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宇宙空間に生物を探索する目ざめよ! 1981 | 5月22日
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第1部
宇宙空間に生物を探索する
宇宙空間の生物。この言葉を聞いてどんなことを思い浮かべますか。ロケットで遠くの惑星へ旅をし,新世界を探検したり宇宙の果てにある文明社会と交信したりすることを扱ったSF小説やSF映画のことでしょうか。
それとも,地球のかなたに地球外生物と呼ばれるものが存在する可能性を真剣に考えていますか。そうであれば,地球のかなたに存在する生物を調べる学問(“地球外生物学”と呼ばれる)が長寿や健康の増進,より豊かな平和や知識の著しい増加といった見込みを与えてくれると考える科学者がいることをご存じでしょう。
今日では,他の惑星などの宇宙空間に生物を探し求め,その生物と連絡を取ることに専念している科学者や物事をまじめに考える人々が大勢います。米国議会の科学技術委員会に提出された「宇宙に理知ある生物が存在する可能性」と題する報告書はこう述べています。
「宇宙には人間しかいないという古くからの概念は徐々に薄れてきている。……ある程度信頼の置ける人々の最近の推定によれば,銀河系だけでも少なくとも百万の高度に発達した文明社会が存在する可能性がある。こうした他の文明社会と連絡を取る方法を研究する過程が始まっている」。
人々が高度に発達した文明社会がほかにもあるかもしれないと考えるのはなぜですか。ある科学者たちは,『銀河系のような星雲は無数に存在し,その銀河系の中だけでも太陽と同じような星が2,000億個ほど存在する。ゆえに,それらの恒星の多くにはその周りを回る惑星が存在するはずであり,そのうちの幾つかには高度に発達した文明社会があるに違いない』と推論するのです。これは道理にかなった考え方だ,と思いますか。ある方面からこの点に関する非常に強い確信が表明されているため,地球外生物を発見し,それと交信するために膨大な努力が世界各地で払われています。
どんなことが行なわれているか
プエルトリコの山の中にあるアレシーボまで行くと,巨大な望遠鏡が作動しているのが見られます。この望遠鏡にはガラスのレンズも鏡ものぞき込むための接眼レンズも付いていません。基本的に言って,これは幅305㍍の巨大なアルミニウムのどんぶりとも言えるもので,8㌶の収集面積があります。これは光学望遠鏡ではなく,電波望遠鏡です。そして,宇宙のかなたから来る自然の電波雑音を収集するよう設計された特殊な形のアンテナになっています。しかし,宇宙のどこかに高度に発達した文明社会などというものが存在するとすれば,そこから送られて来る電波も受信できるようになっています。
アレシーボにある米国の望遠鏡は特別大きく,重量が625㌧もありますが,このような装置は決してほかに存在しないわけではありません。ソ連や英国をはじめ他の国々も,この種の装置を用いて宇宙空間に耳を傾けています。そのいずれも宇宙に波長を合わせ,ちょうど人々が携帯ラジオのダイヤルを回して好みのニュース放送局を探すためにアンテナを動かすのと同じように,理知あるメッセージを探し求めているのです。ほかの惑星に理知ある生物がいるだけでなく,それが人間に受信できるようなメッセージを送っていることに望みを置いているのです。
アレシーボにある電波望遠鏡を作り上げるのには1,700万㌦(約40億円)の費用がかかり,それを動かすために年間400万㌦(約9億6,000万円)以上の費用がかかります。関係諸国すべてがそのような事業につぎ込んでいる資金の総額を想像できるなら,宇宙空間に生物を探すことがまじめな問題として取り上げられていることを認識できるはずです。
しかし,こうした費用も,CYCLOPSにつぎ込まれる費用と比べればわずかなものです。米国の科学者たちの提唱しているCYCLOPSは,直径100㍍のアンテナ1,500基ほどを集めた装置で,コンピューターを用いてそれらのアンテナを同時に動かすことができるようになっています。65平方㌔以上の面積を占めるこの装置には,建造費として200億㌦(約4兆8,000億円),およびそれを作動させるための費用として年間1億㌦(約240億円)の費用がかかると見込まれています。
