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エホバをほめたたえる祝祭ものみの塔 1967 | 10月15日
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た。エルサレムの宮を奪い取って,ギリシャ化に好意をもつある大祭司を職に任じ,エホバを無視して宮の奉献式をやりなおし,オリンパスのゼウスすなわちジュピターにその宮をささげました。彼は,以前毎日エホバに燔祭がささげられた宮の中庭にあるエホバの大祭壇の上に,新たに異教の祭壇を設けました。紀元前168年のチスリの25日に,ついにこの異教の祭壇の上で,ギリシャのオリンパス山のゼウスに対し,最初の犠牲がささげられました。律法の写しは焼かれ,それを所持することは死罪に価しました。割礼は重罪とされ,ユダヤ人はブタ肉を食べることさえ強制されました。
26 宮清めの祭りが加えられたのはなぜですか。それはどの日に祝われましたか。
26 このようにエホバの聖所を汚し,無慈悲な力によってユダヤ人をギリシャ化しようとしたことは,紀元前167年の,マカビーを指導者とする反乱を招く結果となりました。3年の間シリア人は,ユダヤ人と激戦をつづけましたが,その圧倒的兵力にもかかわらず,ついに敗れました。紀元前165年,ユダヤ人はエルサレムを奪い返しました。そしてチスリの25日,すなわちシリア人が宮を汚したときからちょうど3年後に宮は清められ,ふたたびエホバにささげられました。これは記念すべき日で,ユダヤ人は今日に至るまでそれを守っています。彼らは毎年チスリ(11月-12月)の25日に,宮清めの祝いを行ないました。この祝いは8日間つづきました。彼らは宮とか地元の会堂に集まりました。ユダヤの言い伝えによると,それは大きな喜びと楽しみの時でした。このようにして宮清めの祭りは,モーセの律法に述べられている祭りにつけ加えられました。
27 真の崇拝者は,祭りを行なうことについてどんな重要な教訓を得ますか。
27 エホバの宮から異教の偶像崇拝が払い清められたことは,たしかに,年々それを記念して喜びの祝いを行なう十分の理由となりました。エホバはメシヤの到来まで宮を保存されました。イエス・キリストご自身も,宮清めの日の間,宮におられました。(ヨハネ 10:22,23)しかしユダヤ人は,ずっとまえからこの祭りにふさわしく行動することをやめ,イエスが彼らに言われたように「祈りの家」を「強盗の巣」にして,彼ら自身が宮を汚していました。彼らは,自分たちのメシヤを退けるまでに,また,イエスをして「見よ,おまえたちの家は見捨てられてしまう」と言わせるまでに背教していました。ですから祭りは,それを祝う者たちが,祭りの意義にふさわしく行動するときにのみ,エホバへの賛美となり誉れとなることがわかります。(マタイ 21:13; 23:38)次の記事では,エホバの「定めの祭」に関連のある興味深い規定を取りあげて,エホバがそれらをどのように成就して,ご自分の御名に誉れをもたらされたかを検討してみましょう。
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だれが聖書を説明できるか知られているものみの塔 1967 | 10月15日
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だれが聖書を説明できるか知られている
● 御国伝道者たちを何度も戸口から追い出していたグラナダの一人の主婦は,ラジオ放送で牧師の述べた事柄を聞いてから,そのような事柄を聖書から正しく説明してくれるのはエホバの証人以外にいないと考えました。(彼女はかつて住んでいたオランダ領アンチルで協会の出版物をいくつか読んだことがあった)。群れで証言のわざに参加していた私はその人から呼ばれ,家の中へ招かれ,牧師の話した事柄について教えてほしいとたのまれました。彼女が納得するまで聖書から色々と話し合い,そのあとで,彼女からあらためて次の訪問を依頼されました。3回目の訪問から家庭聖書研究が行なわれました。のちになって,私はその研究に休暇開拓をしている一人の婦人を伴って行った時,その開拓者は以前にこの家で追い帰されたのは私でしたと話すと,その主婦は微笑して,こう云いました。「ゆるして下さいね。よくわからなかったもので,本当にすみませんでした」。今では,彼女は御国会館のすべての集会に出席しています。そしてエホバへの献身を表わすことを願っています。
― エホバの証人の1967年度年鑑から
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