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  • あなたはどちらを選びますか
    目ざめよ! 1971 | 10月8日
    • あなたはどちらを選びますか

      もし選択が許されるとしたら,あなたはどちらに住みたいと思いますか。ごみの山の上にですか,それとも庭園のような場所にですか。

      答えはわかりきっているように思えます。ごみの山のほうがいいという人はまずいないでしょう。

      ところが今日多くの人が憂慮しているように,人間社会はまさにごみの山のほうを選びつつあるのです。

      米国の元保健教育福祉長官J・W・ガードナーは,この事態を評して次のように述べました。「われわれはますます汚なくなっていく市町村の中で,ますます金持ちになっており,最後には,ごみの山の上に座すクロイソス[大金持ちの王]さながら,惨めな富裕ともいうべき状態に置かれるであろう」。

      人間は ― 自分の巣をよごしてしまった小鳥のように ― 自分の唯一の家である地球をよごしているという叫びは,アメリカにかぎらず,世界のいたるところで聞かれます。著名な生態学者バリー・コモナーは言いました。「環境をそれに対して加えてきた暴力の最終的な影響から救う時間は,おそらく一世代しかないといえよう」。

      実際に選択の余裕があるか

      他のある科学者たちは,これだけの時間さえもないと見ています。すでに「取りかえしのつかないところ」にまできているかもしれない,と考えている科学者もいます。

      今日の大多数の人が,庭園よりもごみの山を実際に選びつつあるというのは事実でしょうか。「目ざめよ!」誌のこの号は,人々が気づいていようといまいと,それがまぎれもない事実であることを明らかにします。しかし同時に,どうすれば別の選択ができるか,なぜその選択はいまなお可能なのかをも示します。この地球が至るところごみ捨て場になるのではなく,全世界がさわやかな美しい公園になることを確信できる,しっかりした証拠があるのです。あなたは生きている間にそれを見ることができます。

      これは非現実的なことに聞こえますか。環境破壊が食い止められたわずかな例を基礎にした楽天的な見方ですか。そうではありません。これは,そうした一時的な成功よりもさらに基本的かつ永久的な証拠に基づいています。

      わたしたちは問題の真の原因を明確に理解しなければなりません。それはなんですか。ほとんどの人は産業,科学技術,人口爆発を指摘して非難します。しかし本誌を通して,真の原因がそれよりもずっと深いところにあり,またはるかに広範にわたることを理解していただけると思います。

      しかしまず,実状はどこまで悪化しているでしょうか。多くの科学者がいうほど深刻なのでしょうか。たとえば,混雑した都会から人里離れたいなかや遠い島に移住することによって,あなたは自分やご家族のためにこの問題を個人で解決することができますか。

  • この問題はあなたに影響を及ぼしますか
    目ざめよ! 1971 | 10月8日
    • この問題はあなたに影響を及ぼしますか

      汚染の問題はほんとうにあなたに影響を及ぼしますか。あなたは空気を呼吸し,水を飲み,食物を食べるのではありませんか。ついては,生活の質を気にかけませんか。

      そうであれば,汚染の問題はあなたが気づいているかどうかにかかわりなく,すでにあなたに影響を及ぼしているのです。田園地方より都市における状態のほうが悪いことはいなめません。しかし問題は今では非常に広範に広がっていますから,すべての地域がある程度の影響を受けています。

      汚染が世界的な問題になるのは,汚染が国境を意に介さないからです。汚染は国境をやすやすと通過します。わたしたちがきょう吸っている空気は,1週間か1か月前には,別の国で使われていたかもしれません。川や湖から海に流れ込む水は,そこで循環して遠い地域にまで運ばれます。

      「人間のつくりだした,水の汚濁や空気の汚染,騒音公害,および固形廃棄物,殺虫剤,防腐剤その他の有毒物質の当を欠いた散布が,人間や他の多くの動物の生命をおびやかしていることを示す証拠は圧倒的である」と,アメリカ医学協会は発表しています。

      生態学者のバリー・コモナー博士はこの発言に共鳴し,「人間のすみかである地球は転換期にさしかかっている……地球の汚染が抑制されずにこのまま続けば,この惑星が人間の生存する場所として適しているかどうかの度合は,ついには無になろう」と述べています。

      それはいつか?

      こうした見解は,今から何百年か後に起こるかもしれないことを言っているのでしょうか。どれくらい先のことが問題とされているのでしょうか。

      1970年4月4日号の「ザ・カナディアン・マガジン」誌は,「カナダの美しさは,今救いの手を打たねば10年以内に消滅するだろう」と言っています。

      英国の新聞ガーディアンは,「向こう20年以内に,地球の生物は,産業による汚染に害された最初の兆候を示すようになるだろう。大気は人間にも動物にも呼吸不可能なものとなり,川や湖の中の生物は死滅し,植物は毒されて枯死するだろう」と述べています。また元米大統領顧問ダニエル・モイニハンの推測によると,人間が1980年まで生き残れるチャンスは55%以下であるということです。

      この人たちは災いをおそれて不必要に泣きごとを並べたてているのでしょうか。決してそうではありません。彼らの多くは何年か前に楽観的な見方をしていました。事実,あまり前のことではありませんが,1962年にレーチェル・カーソンが「サイレント・スプリング(さえずりのとだえた死の春)」という本を書いたとき,科学関係の人々は,人工汚染が続くなら恐ろしい結果をもたらすだろうとの著者の予告を嘲笑しました。

      しかし,今では,彼女の著わした本を嘲笑するものはいません。彼女の予言の大部分は現実となったからです。科学者や新聞は冷厳な事実を前にして,起きつつある事柄についての真実を認めることを余儀なくさせられました。人間はたしかに自らを破滅に陥れる道を歩んでいます。

      生物の存在する薄い層

      依然多くの人にとって,地球はかなり大きなもののように思えます。円周は約4万キロあり,大気圏は空間に向かって約1,000キロ延びています。反対の方向には広大な大洋があり,深さ11キロ余のみぞがここかしこにあります。

      それは事実ではありますが,実際には,わたしたちや他の動植物はすべて,地球を帯状に取り巻く,非常に薄い「おおい」とも言えるようなものの中で生きています。その薄い「おおい」は「活動圏」とよばれます。知られている地球の生物が全部その中に見られるからです。

      「非常に薄い」と言っても誇張ではありません。浮遊するわずかの胞子やバクテリアを除けば,生命は地球の1,000キロの大気圏のうちの最初の8キロ以内にしか存在していません。実際のところ,空気を呼吸するもの ― 人間,動物,鳥,植物 ― は,海面から最初の3,000メートル以内に住むもののほうがはるかに数が多いのです。

      同じく,11キロ底の海床にも生物は見られますが,海生生物の大部分は海面下わずか150メートル以内に住んでいます。しかも,陸に接する浅い海の「大陸だな」や,島の周囲の同様の海に沿っておもに集中しています。

      したがって活動圏は,地球の周囲の19キロほどの生命層です。たしかに薄いと言えます。ところが実は,地球上のすべての生物の95%が,それよりもはるかに薄い,厚さ3キロ以下の層の中に見られるのです。この驚ろくほど薄い「おおい」の中を,地球の生物によってくり返し使われる空気や水は循環しているのです。ではその空気や水,またわたしたちが住む土地にどんなことが生じているかを考えてみましょう。

      [5ページの図]

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      空気を呼吸するものの大部分は,海面から最初の3000メートル以内の場所に住んでいる。海生生物の大部分は,海面下わずか150メートルまでの水中に住んでいる

      3000メートル

      生命層

      海面

      −150メートル

      [4ページの図版]

      ウ・タント国連事務総長によると,環境汚染は現在きわめて深刻な問題となっており,これを是正する対策が直ちに講じられなければ,「人間の生命をささえる地球の能力それ自体が疑わしくなるだろう」ということである

  • 呼吸できる空気は十分にあるのではないか
    目ざめよ! 1971 | 10月8日
    • 呼吸できる空気は十分にあるのではないか

      なぜ空気のことを心配するのですか。空を見上げると,空気など際限なくあるように見えるではありませんか。

      ですが,宇宙飛行士が地球を飛び立ったとき,空気を持って行かねばならなかったことを考えてください。ジェット機が飛行する場合,乗員室と乗客室の空気が一定量以下にならないよう人工的に調整されねばなりません。

      このことはわたしたちにあることを教えます。つまり,地球を飛び立って数キロ行くと,呼吸できる空気がないということです。呼吸できる空気は,地の真上の比較的に狭い帯状の範囲内にしかありません。空気にはすべての人間と動物にとって重要な酸素が含まれています。この呼吸できる空気の存在する狭い帯状の範囲が,今重大な危険にさらされているのです。

      空気の自浄作用

      たしかにわたしたちの地球の大気は,すばらしい浄化システムを備えています。海に潮流や海流があるように,空気にもそれに比較しうる風や空気のかたまりの移動といった現象が観察されます。たとえば,木が燃えてできた煙はたちまち消えてなくなります。煙から出た固形微粒子で空気中に漂っているものは,そのうちに雨や雪によって洗い落とされます。ガスはどうなりますか。

      いうまでもなく,地球の空気自体,いろんなガスの混合物です。窒素が約78%,酸素が約21%を占め,あとは少量のアルゴン,炭酸ガス,ヘリウムなどで成っています。この組成を変化させないために,すばらしい作用が行なわれています。

      「タイム」誌は次のように述べています。「この組成は」,種々のガスを等しい率で使い,そしてもどす植物や「動物やバクテリアにより,恐ろしいほどの正確さで保たれている」。「その結果,閉じた系つまりバランスのとれた循環<サイクル>が保たれており,その中では何一つとして浪費されるものはなく,すべてのものが価値を持っている」。

      その正確さはたしかにおどろくべきものがあります。たとえば,炭酸ガスは空気の体積のわずか3,000分の1です。人間や動物は空気を呼吸するとき,酸素を使い,炭酸ガスをはき出します。しかし植物はその反対のこと,つまり炭酸ガスを取り入れて酸素を出し,こうしてバランスが保たれるのです。

      いなずまは空中を走って,窒素化合物をつくらせ,その化合物は雨によって地上に運ばれます。地上では植物がそれを取り入れて生長します。そして植物は動物に食べられるか,または枯れて腐敗します。腐敗中の植物に働きかけるバクテリアと動物の排出物は窒素をふたたび空中に放出します。これで循環は完成します。