宇宙空間に存在する生物と連絡を取ろうとする熱意は,電波を聴き取ることだけに見られるのではありません。科学者たちは力強い口調で,『宇宙のかなたの皆さん,こんにちは。わたしたちの言うことが分かりますか』と言っています。科学者たちは宇宙空間へメッセージを送っているのです。
ラジオやテレビが発明されて以来,電磁波による送信が幾らか宇宙にもれ出ました。しかし,こうした送信の目的は宇宙のかなたにではなく,地表の別の地点に電波を送ることにありました。ですから,他の惑星や遠く離れた星雲に理知ある生物がいたとしても,人間が送信する比較的に出力の弱いラジオやテレビの放送を検出し,それを解読することは不可能であろうと思われます。また,こうしたプログラムの多くの内容が分かったとしても,大きな損失にはならないことでしょう。
いずれにしても,最近では宇宙空間に向けて強力なメッセージを送信するために真剣な努力が払われています。わたしたちはそれが可能であることを知っています。月面の宇宙船との間で,また金星や火星に送られた探査機との間で無線やテレビを用いた交信が行なわれているからです。1974年11月16日には交信のために特別な努力が払われました。アレシーボの電波望遠鏡が巨大なレーダー送信機に変えられ,地球から約2万4,000光年離れた,銀河系の果て近くにある星団,メシエ13に向けてメッセージが送られたのです。そのメッセージは独自の符号を用いて送られましたが,それを受信できるほど高度に発達した科学技術を持つ文明社会であれば,それを解読することもできると科学者たちは考えています。
しかし,宇宙空間へのメッセージすべてがそれほど複雑なわけではありません。木星に向けて打ち上げられ,その後太陽系の外へ向かう予定の宇宙探査機,パイオニア10号には特製の板が取り付けられており,地球外に住む生物が見付けた際に情報を提供するようになっています。その板には人間の男女の姿が描かれており,さらに太陽系の図とその宇宙探査機の発射された場所である地球が描かれています。
同じような努力としては,太陽系を縦断する宇宙船ボイジャーに載せられた,録音時間2時間に及ぶ“地球の音”の銅製のレコードがあります。そのレコードには50か国語でのあいさつ,クジラの“言語”,雨や車や火山などの音が録音されています。その中にはジャズやロックンロールやクラシック音楽の抜粋も収められていました。
他の科学者たちは,地球のかなたの理知のある生物と無線で交信することを待つのではなく,そのような生物が存在することを証明するもっと基本的な方法に力を注いでいます。
“月の岩石”が地球に持ち帰られた時の興奮を覚えておられるかもしれません。問題は,その岩石から,生物あるいは生物の残がいの存在する証拠が何か得られるだろうか,ということでした。残念ながら,月の岩石にはそうした証拠はありませんでした。今度は,惑星,中でも火星に注意が向けられました。
まじめな科学者たちが“火星人”の存在する可能性はないとしてからすでにかなりの期間がたっていますが,彼らは微生物でもよいから探し当てたいという希望を失いませんでした。1976年に火星の表面に到着したバイキング1号とバイキング2号には,火星の土壌を分析するための特別な実験室が載せられていました。腕のような形をした機械が伸びて土壌を幾らかえぐり取り,それを実験室の中に持ち込みました。そしてその中で,生物を検知する装置を用いて,時間をかけた複雑な検査が行なわれました。これは宇宙空間に生物を探索する分野での大きな一歩でした。
なぜ行なうのか
あなたにとってどんな意味があるのか
どうしてこれほどの資金と労力をかけるのですか。好奇心にかられているにすぎないのでしょうか。『決してそのようなことはない』と,天文学者も生物学者も,そして一般の人々の多くも答えるでしょう。アレシーボ計画に従事する天文学者フランク・ドレークは,「科学の分野に見いだし得る最も胸を躍らせるような事柄と言えば,別の惑星に存在する生物である」と述べています。天文学者であり生物学者でもあるカール・サガンは地球外生物学者の中では最も知名度が高く,その分野で最も熱心な学者であると思われますが,そのサガンもこう述べています。「銀河系からの電波に波長を合わせることから得られる科学的,論理的,文化的,倫理的知識は,長い目で見れば,単一の出来事としては我々の文明の歴史上最も深遠なものとなろう」。
