なぜですか。
33 取り入れは大規模なわざですが,働き人は少なく,そのわざを成し遂げるために残された時間は非常に少なくなっています。あなたがその証人のひとりとしてエホバに献身しておられるなら,エホバの恵みと王国の益を願う人々を取り入れる大規模なわざに対する自分の努力を,どのようにして増すことができるか真剣に検討してください。神の王国の良いたよりのさらに多くの宣布者が特に必要とされている所で働くことによって,クリスチャン宣教をいっそう産出的なものにできないものか,真剣に考慮してみてください。あなたが今住んでいるところが,とりもなおさず必要の特に大きい場所かもしれません。
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マダガスカル 崇拝の自由を拒否ものみの塔 1971 | 5月15日
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マダガスカル 崇拝の自由を拒否
犯罪と暴力が増加する今日,どの国でも,平和を愛し,隣人の権利を尊重し,国の法律に従順である国民がせつに求められています。
エホバの証人はそのような種類の人々です。彼らは神と仲間の者に深い愛を示し,また官憲当局に敬意を表します。エホバの証人は,世界で最も高くかつ最も有益な道徳規準を,自分の子供や他人の人々にも教えているのです。したがって,エホバの証人の歴史が古い多くの国々では,現在の憎悪,殺人,反乱そして犯罪の時代にあって,エホバの証人は,国が大いに求めているような人々であることが認められています。
もしあなたが政府の要職にあるとするなら,あなたは自分の国にどんな人々が住むことを望みますか。平和を愛し官憲当局に敬意を示すような人々ではないでしょうか。確かにそれは理にかなった,実際的なことと言えます。望ましくないのは,犯罪者,非行者,無政府主義者,麻薬常習者,それに権威 ― 神によるものと人間によるものの両方 ― に敬意を示さない者です。
その理由で,世界中の分別のある人々は,政府がその国の最も平和を愛する市民に禁止令を発するのを知って,たいへん驚かされます。それらの人は,特に国の憲法そのものが崇拝の自由を保証している場合,そのような事態を理解するのに困難を感じます。
ところがまさにそうした理性を欠く誤った処置が,最近マダガスカル島で取られたのです。アフリカ南東部の沿岸沖にあるこの大きな島は,マダガスカル共和国とも呼ばれています。この国のモットーとするところは「自由,祖国,進歩」です。そのようなモットーがあるならば,崇拝の自由の面で進歩が期待されるかもしれません。しかしまちがった方向に進歩したため,マダガスカル共和国は,崇拝の自由への扉を閉じつつあるのです。
この自由を拒否したマダガスカル共和国は,1970年6月,エホバの証人のすべての宣教者に数日以内に国を去らねばならないと通知しました。なぜそんなにも急がせたのですか。それらの人は危険な犯罪者か革命家でしたか。そうではありません。それなのに国外追放の命令が下された理由は,彼らの存在が「公共の秩序と安全をおびやかすものである」ということだったのです。この非難を支持する事実は一つも提出されませんでした。
禁止令下のエホバの証人
そのあと1970年8月8日に,「マダガスカル共和国議事録」に一法令が公表されましたが,法令70431条は,エホバの証人の「結社」を解散させることを定めていました。その法令によると,禁止令は,「破壊行為で有罪となった結社そして……個入」を取り締まる条令に基づくものです。
しかしエホバの証人はどんな「破壊行為」を犯したのですか。やはりここでも,具体的な行為は述べられておらず,またエホバの証人が法廷に呼び出されて,なんらかの破壊行為のかどで有罪とされたこともありませんでした。
憲法を無視する
証人たちの活動を禁止する法令には,「憲法に従って」その処置が取られていると書かれています。ですがそれは真実でしょうか。マダガスカル共和国の憲法はなんと述べていますか。マダガスカル共和国の1970年度版「アニュエール・ナショナル」の中で公表されている憲法の序文はこう述べています。
「彼らの神への信仰,および人身の卓越した尊厳を肯定すると共に,国際連合の世界人権宣言の精神に則って,基本的人権を保証することを決意し,マダガスカル国民は,次のことを巌かに宣言する。
「―― すべての人は人種,民族,または宗教の区別なく,平等の権利と義務を有する……」
「―― 思想の自由,良心の自由,および信教の自由は,道徳および公共の秩序が守られるかぎりにおいて,すべての人に保証される。国は崇拝の自由を保証する」。
だがエホバの証人に対する禁止令は,「基本的人権を保証する」決意を本当に反映しているでしょうか。そのような禁止令は「信教の自由」の保証を踏みにじるものです。マダガスカル共和国は自国の憲法に敬意を表明していません。
