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あなたはほんとうに霊的な人ですかものみの塔 1974 | 7月15日
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に合わせた霊的な人は,啓示された神の目的を神の霊によって理解するだけでなく,肉的な人の誤った歩みをも見定めます。それで,クリスチャン会衆内の長老たちからの援助を受け入れるなら,わたしたちは肉的な傾向を避ける助けを得ることになります。
20 わたしたちが霊的な人となるのを助けるのは長老たちだけですか。説明しなさい。
20 しかし,わたしたちは,単に長老たちだけでなく,すべてのエホバの証人から,霊的な男子もしくは女子となるための助けをいろんな形で受けることができます。エホバの証人と交わるさい,わたしたちは,聖書に述べられ,クリスチャンを世から分ける数々の良い資質が今日の神の民の性格の一部となっているのを見ます。加えて,会衆内の多くの人はそれぞれにきわだった特性や能力を備えています。ある人は人をよくもてなし,ある人は知力があり,またある人は理解力が優れています。また,初めはごく“普通の”人に見えながら,その人を知り,信仰を守るためにその人の経た闘いについて知るにつれ,わたしたちがしだいに引き寄せられてゆく人もいます。そうした“普通の”人が,わたしたちがこれから直面すべき問題をすでに乗り越えているのを知る場合もあります。こうした身近な交わりは,わたしたちのうちに,暖かさ,温良さ,謙遜さなどの資質をはぐくむことになります。そして,野外宣教に携わり,「王国のこの良いたより」をさらに他の人に教える会衆の業に加わるにつれ,こうした良い資質はさらに育てられてゆきます。―マタイ 24:14。
21 (イ)肉的な思いの表われであるどんな危険な状態を避けなければなりませんか。(ロ)真のクリスチャンの人格を構成する資質を挙げなさい。
21 当然のことながら,新しい人格を育てるために努力するさい,人は自分が身に着ける特性が真に霊的なものであることを確かめねばなりません。例えば,顔の表情が信心深げであるから,あるいは非常な犠牲を払って他の人の前で「義にかなった」者であるようにしているから自分は「霊的」であると考える人がいるとすれば,その人は実際にはパリサイ人的です。(マタイ 6:5-8)パウロはコロサイ 2章16-23節で,「自ら課した崇拝の方式と見せかけの謙遜,すなわち体を厳しく扱うこと」を喜びとしている人々が実際には「肉の思い」を有していることを示しています。心に感じた真の謙遜さではなく,人の目に目だつことを求める誇りの気持ちがそうした人々の考えを動かしています。使徒パウロは,その後コロサイ 3章5-15節の中で,真のクリスチャン人格について次のように詳述しています。
「ですから,淫行,汚れ,性欲,有害な欲望,また強欲つまり偶像礼拝に関して,地上にあるあなたがたの肢体を死んだものとしなさい。こうした事がらのゆえに神の憤りは臨もうとしているのです。かつてそうした中で生活していた時には,あなたがたもまさにそうした事のうちを歩んだのです。しかし今は,そうしたものを,憤り,怒り,悪,ののしりのことば,またあなたがたの口から出る卑わいなことばを,ことごとく捨て去りなさい。互いに偽りを語ってはなりません。古い人格をそのならわしとともに脱ぎ捨て,新しい人格を身に着けなさい。それは,正確な知識により,またそれを創造したかたの像にしたがって新たにされてゆくので(す)……したがって,神の選ばれた者,また聖にして愛される者として,優しい同情心,親切,へりくだった思い,柔和,そして辛抱強さを身に着けなさい。だれかに対して不満の理由がある場合でも,引き続き互いに忍び,互いに惜しみなくゆるし合いなさい。エホバが惜しみなくゆるしてくださったように,あなたがたもそのようにしなさい。しかし,これらすべてに加えて,愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです。また,キリストの平和があなたがたの心の中を制御するようにしなさい。実際あなたがたは,一つの体としてそれに召されたのです。そして,感謝をいだいていることを示しなさい」。
22,23 霊的な人であるとは完全な人になるという意味ではありませんが,ペテロの生涯はその点をどのように示していますか。
22 真に霊的な人となるためには努力が必要です。「キリストの思い」を育てようと努めるさい,あきらめてしまうことのないようしてください。銘記すべき点ですが,霊的な人になったからといって,それだけであらゆる面の誤りがなくなり,その人の問題や肉的な傾向がことごとく解消するわけではありません。ペテロの生涯の幾つかのできごとがこの点を示しています。ある時ペテロは,「あなたがたは,わたしのことをだれであると言いますか」というイエスの問いに対して正しい答えをしました。イエスは,「肉と血があなたにこれを啓示したのではなく,天におられるわたしの父がそうなさった」と述べて,ペテロの霊的な見方をほめました。しかし,注目すべきことに,その後ペテロはイエスに誤った親切を示そうとして,「あなたは,神の考えではなく,人間の考えをいだいている」と言われました。対処すべき肉的な考えがまだそこにあったのです。―マタイ 16:15-23。
23 それから一年もたたない時でしたが,ペテロは,悲しいことに,人間に対する恐れに屈してイエスを三度否みました。ペテロはそれを悔い改めました。しかし,群衆の圧力の前で動揺するこの傾向はそれによってなくなりましたか。そうではありません。幾年ものち,ペテロは再び,今度はパウロによってその同じ弱さを正されねばなりませんでした。(ルカ 22:34,54-62。ガラテア 2:11-14)ペテロは使徒のひとりとして霊的な人でしたが,こうした弱さを改めるために終生努力しなければならなかったようです。そしてパウロも,自分の行動を適正なものに保つため自分を鍛練しなければならなかったことを述べています。(コリント第一 9:24-27)今日でも,霊的な人が何かの弱点を持っている場合があるでしょう。しかし,神のことばを真剣に勉強してそれを生活に当てはめ,わたしたちを強めてくださる神の霊に頼るなら,そうした弱点を乗り越えることができます。
24 霊的な人となることに関してさらにどんな点を討議すべきですか。
24 しかし,自分が真に霊的な人であることを実証することに関して,考慮すべきもう一つの大きな問題があります。それはなんですか。キリスト・イエスの足跡に従う人々に対してこの肉的な世が加えるすべての反対をすすんで受け入れるかどうかという点です。あなたは,「キリストの思い」を示す人々を世が好んでいないということを理解されるでしょう。しかし,あなたは,もしそれを願うなら,そうした世からの憎しみに,大きな喜びと満足をいだいて耐えることができます。次の記事で,それをどのように行なえるかを学んでください。
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迫害されるクリスチャン ―『世に対して劇場の見せ物』ものみの塔 1974 | 7月15日
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迫害されるクリスチャン ―『世に対して劇場の見せ物』
「神はわたしたち使徒を,死に定められた者として,出し物の最後に置かれたように思えます。というのは,わたしたちは,世に対し,み使いたちに対し,また人びとに対して,劇場の見せ物のようになっているからです」― コリント第一 4:9。
1,2 多くの人はどんな恐れをいだいていますか。そうした人はどんな慰めを得られますか。
イエスや使徒たちの受けた苦しみについて考えておじ恐れてしまう人たちが多くいます。そうした人たちは,人生に対して霊的な高められた見方をする人々に数々のすばらしい益が及ぶことを知ってはいますが,いつか自分の信仰にもたらされると予測される激しい攻撃に自分が耐えられるとは考えていません。
2 あなたもそうした恐れをいだいておられるでしょうか。もしそうであれば,次の点を考えてください。前の記事の中であなたも霊的な人になれる
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