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永遠の生命を願うならば,古い人を脱ぎ捨てなさいものみの塔 1964 | 11月15日
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も必要です。
14,15 (イ)イエスは罪人とどんな交わりをしましたか。つづいて何が起きましたか。(ロ)この事から何を学びますか。
14 イエスはガリラヤ伝道のあるときカペナウムにおいて,この点をきわめて明白に示しました。史実を伝える記録によれば,イエスは「レビ〔またの名はマタイ〕という名の取税人が収税所にすわっているのを見」ました。さて当時においても,取税人といえば苛酷なとりたてで悪評を買っていました。しかしイエスは,「『わたしに従ってきなさい』と言われた。すると,彼はいっさいを捨てて立ちあがり,イエスに従ってきた。それから,レビは自分の家で,イエスのために盛大な宴会を催したが,取税人やそのほか大ぜいの人々が,共に食卓に着いていた。ところが,パリサイ人やその律法学者たちが,イエスの弟子たちに対してつぶやいて言った,『どうしてあなたがたは,取税人や罪人などと飲食を共にするのか』。イエスは答えて言われた,『健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは,義人を招くためではなく,罪人を招いて悔い改めさせるためである」。これとは別にイエスは死の何日か前にエルサレムの町で,同じ点を再び強調しました。当時の敬虔ぶった,偽善的な宗教指導者にむかって,イエスは次のように告げています。「よく聞きなさい。〔見下げられた,罪深い〕取税人や遊女は,あなたがたより先に神の国にはいる」― ルカ 5:27-32。マタイ 21:31。
15 この問答から2,3の大切な点を学ぶことができます。罪人が召されてイエスの追随者となりました。マタイの場合には12使徒の一人に選ばれています。しかしこのような罪人は招かれてのち,罪と不法の行いをつづけても良いというのではありません。招かれたのは悔い改めるためです。取税人や遊女が神の新しい秩序に永遠の生命を得るのは,けんそんに自分の罪を認めたというにとどまらず,更に大切なのは以前の考え方と生き方つまり人間全体を変えたからです。彼らは熱心に,また喜んでそのことをしました。
16 永遠の生命を願う人には,従って何が要求されていますか。
16 従って新しい人になることは,神の新しい秩序の下に永遠の生命を得ようとする人すべてに対する神のご要求です。しかしこれはエホバがサタンを滅ぼし,人間社会に及んでいるサタンの力を除いてのちに初めて要求されるのではありません。むしろこれはハルマゲドンを生き残ることを望むすべての人がハルマゲドンの戦い前のいま,すなわち「エホバの烈しき怒のいまだ汝等に臨まざる先」にはたすべき要求です。―ゼパニヤ 2:2。
新しい要求ではない
17 古い人を脱ぎ捨てるというのは,この頃はじめて要求される事柄ですか。どうしてそれはわかりますか。
17 新しい秩序のためのこの要求すなわち全く新しい人となることは,ハルマゲドンを目前にした20世紀のクリスチャンだけに要求されているのではありません。1世紀にキリストの追随者となった人々も,生き方を変えて新しい人となるために勤勉な努力をしました。西暦55年に使徒パウロがコリント会衆に書き送った事柄に注目して下さい。「それとも,正しくない者が神の国をつぐことはないのを,知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,男娼となる者,男色をする者,盗む者,貪欲な者,酒に酔う者,そしる者,略奪する者は,いずれも神の国をつぐことはないのである。あなたがたの中には,以前はそんな人もいた」― コリント前 6:9-11。
18 これに関して,パウロはコロサイ人になんと書き送っていますか。
18 西暦60年か61年にパウロは別の会衆すなわち「コロサイにいる,キリストにある聖徒たち,忠実な兄弟たちへ」,次のことを書いています。「だから,地上の肢体,すなわち,不品行,汚れ,情欲,悪欲,また貪欲を殺してしまいなさい。食欲は偶像礼拝にほかならない。これらのことのために,神の怒りが下るのである。あなたがたも,以前これらのうちに日を過ごしていた時には,これらのことをして歩いていた。しかし今は,これらいっさいのことを捨て,怒り,憤り,悪意そしり,口から出る恥ずべき言葉を,捨ててしまいなさい。互にうそを言ってはならない」― コロサイ 1:2; 3:5-9。
19 神のこの要求にかなう事に関して,パウロは自分を例外と考えましたか。
19 主キリスト・イエスの使徒であったパウロも例外ではありません。パウロは初期クリスチャンに次のことを書き送ったとき,自分をその中に含めているからです。「わたしたちも以前には,無分別で,不従順な迷っていた者であって,さまざまの情欲と快楽との奴隷となり,悪意とねたみとで日を過ごし,人に憎まれ,互に憎み合っていた」。別の手紙の中でも,キリストのこの使徒は次のことばの中にやはり自分を含めています。「さてあなたがたは,先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって,かつてはそれらの中で,この世のならわしに従い,空中の権をもつ君,すなわち,不従順の子らの中に今も働いている霊に従って,歩いていたのである。また,わたしたちもみな,かつては彼らの中にいて,肉の欲に従って日を過ごし,肉とその思いとの欲するままを行い,ほかの人々と同じく,生れながらの怒りの子であった」― テトス 3:3。エペソ 2:1-3。