      自然に放出されたガスの中には ― 雷雨のあったあとににおうオゾンのように ― 量が多ければ危険なものがあります。しかし空気の自浄システムが,多くの場合二,三時間,または二,三日以内にそうしたガスを処理します。雨や雪に洗われるか,植物によって空気中から抽出されるか,またはゆっくりと地上に降りてきます。

      では,なにを心配することがあるのですか。ところが,心配しなければならないことはいくらでもあるのです。

      状態はどのように変わったか

      人間がこのすばらしいバランスをひどくそこなっているのは明らかです。以前は,大気の自浄作用のために,空気は汚染という問題を起こさずに,清浄な状態のままでとどまることができました。

      ところが今では,汚染物質の投入のほうが,空気の浄化よりも急速度に行なわれている状態です。アメリカ,日本,ドイツその他の国の上空の「エアシェッド」は,過剰状態をひき起こすガスや微粒子で徐々に満たされています。自然の循環はその処理能力以上の仕事を押しつけられています。

      今日,アメリカの空気はすべてある程度汚染していると考えられています。ニューヘブン・レジスター紙が伝えた,科学者たちの調査結果に注目してください。「アメリカにおいて,当センターが見つけたきれいな空気の最後の名残りともいうべきものは,アリゾナ州のフラッグスタッフの近くにあったが,6年前……カリフォルニアの海岸から運ばれてきた汚染空気が北部アリゾナの都市に達したときに,それも消滅した」。

      生化学者のW・カービーによると,着実に進行する汚染は浮遊汚物の大きな雲をつくり出しており,それがアメリカの東海岸全体の上空にいつもたれこめています。「東海岸上空のちりの微粒子の蓄積率は,いまでは降下率を上回っている」と彼は言っています。

      しかも汚濁現象は全世界的です。

      ドイツの「デァ・シュピーゲル」誌は,同国の汚染状況の平均に関して,「連邦共和国[西ドイツ]における空気は,すでに米国の7倍も汚染されている」と報じています。

      日本はというと,東京の交通巡査は一度に短時間しか交通整理に当たらず,そのあとセンターに行って酸素を吸入する始末です。東京の喫茶店やアーケードには,買物客に酸素を提供する自動販売機があります。

      状況はきわめて深刻で,アメリカの大気研究センターの科学者たちは,現在の調子でいけば「今から10年か15年のうちに,男も女も子どもも,屋外で生きのびるために呼吸ヘルメットをかぶらねばならなくなるだろう。街路には人影が絶え,動物や植物の大部分は死んでしまうだろう」と予告しています。

      「なにも見えない」

      汚染物質の多くは微粒子,つまり,すすとちりです。窓をふく主婦はそれをよく知っています。車のそうじをする人もそうです。

      しかしあなたは,あるいは青い空の見渡せる地域に住んでいるかもしれません。窓わくにすすがたまることもほとんどないかもしれません。そのため,空気の汚染は自分には影響しないと考えるかもしれません。

      しかし忘れてならないのは,大部分の空気汚染物質は不可視であるということです。目に見えないのです。多くの場合,においもありません。しかしまちがってはいけません。目に見えないガスの形で身近に存在しているかもしれないからです。あるものは,多量に吸収すると生命にかかわるほどの毒物です。たとえ少量でも,いつも吸っていれば,健康によくないことは確かです。

      目に見えない汚染物質のひとつは一酸化炭素です。これは無味,無色,無臭で,しかも猛毒です。もし閉めきった車庫の中で自動車のエンジンをかければ,一酸化炭素が肺と血流にはいって,血液細胞の酸素を運ぶ能力を阻害します。そのために,血中酸素の欠乏をきたして死にます。

      今日多くの都市で大ぜいの人々は,すでに酸素の『栄養失調』にかかっています。おもな原因は自動車の激増です。ある筋によると,アメリカの10の市街地域の中だけで,自動車から出る見えない一酸化炭素が1年に2,500万トンも空気中に吐き出されています。

      大気は通常,海のしぶきと火山のガスのために,いくらかの硫黄を含んでいます。しかし,科学者たちの推測によると,人間の製造した自動車や発電所,家庭の暖房炉は,年間7,300万トン余の硫黄酸化物を大気中に吐き出しています。空気が湿っているときには,これらは硫酸の小滴に変わり,金属を腐食し,石や大理石を侵食し,湖や川の酸度を高め,人の肺を害します。

      「サイエンティフィック・アメリカン」誌によれば,太陽光線の影響と,大気中の窒素酸化物の接触反応作用とにより,自動車や工場から排出されるスモッグと炭化水素は部分的に酸化して,「過酸化物」や「オゾン化物」になります。そして「これらの化合物は,知られているかぎりでは一番有毒な空気汚染物である。これらの空気中の濃度が1,000万分の1になると,植物に害を与える」と同誌は付け加えています。

      気管支炎,ぜんそくその他あらゆる呼吸器の病気が急速にふえているのも不思議ではありません。気腫はいまアメリカで最も早く増加している死因で,ニューヨーク市では過去10年間に500%上昇しました。

      ではどうしますか。陽光の降り注ぐ,空の青いハワイにでも移住しますか。ところがハワイも今,過去二,三年の間に呼吸器系統の病気が倍になったことを報告しています。なぜですか。空気の汚染が原因なのです。

      なにか対策がなければならないはずです。空気は何千年間も,人間が言うように「恐ろしいほどの正確さ」で清浄に保たれてきました。だれがそうしたのですか。そのかたこそ問題を解決できるのではないでしょうか。

      しかし生きのびるためには空気とともに水も必要です。水はどんな状態にありますか。

      [7ページの図]

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      酸素の循環

      植物は炭酸ガスを取り入れ,酸素を出す

      動物と人間は酸素を取り入れ,炭酸ガスを出す

      窒素の循環

      いなずまが窒素と酸素を化合させ,雨がそれを地上に運ぶ

      緑色植物は動物と人間に食物を提供する

      バクテリアは窒素を取り入れて植物に与える

      バクテリアは腐敗していく植物と動物の排出物に働きかけ,窒素を空中にもどす。他のバクテリアは植物の肥料を作る

  • 水はどこにでもある ― しかしどれほどきれいだろうか
    目ざめよ! 1971 | 10月8日
    • 水はどこにでもある ― しかしどれほどきれいだろうか

      水は地表の70%を占めています。危険にさらされることなど考えられないほど,水は無限にあるように見えます。

      しかし,淡水はその3%にすぎないということを忘れないようにしましょう。このうち,人間が飲料,料理用,浴用,かんがい用などに使えるのは1%以下です。あとは塩分を含む海や,浮氷群や,地下に閉じこめられています。

      地球のたいせつな淡水の状態はどうなっていますか,あなたは最近家の近くの川や湖をよく見たことがありますか。それを見てあなたはショックを受けたかもしれません。

      どんなことが起きているか

      推定によると,アメリカの川には毎日約6,500億リットルの下水や排水が流し込まれます。50%以上が「第一」処理しか受けていません。第一処理ではほとんどの汚染物質は除かれないのです。

      内務省のジャック・グレッグマン博士は,「わが国の川はほとんど全部ある程度汚染している。廃物処理能力の限界を越えている川もある」と述べています。1969年7月,オハイオ州のクヤホガ川は,油と廃棄物でいっぱいになったために火災が発生し,二つの橋を焼いてしまいました。

      他の工業国の川も,アメリカの川と同様の状態にあります。あなたは旅行ポスターで見たヨーロッパの美しいライン川の写真を思いうかべるかもしれません。ところが今日では,ライン川はほとんど全長にわたって,ふたのない下水くらいに考えられています。「デア・シュピーゲル」誌はライン川に投棄される汚染物質について,「もしこれらの物質を鉄道輸送するとすれば,有蓋貨車が」毎日「3,000両以上必要であろう」と述べています。

      驚くべき浄化能力

      人間が,物を投げこむ流しのように川を使うのは,今にはじまったことではありません。しかし比較的最近まで,このことは問題になりませんでした。流れる川は驚くべき自浄能力をもっているのです。

      有機廃棄物が投げ込まれると,水の動きが下水汚物の大部分を砕き,解かします。ついで川は酸化作用と,有機廃棄物を取り入れて無害,無臭の化合物に変えるバクテリアの働きによって,残留微粒子を『消化』します。小さな町の近くのひどく汚染された川の水も,二,三キロ下流では完全に浄化されているものです。

      しかし今日では,『消化不良』に悩まされ,汚濁し,あわ立ち,悪臭を発する川がしだいにふえています。なぜでしょうか。それらの川は過重な仕事を課され,標準の自浄能力以上の負担にあえいでいるのです。

      見かけだけではわからない

      空気の場合と同じように川水も,見かけだけでそのきれいさを判断できるとは限りません。あなたの家の近くの川や湖はかなり澄んでいて,青くさえ見えるかもしれません。しかしそれは『死につつある』かもしれないのです。なぜそういえるのですか。

      これは「栄養過多」として知られている現象のためです。これは「栄養が多すぎる」というほどの意味です。それは次のようにして生じます。

      今日の農夫は,硝酸塩類を多く含む化学肥料を大量に使います。その大部分はついには川に流れ込みます。主婦は燐酸塩の強い新しい洗剤を使います。これも最後には川や湖に流れ込みます。するとどうなりますか。

      この過剰栄養物は藻類や他の水草を爆発的に生長させます。藻が繁殖すると太陽光線が水に通らなくなります。深いところの藻は死にます。多量の腐敗物はこんどは水中の酸素をどんどん使い,魚は病気になって死にます。そのうちに湖または川は全く生物のいない場所となります。

      エリー湖は窒息死した湖の一例です。価値のある魚,水泳,きれいな水などは全部姿を消してしまいました。ブロビデンス・サンデー・ジャーナル誌は,「この『栄養過多』の過程は,欧米の少なくとも40の[主要な]湖で生じた」と述べています。

      「しかしいつでもスイスがある。スイスにはまだ美しくて健康な,人間の不注意に汚されない湖がある」とあなたは言うかもしれません。たしかにスイスの湖は多くの人の目には青く美しく見えます。しかしスイス人は,湖が変化し,徐々にその清澄さを失っていくのを見ています。チューリヒ湖,ジュネーブ湖,ニューシャテル湖などの美しい湖が,「栄養過多」の深刻な影響を受けて,『病気』の湖の仲間にはいりつつあるのです。またドイツからの報告によると,コンスタンス湖も,「死につつある湖として,アメリカのエリー湖,ラゴ・マジョレ湖[イタリアとスイスのあいだにある],ノルウェーのオスローフヨード湖などと同じリストに載せられねばならない」ということです。