では,はっきり言って何が得られるのだろうか,と思われるでしょう。サガンはベストセラーになった自著「ブローカの頭脳」の中で,他の惑星の高度に発達した科学技術を擁する社会は,食糧不足・人口増加・エネルギーの供給・資源の枯渇・戦争・公害など,地球上の諸問題の解決策を提供できるかもしれないことを示唆しています。さらに楽観的な意見として,オムニ誌は次のような展望を示しています。「高度に発達した文明社会の中には,生命を長らえさせる方法,自分たちの地球の環境を不注意に破壊することや核戦争による惨禍や自滅を避ける方法を教えてくれるものがあるかもしれない。我々が不滅になる方法さえ明らかにしてくれるかもしれないのである」。
こうした見込みがあれば,熱狂的になるのももっともなことです。しかし,それらは宇宙空間に生物を探索することと関連付けて考慮しても妥当とされるような,はっきりした可能性ですか。
地球外生物の探索に関してどんな見解を持つかは個人の問題です。しかし,憶測するしかないと言うわけではありません。考慮の対象となり,あなたの将来に影響を及ぼし得る証拠があるのです。
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地球のかなたに理知ある生物が存在するか目ざめよ! 1981 | 5月22日
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第2部
地球のかなたに理知ある生物が存在するか
宇宙空間に理知ある生物を求める人間の探索は,言わば成長を遂げて大人になったと言えます。その探索が集中的に行なわれるようになってからすでに21年ほどが経過しました。
例えば,1960年4月にウエストバージニア州にある米国国立電波天文台の円錘形のアンテナが鯨座τ<タウ>星とエリダヌス座ε<イプシロン>星に初めて向けられ,それらの星からの電波通信を受信できるかどうかが試みられました。1968年にはソ連の天文学者たちが比較的近くにある,太陽に似た12の星を調べました。実際のところ,1,000以上の星がすでに調べ上げられています。そして,プエルトリコのアレシーボにある巨大な電波望遠鏡をはじめ,各地の多くの電波望遠鏡を用いてその探索が続いています。
宇宙に生物を求める探索は別の分野でも進められています。それは木星・金星・土星・火星など太陽系の惑星や月へ向けて打ち上げられる数々のロケットによるものです。
これまでに得られた結果,およびこれから先の見込みはどのようなものでしょうか。ある朝,目を覚ますと,別の惑星に住む理知ある生物と確かに連絡が取れたという意味のニュースが聞こえてくる,などということを期待する根拠があるでしょうか。それとも宇宙に生物を探索した結果,地球に住むわたしたちは例外的な存在であり,地球のかなたに理知ある生物が存在することはないと考えてよい理由が見付かったでしょうか。
宇宙に向けられた電波望遠鏡を操作する科学者たちの間に,興奮が高まったこともありました。
一例として,ソ連の科学者たちが単なる不ぞろいな放射線でも自然の電波雑音でもない,宇宙からの信号を捕らえたことがありました。証拠からすれば,それは理知ある生物に導かれた源から発せられていました。そして,確かにその通りだったのです。それは少し前に打ち上げられたばかりの米国のスパイ衛星からの信号でした。
英国の天文学者たちは1968年に,自分たちの検出した信号のことで色めき立ちました。それは宇宙のかなたで発せられた規則正しいパルスのように思われました。それは理知あるメッセージを含む信号でしょうか。実は,その天文学者たちはパルサーを発見したのです。それは速い速度で回転する巨大な星で,そのため燈台の回転燈からの光線同様,断続的な電波信号を送り出しているかに見えます。パルサーの発見は天文学上著しい功績で,今では数百個のパルサーの存在が知られています。しかし,地球外生物からの理知あるメッセージは得られませんでした。
このように電波望遠鏡は実に様々な信号や雑音を受信しますが,宇宙空間の理知ある生物からのメッセージはこれまでのところ検出されていません。1979年6月26日付のニューヨーク・タイムズ紙はこう論評しています。「信号を検出できず,より高度な文明社会が長期にわたって植民を行なっているという証拠がないために,ある科学者たちは地球の属する銀河系の中にそのような文明社会は存在しそうもないとの結論を出している」。