20 これについて,パウロはなんと書いていますか。
20 使徒ペテロもまた,1世紀の真のクリスチャンが自分をつくりかえて新しい人となったことを述べています。「過ぎ去った時代には,あなたがたは,異邦人の好みにまかせて,好色,欲情,酔酒,宴楽,暴飲,気ままな偶像礼拝などにふけってきたが,もうそれで十分であろう。今はあなたがたが,そうした度を過ごした乱行に加わらないので,彼らは驚きあやしみ,かつ,ののしっている」― ペテロ前 4:3,4。
21 古い人をその行いと共に脱ぎ捨てるのは,今日真のクリスチャンにとって任意の事柄ですか。
21 はじめこれらの言葉を聞かされた1世紀のクリスチャンが永遠の生命の希望を抱き,その実現を願って自分を全く変える必要があったとすれば,暴力と腐敗の時代である20世紀に住み,しかも待ち望まれてきた新しい秩序を目前にしている私たちは,なおのことそうしなければなりません。それは理の当然です。エペソ人とコロサイ人に告げられた次のことば,またすべてエホバの律法は私たちにも等しく適用されます。「あなたがたは,以前の生活に属する……古き人を脱ぎ捨て……新しき人を着るべきである」「あなたがたは,古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て……新しき人を着たのである」― エペソ 4:22-24。コロサイ 3:9,10。
バビロン的な人をいま脱ぎ捨てなさい
22 古い人を脱ぎ去てるのが可能なことは,どうして明らかですか。
22 悪い人間の腐った実を平気で生み出している人の多くは,その主人である悪魔のわざを行なって満足しています。(ヨハネ 8:44)それでエホバのクリスチャン証者はそれらの人々とは著しい対照をなしているのです。エホバの証者はエホバとキリスト・イエスのしもべとなり,その導きに従っています。すでに100万人を越えたエホバの証者はなお全世界で非常に大きな増加をつづけています。エホバのしもべとなってそのみ心を行なうために献身したことをバプテスマによって象徴した人の数は,1963年だけで6万2000人に上りました。
23 (イ)増加する一方のエホバの証者は,どこの人々ですか。(ロ)人となりについていえば,どんな人々でしたか。
23 これらの証者はどんな前歴を持つ人々ですか。その多くは,聖書の中で「大いなるバビロン,淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」と呼ばれているこの世の宗教組織に属していました。そしてエホバの証者となったとき,「彼女から離れ去」れとの神の命令に従い,また悪の世に身を委ねていた時の以前の行いに属する古い人を脱ぎ捨てたのです。バビロン的な以前の考え,ことば,行いを本に書いて公にしたならば,それは人を慄然とさせるものとなるに違いありません。ある人々もかつてはそしる者,ねたみに満たされて争う者,貪欲な者,憎しみの心でうわさ話をする者でした。また以前には偽りを語り,盗み,殺し,男色をし,姦淫を行なう者,売春婦,麻薬中毒者,酒に酔う者などさえいたかも知れません。その行いは神の目にも人の目にもいまわしいものでした。―黙示 17:5; 18:4。
24 バビロン的な人を脱ぎ捨てたエホバの証者は,いま世界中でどんな人々と見られていますか。
24 ところがこれらの人々がエホバの証者と交わるようになって以来の評判に注目して下さい。キリスト教国,異教国,共産主義の国を問わず,エホバの証者はどの国においても清く正しい,正直な人,誠実な人,女子供でも信仰と勇気のある,清廉な人として認められています。このように上品な実を生み出す人々は,うるおいのない社会の荒野にあるオアシスにもたとえられるでしょう。「義の樹エホバの植え給ふ者」だけが,生命に至るこの貴重な実を生み出し得るのです。―イザヤ 61:3。
25 どんな緊急なすすめがすべての人にさしのべられていますか。
25 地に行なわれる憎むべきことのために嘆く人,永遠の生命を願う人は大いなるバビロンの中から出て,エホバの新しい秩序の下に自由と生命を享けるために大いなるバビロンから離れ去ることができます。またバビロン的な人を,死に至るその行いと共に脱ぎ捨てることができます。しかし急がねばなりません。神がこの醜悪な「淫婦どもの母」とその中に留まるすべての人を裁いて滅ぼす時は迫っているからです。―黙示 17:1,2,15,16。
26 どんな疑問が生じますか。たしかな答えはどこにありますか。
26 しかしこのような人間の大改造はどうして可能となるのですか。考え方でも行いでもこの世の道に従わせようとする圧力をすべての人が感じている現在,それはどのようにして可能となりますか。あらゆる国民に及ぶ何十万のエホバの証者の場合に,これはどのようにして成し遂げられたのですか。永遠の生命を願うすべての人は,これらの大切な質問に対する聖書の答えを次の記事の中から見出すことでしょう。
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