      人間の最終的ごみ捨て場

      ほとんどの川と湖は最後には海に流入します。ここには水が非常にたくさんあるから,ほんとうの危険などないと人は思うかもしれません。しかし現実には,地球の大洋や海もまた急速に汚染されつつあり,人間の最終的なごみ捨て場と化しているのです。

      昨年の12月,国連食糧農業機構は,40の海国から400名の科学者を招いてこの問題を討議しました。科学者たちはその席上で地中海に関して警告しました。人間の捨てる廃物が「テルアビブからトリエステまで」の海岸をよごしているだけでなく,海の自浄能力も,もはやその中に投棄される汚染物の量に対処することはできない,と彼らは言いました。そして,「地中海は完全な汚濁に向かってばく進している」との結論を出しました。

      1970年中に,探検家のソール・ヘイエルダールと彼の乗組員は,パピルスの船で大西洋を横断しました。彼らは大洋のまん中で見たことに驚いてしまいました。広範囲にわたる水域が油のかたまりのようなもの,あわ,どろどろしたもの,液体汚染物質などでおおわれていたのです。海があまりにきたないので,何日間か水浴する気持ちになれませんでした。

      USニューズ・アンド・ワールドリポート誌によると,一部の環境専門家たちはそのために,「諸政府が汚染を食いとめるようもっと敏速に行動しないかぎり,世界の海は1980年までにエリー湖のように死んでしまうだろう」と警告しています。

      生物への影響

      川,湖,海での魚の『殺害』が今では数かぎりなく起こるので,新聞にもあまり載らなくなりました。

      海の場合,魚の90%は海岸に近い水域にすんでいます。ところがその水域こそ,人間が,毒物を含む川(水銀廃液を含む川もある)を流入させたり,油をこぼしたり,船から直接に油をまき散らしたりして,一番よくよごすところです。ウッヅ・ホール海洋学協会のマックス・ブラマー博士によると,「人間は1年に少なくとも300万トンの油を海に流している。1年の総量はあるいは1,000万トンにのぼるかもしれない」ということです。

      フロリダ州のペンサコラ沖のあるわずかな水域で,1970年の3か月間に,何百万匹もの死魚が浮くという事件が30件以上起きています。北海では最近,死魚の巨大な層が発見されました。層の厚さは数メートルにおよび,それが130キロほど続いていました。魚はヨーロッパのいろいろな川から海に流入する汚染物質によって殺されたのです。

      風に運ばれたり,地面から川に洗い流されたりするDDTその他の殺虫剤も,最後には湖か海にはいります。これらの殺虫剤の多くは,何年もたたなければその力を失いません。海の小さな有機物がこの殺虫剤を取り入れます。大きな魚は,その毒された有機物を食べた,それよりも小さな魚を食べます。そして最後に鳥がその魚を食べるのです。『食物連鎖』の各段階で,不溶解性の殺虫剤の濃度は高くなっていきます。その結果,多くの種類の生物,とりわけ鳥が死につつあります。

      そのひとつの例は,カリフォルニア州のアナカパ諸島に見られます。そこでは去年の夏,茶色のペリカン500つがいの中から1羽のひなしか生まれませんでした。殺虫剤のために生殖機能が妨害されているのです。

      そして忘れてならないのは,その殺虫剤が,地球の極から極まで広がり,北極のアザラシや南極のペンギンの中にまで発見されるということです。

      酸素の供給もあぶない?

      海を毒せば,植物の生命も危険にさらされます。植物,とくに珪藻植物とよばれるプランクトンは地球の酸素の多くを供給します。その量は70%に上るという人もいます。陸地の植物から打撃を与えられているのに加えて,海からの酸素の供給もおびやかされる危険があります。

      問題は途方もなく大きなものです。しかし人間の益のために働いている途方もなく大きな力もあるのです。太陽は毎秒,塩からい海やその他の水源から1,500万トンもの真水をひき上げ,雨雲が同量の水を地上に降らせます。これらよりもはるかに大きな力の源が,それらの自然の力を働かせ,循環させているのは明らかです。もしわたしたちが,その方向に問題の解決を求めるならば,それは賢明な道と言えます。

      [9ページの図]

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      健康な湖

      1 太陽のエネルギーによって植物はいろいろな物質を食物に変える

      2 顕徴鏡的植物は,基底植物を取って酸素を出す

      3 顕徴鏡的動物はその植物を食べる

      4 捕食動物が自分より小さな動物を食べ,最後に死ぬ

      5 腐肉を食う動物は死がいや腐敗物を常食にする

      6 バクテリアが残った物に作用する

      7 バクテリアは基底食物を放出する

  • 食物を作り出す土地には何が生じているか
    目ざめよ! 1971 | 10月8日
    • 食物を作り出す土地には何が生じているか

      あなたが野原や森を歩くとき,動物の死体がどのくらい目につきますか。野原や森には動物がたくさん住んでいます。そして時がくれば死にます。それにもかかわらず,そこで動物の死体を見かけることはめったにありません。なぜでしょうか。腐敗物を食べるこん虫,鳥,獣が,いつもいわばそうじをして,地をきれいに保ってくれるからです。そして微生物がすべての死んだものを分解させ,それを植物の肥料に変えて,最後のあと片づけをするのです。

      自然界の生物はその機会さえ与えられれば,空気や水だけでなく土地をも,人間が楽しめるようにきれいにしてくれます。しかしこれは,人間が自然の循環や法則に一致して自分の事柄を行なう場合のみに限ります。現在のところ,それは行なわれていないのです。

      土地に対する略奪行為

      土地がよごれているひとつの理由は,ゴミが山のように捨てられるためです。とりわけ都市の周囲はそうです。

      アメリカにおける1969年の廃棄物の山は,合計2億5,000万トンほどで,一人当たり1トンを上回りました。そのうち6,000万トンは回収さえされなかったのです。国道や街路,行楽地,野原などにごみとして捨てられたものです。

      これはアメリカで最近のある年に廃棄された物品のリストの一部です。

      7,000,000台の自動車

      20,000,000トンの紙くず

      26,000,000,000本のビン類

      48,000,000,000個のあきかん

      ごみの多くはすぐに腐らない種類のものであるために問題は複雑です。ガラス,ブリキ,アルミニウム,プラスチック,紙などの容器のうち,かなり早く分解するのは紙とブリキです。残りのもの,とくにプラスチックは「生物が分解できないもの」です。つまり,それらは,腐敗や侵食によって物質を基礎成分に還元する地の自然の循環の中に容易に同化されないものです。そのためいつまでも残って,人間の環境をごみ捨て場のように見せているわけです。

      これはアメリカだけの問題でしょうか。そうではありません。ドイツの新聞シュバルツバルト・ボーテは,「ドイツ共和国は,がらくたと,ごみと,排気ガスとでしだいに窒息している」と伝えています。トロントのデーリー・スター紙は,「『劇的で徹底的な』変化が起こらないかぎり,カナダ人はやがて自分が捨てたごみに埋まることになろう」と報告しています。高度に工業化された国はほとんど全部このような状態です。

      化学薬品による毒害

      ドイツの雑誌シュテルンは次のように述べています。「過去25年間に,約150万トンのDDTが地表に散布された。これはだいたい貨車7万5,000両の積み荷に相当する毒物である。……DDTは非常にゆっくり分解する。7万5,000両分のうち5万両分はまだ強い効力をもっている。これらの5万両分は……地球全体をおおう毒のベールとなっている」。

      食肉になる牛や動物は,DDTその他の化学薬品を含有する植物を食べます。食物や飲み物にはいり込んでいるこれらの化学薬品の量は非常に多く,そのために母乳にまで,牛乳に対する法定許容量を上回るDDTが含まれています。英国の一科学者の報告によると,母乳で育てられる英国の赤ちゃんは,殺虫剤のディルドリンだけでも,最大許容量の少なくとも10倍,西オーストラリアの赤ちゃんたちはそれをさえ上回る量を飲んでいます。

      今日の農夫は土壌の肥沃度を保つのに,下ごえを使ったり輪作を行なうかわりに,化学肥料を使います。しかしタイム誌は,「ちょうど人間が麻薬に惑できするように,土壌は化学付加剤に耽できしたかの観を呈し,自分自身の窒素を固定する能力を失ってしまう。その結果,肥料の使用量をしだいにふやさねばならない」と述べています。ですから収穫は多くても,土壌の自然の肥沃さはしだいに失われていっているのです。

      化学噴霧剤のあるものの有する破壊的な影響は,容易には追跡できません。ドイツで最も広く使用されている化学除草剤の,バレイショとトマトに及ぼす影響が研究されました。これらの植物は何の影響もないように生育し,実も正常に見えました。これを食べた動物もふつうに成長しました。しかしそれらの子孫はそういうわけにはいきませんでした。「ビルド・デア・ヴァイセンシャフト」の著者は,「私はくり返して言いたい。除草剤をかけられた植物に,目に見える被害はなかった。実験動物にも目につく被害はなかった。が,それらの子孫には被害が観察された」と述べています。植物の分子は目に見えない変化をきたし,それを食べた動物に変化をもたらしたのです。

      そこでつぎの問題は,これらの化学薬剤が人間にどう影響するかです。

      以上のことに加えて,人間は山林開拓,露天採鉱,過剰耕作などによって地を荒らしました。科学者の計算によると,動植物が腐敗してわずか2.5センチの肥えた表土をつくるのに500年あまりかかります。それなのに人間は不注意にも,何百万トンという表土をはぎ取ったり吹き飛ばしたり,あるいは川や海に流し込んだりするようなことをしました。わたしたちはこのはかり知れない価値をもつ遺産にもっと感謝を表し,これを与えてくださったかたに尊敬を示すべきではないでしょうか。

  • 総合的な影響
    目ざめよ! 1971 | 10月8日
    • 総合的な影響

      地球にせよ,人体にせよ,驚嘆すべく造られており,相当な無理にも耐えられます。しかしそれにしても,限度というものがあります。

      いままで述べてきた多くの要因のうち,そのうちのただ一つの要因がごく近い将来に致命的な影響を与えることはおそらくないでしょう。しかし地球とその上の生物がどんな総合的影響のもとにあるかを考えれば,その行き着く先はきわめて明白です。