宇宙空間に生物を見いだそうとしている地球外生物学者の基本的な仮説は次のようなものです。ほかの恒星の周りには無数の惑星があるに違いない。そうであればそのうちの幾つかの星では理知ある生物が進化しているに違いない。
しかし,太陽系以外に惑星があるのでしょうか。あるかもしれず,ないかもしれません。実のところ,他の星,つまり恒星は,非常に遠くにあるために,科学者たちはそれらの星の周りに小さな惑星があるかどうかを証明できないのです。
米国航空宇宙局(NASA)のエームズ研究センターのデービッド・ブラックは,「地球の属する太陽系の外に惑星が存在することを示す確かな証拠はまだ存在しない」と語っています。また,ソ連の天文学者でソ連邦科学アカデミーの通信会員であるイオシフ・シュクロフスキー博士は,かつて地球外生物の存在する可能性について夢中になっていたにもかかわらず,今では同様の結論に達しています。1978年に,同博士はこう説明しました。「一群の惑星に囲まれた奇妙で類例を見ない星である太陽は,星の世界ではまれにしか見られない例外的な存在である可能性が非常に強いように思われる」。
そうであれば,はるかかなたの惑星にある,高度に発達した文明社会について非常に断定的に話すのは確かに当を得ていないことが分かるでしょう。そのような人々は,高度に発達した文明社会はおろか,そうした惑星が存在することさえ証明していないのです。
微生物
高度に発達した生物は発見されていませんが,太陽系にある惑星から微生物でも発見できれば,科学者は幾らかでも救われた気持ちになるでしょう。これらの惑星に何らかの形の生命が存在していれば,この星雲のかなたにはより発達した形の生命が存在する可能性がまだあると考えられるからです。このわけで,アメリカのバイキング探査機によって火星に運ばれた生命検知実験室が注目の的になりました。
二つの火星探査機,バイキング1号と2号は,土壌の試料について26種の複雑な検査を行ないました。例えば一つの実験では,火星の土壌の幾らかを放射性の二酸化炭素と一酸化炭素を含む気体にさらしました。生物がいれば,それが放射性炭素の幾らかを有機物に変え,その有機物を検知できるであろうと考えたのです。別の実験では試料を栄養分を含む溶液につけ,物質交代が起こるか,つまり言うなれば何かが食物を食べるかどうかを検査しました。
全般的な結論としてワールドブック科学年鑑1978年版は,「幾月にもわたって研究を重ね,説明を付けようとしたかいもなく,その実験の結果は決定的なものではなかった」と述べています。どうしてこのような見解が出されたのでしょうか。検査の幾つかは予期しない反応を示したのです。実際のところ,その検査では生物どころか有機物と断定できるものさえ発見できませんでした。しかし,ある科学者たちは,その結果が生物のいない火星の土壌における異常な化学反応の表われにすぎないとするのではなく,それに生物学的な意味があるかもしれないという一縷の望みにしがみ付き,かえって強い態度に出ているのです。
英国のニュー・サイエンティスト誌によると,ある実験では,100万個あるいは10億個の分子の中にあるごくわずかな有機物の分子をさえ検知できる高感度のガス分光計が用いられました。それでも,その検査では,「[火星の]土壌の中から有機物の分子を検知する」ことはできませんでした。その結果を分折したチームのスポークスマンであるクラウス・ビーマンは,「有機化合物が存在しないということは……地球の生物相に似たような仕方で反応する生命体が存在する可能性を薄いものにする」と述べました。ニューズウィーク誌はこれをもっと端的に述べ,その検査の結果,「有機体の分子が存在する証拠は見られなかった。地球上の生命作用には有機物が不可欠であり,地球以外の場所でも同じであると思われる」と述べています。
したがって,26種におよぶ種々の複雑な検査は,火星に微生物が存在することさえ証明しませんでした。
このような結論を出す人もいる
バイキング探査機が火星に着陸するよりも前の1976年に,天文学者のクレイ・シャーロットは,「我々の住む惑星に非常に似ている火星に生命が存在しないとすれば,宇宙には我々しかいない,という公算が大きくなる。我々は宇宙の中で類例を見ない存在なのかもしれない」と述べました。
