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あなたは今日,キリストのかしらの権に服していますかものみの塔 1973 | 3月15日
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イエスの模範に従っているかどうかをも確めてみる必要があります。わたしたちが互いに相手を取り扱うさいに示す霊が,霊的成長と増加をもたらす,愛に満ちた一致を図るのに大きく貢献するのです。
今日,キリスト・イエスは王国を宣べ伝え,弟子を作る強力なわざにおいて,全地のご自分の弟子たちすべてを導いておられます。単に人間の命が危うくされているだけでなく,神のみ名の誉れとそのみ子の誉れとが問題になっているのです。あらゆる時代の中でも今こそわたしたちが,『思いを同じうし,愛を同じうし,〔魂〕を合わせ,思うことを一つにし,何事にまれ徒党また虚栄のためにせず,おのおの謙そんをもて互いに人をおのれに勝れり』とすべき時です。そうすることによって,わたしたちが『キリスト・イエスの〔精神的態度〕』を持っていることを示し,またわたしたちが今日,キリストのかしらの権に確かに服しているということを示しましょう。―ピリピ 2:1-8,〔新〕。
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天的なかしらの権のもとで地的な会衆はどのように導かれるかものみの塔 1973 | 3月15日
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天的なかしらの権のもとで地的な会衆はどのように導かれるか
キリスト・イエスが死んで,復活し,そして昇天したのち,地上の弟子たちの一団を指導する任をだれが引き継ぎましたか。
そのような務めを引き継いだ人はいませんでした。イエスは以前ご自分の弟子たちに向かって,彼らは「指導者」と呼ばれてはならないと語りました。というのは,『汝らの〔指導者〕はひとり,すなわちキリストなり』と語られたからです。(マタイ 23:10〔新〕)そうです,キリスト・イエスは『天のところにて神の右に座せしめ』られましたが,『よろずの物の上にかしらとして〔会衆〕に』与えられたのです。『彼はそのからだなる〔会衆〕のかしら』です。―エペソ 1:20,22。コロサイ 1:18〔新〕。
しかし,キリスト・イエスはどのようにしてかしらの権を天から行使できたのでしょうか。み使たちを通して定期的に音信を送りましたか。もしそうでないとすれば,ペテロのようなある人間を地上におけるご自分の代理者,つまり代理人(代理支配人)として仕えさせる必要があったのではないでしようか。
聖書の記録を調べると,時おりまさしくみ使いたちが使者として,設立後日の浅いクリスチャン会衆に対する指示を伝えましたが,それはイエスがかしらの権を行使するにさいして取った主要な方法ではなかったことがわかります。また,イエスの使徒や弟子たちの中の特定の人たちが,パウロやペテロその他の人びとの場合のように,特定の分野で仲間の兄弟たちに仕えるよう割り当てられはしましたが,それでも,世界的な規模で会衆を監督するよう割り当てられた人はいませんでした。
しかし,会衆の事柄の点でペテロは西暦33年のペンテコステの前でも,またその時にも,そしてその後も非常な異彩を放つ存在ではありませんでしたか。そうです,不忠実になったユダの空席を埋める問題を持ち出し,一堂に会した弟子たちを前にして,そうすることを支持する聖書的根拠を提出したのはペテロでした。彼はペンテコステのさいには特に異彩を放ちましたし,その後は一再ならず(時にはヨハネとともに)弟子たちのスポークスマンを勤め,またある集会では明らかに司会者として主宰の任に当たりました。(使行 1:15-22; 2:14,37; 4:8-20; 5:1-9,27-32)しかし,そうだからといって,ペテロは会衆の見えるかしらになりましたか。他の使徒たちや全地の弟子たちはすべて,ペテロの受けた割り当てやその監督に服していましたか。
いいえ,実際にはそうではありませんでした。たとえば,使徒たちの一団のためにユダの空席を埋める人物を選出したのはペテロではありませんでした。使徒たちの会議によって二人の候補者が選ばれ,次いでエホバ神がご自分の好むところを明らかにされたのです。(使行 1:23-26)寄付されたお金はペテロのもとにではなく,『使徒たちの足もとに』置かれました。(使行 4:34-37; 5:1,2)会衆内に分裂を招きかねない重大な問題が生じたとき,使徒たちの一団は,何人かの男子を任命して問題の解決に当たらせました。(使行 6:1-6)また,ピリポがサマリヤで福音宣明者のわざを行なって多くの弟子を生み出したのちのことについて,使徒行伝 8章14,15節の記述はこう述べています。『エルサレムにおる使徒たちは,サマリヤ人,神のみことばを受けたりと聞きて[彼ら]ペテロとヨハネとを遣わしたれば,彼ら下りて人々の聖霊を受けんことを祈れり』。このように,ペテロは「使徒たちの君」として一方的に行動したのではなく,使徒たちの一団から受けた割り当てや指導にみずから従ったのです。彼はそうした割り当てにおいては使徒たちの代表として仕えました。
聖霊と神のみことばを通して行使されたかしらの権
キリスト・イエスはご自分の弟子たちに「助け手」を送ることを約束しておられました。それはだれか人間のことでしたか。いいえ,それは神の聖霊もしくは活動力でした。それはキリストが述べたり行なったりした事がらを弟子たちに思い起こさせることができ,また彼らをすべての真理に導くのです。(ヨハネ 14:16,17,26,新; 15:26; 16:13)それは,割り当てられた奉仕の務めを成し遂げる力を弟子たちに付与するものとなりました。(使行 1:4,5,8)その約束は特に西暦33年のペンテコステ以降成就しました。クリスチャン会衆の監督としてイエスは,物事を管理する点で神の霊を用いて,特別の任務を担当したり,地方の諸会衆を監督したりする人物の選定を導きました。(使行 13:2-4; 20:28)また,福音宣明のわざにおいて奉仕の努力をどこに集中すべきかを聖霊によって弟子たちに指示して,彼らを動かしたり,その活動を禁じたりもしました。(使行 16:6-10; 20:22)それはすべて弟子たちが何らの努力もせずに自動的になされましたか。いいえ,そうではありません。聖霊は神からの「無償の賜物」として各人が受けることができましたが,それらの人たちはペンテコステのさいに,バプテスマを受け,その後自分たちの上に使徒たちの手を置いてもらわねばなりませんでした。聖霊によるバプテスマを受けた後,それら油そそがれたクリスチャンは聖霊の実を生み出したいと願っていました。ですから,彼らは天の父に聖霊を願い求めることができ,真剣にそれを求めたのです。―使行 2:38。ルカ 11:9-13。
しかし,聖霊を通してキリストの導きを得るにはそれ以上のことが要求されました。エホバ神の主権をたえず認め,それに服さなければなりませんでした。使徒ペテロがユダヤの最高法廷つまりサンヘドリンで語ったように,神は「おのれに従う者に」のみ聖霊をお与えになります。(使行 5:32)また同様に,『主イエスの名によりてバプテスマを受ける』までは聖霊を受けなかった,あるエペソ人の弟子たちの場合からもわかるように,神の油そそがれた者である主イエスのかしらの権をも認めなければなりません。(使行 19:1-6)それはまた,イエスがその弟子たちに明らかにし,絶対の信頼を置くよう彼らに教えた神のみことばに心をこめてつき従うことをも意味していました。自分たちの生活の面で,また決定をするさい,そのみことばによって物事を律するのでなければ,聖霊に逆らうことになったでしょう。(使行 7:51-53。テサロニケ前 4:8)しかし,こうした神からの備え,つまり神の霊と神のことばを謙虚に,また誠実に利用するなら,弟子たちは,かしらであるキリスト・イエス
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