      人体におよぼす害

      精密な機械に一粒の砂を投げ込んでも,故障はおきないかもしれません。しかし砂や小石をつづけて流し込むならどうなりますか。こわれて止まるのは時間の問題です。

      ガン研究者のウィリアム・E・スミス博士によると,人間のからだに種々の毒物を取り入れることは,「最も精密な機械にナットやボルトを集めて投げ込むのと同じ」です。

      慢性の病気の大幅な増加は,世界中の人々がかつてないほどの影響を受けていることを物語っています。肺専門医スチーブン・エイレス博士は,「汚染地域に住むことは,数年寿命を縮めているようなもので,そのことに疑いはない。……われわれが話したり研究したりしているあいだに問題は悪化し,多くの人々が気腫,肺ガン,気管支炎その他の呼吸器の病気にかかっていく」と,ある記者に語りました。

      人間が環境をよごしたために,動物に害が及んでいることはすでに明らかになっています。ニューヨーク・タイムズ紙は,「現在のところ,800種以上の鳥と動物が絶滅の危機にひんしている」と伝えています。これは問題だ,とあなたは思いますか,そう思うべきです。なぜなら,動物や鳥や魚がこれ以上住めないということは,人間自身も遠からず住めなくなることの明らかな徴候だからです。

      喜びの喪失

      人は肉体の健康,精力,あるいは生きる喜びを徐々に喪失していることに気づいていないかもしれません。しかし最近は非常に多くの人が,もしかするとあなたもそうかもしれませんが,疲れがとれないことや,痛みや苦しみを訴えます。ほとんどいつも自分自身のからだを引っぱらなければならないようです。活力や生活の喜びはもうないように見えます。

      専門家の中には,こうした現象の大部分を直接汚染問題のせいにする人がいます。ニューヨーク市大気汚染局の職員たちは,「死や重い病気はともかく,汚染は非常な疲れ,いらだたしさ,頭痛,緊張感を生み出す」と言いましたが,それは事実のようです。

      たとえ地球や人体が,今受けているような虐待に永久に耐えられるとしても,生きのびるだけでほんとうに十分でしょうか。生活の質はどうですか。汚染していることがわかっている空気を吸い,化学薬品にいためつけられていることがわかっている食物を食べ,ほんとうにきれいでないかもしれない水を飲むのは気持ちのよいことですか。

      ラッシュと混雑のつきまとう,よごれきった,スモッグの立ちこめた『コンクリートのジャングル』ともいうべき町を歩くのは快適でしょうか。それとも,きれいな浜,静かな森,あるいは田園地方の新鮮な空気や太陽の光の中を歩くほうが楽しいでしょうか。答えは言うまでもありません。

      ひどくなる汚染が全体的に生活の質に影響をおよぼしていることはいなめない事実です。ほとんどの人は生活をそれほど楽しんでいません。また健康を害している人も少なくありません。さらに悪いことには,汚染は地上のあらゆる生物の命を危険にさらしています。

      たしかに,現状はひどいものです。それにしてもどうしてこのような状態になったのでしょうか。

      [13ページの図版]

      種々な毒物を人体に取り入れることは,精密な機械に徐々に砂をかけるのに似ている

  • なぜこのような状態になったのか
    目ざめよ! 1971 | 10月8日
    • なぜこのような状態になったのか

      人間の環境破壊についての暗い予言,恐ろしい警告,または苦情がどんなに多くても,それは問題を変えるものではありません。真の原因を突き止め,対策を講じてはじめて解放はもたらされます。

      地球はどのように,そしていつからごみ捨て場に変わりはじめたのでしょうか。このようなひどい状態になるまで,なぜ放置されたのでしょうか。

      基本的にいって,二つのものに責任が課せられています。(1)大規模な産業と迅速な輸送の生みの親である近代の科学技術と,(2)人口爆発です。これらは表面の,目に見える原因です。しかしその根底にはもっと基本的な原因があります。

      では,どんなことが生じてきたのか,および問題が実際にはどれほど根深いものかを考えてみましょう。

      近代の科学技術の登場

      ほとんどの研究者は汚染の増大をいわゆる産業革命と結びつけます。産業革命は200年以上前,つまり18世紀の半ばに始まりました。それまで,人間は5人に4人は農夫でした。農家は自分の食糧を作り,自分で布を織り,家具や道具まで作ることが少なくありませんでした。職人は自分の家か小さな店で働き,金属細工(金物)を作ったり,おそらく文書類の印刷もしたり,装身具や銀細工,また一般の農夫が作るよりも上等の生地や皮や木製品を作ったりしました。彼らはそうした製品で農夫から食糧を買いました。あるいは商人がそれを買って外国に送り,その代わりにぜいたく品と考えられていた外国製品を手に入れました。

      多くの国ではとくに二つの要素が人間社会の構造を変えました。資本と科学的発明(科学技術)です。しかし第三の力がこの二つの要素を結びつけることに拍車をかけました。

      「ワールド・ブック百科事典」(1970年版,第10巻,185ページ)は,「科学と金とを結びつけた力は,おそらく(生活便利品の需要の増大であったろう」と述べています。最初のうちそれは簡単なもので,男は新しく発明された機械から作り出される道具を,そして女は機械織の布地をほしがった程度でしょう。しかし製品が増加するにつれて,人々の望みも大きくなりました。

      紡績機,織機,蒸気機関,製鉄炉,転炉,ローラーなどの機械類は高価でした。それは少数の資本家にしか買えませんでした。彼らは工場を建設し,機械を収容するための特別の建物をつくり,それらを運転する人を雇って訓練し,仕事につかせねばなりませんでした。膨大な投資が行なわれました。投資家はもちろん多くの利益をあげる決心でした。産業が拡大するにつれて,男たちは農場,個人経営の店や家庭の職場から引き出され工場労働者になりました。工場は燃料や労働力の安い都市に集まる傾向がありました。これで汚染の型の基本的輪かくが見えてきました。

      時がたつにつれて,以前の機械を原始的なものに感じさせるより高速,より複雑な,そしてより自動的な機械がつくられるようになりました。しかしそれらの機械はより大量の動力や燃料を必要としました。手で作られていた品物の中で,機械製品のリストに加えられて行くものがしだいに多くなりました。個人で仕事をする職人の数はしだいに減少しました。小さな店や産業経営者は,科学技術の発達に遅れてはなりませんでした。さもなければ,より早く大量生産を行なう競争相手に倒されてしまいました。

      蒸気機関およびその後のガソリンを使用する内燃機関の発明は,産業の発達をいっそう促進させました。輸送がより迅速に,より廉価になったために,工場は市場を拡大して,ますます遠くに製品を送ることができ,同時に原料や燃料を遠方から取り寄せることができるようになりました。こうしてついに大規模の産業が発達し,小企業は多くの場合つぶされるか併合されてしまいました。

      こうした発展は「進歩」として歓迎されました。しかしそれには非常に高い代償が伴いました。人間の生活の質に深刻な影響を及ぼしたのです。

      人間の環境への影響

      にわかに誕生する工業都市では,工場はたいてい川とか海に接したよい場所につくられました。工場から出る廃棄物は川に流されるか近くに捨てられました。(1件の工場の排出物が人口10万以上の町のそれに等しい場合がある)。重要な金属の鉱石や石炭を採掘する鉱山は,地をますます深く掘り下げ,あるいは「露天採鉱」によって丘をくずしたり,噴火口のような大きな穴をあけたりして,幾平方マイルもの荒地をあとに残しました。その後,油井は汚染作用にいっそう大きな役割を果たすことになりました。鉄道は山腹を削り,機関車は煙と騒音をもって町の中心部まではいってきました。はじめのうち人々はこうしたことに興奮していました。そして興奮がおさまるまでには人々はそれになれてしまっていました。

      掘り出した燃料 ― 石炭および後の石油製品(ガソリンや灯油)― の使用の発展は,産業の進歩において主役をつとめました。これら掘り出された燃料は以前の燃料(まきや植物油)よりも運搬が容易で高い発熱力を有しました。しかし完全に燃焼しないので,この燃料のほうが濃度の高い種々のガス ― 炭酸ガス,硫黄酸化物,炭化水素,窒素酸化物 ― や固形微粒子を大気中に放出しました。工場の二,三の煙突や民家の煙突から吐き出されるガスや微粒子は,目だつ被害をもたらしませんでした。ほんとうの危険がはっきり認められはじめたのは,煙突の数が何倍にもふえたときからです。

      たとえば,ベルギーのミューズ・バレー(1930年),アメリカ・ペンシルベニア州のドノラ(1948年)そしてロンドン(1952年)などの場所では,空気や霧がある期間よどんだために,これらのガスは大きな害を及ぼしました。ドノラではスモッグが発生してから3日目までに5,910人,つまり町の人口のほとんど半分が病気になりました。ロンドンでは霧のひどかったその週とその翌週との間に,死者が4,000名を越えました。今日,世界中の主要都市で,多くの住民は目がチカチカしたり,肺が刺激されるのを経験しており,気腫,気管支炎,肺ガンにかかる人もふえています。そうした住民は急には死なないかもしれませんが,寿命はたしかに縮められているのです。

      以上の事柄すべてに加えて,科学技術が他の二つの分野,すなわち農業と戦争の分野にも足を踏み入れたことを考え合わせねばなりません。人力の減少に直面した農場は機械化され,化学肥料や殺虫剤を使うようになりました。そのために収穫は増加しましたが,汚染も同様にひどくなりました。戦争用の機具や装置の科学的発達,とくに核爆弾の発達は,放射性汚染物という新しい危険を生み出しました。第二次大戦の終結から1963年までに400回の核爆発テストが行なわれました。1963年の核実験停止条約以来,さらに300回ほどの地下実験が行なわれました。今日では,東南アジアの広範囲にわたる地域が枯葉剤で荒らされています。

      人口増加は汚染を悪化させる

      世界人口は何千年もかかって1850年に10億人に達しました。1930年までには20億になり,今日では36億を下らず,向こう30年間にはこの倍になることが推測されています。この人口の増加はおもに都市で見られました。1740年の英国の総人口は600万を少し上回るにすぎませんでした。今日ではロンドン市だけでもそれ以上の人が住んでいます。

      この「人口爆発」は,絶えまない生産量の増大と,より大規模な経営を要求することにおいて産業革命を助けました。人がふえたので ― 産業・家庭・輸送における ― 電力の需要は増大しました。拡大をつづける都市は周囲の農地を蚕食しました。新しく境界となった土地は,多くの場合,汚染によって荒らされるか,またはやせ衰えるまで耕作されていためつけられました。食物はしだいに遠くからトラックで輸送しなければならなくなりました。

