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  • 聖書中の幾つかのエルサレムを見分ける
    ものみの塔 1976 | 12月1日
    • エホバ神は,西暦前537年に故郷に戻ったユダヤ人に当てはまる,エルサレムの復興に関する預言を,より偉大で,より壮大な仕方で成就させました。それは,今日「天のエルサレム」を代表する人々,つまりキリストの体のまだ地上にいる残りの者たちの復興をもって成就しました。それら残りの者たちは,自分たちの仲間である,「ほかの羊」の「大群衆」と共に,今日霊的パラダイスを享受しています。神に神聖な奉仕をささげる際に,『上にあるエルサレム』を代表する「残りの者」と交わり,協力することは,創造者エホバ神を誠実に崇拝する人々すべてにとって特権であり,責務でもあります。―ヨハネ 10:16。啓示 7:9,15。

  • フィレモンへの手紙はクリスチャンの兄弟愛を示すもの ―「社会改革的な福音」ではない
    ものみの塔 1976 | 12月1日
    • フィレモンへの手紙はクリスチャンの兄弟愛を示すもの ―「社会改革的な福音」ではない

      聖書の正確な知識をもつクリスチャンは,世を変化させるという使命が自分たちに与えられていないことを知っています。クリスチャンはこの世に住んでいますが,世のものではありません。(ヨハネ 15:19; 17:16)それで彼らは,世界の状態を改善するために全力を注いだりはしません。聖書の言葉および人間の経験は,そうした試みが徒労に終わることを示しているからです。むしろ今日のクリスチャンは,イエスとイエスの使徒たちに見倣って,神の王国の良いたよりだけでなく,永遠の命を得るために救い主としてイエス・キリストを受け入れることの必要性をも宣べ伝えています。恵まれない人々でもこの良いたよりを受け入れるなら,裕福で社会的な地位はあってもエホバ神への信仰やその王国の希望をもたない人々より,はるかに恵まれた立場を得ることになります。―マタイ 24:14。ヨハネ 3:16。

      こうした原則を認めれば,パウロが奴隷所有者フィレモンへの手紙の中で,「社会改革的な福音」を宣べ伝えてはいなくても,クリスチャン愛を表わした理由を理解できます。また,パウロが逃亡奴隷オネシモ(パウロにより転向するよう援助された)に,非合法的な方法で奴隷状態からの自由を享受し続けるよう諭さず,彼をクリスチャンである主人の下に送り返した理由をも理解できます。

      フィレモンへのパウロの手紙は,愛情と巧みさの点で傑出した作品であると言われてきました。キリスト教に関する良いたよりを最初にフィレモンの下に携えて行き,偶像崇拝と罪との束縛から彼を解放したのはパウロでした。それでフィレモンはこの使徒に大いに負うところがあったと言えますか。フィレモンはオネシモに対して腹を立てていたとしても,それは無理からぬことです。しかも,その理由は一つだけではなかったと考えられます。オネシモは逃亡することにより,自分の主人に果たすべき多くの重要な奉仕の務めを拒んだだけでなく,恐らくローマまでの旅費として用いるために,主人の財産を幾らか取ったことが暗に示されています。それでパウロは,フィレモンが親切な仕方でその奴隷を迎えるようにと,この手紙を書いているのです。

      パウロは手紙の冒頭で,フィレモンの家にある会衆を含めて特定の人々にあいさつを送っています。次いでパウロは,自分と他の人々に示されたフィレモンの愛,信仰そして愛情のゆえにフィレモンをほめています。このように巧みな方法で手紙を書き始めた使徒は,続けて自分は「当然行なうべきこと」を命じる資格がありながら,むしろ説き勧めていることをフィレモンに気付かせます。何をするよう説き勧めているのですか。フィレモンの奴隷オネシモを,親切な仕方で迎えるようにです。オネシモはパウロにとって極めて有用な者であったため,パウロは本当はオネシモの奉仕をずっと受けていたいと思っていました。しかしパウロは,フィレモンの同意なしに,そうしたことを行ないたくありませんでした。