バイキング1号と2号の探索がすでに歴史上の出来事となった現在,そのような結論に達する科学者はますます多くなっています。イオシフ・シュクロフスキー博士はソ連のスプートニク誌の中に次のように書いています。「全宇宙でとは言えないまでも,この銀河系で,あるいは幾つもの局地的な星雲の体系の中で文明社会を持っているのは我々だけであるという仮説の妥当性は,生物の住む世界が幾つも存在するという伝統的な概念の妥当性より強まりこそすれ,弱まってはいないことを[証拠は]示唆している」。
また,天文学者であるマイケル・H・ハート博士は,「仮想の惑星」に関するコンピューター分析を行ない「その惑星に我々のような高度に発達した文明社会が生じる上で必要になると思われる要素を略述して」述べています。同博士は結論として,「文明化した生物はとても一般的とは言い難く,極めてまれな存在であるに違いない。地球上にある文明化された生物は類例を見ないものであるとさえ考えられる」と述べています。
では,科学的な証拠は宇宙に知性を持つ生物がほかにも存在するという可能性をはっきり否定する方向に向かっているということになりますか。
[9ページの拡大文]
「太陽は,星の世界ではまれにしか見られない例外的存在である可能性が非常に強いように思われる」
[10ページの拡大文]
26種におよぶ種々の複雑な検査は,火星に微生物が存在することさえ証明しませんでした
[10ページの拡大文]
「宇宙には我々しかいない,という公算が大きくなる」
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証拠はある!目ざめよ! 1981 | 5月22日
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第3部
証拠はある!
宇宙空間からの自然の電波雑音に耳を傾けているうちに,科学者たちは自らの考え方に大変動をもたらすことになったあるものを検出しました。
1965年に,米国ニュージャージー州のベル研究所でアルノ・ペンジャスとロバート・ウイルソンが6㍍の角型アンテナを用いて仕事をしていた時のことです。人工衛星を介した通信に影響を及ぼす可能性のある放射線の研究に従事していた際,二人は天空のあらゆる方向からかすかな極超短波の信号が飛んで来るのを捕らえました。やがて,二人が耳にしたのは残存放射線であることが証拠から明らかになりました。何の残存物なのでしょうか。宇宙は大きな爆発,つまり“大爆発<ビッグ・バング>”によって生成され,至る所にある放射線はその火の玉の爆発のかすかななごりであるというのが有力な学説になっています。
『でも,そのことと,宇宙のかなたに理知ある生物がいるかどうかという問題とどんな関係があるのか』と思われるかもしれません。
ペンジャスとウイルソンはこの発見でノーベル賞を得,この発見によって多くの科学者たちは創造の瞬間があったことを確信するに至りました。著名な天文学者,ロバート・ジャストロー博士はこう説明しています。「その問題のゆゆしさを考えてみるとよい。科学は宇宙がある時期に爆発して存在するようになったことを証明している。そして科学はこう尋ねている。この結果を生じさせた原因は何であったか。だれあるいは何がこの宇宙に物質とエネルギーを注ぎ込んだのであろうか,と」。
今日,科学だけでは完全な答えを出せないことを認める人は少なくありません。しかし,ジャストローをはじめ多くの科学者たちは次のようにその意味を捕らえています。「このように,天文学上の証拠が世界の起源に関する聖書の見解に導くことが分かる。詳細については異なっていても,天地創造の記録は天文学によるものも聖書によるものも同じである。すなわち,人間の出現にまで至る一連の出来事が,時の流れの特定の瞬間に,光とエネルギーのさく裂と共に,突然また急激に始まったということである」。
しかし聖書は,『だれが宇宙に物質とエネルギーを注ぎ込んだのか』と尋ねるだけで終わるのではなく,道理にかなった答え,すなわち創造者である神の存在を指し示しています。そして,エネルギーと物質は互いに交換可能であるというアインシュタインの発見と調和して,聖書は創造者が膨大な「動的勢力<エネルギー>」の源であると証言しています。―創世 1:1。詩 90:2。イザヤ 40:26-29,新。