問題は明らかに深刻なものです。マダカルガスにおいては,聖書に従って崇拝する自由が拒否されているので,今後その国に訪問する人は何を考えるでしょうか。その人は自分自身の崇拝の自由またそれ以外の自由が,自国の憲法を勝手にふみにじる政府によって侵害されることはないというどんな保証を持っていますか。あなたは,そのような基本的な自由をふみにじる国で安心感が得られますか。
マダガスカルで行なわれたことは,すばやく世界中に報道されています。その結果,マダガスカル共和国が属している国際連合によって発布された人権宣言に,はたして同国が従っているか,という疑問が投げかけられます。
公共の秩序と安全を脅かす者ではない
エホバの証人が神の王国と聖書の他の真理を伝道している206の国々において,彼らが政府を転覆させようとする騒乱に加わったことは一度もありません。さらに証人たちは,世界中で配布されている彼らの文書を通じて,政府に従うこと,また国の法律に敬意を示すことを勧めています。60か国語で3,200万冊印刷された「とこしえの命に導く真理」と題する,彼らが用いている聖書手引の本は,「法に対するクリスチャンの服従」という章の中で,そのような敬意を示すことを勧めています。
一般の報道は,しばしば証人たちの公でのりっぱな秩序とふるまいについて取り上げてきました。1969年8月にフランスで開かれた国際大会では,マダガスカル共和国を含めた78か国から47,480人の大会出席者が,パリ近くのコロンブ・スタジアムに集まりましたが,フランスの新聞は,証人たちの穏やかなふるまいを異口同音に称賛しました。有名な一新聞は,「スタジアムを訪問した神」と題する4段抜きの見出しの下に次のように報道しました。
「ノア『兄弟』[エホバの証人の世界組織の会長]は,その講演の中で,この世の諸政府はいつの日か,神の王国に屈服することになるが,『このことは,現体制をてん覆させたり,国の正当な法律に背くよう,他の人をそそのかしたりする権限をクリスチャンに与えるものではない。エホバの証人は無政府主義者ではない。彼らは税金を払い,秩序を維持するために警察官と協力する』」― 1969年8月7日付,ル・モンド,8ページ。
真実に聖書に従って生活する人々は,どの政府にとっても脅威となるものではありません。それにエホバの証人は,コリアーズ百科辞典が述べるごとく,「聖書を非常に重要視」しています。聖書が証人たちに及ぼす影響に関して,オランダの新聞「ヘッド・スタッデスブラッド」(都市新聞)の1967年11月23日付ブレダおよびバロニー版は,M・バン・デール記者による記事の中でこう伝えています。「これらの証人にとって聖書は,あらゆる知恵とあらゆる真理が引き出される本である。用いられている方法は,約2,000年前の初期クリスチャンが用いた組織から受け継がれてきたものである」。
したがって,マダガスカル政府がエホバの証人に禁止令を下したことは,事実上,証人が伝道し教えている聖書とキリスト教に禁止令を下したことになります。
政府高官に訴える
もしあなたが崇拝の自由を愛され,これら平和を愛するクリスチャンが,良心の命ずるところに従って神を崇拝するという,彼らの「基本的権利」を取りもどすのを援助したいと望まれるならば,あなたの国に駐在するマダカスカル共和国の大使,あるいは政府高官に丁重な手紙を書くようお勧めします。
政府高官に次の諸事実を調査するよう要請することができます。エホバの証人は世界中で,政治に介入しないクリスチャンとして知られており,自分の住む国がどこであっても,その国に敬意を表し,かつそれを行ないで証明しているのです。どのように? 税金の面で政府をだますことなく,また支配者に対して陰謀を図ったり,政治的な争いに加わったりすることなく,むしろ聖書の高い道徳的基準を教え,社会の向上に努めているという事実が,それを証明しています。
あなたは,イエス・キリストの使徒の宗教上の迫害者たちに発せられた警告に注意を払うよう,高官に願い求めることを望まれるかもしれません。「これらの人に干渉しないで,彼らをほっておきなさい。(もしこの企てあるいはこのわざが人間からのものであれば,それはくつがえされるからである。しかしもしそれが神からのものであれば,あなたがたはかれらをくつがえすことはできないであろう。)さもなくば,あなたがたはおそらく実際には,神に対して戦う者であることが見いだされるかもしれません」― 使行 5:38,39,新。
マダガスカル共和国の憲法は,「彼らの神への信仰を肯定する」とうたっています。
