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    ものみの塔 1965 | 9月1日
    • この災いは,やはりエジプトの宗教をはずかしめました。パロの魔術師はこの災いを真似ることができるように見えましたが,困ったことにそれをとめることができません。パロは災いをとゞめるようにモーセに願います。「汝をして我らの神エホバのごとき者なきことを知しめん」ため,かえるはとりさられるとモーセは保証しました。―出エジプト 8:1-15,文語。

      23 この災いにはどんな預言的な意味がありますか。エジプトに臨んだかえるの災いに関連して述べられている以外に,聖書の中でかえるの事が出ているのは黙示録 16章13節だけです。そしてこの句はかえるの災いの意義に光を投げかけています。そこでは「蛙に似た三つの……霊感の表現」の汚れている事が注目されています。モーセの律法から見て汚れた動物であるばかりか,かえるはきたない場所に住み,みにくい形を持ち,がーがーきたない鳴き声を出します。ひきがえるの中には皮膚から毒を出すものさえあります。黙示録 16章13節のかえるは口から出てきますから,汚れた宣伝を表わしています。しかし出エジプト記 8章5,6節のかえるはエジプトの池や河から上ってきます。そこでエジプトに臨んだかえるの災いは,エホバの民が暴露した世の道徳の腐敗と汚れを表わしているのです。「黄金時代」つづいて「慰め」そして「目ざめよ!」と改題された雑誌の発刊以来,この災いは現代のエジプトの上に臨みました。最近の著しい例は「道徳腐敗」と題する1964年10月8日号「目ざめよ!」(日本語では1965年4月22日号)です。英語の雑誌だけで375万部が配布用に印刷されました。同じ資料は25ヵ国語の雑誌にのせられ,その印刷部数は245万部に上ります。エジプトのかえるがあらゆる所にはいり込んだように,サタンの組織全体に及ぶ道徳腐敗に関する災いは,このような腐敗をとりあげた出版物とくに「目ざめよ!」誌によって,あらゆる場所に達しています。たとえば「目ざめよ!」に出たある長い記事全部が1964年の夏,アメリカ議会記録に収録されました。b このように現代的エジプト人は,その道徳的また霊的な汚れを暴露されて苦しんでいます。

      24,25 (イ)聖職者はどんなことをして第二の災いを真似たように見せかけましたか。(ロ)エホバのしもべは第二の災いからどんな影響を受けましたか。

      24 現代の魔術師である牧師は,どのように一見この災いを真似しているように見えますか。彼らもまた道徳また霊的な面における腐敗に反対を表明しています。しかし彼らは教会の道徳の状態を見てもわかる通り,真の意味において問題と取り組んでいません。それだけでなく,自分自身が他の人々と変らない有様です。エホバの民の伝える音信だけが世の実情を明らかにし,現代のエジプトに対してかえるのような災いとなっています。

      25 神の民もこの災いからどんな影響を受けましたか。それには二つの面があります。まずこれらの音信はエホバのしもべの中で行いの正しくない者たちを叱責しました。最近の著しい例は,「ものみの塔」に出た,「不品行に陥らないように注意しなさい」と題する記事です。第二にエホバの民のある人々は,これらの状態を暴露した率直な言葉をうるさく感じました。1964奉仕年度のあいだ,アメリカだけで3000人も排斥されたことは,汚れに反対するこの音信が神の民にとっても必要なことを物語っています。

      第三の災い ― ぶよ

      26,27 (イ)第三の災いは何でしたか。魔術を使うエジプトの祭司は,それに関して何を認めざるを得ませんでしたか。(ロ)第三の災いにはどんな現代的な意義がありますか。

      26 第三の災いはぶよです。のみに似たこの小動物は人間と獣につき,蚊のように刺します。それはエジプト人とイスラエル人の両方を悩ましました。パロに仕えて魔術を使う祭司はこの災を真似たように見せかけることができず,「これは神の指です」と言わざるを得ませんでした。―出エジプト 8:16-19。

