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アフリカの諸教会は過去と将来を考察するものみの塔 1975 | 2月15日
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ては,カトリック教会と,協議会に加盟している諸教会とは全面的に意見が一致しているのであるからその点を理解すべきだ,という趣旨の反論をしました。―1974年5月16日付,タイムズ・オブ・ザンビア。
一致への模索
総会では,教会の統一と協力ということについても,真剣な討議が行なわれました。代表たちは,真にアフリカ的な教会となる必要性と解放運動に対する支持に関しては合意したにもかかわらず,同協議会を構成する100以上の教会の間の実際的な宗教的統一への具体的な手段は何も示しませんでした。
世界教会協議会の事務局長フィリップ・ポッター博士は,ルサカ総会で演説を行ないました。タイムズ・オブ・ザンビア紙はその内容を次のように伝えました。『アフリカの歴史の大部分は,部族主義と部族間戦争に悩まされた歴史であった。しかもそれは今日まで続いている。非常に多くの人を犠牲にして自己の利益と権力を追求することにより,不正な植民地体制を継続させた人々は少なくなかった』。彼はさらに,『幾つかの教会はアフリカに持ち込まれた分裂をそのまま保っていた。教会人が他の教派に属する人に「あなたは,自分の方法で神を崇拝しなさい。わたしはこの方法で崇拝する」と言うのを聞くのは珍しいことではなかった』と述べました。
真の自由と一致への道を見いだす
同協議会は,特に19世紀以来発生した事態への懸念を反映していました。実際には,キリスト教がアフリカに入ったのは19世紀よりずっと前のことでした。聖書の本である「使徒たちの活動」が示すところによると,第一世紀の昔に,明らかに知性と教養のある人であったエチオピア人のある官吏が,エルサレムからアフリカへ戻る途中,キリスト教の信者になりました。(使徒 8:26-38)純粋のキリスト教がこうして初めてアフリカへ紹介された時,当時のクリスチャンたちがそれを商業的あるいは政治的搾取の踏み台として用いたことを示すものは何もありません。
これまでのアフリカの歴史は,将来特殊のキリスト教,つまり大陸的な特色を持つ種類のキリスト教が発達することを本当に必要としていますか。過去百年の間に数々の重大な悪行が行なわれた責任は真のキリスト教にありますか。それともそうした悪行は,実際には,キリストを代表すると単に主張するだけの組織が真のキリスト教から離れて行ったさいの副産物ですか。全アフリカ教会協議会ルサカ総会の主題は,「もはや自分たちのためにではなく……キリストのために生きる」でした。それでは,キリストの真の弟子たちが生活の指針とすべき,キリストが自ら示された模範と教えはどんなものでしたか。
イエス・キリストは,「わたしの王国はこの世のものではありません」と言われ,世の政治体制やその“文化”様式の先駆者となることをご自分の弟子たちに許されたことは一度もありませんでした。(ヨハネ 18:36; 15:19)彼らは,そういうことではなくて,キリスト・イエスによる神の王国が,どの家族,部族,国家に属していようと,大陸に住んでいようと,正義を愛する人すべてを,『腐朽への奴隷状態から自由にし,神の子どもの栄光ある自由を持つ』ようにするための手段であることを教えるべきでした。―ローマ 8:21。啓示 7:9,10; 14:6。
それら真の弟子たちはすばらしい解放を指し示しました。それは人々を人間による抑圧と搾取から解き放つだけでなく,不完全さ,病気,そして死そのものへの隷属からも解放するものです。(啓示 21:4)解放をもたらす神のメシアによる王国を宣明し唱道するにさいし,キリストの真の弟子たちは肉の武器ではなく霊の武器を用います。その武器は罪のない人々を害したり,残酷な苦痛や悲嘆をもたらしたりすることは決してありません。(コリント第二 10:4,5。エフェソス 6:10-17)「キリスト・イエスのりっぱな兵士」として,彼らはキリスト教と商業主義を一緒にするようなことはしません。霊感を受けた使徒パウロが仲間の宣教者テモテに助言しているとおりです。―テモテ第二 2:3,4。
今日,アフリカに,またこの地球上の他のすべての場所に,真のキリスト教のこうした原則に従って生活し,部族主義,国家主義,教派主義あるいは人種偏見などによる障壁なしに一致して生活している人々がいるでしょうか。
すべての部族の,そして大陸のすべての土地の幾千幾万ものアフリカ人たちは,まさにこの理由で,つまり聖書の原則が生活に生かされるのを見て,今日エホバのクリスチャン証人と交わっています。そうする彼らは,“外国から輸入した”“白人の宗教”を受け入れているのではなく,天と地の創造者,エホバ神への崇拝を受け入れているのです。その神は,差別をもうける「不公平なかたでは」ありません。「どの国民でも神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられ」ます。―使徒 10:34,35。
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一つの事物の体制の終わりものみの塔 1975 | 2月15日
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一つの事物の体制の終わり
一つの事物の体制が,1,582年も存続した後に滅ぼされるというのは,決して小さな出来事ではありません。その体制が神ご自身の確立されたものであればなおのことです。ここで述べているのは,古代ユダヤ国民の体制のことです。その体制が終わりを迎えたのはなぜですか。その体制の終わりは特異な仕方で訪れましたが,そうした終わりをもたらしたものは何ですか。
西暦前1513年,立法者モーセを仲立ちとして結んだ律法契約のもとに神が一つの体制を確立されたことは広く知られています。その体制には,安息や宗教上の清めに関する種々の規定,相続に関する取決め,祭司職や犠牲を伴うエルサレムの神殿など,さまざまな特徴が備わっていました。そのすべてが西暦70年に完全に滅び去ったのです。ダビデの家系の王が出てエルサレムで再び王座に着き,圧制的な異邦諸勢力を打ち破るというユダヤ人の期待もそれと共に消え去りました。
エルサレムの滅びる様子とその理由については,神の最も偉大な預言者イエス・キリストにより前もって預言的なことばで説明されていました。イエスは,後にユダヤ人の事物の体制を滅ぼしたのと同じ権威のもとで死に渡されましたが,死の幾日か前にその預言を語られました。逆説的なことに見えますが,イエスをその権威に引き渡してイエスの処刑を叫び求めたのはユダヤ人自身でした。
恐るべき終わり
イエスは,使徒たちの質問に答える形でその預言を語られました。使徒たちは,神殿の建物の壮麗さをイエスに示そうとしていました。それをご覧になったイエスはこう答えました。「あなたがたはこれらのすべてをながめないのですか。あなたがたに真実に言いますが,石がこのまま石の上に残されて崩されないでいることは決してありません」― マタイ 24:1,2。
その二日前にも,イエスは神殿とその都市の滅びるさまについて予告しておられました。エルサレムに対してこう言われました。
『あなたの敵が,先のとがった杭でまわりに塁を築き,取り囲んで四方からあなたを攻めたてる日が来るでしょう。彼らは,あなたとあなたの中にいるあなたの子らを地面にたたきつけ,あなたの中で石を石の上に残したままにはしておかないでしょう。
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