      人々が荒廃の町からのがれるようになって郊外が開けました。しかしついにはここでも,乗用車を私有する人が増加し,汚染が促進されることになりました。かつては緑の田園であったところに,幅と長さを拡大し続けるアスファルトやコンクリートの道路から成る広大な道路網が発達しました。「アメリカだけでも,酸素を放出する樹木のはえた土地40万4,000ヘクタールが毎年舗装される」と「タイム」誌は述べています。ブラジルのサンパウロでは今日,一人当たり半平方ヤードの緑地しかありません。空の旅が盛んになるにしたがって空港も広い土地を窒息させることに加わり,それと同時に大気もひどく汚すようになりました。

      一時,工業都市の中の特定の環境状態の改善に成功が収められたことは事実です。1843年から44年にかけての英国のマンチェスターのような都市は,今日では存在しません。当時,マンチェスターのある区域には,212人になんとひとつのトイレしかないありさまでした。しかし今日のわたしたちは,スラム街として知られている特定の区域だけでなく,地球全体 ― 土地,水,空気 ― がよごされていく状態を見ています。

      「消費社会」の発達

      大企業は常にその製品のための市場を必要とします。産業革命の初期においては,しばしばデフレーションが生じました。新しい量産機械のために,供給がたびたび需要を追い越したからです。大工場は,個人で生産を行ない,二つか三つの職を身につけていて時には農業をも営んだ昔の職人とは違って,柔軟性がなく,しかもその時の需要に応じて調節するということができませんでした。

      「人口爆発」はこの問題を部分的に相殺したにすぎません。それは,産業の絶えまない「成長」への野望を満足させるには不十分でした。そこで製造業者は需要を刺激し育成することを考えました。宣伝,周期的な新型の生産,ちょっとした改善を加えて古いモデルをつまらなく思わせることなどは買い気をそそりました。目標は人々の必要とする物の供給ではなく,欲するようにさせるものを提供することでした。品物はしばしば長持ちしないように作られ,そうすることによって,需要の持続が図られました。この「計画的な廃用促進」のために,安いことは多くの場合質や持ちよりも重要視されました。

      こうしたことすべては,よく言われる「使い捨て」社会,つまり品物をしばらく使って,捨ててしまう社会を生み出しました。この浪費をやめることは,多くの国の経済に大きな影響を及ぼすと考えられます。

      ですから,問題はきわめて複雑で根深いことがおわかりでしょう。それは徐々に生じ,幾世代もの間に蓄積されたものです。しかしながら,根本原因はただ一つなのです。それは何でしょうか。

      [16ページの図表]

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      世界人口は現在わずか15年に10億人の割合で爆発的に増加している。人間の数が初めて10億人に達するには5,800年以上かかった

      1971年 世界人口 3,650,000,000以上

      3,000,000,000

      2,000,000,000

      1,000,000,000 大洪水

      紀元前4026 3000 2000 1000 C.E. 1000 1971

      (初期の時代の人口の数字は推定です。)

      [15ページの図版]

      産業革命は何百万人もの働き人を農場から工場に引き寄せた

  • 根本原因を明らかにする
    目ざめよ! 1971 | 10月8日
    • 根本原因を明らかにする

      大量浪費と大量汚染は依然今日まで続いています。しかし根本原因はなんでしょうか。

      人間の発明の才でしょうか。人間はその歴史をとおして物を発明してきましたから,発明の才そのものではありません。事実,聖書の創世記は,ユバルのような,世界的な洪水以前の人間について述べています。ユバルは「琴と笛とをとるすべての者の先祖」で,トバルカインは「銅と鉄の諸の刃物を鍛ふ者」でした。(創世 4:21,22)問題を起こすのは人間の発明の能力ではなく,その能力の誤用です。

      同様に,問題は産業だけにあるのでもありません。産業にもあらゆる規模のものがあります。害をもたらしたのは産業の集中であり方法です。しかし産業は人々のために物を生産するのですから,汚染はもとはといえば,人々と人々の欲望とから出るものです。あなたは産業都市に住み,そこで働いていますか。あるいは自動車を運転しますか。家の暖房に石炭か石油を使いますか。「処分できる」容器 ― つぼ,かん,びん ― にはいった製品を使いますか。ではあなたも汚染の一因となっているわけです。

      真の汚染源

      ほんとうの大量汚染の原因は,一般の人々が受け入れている価値観,生活様式,そして今までに発達してきた体制の中にあります。精神の汚染が肉体の汚染を招きました。

      大きいことは美徳と見なされ,スピードと大量生産と利潤を早くあげることは,成功の尺度となり,人類に恩恵を施すものとしてもてはやされてきました。オーストラリアの上院委員会は汚染に関して,「成長は依然として国の宗教であり,開発はその予言者である」と報告していますが,そのとおりです。

      日光,新鮮な空気,きれいな水,草木,野生動物 ― これらのものはみな犠牲にされねばならないかもしれません。それでも「成長」を続けねばならないのです。

      幸福は製品を所有することの中に求められ,そのために人間関係と霊的価値は着実に低められてきました。

      今日多くの人々がいわば「縛られた状態」にあることは事実です。自分がつくったわけでもないシステムの中に閉じこめられています。彼らは,自分の短い生涯のうちに事態を変える力などないと感じています。

      しかしもしそれをする道が開かれたとしたらどうでしょう。何人の人が事態を変えようとするでしょうか。あなた個人としては,地球の諸要素を誤用させる状態を誘発した利己的な物質主義を嘆かわしく思いますか。今日ほとんどの人は,不愉快な結果をなんとかして避けることを願うだけで,内心は物質主義的な生活のほうを好んでいます。その汚染の型は彼らの創作ではないかもしれません。しかし彼らは,その型が生み出すいわゆる「恩恵」のゆえに,それが永続することを望んでいます。

      「開発途上」国の危険

      わたしたちは多くの国々に,1750年以前の社会とはかなり異なる社会が発達してきたのを知っています。そしてその線に沿って発達を遂げなかった国々は,「進歩的な」国々との関係において,経済的に非常に不利な立場に立たされています。それらの国の通貨は,国際市場においては比較的低い価値しかありません。

      そこで「低開発」諸国は,「進歩的な」国々の仲間入りをすることを目ざして努力しています。そのような国の国民は,他の国の人々が持っている物にあこがれます。これは地球にとっては問題をかもす以外のなにものでもありません。なぜでしょうか。

      なぜなら,産業社会の一般人は,農耕社会の人たちより何倍もひどく環境をよごすからです。ポール・エールリッヒ博士によると,「アメリカの子どもひとりは,インディアンの子どもひとりの50倍もの負担を環境にかけている」ということです。

      なぜ今まで関心が払われなかったか

      なぜ事態は危機的状態に達するまで放置されたのでしょう。水の汚濁に関するオーストラリア上院選抜委員会は,二つの根本的な要素を抜き出して,「ほとんどの汚染問題の背後には,無知と惰性という双生児の要素が存在している」と述べました。あるいは,それは無知と無関心と言えるかもしれません。

      昔の生産技術の科学者たちは,労力を節約し,大量生産を行なう自分たちの発明品が,人間の生活状態に大きな影響を及ぼすことになろうなどとは予見しませんでした。また昔の工業家たちも,発掘燃料の大量使用がどの程度有害な結果を生むか,また川や湖そして海でさえ,そこに投棄される廃棄物を吸収する能力に限りがある,ということに気づいていなかったかもしれません。労力の節約になる装置や有用な設備をほしがった昔の人たちは,自分たちがになっていた重荷を軽減することを考えていただけでした。彼らは故意に環境の破壊を始めたのではありません。しかし被害が明らかになったときにも,特別気にもかけませんでした。

      著述家のルイス・マンフォードは,産業界に発達した冷淡な見方について,「ごみとか騒音,震動の問題などに注意を払うのは惰弱な気がねと見なされている」と述べています。彼の話によると,スコットランドの発明家ジェームス・ワットは,騒音を減らすためにスチーム・エンジンの設計を改善したいと思いましたが,英国の製造業者はそれをさせませんでした。なぜですか。彼らは騒音が提供する,耳に聞こえる力の証明を好んだのです。ドイツの現代のある工業家は,その態度が少しも変わっていないことを示しました。1970年9月14日の「デア・シュピーゲル」誌の報道によると,ライン川の汚染についてインタビューを受けた彼は,魚が死ぬことにはわずかに心配の色を示しましたが,しかし「水泳,魚つり,ロマンス ― みんなばかげたことだ!」と言いました。これらのものを犠牲にすることは,「進歩の代償」にすぎなかったのです。

      生態学者のバリー・コモナーは問題の根本にふれて,「昔は資源の破壊は,その有害な結果に関するかなりの知識を得てから行なわれるのがふつうであった。山腹の伐採にはすぐに侵食が伴うという事実からのがれえなかったからである。[また,川にごみを捨てれば,下流の人々に影響が及ぶということは,常識さえあれば気づくはずである]。問題は科学的無知にあるのではなく,勝手気ままな貪欲にある」と述べています。

      もちろんまだわからないこともあります。大気や土地,水中に散布される化合物の中には,その影響がまだ完全に知られていないものが多いことを科学者たちは認めています。この無知は危険です。しかしその危険に対する無関心,人間の利己主義つまり「勝手気ままな貪欲」に根ざす無関心が妨害となって,新しい装置や化学製品の技術開発を実際に停止させることはおろか,その速度を落とすことさえできないでいるのです。

      ではどんな希望,あるいは対策があるのでしょうか。ある地域では環境破壊の巻きかえしに成功していますが,それはどうなのですか。それは完全な解決につながるものなのでしょうか。

  • 人間はこの問題を解決できるか
    目ざめよ! 1971 | 10月8日
    • 人間はこの問題を解決できるか

      何が問題か,その問題はどのように生じたかということと,それを解決することとは別の事柄です。

      汚染問題は解決できるでしょうか。健康な人間のからだは,ちゃんとした手当てをすれば傷をいやします。同様に地球も,正しい手当てをすればその傷をいやすことができます。

      それには人間が,すでに設けられている自然の法則と一致して働かねばなりません。自然の法則は変わりません。ですから人間が変わらねばなりません。それ以外に方法はないのです。

      では人間が地球と調和して活動するようになることについては,どんな見込みがありますか。

      その見込み

      破壊的な傾向を逆転させようとする人間の試みは,二,三の川,そこかしこの湖,少数の都市の上空の大気といった規模の成功しか収めていません。全般的な状態はどんなものでしょうか。

      全般の状態を現実的に直視するなら,楽観できる根拠はまったくありません。たとえば,ニューヨーク市はどうなったでしょうか。1955年に,同市の大気汚染局長は,「10年以内に当市では快適な空気を吸える場所となるだろう」と予言しました。またある研究者も,「1965年までには,42番街を横ぎる男が吸う空気は,スイスの山道の空気と同じほど新鮮になるだろう」と予言しました。