      27 ゆえにこの災いは,神の民に特有で,しかも彼らにも影響を与える音信です。第三の災いはイスラエル人にも臨んだからです。それはサタンの組織とエホバの組織の相違を明白にし,いわば害虫がはびこっているサタンの組織の状態を暴露する音信を表わすようです。おもしろい事にパリサイ人は,それが昆虫だからではなく,儀式上汚れたものという理由で,ぶどう酒からぶよをこし出しました。しかも彼らは,やはり汚れた動物であるらくだを,象徴的な意味でのみました。―マタイ 23:24。

      28 パロに仕えた魔術使いの祭司が第三の災いを真似できなかった事は,何を表わしていますか。

      28 パロに仕えて魔術を行なった祭司がこの災いを真似できなかったことは,何を表わしていますか。世界の宗教指導者はエホバの民の伝える音信に匹敵するものを持っていないという事です。それはエホバの組織とサタンの組織との相違を明白にします。サタンの組織の存在さえ認めない宗教家に,そのことができるはずはありません。この音信は聖職者と説教者を苦しめる災いとなっています。少なくとも1924年11月15日号「ものみの塔」341頁24節に「悪魔の組織」という言葉が出て以来悪魔のしもべを意味するこの言葉は,エホバのしもべの出版物の中に使われてきました。以来ものみの塔協会の出版した資料で,クリスチャンのとる中立の立場,政治,経済階級闘争への不参加などの問題を明らかにした記事は,この災いの一部となってきました。「救ひ」(1926年),「御心が地に成るように」(1958年)などは,とくにこの点で特色のある本です。

      29 現代における第三の災いは,エホバの民にどんな影響を与えましたか。

      29 昔のイスラエル人の場合と同じく,この災いはエホバの民にどんな影響を及ぼしましたか。それはサタンの組織あるいは事物の制度から離れているべきことを,たえず彼らに思い起こさせました。これらのクリスチャンは(実体的なエジプトである)世にいても,その一部になることはできません。それで経済階級闘争や,政治的な色彩を持つ一切の事柄に関係しません。実体的なエジプトに臨んだこの災いは,子供を持つクリスチャンにしばしば影響を及ぼします。公立学校の活動や行事には子供にとって問題となる,国家主義的,宗教的あるいは英雄崇拝の性質を持つものが多いからです。この災いは,献身したクリスチャンのすべてにヤコブ書 1章27節の言葉を銘記させます。「父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは,困っている孤児や,やもめを見舞い,自らは世の汚れに染まずに,身を清く保つことにほかならない」。

      30 当時および現代における,その後の災いに関して,何が言えますか。

      30 むかしのエジプトに臨んだ災いは,一人一人のエジプト人に関する限り,苦痛の程度が次第に増して行きました。最初の二つはおもにわずらわしいだけの事でしたが,三番目の災いはからだに苦痛を与え,最も大きな災いとなった十番目の災いは初子を殺しました。現代においてもその事が見られます。宗教の聖職者,説教者がサタンの組織の一部として暴露されたことは,商業主義と道徳腐敗に関する以前の音信よりも彼らを深く傷つけました。

      31 第四の災いに関して,エホバはどんな区別を設けると言われましたか,

      31 最初の三つの災いはエジプト人とイスラエル人の両方に臨みました。しかし四番目とそれ以後の災いについて,エホバはパロに対して次のように言われました。「その日に我わが民の居るゴゼンの地を区別おきて……これ地の中にありて我のエホバなることを汝が知んためなり,我わが民と汝の民の間に区別をたてん明日この徴あるべし」「エホバかく為たまひたれば」― 出エジプト 8:22-24,文語。