ジャストローは結論としてこう述べています。「理性の力に信仰を置いて生きてきた科学者にとって,この話は悪夢のような結末を迎える。科学者は無知という山々を登り,もう少しでその最高峰を極めようとしていた。最後の岩をよじ登ってみると,幾世紀も前からそこにいる神学者たちの一団に迎えられたのである」―「神と天文学者」。
もっとも,創造者に関する証拠を受け入れることには,実際のところ少しも不都合な点はありません。地球のかなたに知性が存在する可能性を認めるほど虚心になれる人であれば,生ける創造者について聖書の述べる事柄を認めるのに大きな困難を感じないはずです。例えば,第一原因であられる方はわたしたちのように血肉の体を持つのではなく,霊であると聖書は述べています。(ヨハネ 4:24)ですから,その方を見ることはできなくても,その方の成し遂げられた事柄に目を向けることはできます。科学者たちが宇宙からの自然の電波を見ることはできなくても,それを受信して測定できるのと同じです。
さらに,理知ある創造者が存在するという考えは,畏怖の念を起こさせる星や星雲から計り知れないような原子の複雑さに至るまで,宇宙に表われている知恵や設計と調和します。
地上の生命 ― 理知ある源から
生きた,知恵のある創造者という形で,『地球のかなたに理知ある生命』が存在するとすれば,それはこの地球上のわたしたちの生命に関する重要な事柄を説明するのに役立ちます。
太陽系の他の惑星や宇宙全体のことを調べるにつれて,科学者たちは地球が細かな点に至るまで生命の存在を目的として設計されていることをますます深く認識するようになっています。ニューヨーク・タイムズ紙は,「生命は地球にしか存在しないかもしれないことを研究は示す」という長文の記事の中で,次の点を指摘しています。「地球は太陽から9,300万マイル(約1億4,880万㌔)離れた所にあり,その温度は生命を存続させるものとなってきた。ところが,この地球の軌道があと5%だけ太陽に近付いていたら,とめどもない温室効果のため,この惑星は金星のようになっていたであろう。金星は気温がほぼ華氏900度(摂氏約480度)に達する,雲に覆われた惑星である。
「一方,地球が存在するようになった時太陽からあと1%だけ離れていたとしたなら,地球の至る所でとめどもない氷食作用が起こり,この惑星は今から17億年前に火星と同じような荒涼たる砂漠と化していたであろう」― 1979年4月24日付。
問題になるのは適正な温度だけではありません。水やふさわしい大気を含め,生命に必要とされるものは数多くあります。メリーランド大学で開かれた,高度に発達した文明社会に関する会議に出席した30人の科学者の一グループは,生命を支えるには何が必要かということに論議の的を絞りました。『太陽系の外に惑星はまだ見付かっていない』ことを認めてから,その科学者たちはこう述べています。「たとえ別の惑星系が形造られていたとしても,生命に欠かすことのできないものを含め,100近くの元素を擁する地球のような,大地のある惑星が確かにそこに生み出されるという保証はない」。
また,地球上には生命が存在するのにちょうど良い条件が整っていますが,そのような場所はほかには知られていません。しかし,たとえ条件が整っていたとしても,生命は自動的に存在するようにはなりません。事実,科学者たちは生命が地球上に現われた説明としてそれが理知ある創造者によって生み出されたという以外の結論を引き出すことはできません。
「科学技術レビュー」誌の1979年8・9月号はこの事実に注意を向けています。生命を支えるのに必要とされる化学物質を「原始細胞と呼ばれるような[最も単純な]生命体」と比べてみても,そこには「大きな隔たり」があることを同誌は認めています。科学者たちの中には,自分たちの知力と技術を駆使し,最新式の実験室を用いて,「生物出現以前の有機化学物質」(生命に必要とされる化合物)が太古の地球上にどうして存在し得たかを示唆することのできた人もいます。しかし,その記事はこう述べています。「だが,そこから,情報を解釈し,伝達し,それに基づいて行動できる生命体にまでどのようにして達するか……その点を,マサチューセッツ工科大学のアレクサンダー・リッチは『生命を合成する分野での大きな知的障害物である』と呼んでいる」。