      今日ニューヨーク市の住民たちは,これらの予言をばかげたものと言うでしょう。現在ニューヨークの空気のよごれかたはひどいもので,ほとんどいつも,『望ましくない』かまたは『不健康』な状態とされています。それらの楽観的な予言は現実に基づいたものではありませんでした。

      ボストン・カレッジの職員であるジェームス・スケハンは,「地球の汚染状態を容認できるレベルにまでもどすことは,過去や未来のすべての戦争をやめさせるのと同じほどむずかしいことであろう」と,現実的な評価をしています。人間は戦争をやめましたか。ノルウェーの科学アカデミーが1969年に行なった計算によると,紀元前3600年以来,世界が平和であった年は292年にすぎず,1万4,531の戦争が行なわれ,億にのぼる人が殺されています。そしてわたしたちの世代は,いまだかつてない最悪の戦争を経験しました。

      法律は歯止めになるか

      新しい法律,あるいは法律のより効果的な施行は,この情勢に抵抗できるでしょうか。法律が役にたつことは疑えません。しかし1970年の終わりにUS・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌が伝えたところによると,「規制は厳重になり,政府や企業の支出も相当額にのぼるのに」アメリカにおける空気と水の汚染は進んでいます。

      盛んに報道されているアメリカの新しい法律は,自動車に影響します。1975年1月1日以降,新車の排気ガス中の一酸化炭素と炭化水素は,1970年のモデルと比較して少なくとも90%減らされねばなりません。1976年の1月1日からは窒素酸化物もやはり少なくとも90%減らさねばなりません。

      それはたしかに快報です。が,環境問題に関する大統領顧問ラッセル・トレインは次のように言っています。「われわれは,1985年ごろまで,自動車の排気ガスによる汚染が下降線をたどるようたしかに計画している。しかしそのあとは,われわれが現在予見できる最も汚染度の低い内燃機関をもってしても,車の数の増加だけで,カーブは再び上昇しはじめるだろう」。

      原料の再循環?

      土地の汚染を減らすための気のきいた提案のひとつは,再循環,すなわち,物を捨てるかわりにもう一度使うことです。

      アメリカでは現在,織物,ゴム,ガラスなどが10%弱再使用されています。紙と亜鉛はわずか20%,アルミニウムは30%,銅,鉛,鉄は約半分です。ですからこれらのものの生産の増加は,新しい綿,木材,鉱石など,大部分新しい原料によっているわけです。

      なぜもっと原料を再循環させないのでしょうか。くづを選別して材料を売るある会社の実状は,ひとつの理由を示すものです。「ウォール・ストリート・ジャーナル」はその会社の経営者について,「彼が廃物を利用して作る原料の大部分は売れないので,当人は扱うくず1トンにつき2ドルの損をしている」と述べています。一例をあげると,紙を1,200トン再加工して,そのうち売れたのは200トンだけでした。あとは買い手がないのです。

      人々は実行するだろうか

      どんな対策が提案されても,それはひとつの基本的事実に煮つめられます。つまりそれを成功させるには,圧倒的大多数の人がその提案を実行しなければならないということです。その可能性はありますか。

      「オーデュボン」誌の伝えるところによると,ある清涼飲料会社は,ニューヨーク市内で,返却できるびんにはいった清涼飲料を60万ケース売りました。びんを返せばびん代は現金で払いもどされます。ところが6か月のうちにびんは全部捨てられてしまいました。ニューヨークの人々は72万ドル(約2億6,000万円)をごみの山の中に捨てたのです。びんを返すようなめんどうくさいことをしたくないのです。

      たくさんの自動車で町の空気が汚染されるのを避けるために,市が迅速な輸送システムをもうけることが提案されています。たとえば,通勤者を職場に運ぶ速い汽車を準備して車を減らすことです。しかしこのことについてミッチェル・ゴードンは「シック・シティズ」(病める都市)の中で,「交通費がたとえ無料になっても,自動車で通うことをやめる者は18%にすぎないことが,このほどシカゴの通勤者を対照に行なわれた調査で明らかになった」と述べ,さらにこう言っています。「乗るたびに35セント(126円)払ってもらえるとしても,彼らの半分は公共の輸送機関を利用しないだろう」。

      では人々は少なくとも散らかさないように,つまり捨ててはいけないところに物を捨てないようにして協力するでしょうか。ニューヨーク州漁猟協会の役員テッド・キートレーは,疲れはてたような様子で,「廃物の不法投棄をやめさす方法は何も考えられない。最後の手段は自尊心に訴えることであるが,この面にも大した希望はもてない」と言いました。

      人々の態度の大きな変化が要求されていることは明らかです。にもかかわらず,「その変化をどのようにしてもたらすのか。その方法が具体的に示されないかぎり,この『解決策』はただの理想として片づけられるにちがいない。……しかし実際には,住民の徳育を変える方法を知っている者はひとりもいない」と,著者のエドワード・バンフィールドは「ジ・アンヘブンリーシティ」(お粗末な都市)の中で述べています。

      ある会社のもたらした深刻な汚染の実状を暴露したフロリダの一テレビ記者の経験は,この点の困難さを示す一つの例です。やがて彼のところに,その会社の従業員たちから,『やめなければ』危害を加えるといった脅迫電話がかかってきました。もし会社が閉鎖されると失業するので,そのことを彼らは恐れたのです。

      ですから,多くの人々は汚染の阻止を口にはしますが,大多数は自分の利己的な関心事の追求に急で,ほかの人のために自分の有利な立場を断念しようなどとはしません。

      したがって,多くのことが語られはしますが,工業化は進み,地球の人口は『爆発的に増加』し,問題は悪化するばかりです。そして専門家たちは解決策を考え出さないことを認めています。たとえばハワイの保健局の専門家たちは,「解決策は容易には見あたらない。……現在のところ好ましい方法はまったくない」と言っています。

      実際には何が必要か

      実際のところ,人間がこの問題を解決するには,現代の産業に密着した生活様式を大幅に変えることが要求されます。それはこれ以上の工業化の傾向を永久に逆転させることを意味するでしょう。

      そういうことが起こりえます。人々はひとり残らず,産業社会の中で現在楽しんでいる種々の便利品や製品,金銭,娯楽を大幅に断念することに協力し,それらをきれいな空気,水,土地などと交換するでしょうか。彼らは,地球から戦争,偏見,犯罪,貧困,飢餓を除くのに協力したことがありますか。たばこが人の命を奪うことが証明されたため,すべての人はたばこを吸ったり,売ったり,作ったりするのをやめましたか。性病が広がるのを見て,人々は淫行を避けるようになりましたか。

      あなたはほんとうに国家公務員や企業に携わる人々,また一般の人々の大多数が突如として心を変えて,産業に密着した生活様式の向きを変えると思いますか。汚染専門家ルネ・デュポ博士は,「私の考えでは,もしわれわれが,われわれの将来は科学技術が支配すべきだという考えを受け入れるなら,汚染の問題 ― または人間の生命をおびやかす他の脅威 ― を解決することはできない」と言っています。

      専門家たちは実際に途方にくれています。ではいったい何が必要なのでしょうか。1970年3月号の「レッツ・リブ」(生きようではないか)という出版物はこう述べています。「現代の汚染問題をすべて解決するには,ソロモンのような天才が必要らしい」。

      そのような天才はいるのでしょうか。それにしても,解決策はなんですか。

  • 地球はどのようにして庭園のような住みかになるか
    目ざめよ! 1971 | 10月8日
    • 地球はどのようにして庭園のような住みかになるか

      もし地球が,人類の庭園のようなすみかとなるとすれば,どのようにしてそうなり,まただれがそれを可能にするでしょうか。

      環境問題を深く研究した人々は,この問題を正すには,どうすることがいちばんいいと考えているでしょうか。その人たちが言うことを聞いてください。

      「すべての解決策に基本的なことは,新しい考えかたの必要である」。「最も必要なのは価値評価の変化かもしれない」。(タイム誌)「われわれには新しい心構えが……円熟した責任の果たせる社会の心構えが必要である」。―環境にかんする大統領顧問ラッセル・E・トレイン。

      主題はくりかえし浮き彫りにされます。それは人々の考えかた,心構え,価値の変化が必要であるということです。しかしこれにはもうひとつの主題 ― 全地におよぶ監督,指導,支配の必要 ― が伴います。次のことばを聞いてください。

      「われわれは,地球全体をおおい,空間や時間に対する人間の能力の限界にまでおよぶ政策と計画を必要としている」。(チャールス・A・リンドバーグ)コロラド州のアスペンで開かれた大会で,多数の著名な科学者たちが達した結論は,『完全に新しい』世界支配体制が案出されねばならないということでした。―ニューヨーク・タイムズ。

      聖書には解決策が預言されている

      『新しい世界支配体制下の新しい価値評価と変化した考えをもつ人間社会』,これこそ聖書がずっと昔に約束し預言していたものであることをあなたはご存じでしたか。大きなちがいは,これが人間の力と能力によらず,神の力と指導によって実現するということです。

      人間が何年も,何世紀にもわたって自分の問題(汚染は最近でてきた問題のひとつにすぎない)を解決できないことを証明してきたのであれば,別のところに目を向けるのは,現実的で実際的なことではないでしょうか。自分の国,州,または都市の小さな問題さえ解決できないのに,いつの日か人間はなんらかの方法により,世界的な規模で問題を解決すると,盲目的に望みつづけるのはなぜでしょうか。

      すばらしい生態学的システムをもつ地球自体,全知全能の愛ある創造者の存在を確証するものです。たしかに創造者は,破壊されてゆくこの地球上の諸問題を正すのに必要な導きと指示を与えることができます。創造者はそれをすることをかたく約束しておられるのです。それはどんな方法でなされるでしょうか。

      聖書には,『正義の宿る新しい天と新しい地』がくるという神の約束があります。(ペテロ後 3:13)「新しい天」と「新しい地」は,聖書の中ではひゆ的に使われていて,天の新しい霊的支配と,地上の新しい人間社会を表わします。「あなたの王国を来させてください。あなたの意志を天におけるように地にも行なってください」というイエスのことばをくりかえすとき,人々は実際にはこのことを祈り求めているのです。(マタイ 6:10,新)聖書の示すところによると,御子による神の王国は,たしかに人間の必要をすべて満たす『新しい世界支配体制』をもたらします。