      32 かたくなで邪悪な者は悪行が身に招いた事柄を経験しても,それから益を得るかわりにどうなりますか。

      32 この区別は宇宙主権の論争をいっそう明白にパロに悟らせるのが目的です。パロは最初の三つの災いから教訓を学びませんでした。かたくなで邪悪な者は,悪行が,自分の身に招いた事柄を経験しても何も学ばず,益を得ません。むしろますます悪をすることに心を傾けます。パロの場合にもそれは真実です。この預言的なドラマにおいて,昔の災いに今日相当するものがあることを知りました。そこで私たちは残りの七つの災い,とくに十番目の災いの意義を知ることに大きな期待と関心を抱いています。初子の死は何を表わしていましたか。これらの事柄については,本誌の次号をごらん下さい。

  • バビロン的宗教から離れる
    ものみの塔 1965 | 9月1日
    • バビロン的宗教から離れる

      アメリカ,ニュージャージー州のあるエホバの証人は神のことばにかなりの関心を示した一家族を訪問した経験を次のように語りました。「この家族は世界の状態に失望し,もっとよい事を求めていましたが,教会の社交的な活動のため家庭聖書研究を始める事は難かしい状態でした。私は自分の妻が相手の奥さんと研究を始め,それから主人に参加してもらうようにしてはどうかと思いました。2回目の研究の時には主人も出席し,毎週の研究が始まっていました。家族はとてもよく進歩し,神のことば聖書から本当に真理を学んでいると間もなく悟るようになりました。

      「私たちが住んでいるところはニューヨーク市の近くであるため,とても励ましを与える特別な所をおとずれる事ができます。ブルックリンにあるものみの塔協会の本部を訪問する機会に恵まれているのです。そこでこの家族に御国活動の光景を実際に目で見てもらう頃合であると感じたので,一緒に訪問する約束をしました。私たちは協会の本部を何回も訪問しましたが,もう一度行って見たいといつも思っていました。今度はいろいろ見た物に驚いた様子のこの家族を見て,いつもよりもっと大きな喜びを経験しました。エホバの証人から教えられた真理に対する関心はさらに加わり,この訪問のよい結果がすぐに表われました。その後,巡回大会,記念式,特別講演が続きましたが,そのころにはこの家族は御国会館の集会に定期的に出席していました。

      「しかしその家族は黙示録 18章4節に従って,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンからきっぱりと離れたいと望みました。そこでメソジスト教会へ辞表を提出しましたが,手紙を出すだけで満足しなかったその家族は,牧師に面接して手渡したいと望みました。そこである夜話し合うために牧師を自宅へ招きました。家族はよく準備をし,教会をやめる聖書的な理由をはっきりと心にとめました。

      「メソジストの牧師と話し合った結果,バビロン的宗教から離れたいという希望がいっそう強められました。牧師は弁明する事ができないのです。教会が社交的な組織になっている点を話した時,牧師はそれに同意し,牧師にその責任がある事を認めました。牧師はその家族が聖書を研究している事をよい事だと思い,メソジストとエホバの証人の間には多くの共通点があると感じていたのです。ところがそうではない事を家族は牧師にはっきりと話し,エホバの証人や聖書は教えていないのに教会が教えているバビロン的な教理の釈明を求めました。聖書の真実性を以前疑っていた教会員の主人は,今は神のことばに信仰を持っている事また聖書には矛盾がない事を牧師に話しました。すると牧師は『ところが聖書には矛盾があるんですよ』と答えました。このように牧師は聖書の真実性に不信の態度を表わしたので,教会から離れる事が正しいと家族はいっそう確信を強めました。大いなるバビロンの下で長年その人々の牧師であったにもかかわらず,その晩自分の信仰と聖書の真理を弁明できなかったことが大きく作用してその家族を正しい道に歩ませる結果になったのを牧師は恐らく悟らなかった事でしょう。牧師は自分の教会から二人の有力な信者が失われたことを悲しみつつ,その夜家族に別れを告げました。バビロン的宗教から解放されたその夫妻は,最近の巡回大会でエホバ神への献身の象徴として浸礼を受けました」。

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