-
エドムが存在していない理由ものみの塔 1977 | 10月15日
-
-
た。西暦70年にエルサレムがローマ人によって滅ぼされた後,エドム人は国民として地上から完全に姿を消しました。
このように,兄弟の信義にもとる態度を示した結果,神の預言した宣告どおりに,国民としてのエドム人は終わりを迎えました。このことは,エホバ神が,ご自分の意志と目的に対して故意に不敬を示す者を決して見すごされはしないという事実を強力に例示するものです。また,神の道に反する態度や行動をあえて取ろうとする者は,不利な裁きを免れることができません。神の言葉と調和した生活を送ることは賢明です。なぜなら,霊感を受けた使徒ヨハネは次のように書いているからです。「世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります」― ヨハネ第一 2:17。
-
-
使徒ペテロ ― 多くの人からこれほど愛される理由ものみの塔 1977 | 10月15日
-
-
使徒ペテロ ― 多くの人からこれほど愛される理由
「彼は自分の思っていることをそのまま口に出しました。そのはばかりのない話し方が,やはり非常に多くの人を引き付けたのです。そして,その言葉は多くの場合,的を突いていたと言わねばなりません」。
これまでに地上に生を受けた人々の中で,特に恵まれた人々として,神のみ子イエス・キリストの12使徒を挙げないわけにはゆきません。
自分たちの主であり主人でもあられる方に同行した際,この12人は何と大きな祝福を享受したのでしょう。12人は,イエスが山上の垂訓にあるような神の義の原則を説明するのを聞き,イエスがご自分の例えを説き明かした際に耳を傾け,イエスが宗教上の反対者たちを論ばくし,その信心ぶかげな偽善のゆえにそれらの反対者たちを厳しく戒めるのを見ました。その上,毎日イエスに接し,イエスが病人を治し,足なえをいやし,盲人の目を開き,死人をもよみがえらせるのを見たのですから,実にすばらしい特権を得ていたと言えます。
イエスとその使徒たちに関する,霊感による記述には,12人についての完全な記録は含まれていません。12使徒について分かっていることといえば,わずかばかりの事実と各々の際立った特質ぐらいにすぎません。例えば,ナタナエルはイスラエル人で,「その内に欺瞞のない人」でした。(ヨハネ 1:47)マタイは以前に収税人だったために,異色の存在です。ついでながら,マタイが収税人であったことを明らかにしているのは,マタイが自ら記した記録だけです。“不信のトマス”という表現はトマスの性質に由来しています。またヨハネは,イエスが特別の愛情を注いだ使徒としてよく知られています。しかし,ペテロは例外です。ペテロの言動や性格は,福音書の中でたびたびわたしたちの注目するところとなっています。
まず第一にペテロの名前は,他の11人すべてを合わせたよりもひんぱんに挙げられており,その回数は180回にも上っています。それに加えて,ペテロと他の使徒たちの名前が列挙されている場合,ペテロの名前は必ず最初に挙げられています。それは他の使徒たちすべての名前が挙げられている場合も,そのうちの三人,二人あるいは一人だけの場合も同じです。
こうしたことには,もっともな理由があるに違いありません。福音書は,ペテロが他の使徒たちのだれよりもはるかに率直で,しばしば仲間を代表して話をしたことを示しています。
ペテロの名前は,聖書の中で五つの異なった呼び方で用いられています。「ペテロ」という名前(同名異人は現われない)は主が与えた名で,「石,岩のかけら」を意味しています。「シメオン」(ヘブライ語)および「シモン」(ギリシャ語)という名には,「聞く」という意味があります。(創世 29:33)彼は,「ペテロ」に相当するセム語の言葉で,「ケファ」とも呼ばれました。また,「シモン・ペテロ」という形もしばしば使われています。
ペテロの父親の名はヨハネ(ヨナ)でした。ペテロはガリラヤの海の沿岸部にある漁村,ベツサイダの出でした。ペテロの兄弟アンデレが,ペテロをメシアであるイエスに引き合わせたのは,ヨルダン川上流の渓谷でのことでした。その時イエスは,シモンにペテロという名前を付け,それ以来,ペテロはイエスの弟子,つまり追随者になりました。―ヨハネ 1:35-42。
数か月後のことと思われますが,イエスは漁をしていたペテロとその兄弟を召し,網を捨ててイエスに従い,『人をすなどる者』となるよう命じました。(ルカ 5:1-11)その翌年,イエスは一晩中祈った後,ペテロと他の11人を選んで使徒としました。―ルカ 6:12-16。
ペテロ,衝動的な使徒
ペテロはなぜ非常に多くの人々から特に愛されるのでしょうか。それは,ペテロの“人間らしさ”にあるのかもしれません。わたしたちが,他のどの使徒たちよりもペテロについてよく知っているということも,ペテロが多くの人に愛される一因となっているに違いありません。わたしたちは,ペテロの暖かくて,燃えるような性質に引き付けられます。ペテロのそうした性質には,時として性急とも言えるほどの衝動が伴いました。ペテロは考えや感情を即座に行動に移しましたが,わたしたちの多くにも同じような傾向が見られます。
ですから,自分たちが一晩中労苦して何も取れなかったのに,イエスのお陰でペテロとその仲間たちが多くの魚を得たとき,ペテロは当惑してイエスの足元にひざまずき,「わたしからお離れください。わたくしは罪深い男なのです,主よ」と言いました。(ルカ 5:8)イエスが水の上を歩いているのを見たとき,ペテロは自分にも同じことをする力を与えてくださるようイエスに頼みました。そして,ペテロに十分の信仰があった間は,実際に水の上を歩くことができました。(マタイ 14:25-32)さらに,暴徒が主人を捕らえるためにやって来たとき,他の使徒たちのある者は,「主よ,剣で撃ちましょうか」と尋ねました。(ルカ 22:49)でも,ペテロは違っていました。彼はすぐに剣で撃ったのです。しかし,ねらいが余りにも不確かだったので,大祭司の奴隷の耳を切り落としたにすぎませんでした。―ヨハネ 18:10。
また復活後,数人の使徒たちが魚を取っていたところへ,イエスが見知らぬ人の姿をして現われたことがありました。イエスは再び,彼らに多くの魚を取らせました。その結果,使徒ヨハネはその人がイエスであることに気づき,その人は自分たちの主だと言いました。それを聞いたペテロは,魚を積んで重くなった船が岸辺に引き寄せられるまで待っていませんでした。ペテロはすぐに水の中へ飛び込み,主人と一緒になるために岸へ向かって泳ぎました。(ヨハネ 21:1-8)そのような衝動的な性格すべては,多くの聖書愛好家の共感を呼んでいます。
率直でもある
ペテロはすぐに行動しただけでなく,すぐに語る人でもありました。彼は自分の思っていることをそのまま口に出しました。そのはばかりのない話し方が,やはり非常に多くの人を引き付けたのです。そして,その言葉は多くの場合,的を突いていたと言わねばなりません。ペテロは高い教育を受けてはいなかったかもしれませんが,理知的で,物事を考える人でした。物事を考える人? 確かにそうです。というのは,ペテロが一再ならず意味深い質問をしていることが記録されているからです。そのような質問をするには,確かに思考力が必要です。ですから,あるときイエスが例えを使って話した際,ペテロはその例え話をわかりやすくしてほしいとイエスに頼みました。(マタイ 15:15)別の機会に,ご自分が戻って来るとき
-