      霊感を受けた使徒は,神が「定められた期間の終わりに,一つの管理体を設けることを意図された。すなわちそれは,天にあるものと,地にあるもののすべてを,キリストにおいて,再び一つにするためである」としるしています。(エペソ 1:9,10,新)エデンにおける人間の反逆以来,人間と創造者とのあいだには,人間のあらゆる問題の根本となっている不調和がありました。神の王国はこの不調和を取り除きます。

      なぜおもいきった処置が必要か

      人々はみな自発的に神の王国の支配に服し,この地球に対する神のご意志を実行するでしょうか。聖書は,現実にはそうでないことを示しています。

      キリスト・イエスは,「人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです」と警告されました。聖書の歴史が示すところによると,ノアの時代に,「世神のまへにて乱れ暴虐世に満」ちました。それは「世の人みなその道をみだした」からでした。当時,人々は道徳の腐敗と暴力とによって地を破壊し,神のまえに地を汚れたもの,忌むべきものにしました。それでも大多数の者は,創造者の正しいご意志に服従することよりも,当時の生活様式のほうを好んだので,暴力にあまんじ,状態が悪化するのをがまんしていました。その時の神を汚す世代は大洪水によって拭い去られました。しかし地球は,一時完全に水中に没したにもかかわらず生き残り,人類と動物のうち少数のものも生きのびました。―マタイ 24:37-39。創世 6:11-21。

      今日,人間は道徳的な意味においてのみならず物理的な意味においても,地球の基本的なシステムを勝手次第に汚したり,また地球の植物,動物,魚,鳥などにおよぶ害を冷淡に無視して,地を破壊しています。創造者はこれをいつまでも許されるでしょうか。

      黙示録 11章18節にしるされている預言は答えを与えます。その預言によりますと,反対者たちにさばきを執行し,「地を亡す者を亡したまふ」神の予定の時がきます。わたしたちは今その預言がまさに成就しようとしているときに住んでいます。たしかにわたしたちは預言されていた『地を滅ぼす』ことが行なわれているのを見ています。そしてわたしたちはまもなく,それと同じほど確実に,地を滅ぼす者を「滅ぼす」神のみわざを見ることになるでしょう。

      正しい解決

      それはひどすぎると思いますか。隣人がついに病気になって死ぬまで,故意に,そして利己的な利益のために,隣人の飲食物の中に少量の毒物を入れる人は,どんなさばきに価するとあなたは思われますか。それは何年もかかるかもしれませんが,それでも殺人ではありませんか。

      汚染はまさにこのことを今何百万人もの人に対して行なっているのです。

      ドイツの雑誌「デア・シュピーゲル」(1970年10月5日号)はこの類似点を認めて,「危険はほとんど不可視で人目につかず,潜行的である ― 朝のコーヒーに毎日少量の砒素を入れて夫を殺すのに似ている」と述べています。

      ドイツのフランクフルトに住むある医師は,彼の町とベトナムとを比較して,「ベトナムでは彼らは鉛を人々の肋骨に撃ちこんでいるが,ここでは人々はそれを吸い込まねばならない。よく考えれば,違いはその与えかたにあるだけだ」と言いました。

      そして忘れてはならないのは,人々は山なす証拠を前にしてもはや,致命的影響についての無知を言いわけにすることはできないということです。

      現体制と生活様式の存続を望む人々は,創造者である神への愛も,仲間の人間への愛も示しません。地球をしだいに巨大なごみ捨て場に変えることによって人間は地球の造り主に対し不敬を示しています。

      神のみ子は言われました。「二羽の雀は一銭にて売るにあらずや,然るに汝らの父の許なくば,その一羽も地に落つること無からん」。(マタイ 10:29)しかし今日人間はあらゆる種類の鳥と他の陸や海の生物を拭い去ろうとしています。

      これをすることによって彼らは神の創造のみわざをあざ笑っているのです。聖書の規則は彼らにあてはまります。「自ら欺くな,神は侮るべき者にあらず,人の播くところは,その刈る所とならん」。(ガラテヤ 6:7)死と破壊をまいたのですから,彼らは同じものを刈り取るのに価します。神はそれを約束されました。

      わたしたちの時代に地球は浄化される

      ではわたしたちは何を言っているのでしょうか。神はこの地球上の人間をまっ殺し,そのさいに全地球を燃やしてしまうとでもいうのでしょうか。一部の宗教はそう言います。しかし,そのように教えれば聖書と矛盾します。

      黙示録 11章18節が示しているように,神は地を滅ぼすために行動されるのではなく,ちょうどその反対で,地が滅ぼされるのを阻止するために行動されるのです。ごみをそうじしたり,アブラムシを駆除するのに,家を焼き捨てる必要がないのと同じく,神も地球から汚染や地を汚す者を除くのに地球を破壊する必要はありません。ノアの時のように,地を汚す者を地から除くことが必要です。利己主義にもとづく全世界体制は除かれねばなりません。

      このたびの破滅は洪水にはよらず,イエスが預言されたとおり,古代エルサレムを荒廃させた破壊に匹敵する「大かん難」によります。その破壊は,「世の初め以来今に至るまで起きたことのないような,否,二度と起きないような」ものであり,「事実,それらの日が切って短くされないなら,肉なるものはだれも救われないでしょう。しかし,選ばれた者たちのゆえに,それらの日は切って短くされるでしょう」とイエスは言われました。(マタイ 24:21,22,新)その「大かん難」に通ずる「産の苦難」の中には次のようなものがあると預言されています。

      「戦争の騒乱……かつ大いなる地震あり,処々に疫病・ききんあらん」。―マタイ 24:6-8。ルカ 21:9-11。

      今の世代のあいだに,新聞をにぎわしてきたのはまさにこれらのことであり,現在では世界的な汚染による『地を滅ぼすこと』がこれに加わっています。この預言の成就は,地球を巨大なごみ捨て場に変える人間の不そんな行為が突如,そして決定的に終わりをみる時が近いという希望に,固い基礎を与えます。神は預言されていた「大かん難」をもたらされます。このかん難は『ハルマゲドンの戦い』によって最高潮に達するでしょう。それは枯葉剤や神経ガス,放射能降下により地球を生命のないところにしてしまう水素爆弾などを使って行なわれる国際間の戦争ではなく,神の御子とその天軍が勝利をおさめて,義を愛する人すべてに祝福と解放をもたらす正義の戦いです。―黙示 16:13-16; 19:11-18。

      ついで神の王国は,「天におけるように地にも」神のご意志が行なわれるようにはかるでしょう。聖書の記録によると,神は最初の人間をおつくりになったとき,彼らに,エデンとよばれる地域に庭園のすみかを与えられました。そして神は彼らに命令されました。「生めよ繁殖よ地に満てよこれを服従せよまた海の魚と天空の鳥と地に動くところの諸の生物を治めよ」。(創世 1:28)これは,人間が地球を破壊するところまで地を利用していいという許可ではありませんでした。というのは,創世記 2章15節に,「次いで,エホバ神は,その人をとって,エデンの園に落ち着かせ」,汚染したり破壊するのではなく,「それを耕させ,かつ,それを世話させられた」とあるからです。それで神の命令は,地を心地よい程度に植民し,地球全体を公園のような状態にしなさいということでした。神のみ子による天の政府は,神の目的が確実に遂行されるよう,ハルマゲドンの戦いを生き残るすべての人の地上における活動を監督するでしょう。

      はるかに豊かで健康的な生活が可能にされる

      これは明らかに,地球が一大荒野と化すことを意味するものではありません。また,すべての人が丸太小屋に住み,まきストーブで料理をし,夜は植物油をもやすカンテラでへやを照し,あるいは最も粗末な道具を使わねばならないという意味でもありません。それは,どんな発明品または動力源が使用されようと,地球にも,その上に住む生物にも害を与えない方法で使用されるという意味です。神と隣人への愛はそれを確かにするでしょう。事実,彼らは愛と義にかんする神の標準に従うよう,考えかた,心構え,価値の観念を変えたためにハルマゲドンの破滅を生きのびることを許されるのです。

      今日,人間の動力使用は地球を汚します。しかしきれいな動力源はたくさんあります。太陽はいつも地球全体の自然の動力源でした。そのエネルギーは植物の中で,すべての生命をささえる基本的手段を形成する化学変化を可能にします。太陽エネルギーは今日,衛星への動力供給や,ま冬の暖房にさえ使われています。フランスでは太陽炉をつくるため巨大な鏡が設置されました。太陽の光は,集中させると,摂氏3,000度くらいまでの熱をつくることができ,厚い鋼鉄の板でも焼いて穴をあけます。

      他のきれいな動力源は,風,流水,潮流などです。今日のような大量生産の,動力に飢えた,スピードを気にする体制の中では,風車や水車のたぐいの,画趣に富んだ,地を汚さないものには全く関心がありません。馬や水牛,象の使用は,「低開発諸国」向きと見なされています。

      しかし神の王国の支配は,地を汚す手段に大きく依存した現体制からの解放をもたらすだけでなく,完全な健康と永遠の命への道も開きます。寿命が短いという圧迫感もなくなるので,人々は,人間が今日「イタチごっこ」とよぶものを特色づける,狂気じみた忙しさや緊張のない生活をじっくり味わうことができます。永遠の命をもち,正しい動機をもち,宇宙の最高の科学者エホバ神の指導を受けるのですから,神の王国の臣民が,人間の使用に供するどんなきれいな動力源を開発しうるかはだれにもわかりません。

      産業革命前,人々が小さな仕事場でいっしょに働いていたときでさえ,彼らは仕事をしながら交わりを楽しみ,とおりがかりの人とさえ親しいあいさつをかわし,世間話のひとつもしたことでしょう。彼らは一般に自分が奉仕する客をよく知り,また客にも知られていました。そして彼らは,質の高い,長もちのする品物を作り出すことに個人として正当な満足感と誇りを抱いていました。現代の機械時代が人間からこうした喜びや楽しみを奪い去ったことは否定できません。高速度で動く機械はきまってそれを操作する者に,機械をじっと見つめて,黙々と同じ動作を何千回もくりかえすことを要求します。多くの場合,作業が大がかりであればあるほど労働者の地位は非個人的,非人間的となり,自分が,見ることも聞くこともない人々に奉仕する,よく言われる「歯車の歯」のような気分になります。

      たしかに神の政府は,今日多くの場合に欠けている,変化に富んだ楽しい生活と仕事をとりもどすでしょう。量が質よりも高く評価されることはもはやないでしょう。協力の精神が競争心にとってかわるので,人々は私欲のために張り合うこともやめるでしょう。愛は「己の利を求めず」。(コリント前 13:5)またクリスチャンは,「何事にまれ,徒党また虚栄のためにすな……おのおの己が事のみを顧みず,人の事をも顧みよ」とすすめられているからです。彼らの王イエス・キリストは,このことにおいて彼らに模範を示されました。―ピリピ 2:3-8。