      オネシモの逃亡は実際には良い結果をもたらしました。今やフィレモンは,いやいやながら仕える,恐らくは不正直な奴隷としてではなく,喜んで仕える正直なクリスチャン兄弟としてオネシモを受け戻すことができたからです。パウロは,オネシモが戻ってきたら,パウロ自身を迎えるように彼を迎えて欲しいとフィレモンに頼み,その願いをさらに強いものとしています。オネシモが主人に何らかの損害を被らせたのであれば,フィレモンはそれをパウロの勘定とすることができました。パウロがそれを返すからです。パウロは,フィレモンに一層喜んで応じてもらうため,フィレモンが最初にクリスチャンとなったときのことで自分に負い目があるという点を思い起こさせます。それゆえに,パウロは自分の願っている以上のことをフィレモンがしてくれると確信しています。

      パウロはこの手紙を,獄中,あるいはローマで家に拘禁されていた間に書きました。それは,エフェソス,フィリピ,そしてコロサイの諸会衆へ手紙を書いたのとほぼ同時期であり,西暦60から61年までの間のことでした。手紙の終わりのほうでパウロは,仲間のクリスチャンの祈りによりローマでの捕らわれの身から間もなく自由にされる希望があると述べており,自分のために宿を用意するようフィレモンに頼んでいます。テモテにあてたパウロの第二の手紙から,そうした祈りが確かに聞き届けられ,パウロが釈放されて宣教活動を続行したことが分かります。

      フィレモンへのパウロの手紙は,経済的および社会的な不正や差別のために苦しんでいる献身したクリスチャンすべてが留意しておくとよい,優れた原則を強調していると言えるでしょう。それは何ですか。それらのクリスチャンは,エホバ神とキリストとを知り,神の王国の希望を抱いているので,不正や差別のために苦しんではいなくても聖書の真理や希望をもっていない人々より,はるかに優れた立場を享受しているということです。

  • 彼らは『その労苦のゆえに良いものを見る』
    ものみの塔 1976 | 12月1日
    • 彼らは『その労苦のゆえに良いものを見る』

      韓国の釜山は,人々があふれんばかりの都市です。30年足らずのうちに,人口は25万人から150万人へと膨れ上がり,その数は今もって増え続けています。釜山が目立った存在となったのは朝鮮戦争の時でした。戦争中の一時期,釜山は韓国の暫定的な首都として,また,共産主義者の侵攻を恐れて,逃れてきた幾千人もの人々の難民センターとしての役を果たしました。

      これらの難民の中には,聖書に記されている神の王国の約束に信仰を持つ人が幾人かいました。彼らは,初期クリスチャンが「散らされた」時に行なった業,つまり『みことばの良いたよりの宣明』を続けました。その結果,釜山にエホバの証人の会衆が設立されました。それは1950年のことです。しかし,その最初の会衆は拡大を続け,1976年までに,釜山地区に54の会衆が設立されるに至りました。―使徒 8:4。

      こうした拡大は人口の増加と共に,問題をもたらしました。過密都市では,エホバの証人が年に二回開く巡回大会の会場を借りることはほとんど不可能になりました。では,どうすればよいのでしょうか。西欧の幾つかの国々では,こうした大会を開催するホールがエホバの証人たちの手によって建てられています。アメリカやヨーロッパでできたのであれば,アジアでも行なえるのではないでしょうか。そして韓国のエホバの証人はまさにそのことに着手したのです。

      経済上の難問題を抱えているこの国で,証人たちは,こうした大規模な建築計画の資金をどのように調達できたのでしょうか。エホバの証人の一人が自分の事業の利権を売り,その収益の大半をこの建築計画のために寄付しました。これをきっかけに寄付が次々と寄せられ,落成時までにはほとんどの支払いを終えていました。エホバの霊が,この計画を真心から支持するようご自分の民を奮い立たせたことに疑問の余地はありません。

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