生命はどこから来たのか
生命に関して研究がさらに進められるにつれ,『そもそも地球上の生命はどのようにして発生したのだろうか』という疑問がいよいよ大きくなってきています。
この問題に直面した科学者の中には,1908年にスウェーデンの化学者スバンテ・アレニウスの提出した学説を蒸し返す人もいます。それは“胚種広布<パンスペルミア>説”と呼ばれています。それは,基本的に言って,宇宙を漂う生きた細胞がたまたま地球に根を下ろしたと言う説です。ソーク研究所のレズリー・オーゲルとノーベル賞受賞者のフランシス・H・C・クリックは,この概念を幾らか近代的なものにして,“意図的胚種広布”なる説を提唱しています。その考え方は,宇宙のほかの所にある高度に発達した文明社会が実験のために地球に生命を故意に“感染”させたというものです。そのような可能性について,どう思われますか。
そのような説が生命の起源に関する疑問を本当の意味で説き明かすものとならないことは明らかではありませんか。そうした学説は,問題を宇宙のかなたに移し変えて,その疑問を言わば避けて通っているにすぎません。科学者たちが次の幾つかの点を確証してはいないという事実は依然として残ります。それはすなわち,1)ほかにも惑星があるということ,(まして生命を支えることのできる惑星となれば存在を確証することは難しい。) 2)太陽系のかなたに文明社会があるということ,3)太陽系の中の他の惑星に微生物がいるということ,などです。
さらに,この学説の現代版は,意識しているかどうかは別にして,多くのまじめな科学者たちが理知ある存在者の行動なしに生命は存在しないという点を悟っていることを物語っています。聖書はその理知ある存在者を神であるとしています。
この点で,科学関係の編集者であるアルバート・ローゼンフェルトはこう述べています。「わたしは科学とは無縁の友人とこのすべてについて話していたが,その人は最後にこう言った。『昔から創世記を読んでいるので,宇宙のかなたにいるだれかが我々をここに置いたという考えにはあまり驚かされることはない。そして,人間の想像を絶するような,不思議で,神秘的で,力強い知性が存在するとすれば,それを神と呼んではいけないだろうか。そう呼んではいけないもっともな理由を示してくれないだろうか』。わたしはその友人にもっともな理由を示すことができなかった」― サタデー・レビュー/ワールド。
地球のかなたの理知ある存在から益を受ける
宇宙空間に理知ある生命を求める探索の背後にある主な動機付けについてはすでに述べました。この探索に従事する人の多くは,そのような連絡を取ることができるなら,地球の人間は恩恵を受ける立場にあると考えています。天文学者のカール・サガンが,地球外の理知ある生物は人間が食糧不足や戦争や公害に終止符を打つのを助けてくれるかもしれないと述べていたことを思い起こすとよいでしょう。そのような方法で死さえ征服されるかもしれないことが示唆されています。これは極めて興味深い事柄です。その理知ある存在,つまり創造者が存在することを示す証拠はそろっており,その方が正にそうした事柄を終わらせるというご自分の目的を伝えておられるからです。
月の上に立った宇宙飛行士は地球にメッセージを送り,テレビの画像をさえ送って来ました。ですから,人間に情報を伝達する力が創造者にあり,過去にそうされたとしても驚くには当たりません。その公式発表は保存するため,また広く配布するために書き記されました。それは聖書の中に収められています。
聖書に収められている情報は天文学者たちによる最近の発見と調和する,というロバート・ジャストロー博士の結論についてはすでに言及しました。聖書と科学の調和は宇宙の創造の問題に限られているわけではありません。(ヨブ 26:7; イザヤ 40:22を比較してください。)ですから,創造者がいつまたどのように公害や戦争や死そのものをさえ終わらせるのかについて,聖書の述べるところを調べてみるもっともな理由があります。聖書に収められた創造者からの情報を調べるに当たって,宇宙空間に生物を求める探索を科学者たちが真剣に行なったと同じほど真剣な気持ちで行なってみるようお勧めいたします。
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