      かつて古代イスラエル(バビロニヤによる束縛のあと)の上に成就した聖書の預言は,神のみ子の統治期間中にさらに大いなる成就を見るでしょう。イザヤ書 65章21,22節(新)は次のように述べています。「かれらは家をたてゝ之にすみ葡萄園をつくりてその果をくらふべし……そはわが民のいのちは樹の命の如く我がえらみたる者はその手の工ふるびうするとも存ふべければなり」。またミカ書 4章4節はこう述べています。「皆その葡萄の樹の下に座しその無花果の樹の下に居らん これをおそれしむる者なかるべし 万軍のエホバの口これを言ふ」。

      これらの平和な生活の預言的描写には,農村の生活を連想させるものが含まれています。もちろんこれは,神のみ子の支配下に共同生活がまったくないことを意味するものではありません。しかしその時には共同体がどんな大きさになっても,いまのように人々を高層建築の各階に並ぶせまい住まいに押し込め,彼らから太陽と新鮮な空気とプライバシーを奪い,騒音,交通問題その他の気分をいらだたす事柄で彼らを取り囲む ― すべて商業上の利益と産業上の便益のため ― 現代の巨大な怪物のようなものには発展しないでしょう。

      草やシダ類にふち取られ,葉のしげった木枝が陰をつくる気持ちのよい小道が歩けること,あるいは白や黄色のヒナギクがそよ風にゆれる,ゆるやかな起伏の牧場を横切ること,または木の垣をくぐって,近くの森の落葉のじゅうたんに投ぜられた,どこまでも続く涼しい木陰の中を,青空にかがやく太陽の光を頭上にちらちら眺めながら歩けるということは,どんなに大きな喜びでしょう。美しい鳥のさえずり,こん虫の羽音,リスのおしゃべり,せせらぎの音,梢をわたる風のささやき ― 地の創造物の音を聞くのは本当に気分の落ちつく,気持ちのよいものです。

      これらのものは本来,すべての人々が受くべき遺産でした。これは神の賜物です。わたしたちはほんとうにそれを望むでしょうか。もしわたしたちが公園の地球上で永久に住みたいと思うならば,わたしたちはどんな変化をとげねばならないでしょうか。

      [22ページの囲み記事]

      科学者たちは彼らのあらゆる研究調査をもってしても,地球の“生態システム”(生命が依存する生物的な諸関係がどのように作用しているかを十分に理解できないでいます。「タイム」誌はこれらの生態システムに関しこう述べています。「最も単純なものでさえ非常に複雑であり,最大の電子計算機もそれを十分に解明することができない」― 1970年2月2日 62ページ。

      [24ページの図版]

      神の王国は有害な汚染をすべて地から拭い去り,地球全体をパラダイスに変える

      [27ページの図版]

      なぜ人々は都会から広々としたいなかに来て気持ちのよい小道を歩くのを好むのですか。創造者が自然物に対するそのような欲求を人間の心に植えられたからです

  • あなたはどうすべきですか
    目ざめよ! 1971 | 10月8日
    • あなたはどうすべきですか

      今日,汚染問題は,わたしたちすべてにある程度の影響を与えます。近い将来に神が問題を永久に解決されることは,わたしたちにさらに大きな影響をおよぼすでしょう。それは,あなたも含めてこの地球上の人々すべてが,生きつづけられるかどうかということと直接関係があります。

      そのことを考えるとき,あなたはどうすべきですか。考慮しなければならないことが二つあります。ひとつは,汚染の問題を少なくするためにあなたがいまできることです。もうひとつははるかに重要な事柄で,この事物の体制を生き残り,神がこの地にもたらされるパラダイスで住むために,あなたにできることです。

      汚染については何ができるか

      汚染をへらすためにあなたにできる実際的なことはたくさんあります。

      空気汚染の主犯は自動車です。たとえ無鉛のガソリンを買っても自動車はやはり汚染物質を出します。整備を怠る場合はとくにそうです。不必要に自動車を乗り回すことをひかえ,ほかの人たちを自分の車に乗せてあげたり,ほかの人の車に乗せてもらったりして,計画的に車を利用するなら,あなたが空気を汚すことは大幅に減るでしょう。

      家の暖房炉の調子を良好な状態に保つのもよいことです。また,空気の汚染をこぼす人たちの多くが,喫煙によって自分の肺を(また他の人たちの肺を)汚すのはどういうことでしょう。これは矛盾ではないのでしょうか。

      水を不必要に,またむだ使いをしないようにすれば,水の汚染を押えるのに役だちます。洗たく用には,「微生物が分解することのできる」,そして主要な汚染物質である燐酸塩の含有量のごく少ない洗剤を買うことができるかもしれません。

      土地について言えば,あなたはどこにごみを捨てますか。自分では気づかないかもしれませんが,汚染問題にかんするあなたの考えかたは,ペーパーナプキンや小さな包装紙などの小物まで含めて,ごみをどのように扱うかにすべて現われます,ほかの人たちにごみを正しく処理させ,道路や公園も汚さないようにさせることはたしかにできません。しかし,ごみの扱いかたによってあなたは,他の人々,他の人々の財産,または自分自身の財産を尊重しているかどうかを示します。

      このわずかな提案はいまある大きな問題にくらべれば小さく思えるかもしれません。それはむろん事実です。汚染を避けるためにあなたがどんなことをしても,それは全体に対してはあまり大きな影響はないでしょう。しかし,事情が許す範囲でできるだけのことをするということが大切なのです。なぜですか。それはあなたが,創造者とその創造物を尊重していることを示すからです。詩篇作者はずっと昔,「地とそれに充つるもの……は皆エホバのものなり」と書いています。―詩 24:1。

      神のおたてになる新秩序においては,地を汚す者はおそらくその責任を問われるでしょう。神の支配下にあったときの古代イスラエルがそうだったからです。イスラエルの陣営は,道徳的にも肉体的にもあらゆる面でいつも清くなければなりませんでした。汚物の正しくない処理によって地を汚すことは許されませんでした。過去において神はご自分の民をそのように扱われましたから,神が約束された新秩序においても,おそらく神はその民を同じように扱われるでしょう。(申命 23:10-14)その時に住む人々はみな,自然の被造物を支配する神の法則と一致して働くことを要求されるでしょう。神はあなたがその新秩序にいることを望まれるでしょうか。

      より重要な考慮

      汚染を少なくするためのあなたの努力は称賛に価し,また望ましいものですが,それによって,この世がいま歩みつつある道を変えることはできないでしょう。これをよくするのは神のみわざだけです。神が明らかに示されている目的は,「地を亡す者を亡」すことです。(黙示 11:18)神は必ずこの地の精神的,物理的汚染と地を汚す者たちとを除いて地を清められます。

      それであなたは選択を迫られています。あなたは,人間が発達させ,― そして卒直に言って ― 地をめちゃめちゃにしている現体制の中にあなたの幸福を求めることを望みますか。それとも,この利己的な体制に心から一致していないこと,地球の偉大な創造者に誉れと賛美をもたらす事柄をしたい,と心から望んでいることを示しますか。人間の科学技術と行政計画が問題を解決すると思いますか。それとも全能の宇宙主権者エホバ神とキリスト・イエスによる神の王国に希望を託しますか。

      人間は自分たちの技術革新とその方法の破壊的な結果を予見しませんでした。しかし神は,霊感によるそのみことば聖書の中でたしかにそのことを預言されていました。人間,とりわけ科学者たちは,世界的なジレンマから脱する道を見つけることを深刻に憂慮しています。しかし神のことばは,幸福な将来に対する確かな希望を与えています。誤りがちな,死にゆく人間よりも,神の解放をあてにするほうがずっと賢明で,はるかに現実的ではないでしょうか。

      自分の選択をどのように示すか

      この問題において,自分が創造者と一致したことをどのように示すことができますか。「私は教会に行っている」とあなたは言うかもしれません。そうかもしれません。しかしこれまで考えてきたように,汚染のない地にするかぎは他人に対する愛と思いやりです。聖書は,「すでに見るところの兄弟を愛せぬ者は,未だ見ぬ神を愛すること能はず。神を愛する者はまたその兄弟をも愛すべし。我らこの誡命を神より受けたり」。(ヨハネ第一 4:20,21)「でも私は隣人を愛している ― 他の人たちに善を行なうよう努力している」とあなたは言うかもしれません。では現在,あなたが他の人たちにしてあげられる最大の善とは何でしょうか。神のことばは,神が現在の秩序を終わらせて,正義の新秩序をもたらされると言っています。また神のご意志は,あらゆる場所の人々が,神の目的に自らを一致させる機会を得て公園のような地球に生き残れるよう,このことを知らされることであるとも述べています。(マタイ 24:14)あなたの教会は,あなたがこのように他の人々を助けられるように準備してくれましたか。

      他の人たちがこの備えをするのを助けている人々がいます。エホバのクリスチャン証人は,全世界の人々の家庭で聖書教育をすることによりそれを行なっています。この雑誌の発行者に手紙を出すだけで,あなたも無料の聖書教育をお宅で受けることができます。それはあなたにとって何を意味するでしょうか。

      神のことばの知識を取り入れれば,今日広範囲に広がっている精神的汚染と戦う助けになります。人々は,この世の宣伝,物質主義や不道徳への誘惑,混乱した理論,不完全な人間の約束などに盛んに攻撃されています。こうしたものはすべて,人の心をごみ捨て場に変えます。しかし神の思いを取り入れ,神の道を学べば,人はその思いを変えて公園のようにし,その中で神の霊の実を豊かに結ぶことができます。(ガラテヤ 5:22,23)このことにかんして聖書は,「この事物の体制にならって形づくられるのをやめ,むしろ,あなたがたの思いを作り直すことによって[自らを]一変させ,あなたがたが,神の善良で,受け入れることができ,かつ完全な意志を自らに証明するようにしなさい」と助言しています。―ロマ 12:2,新。

      この時代にかんする神の目的と,その目的の中であなたが果たせる役割とをいま学んでください。そうすることによって,「真の生命」を,人間が地球を二度とごみ捨て場に変えることのないパラダイスの新秩序における永遠の命を「捉ふること」をしてください。(テモテ前 6:19)そして,神の王国の指導下で,地球を,誠実な人々の永遠の喜びとなる世界的公園に変える仕事に参加してください。

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