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  • 現代の食品包装の功罪
    目ざめよ! 1973 | 12月8日
    • いるかを,ときに考えてみるのがよいでしょう。小さい包みのほうが実際には経済的であった,という場合がときにあるからです。こうして比べてみるためには確かに時間がかかります。現代世界において時間は限られてはいますが,一,二分をかけて包装の表示を読むことは,お金の節約になるのです。

      包装デザインの多彩な変化は買い手を誘うのに役だってきました。しかしそれとともに,包装産業の作り出す最大の問題とされるもの,つまり,捨てられた包装材の処理という問題が持ち上がっています。

      現代の包装から来る汚染

      何十年ものあいだ,人々は空きかん,空きびん,空き箱,包み紙などをただ捨ててきました。今やこうした廃棄物による問題は危機的な段階に達しています。特にそれがひどいのは大都市です。ニューヨーク市の場合,毎日1万5,000トンのごみが排出されており,使用ずみの包装材がそのうちのかなりの部分を占めています。そして,この都市では,廃物を処理するための場所はほとんどなくなりかけています。もちろん,この問題は大都市のずっと外にまで及んでいます。捨てられたびんやかんは裏通りをさえ醜くしています。包装材処理の問題に対しては何を行なえるでしょうか。

      多くのアメリカ市民は,環境保全を叫ぶ人々に従って,清涼飲料の会社が“使い捨て”式の容器の使用をやめればあたりに捨てられるがらくた類はずっと減るだろうと唱えます。以前に使った返却式のびんに戻ったほうがよいと言うのです。あなたもそうした声を聞いたことがあるかもしれません。このアイデアには実効があるでしょうか。

      返却しないびんの使用が増大していることは確かです。1958年から70年までの間に米国における清涼飲料の販売量は60%増加しました。しかし,その同じ期間に,使用される容器の数は4.2倍にもなっています。使い捨て式の容器が前以上にたくさん作られていることは明らかです。どうしてでしょうか。

      それは,明らかに公衆がそれを望んでいるからです。返却式のびんのほうがいいと唱えてはいても,人々の行動そのものはその主張を支持していません。米国内の道路わきに捨てられているがらくたの中では,代金と引き換えられるびんがかなりの比率を占めています。かつての米国において,返却式のびんは一本当たり平均40回使用されていました。しかし,現在この数字は15回に下がっており,平均わずかに4回というところもあります。そうです,公衆は使い捨て式の容器のほうを好んでいるようです。清涼飲料会社が再使用可能なびんのみの使用に戻ったとしても捨てられる廃物の量はせいぜい11%滅にとどまるであろう,という調査結果も不思議ではありません。

      プラスチックはほっておいても腐らず,ごみの問題として残るから,包装材としてのプラスチックの使用を規制すべきだ,という声も聞いたことがあるでしょう。その主張にも一面の真理があります。しかし,他方においては,割れたガラスによるめんどうな問題がプラスチックにはありません。

      あるプラスチック製品は別の理由で特に強い批判を浴びています。それはポリ塩化ビニル(PVC)であり,燃焼のさいに塩素ガスを発します。また,水と合すると,霧状の塩酸となって焼却炉を痛めます。しかし,ここでも,問題の別の面があるようです。トム・アレクサンダー氏はフォーチュン誌の中でこう述べています。

      「焼却炉を扱う人たちの中には,プラスチック類を歓迎する人が多い。普通の廃物に含まれるプラスチックの量は害を引き起こすほどではなく,むしろ燃焼を助け,特にぬれたごみの多い時にはこれが大きな助けになる,というのがその主張である」。

      とはいえ,プラスチック類の使用量は増大しています。プラスチックその他現代の包装材からかもしだされる廃物処理の問題が専門家を大いに困惑させていることは確かです。これについて何を行なえるでしょうか。

      包装材による汚染問題の解決

      この問題の除去ということまではいかなくても,軽減に大いに資することがあります。なんですか。わたしたちのすべてが再び自然に帰り,農業社会に戻ることです。そうすれば人々は大都市に集中しなくなります。そして,家族はそれぞれ自分の手で栽培したものを食べることになるでしょう。新鮮なりんご,なし,もも,にんじんなどは,みなその“自然の包装”のままで手に入ります。しかも,そうした包装材は食べられるものが多いのです。食べられなくても,ほかの方法で利用できるものもあります。例えば,ココやしからは果液と果肉が取れますが,その外皮は,ロープや敷き物などを作るために使えます。オレンジやレモンの皮からはマーマレードができます。すいかの皮はおいしいジャムの原料になります。皮そのほか自然の包装材から来る“廃物”は時の経過とともに腐食し,土壌に戻って自然の肥料となります。

      しかし,今日,幾百幾千万の人がこうした農業社会に生活していないという事実は依然として残ります。そうした人々にとって,食品の包装は便利なものでした。彼らはその助けによって食物を得てきたのです。品物の包装に伴って生じた廃物処理などの問題は,この仕事を成し遂げるための代価の一部とみなさねばなりません。こうした問題は,人間が再び大地に接して生きるようになるまではなくならないでしょう。

  • 大阪で行なわれた歴史的なバプテスマ
    目ざめよ! 1973 | 12月8日
    • 大阪で行なわれた歴史的なバプテスマ

      大阪で7月25日から29日にかけて開催された,エホバの証人の「神の勝利」国際大会における多くの興味深いでき事の中でも,土曜日の朝に行なわれたバプテスマは疑いなく最も顕著なもののひとつでした。

      バプテスマはエキスポ70(1970年万国博覧会)のあやめ池で行なわれました。池の水は非常に少なくなっていましたが,万博会場の当局者は親切にも何千㌧もの水を注いで水位を上げてくれました。ですから,わたしたちは理想的な場所である屋外に,バプテスマを行なう所を得ました。それは大会の主会場のすぐそばでした。この大会でバプテスマを受けた人の数は,ひとつの大会でバプテスマを受けた人の,日本におけるそれまでの最高数の2倍でした。それは1971年の東京大会における879人でした。「神の勝利」大会でバプテスマを受けた人を合わせると,今年,日本でバプテスマを受けた人は,3,672人になります。昨年の最高数は2,570人でした。これは,エホバの証人の業が現在日本で成し遂げつつあるすばらしい成果を表わすものです。

      長田喜代子という名のある婦人は34年前に中国の台湾省に住んでいた時,近所の人から聖書の証言を聞きました。その後まもなく,その婦人は引っ越して音信はとだえてしまいましたが,長田さんはこの隣人の親切な態度をしばしば思い起こしました。今から1年半ほど前,長田さんは日本の沼津のある病院の待合室にいました。そしてその時,そばに座っていたある婦人が患者のひとりに「真理」の本を用いて証言しているのに気づきました。その話は30年以上も前に彼女が台湾で聞いた話と非常によく似ていました。そこで長田さんは,「あなたはエホバの証人ですか」と尋ねました。エホバの証人に再会できたことを喜んだ彼女は,すぐに集会に出席しはじめました。6か月間聖書を勉強した後,彼女の内には非常に強い関心がわき起こり,仕事上の知人100人のために贈り物として雑誌を予約しました。仕事に非常に多くの時間を費やさなければならなかったため,彼女は店を売って霊的な事がらにいっそうの努力を傾けることができるようにしました。1973年6月に,彼女は戸別に良いたよりを宣べ伝え始め,大阪大会でバプテスマを受けまし

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