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弟子を得ることに幸福を見出すものみの塔 1966 | 7月15日
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22 40年ほどの間,宣教に携わっているこの人はなんと語っていますか。
22 カナダとアメリカで,また宣教者として外国の任命地で忠実に奉仕したこの人は次のように語っています。「この大きな特権を長く享受すればするほど,他のどんな主人よりもやさしくわたしを守り,導いてくださったエホバにわたしは感謝するようになりました」。
23 宣教を生涯の仕事にした別の人は,その道を歩み始めたことについてなんと語っていますか。
23 弟子を得るわざに一生をささげた別の人は次のように述べています。「聖書の偉大な真理を子供の時に学んだ人は,ほんとうに豊かに祝福されています。わたしは偉大な神エホバと御国に関するエホバの目的,魂と生命の希望を父から教え込まれたことに感謝しています。ニュージーランドのクライストチャーチで青少年時代を過ごし,学業に励んでニュージーランドの学生が競い合う大学入学奨学金を優等の成績で得たわたしは,原子科学者になる道を歩んでいました。しかし唯物的,進化論的な考えに取り囲まれるようになって,わたしはそれが牧師の教える地獄の火と同じく不合理で無価値なことに気づき,聖書に傾倒した生活を始めました。それで修士の学位をとるために科学を勉強してはいましたが,大学時代の大半を開拓者とほとんど同じように奉仕し,休暇開拓奉仕もよくしました」。
24 外国の任命地で何年も過ごしたこの人は,幸福と満足についてなんと述べていますか。
24 ニュージーランド,オーストラリア,アメリカ,日本で何年も神の奉仕に携わって喜びを得てきたこの人は,次のように語っています。「先年わたしはニュージーランドにいる年老いた両親に会うことができ,そのことに感謝しています。エホバがつかわされる所で全時間奉仕をするため,わたしが幸福な神権的わが家を離れてから27年になります。家族の愛の絆は強いものです。しかし互いに遠く離れていても御国奉仕にあって互いを結びつけている絆はもっと強く,わたしは両親が今でも熱心に御国奉仕に励んでいることを喜びました。しかしニュージーランドもオーストラリアも,今では自分の国のようには思えません。宣教者として日本の生活になれてしまったので,ニュージーランドの生活のほうが不自然に思えるぐらいです。国に帰ってつくづく思ったのは,エホバからつかわされて神権的な奉仕に携わるところがわが家だということです」。
25 ブルックリン・ベテルの家族のひとりは,どのように奉仕者の生活にはいりましたか。この人は長年にわたるエホバへの奉仕についてなんと語っていますか。
25 また別の人は次のように語りました。「わたしは1879年,イタリアのカリトリで生まれました。信心深い両親はわたしに洗礼を受けさせ,のちにカトリック信徒として堅信礼を受けさせました。85歳のいま,エホバの証人として送った過去59年間をなつかしく回顧するであろうとは思いもよらなかったことです」。1900年,21歳の時アメリカに移住し,4年後に真理を学んだこの人は,1909年にものみの塔協会の本部の一員となり,以来,神の忠実なしもべとして奉仕してきました。この人はさらに次のように語っています,「エホバに奉仕した59年間を振り返ってみて確かに言えるのは,それが生涯の最も幸福な年であったということです。そのうち56年はブルックリン・ベテルの家族の一員として過ごしました。わたしは,この奉仕の特権を目ざすことを,若いクリスチャンに心からすすめます。試練にあったのも事実です。しかしそれによってわたしはエホバへの信仰をますます強めました。マタイ伝 24章14節にイエスの預言した世界的な証言のわざをすすめるため,この協会がエホバに用いられていることを,わたしは少しも疑いませんでした。パウロのことばどおり,どんな苦難も『やがてわたしたちに現わされようとする栄光に比べると,言うに足りない』のです」。
26 ベテルの家族の中にいる多くの年老いた人は,兄弟たちと交わる機会をどのように考えていますか。
26 ブルックリンの本部には,高齢に達してなお忠実に奉仕している神のしもべが大ぜいいます。これらの人々は耳が遠くなっても集会を欠かすことがありません。また多くの努力や,時には若い人々の親切な援助を受けることが必要でも,朝食前の朝の崇拝や大小の大会を欠かさず,たとえ遠くても,歩かなければならなくても,自分の会衆の集会を欠かしません。神のわざに関心を持つ人々と交わる喜びは少しも減っていないのです。
27 真実の幸福を見出すには,どんな考えを心に留めておかなければなりませんか。
27 人を幸福にするのは遊びではなく,勤勉な働きです。しかしそれは正しい仕事すなわち人のためになる仕事でなければなりません。このような仕事として,イエス・キリストの弟子を得る仕事にまさるものはありません。そのわざに直接に携わっている時に幸福を感ずるだけでなく,なすことすべてに喜びと満足が得られます。そのわざに献身する人の生活は満ちたりたものとなります。あなたは今の仕事に真の幸福を感じておられますか。もしそうでないとすれば,それは一生の仕事としてふさわしくないのかもしれません。弟子を得るわざには幸福を見出すことができます。
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あなたは偽りのことばに欺かれていますかものみの塔 1966 | 7月15日
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あなたは偽りのことばに欺かれていますか
1 (イ)にせ札が発見されたことを聞いた人は,なぜ自分の紙幣をしらべますか。(ロ)時にはどこでそれを鑑別してもらうことが必要ですか。偽りのことばの場合には,どうですか。
にせ札がたくさん発見されたことが報道されるならば,あなたはにせ礼をつかまされていないかどうか,手持ちの紙幣をすぐに調べるでしょう。またあなたがそれを万一使ったとなれば,めんどうなことになります。それは銀行の鑑定を要するほど精巧なものかもしれません。偽りのことばはそれにもまして人を欺き,害を与えることがあります。その欺きを見破るには,信頼できる源から真のことばと事実とを確かめねばなりません。
2 (イ)ペテロはわたしたちの益となるどんな警告を与えていますか。(ロ)どのように,また何によって,にせキリスト教を見分けることができますか。
2 主イエス・キリストと最も親しかった使徒のひとりペテロは,死ぬ少し前に霊感の警告をクリスチャン会衆に告げ,油断してはいけないといましめました。それは「甘言をもってあなたがたをあざむ(く)」貪欲な者がクリスチャン会衆の中から出るからです。(ペテロ第二 2:3)したがって,キリスト教を奉ずると言う者すべてが真のクリスチャンではありません。しかもにせものはとるにたりないどころか,きわめて巧妙な策略を強力に用いて欺こうとしています。しかし幸いにも神のはからいによって,わたしたちは真実のことばの源である聖書をしらべ,にせのキリスト教のおこりと発達を知るとき,にせものの正体をあばくことができます。また多くの疑問,とくにキリスト教がひとりの人イエス・
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