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  • 今日,電力危機が存在するのはなぜか
    目ざめよ! 1972 | 11月8日
    • は,1971年9月のサイエンティフィック・アメリカン誌が述べているように,「アメリカが,向こう10年間に,電気時代の開始以来生産してきたのと同じ量の電気を生産する」ことを意味します。10年ごとに消費量が2倍になる結果は想像にあまるものがあります。

      どれほどの石炭と石油とガスが地下に埋蔵されているかはだれにもわからないとしても,例として,今までに全埋蔵量の5%を消費したと仮定しましょう。これは,次のことを意味します。もし10年ごとに消費量が倍になるなら,地球に埋蔵されている燃料の全部は,40年あまりで使いはたされてしまうということです。

      「なくなりはじめている」

      地下から掘り出す燃料の消費率におびえている人は少なくありません。一部の専門家たちに言わせると,それらの燃料は,『わずか一世代と少しで』尽きてしまいます。1969年に,アメリカのナショナル科学アカデミーは同国の大統領に,「もう50年もすれば,回復可能な世界の最初の重油と天然ガスは大部分使いはたされる」と報告しました。

      しかし,3年前になされたこの推測はかなり楽観的なものであるといってよいでしょう。天然ガスの量はすでに尽きようとしています。連邦電力委員会は,2月に作成した職員報告書の中で,昨年始まった不足が「歴史的な転換期,つまり,供給に関する問題に制限されることなく天然ガスの企業が成長するという時代に終わりを画することになった」点を指摘し,「この不足のしわ寄せは,他の燃料の上にかかってくるだろう」と結論しています。

      しかし,アメリカでは石油も不足しています。すでに国の石油の4分の1以上 ― 平均すると,毎日6億2,300万㍑の石油が輸入に頼っています。しかし内務省の最近の報告によると,この輸入の量は,1980年までには倍以上になるということです。

      外国産の石油への依存

      アラスカで石油が発見されたとはいえ,知られているあとの石油資源の大部分は海外,とくに中東にあります。ですからホリス・M・ドール米内務次官は,「わが国は,燃料の不足を補うために,石油のあるところ ― アフリカと中東 ― まで行かねばならなくなるだろう」と述べています。

      しかし,中東の石油への依存度の上昇は,動力危機を強調するにすぎません。1971年12月7日のニューヨーク・タイムズ紙が述べたとおりです。

      「米国公益事業委員会の主張によると,わが国の発電設備は,『くすぶりつづけるアラブ,イスラエル間の紛争』をも含む『現在の政治的実状』のために,余剰の石油燃料の供給を妨げられがちである。余剰石油はほとんど全部輸入されている」。

      また,マイアミ・ヘラルド紙は,「中東の石油はきわめて重要であるから,それを保護するためには,アメリカは核による対決さえ辞さないだろう」と伝えています。たしかに今日の諸国家は,産業を継続させ,自動車を動かし,テレビジョンセットを働かせ,電灯をともしつづけるのに必要な石油を手に入れるためには,戦争の危険さえおかしかねません。

      それにしてもなぜ石炭ではなくて石油が,主要なエネルギー源として頼られるのでしょうか。アメリカはまだ莫大な量の石炭を有すると言われています。

      使用可能な石炭が豊富?

      問題は,大部分の石炭が,硫黄を多量に含んでいて,現在の環境規準に合わないということです。硫黄を1%以上含む石炭を燃やすことを禁ずる都市がふえています。そのために,しだいに多くの地域社会が,発電所の燃料を,石炭から,汚染の少ない石油と天然ガスに切り替えています。ある人々が考えていることとは反対に,人間は,石炭と石油から硫黄汚染物質を除去する知識を持たないようです。ニクソン大統領は,1971年6月4日のエネルギー教書の中で,次のように説明しています。

      「きれいなエネルギー計画における主要な隘路は,現在のところ,含有物の硫黄を大気中に排出せずには,石炭または石油を燃やすことができないということである。われわれは,空気中に排出する前に硫黄を除去する新しい技術を必要としている」。

      硫黄含有量の少ない石炭があることは事実です。しかしその種の石炭はたいてい地表の近くにあるので,露天掘りでしか採掘できません。ところが露天掘りは土地をひどく荒すので,これを非合法化する法案が出されています。

      一方,地下の深いところにある石炭は採掘に費用がかかり,硫黄の含有量も高いことが考えられます。ですから,アトランティック・リチッフィールド会社の社長T・F・ブラッドショウは,「実際のところ石炭は,埋蔵量は多いが ― 少なくともしばらくの間 ― 不足するだろう」と述べています。

      ジレンマ

      人間はほんとうにジレンマに陥っています。今日の工業化された社会は,その運営に莫大な量の動力を必要とします。ところが燃料は,とりわけ汚染の少ない燃料は尽きかけています。もし手にはいる燃料を使うならば,人々は汚染によって徐々に毒されていきます。しかしもしその燃料を使わないなら,現代の工業化された社会は,動力不足のために,しだいに絶えていくでしょう。

      察するところ人間は,現在の工業化された動力を消費する生活様式を維持するという危険な選択をするようです。ですから,ニクソン大統領の元エネルギー顧問S・デイビッド・フリーマンは,地下から掘り出す燃料の深刻な不足を認める一方,次のように述べています。

      「エネルギー資源の枯渇そのものが最重要点ではない。…向こう20年間に排出される一酸化炭素,微粒子類その他の潜在汚染物質の量は,われわれの環境の基本的変化の可能性を暗示するほど大きなものである」。

      変化の必要なことは明らかです。そしてその変化は早くこなければなりません。現在の発電手段は変更の必要に迫られており,そのことは一般に認められています。事実,これに代わる手段はすでに選択されているようです。それは原子力です。アメリカは実際にこれを利用しています。

      しかし原子力は安全でしょうか。それは賢明な選択でしょうか。核エネルギーからどのようにして発電するのでしょうか。こうした問題はまたのちほど取り上げることにしましょう。

  • メソジスト教会の牧師の所見
    目ざめよ! 1972 | 11月8日
    • メソジスト教会の牧師の所見

      1971年1月,アメリカ,テキサス州のテイラーで開かれたエホバの証人の大会に出席した1,649人の群衆の中に土地のメソジスト教会の一牧師がいた。その牧師は聖書の公開講演を聞くことに加え,18の会衆から出席していた証人たちのふるまいや会話を観察する機会を持った。翌週,そのメソジスト派の牧師は,証人たちの大会に関する所見を教会新聞の中でこう述べた。

      「多くの祈りや会話は,神のことばの内容や,決して古びることのない事柄に関するものであった。エホバの名前には深い敬意が払われ,誉れが帰せられていた。これらエホバの証人は確かに風変わりな人たちである。彼らは何かを代表しており,また非常に明確な訓練を受けている。彼らは系統だった仕方で定期的に神のことばを勉強している。親は子どもたちを肝要な事柄で忙しくさせている。エホバの証人には明るさや喜びがあるが,これは人を引きつけるもので,健全なものである。彼らにはまじめな態度が見られるが,それは注目すべきことであり,また尊敬すべきことである。彼らは自分たちの信じている事を知っており,また自分たちの信じているかたを知っている。そして彼らは会合を開くさい,集まるのに十分大きな場所を見つけるのに苦労している。絶えず,筋違いな事柄を扱っている他の教会の場合,集まるのに手ごろな小さな場所を見つけるのが問題である。みなさんは,世間ずれした宗教家である我々が,これらの人々から何か価値ある教訓を学べるとお考えだろうか。それとも我々は,自分たちに成し遂げうる事柄をすでに成し遂げていると考えているのだろうか」。

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