その訴えの中であなたは,もしそれが本当に真実であるならば,エホバ神に対する負け戦から手を引くよう,彼らに促したいと望まれるかもしれません。あなたは手紙の中で,エホバのクリスチャン証人に対する禁止令を取り消し,マダガスカル憲法が「保証する」信教の自由をそれら平和を愛するクリスチャンに与えることによりマダガスカル共和国は再び威厳を取りもどしたというニュースが,一刻も早く世界中に伝えられるのを聞きたい旨,願い求めることができます。
崇拝の自由を愛する者は,この訴えをしたのち,政府高官の反応を熱心に待ち望みます。たんなる文書による反応ではなく,マダガスカル共和国政府が,全能の神のさばきの法延の前で好意的な処置を取ることを,わたしたちはひたすら願っています。
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マダガスカル政府高官の一覧表
His Excellency
President Philibert Tsiranana
Résidence de Mahazoarivo
Tananarive, Malagasy Republic
The Honorable Calvin Tsiébo
Vice-president, Justice
Antaninarenina
Tananarive, Malagasy Republic
The Honorable André Resampa
Vice-president, Interior
Tsimbazaza
Tananarive, Malagasy Republic
The Honorable Jacques Rabemananjara
Vice-president, Foreign Affairs
Ministère des Affaires Etrangères
Rue Jean-Assolant
Tananarive, Malagasy Republic
Mr. Césaire Rabenoro
Secretary of State for African Affairs
Ministère des Affaires Etrangères
Rue Jean-Assolant
Tananarive, Malagasy Republic
Mr. Jean-François Jarison
Minister of Justice
43, rue George V
Tananarive, Malagasy Republic
Mr. René Rasidy
Minister of Information, Tourism and Traditional Arts
Tananarive, Malagasy Republic
Mr. Pierre Bora
Director of National Security
Tananarive, Malagasy Republic
His Excellency
Blaise Rabetafika, Ambassador E. and P.
Mission of the Malagasy Republic to the United Nations
301 E. 47th St.
New York, N.Y. 10017
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「地の最も遠いところにまで」証言するものみの塔 1971 | 5月15日
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「地の最も遠いところにまで」証言する
エホバの証人の1971年度年鑑より
ベトナム
人口: 17,414,000人
伝道者最高数: 52人
比率: 334,885人に1人
昨奉仕年度サイゴンではすばらしい進歩が見られ,そこで開かれた巡回大会で7名の人が献身してバプテスマを受けました。伝道者たちは多くのすばらしい経験をしました。
ある宣教者と聖書研究を始めた13歳の少女は,まもなく聖書に特別な関心を示しはじめ,集会に出席するだけでなく,参加するようになりました。6か月たたないうちにその少女は,野外奉仕に携わる準備ができたことを明らかにしました。少女の両親は,彼女が伝道に行くことを初め認めたのですが,伝道を始めるとまもなく反対しはじめました。それ以後,少女は奉仕や集会に行くことを許されませんでした。しかし,宣教者との個人的な聖書研究は努力して続けました。少女の家に朝の7時に着くため,宣教者は自分の家を6時半に出ることもありました。少女が聖書研究できるのはその時間しかなかったからです。両親がその取り決めを許さなくなると,少女は学校に出かける時間を早め,ひとりの伝道者の家で宣教者と会って聖書研究をし,それから学校へ行きました。少女はその間,2年以上にわたり,嘲笑されたり,先祖崇拝に参加しないためにしばしば殴打されたりしました。
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