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  • 神の新秩序での命を目ざして生きる
    ものみの塔 1973 | 5月15日
    • 25 なぜ今神の新秩序のために生きることがたいせつですか。

      25 ですから,もし『真の命』をしっかりととらえたいなら,神が非とされていることのために生きてはならないことは全く明らかです。もし神の新秩序が立てられるその時にそのもとに住み,わたしたちの神エホバが真にエホバを愛する者たちのためにたくわえておられる祝福を永遠に楽しみたいと思うなら,わたしたちは今神の新秩序のために生きなければなりません。そうです,すべてのことに油断なく,そして怠らずに注意を払って,将来の命がそれにかかっているかのように現在を生きてください。なぜなら,将来の命は実際にそれにかかっているからです。

  • 流血の罪をもつ者たちは,神の裁きを免れることはできない
    ものみの塔 1973 | 5月15日
    • 流血の罪をもつ者たちは,神の裁きを免れることはできない

      1 エホバは,流血の罪をもつ者たちをどう見ておられますか。ゆえに,キリスト教世界は何を予期すべきですか。

      西暦1914年に第一次世界大戦が勃発して以来,人類史上かつて目撃したことのない規模で男女子どもが殺されてきました。諸国家はまさに,おびただしい流血の罪を負っています。キリスト教世界の諸国家は特にそうです。というのは,同世界の諸国家は今世紀の血なまぐさい戦争で主要な役割を演じてきたからです。それらの諸国家はキリスト教を奉じていると唱えてはいますが,エホバ神からの不利な裁きは免れられません。エホバは流血の罪をもつ者たちを憎んで,そうです,嫌悪しておられるのです。―詩 5:6。箴 6:16,17。

      2 流血の罪をもつ人々や諸国家はエホバの不利な裁きを免れることはできないということを,わたしたちはどうして確信できますか。

      2 流血の罪をもつ人びとや諸国家は一時は栄えても,神の裁きの執行を永遠に免れることはできません。昔の歴史の記録はこのことを確証しています。一例として,西暦前7世紀の終わりにかけて古代のエルサレムの住民に起きたことを考えてみましょう。

      神と関係を持っていると唱えはしたが,保護されはしなかった

      3 エルサレムの住民はどうして自分たちは安全だと考えましたか。彼らは何を見のがしていましたか。

      3 エルサレムの住民は神との特別な契約関係のゆえに,自分たちは安全だと感じていました。彼らはまた,その都の堅固な防備やエジプトと結んだ軍事同盟のゆえに自分たちは大丈夫だと考えました。それで,バビロニアの王ネブカデネザルが西暦前609年の12月末にかけてエルサルムに対する攻囲を開始したとき,彼らは自分たちの都が完全に荒廃するのではなかろうかなどとは恐れませんでした。彼らは,エホバ神がエルサレムを捨ててしまわれたということを見落としていました。エホバは,流血の罪をもつ住民と決着をつけることを意図しておられたのです。

      4 エゼキエルはバビロニア人がエルサレムの攻囲をいつ開始したかをどのようにして知りましたか。

      4 ネブカデネザルがエルサレムの攻囲を開始したその日,エホバ神はご自分の見えない活動力つまり霊を通して,当時バビロンにいた預言者エゼキエルにそのことを明らかにされました。(エゼキエル 24:1,2)エゼキエルはまた,エルサレムに起こる事がらを描写するよう命じられました。彼の名を付した聖書のエゼキエル書はこう述べています。

      5,6 (イ)エホバは,エルサレムの住民に対するバビロニア人の攻囲の結果をどんなたとえを用いて示されましたか。(ロ)象徴的な釜の中に入れられることになっていた,肉の『良きところ』と「えり抜きの骨」は何を表わしていましたか。

      5 『汝背ける家にたとえをかたりてこれに言え〔主権者なる主〕エホバかく言う 釜をすえ据えてこれに水をくみいれ その肉のすべて良きところを集めて股と肩とをこれに入れ〔えり抜きの〕骨をこれにみたし 羊のすぐれたるものを取れ また薪一束を取り下に入れて骨を煮 釜をよく煮たて またそのうちの骨を煮よ』― エゼキエル 24:3,4〔新〕。

      6 こうして,エルサレムは口の広い釜にたとえられました。したがって,その下に薪を入れて燃やすことは,エルサレムの攻囲を表わしていました。その攻囲はエルサレムの都の中の住民にとって,煮え立つ湯のように熱いものとなります。釜に入れられた肉切れは,進軍するバビロニア軍の前からのがれてエルサレムに避難した難民を含めて,都の中にいた住民を表わしていました。釜の中に入れられた良い肉は,同市の上流社会階級の人びと,特に王や配下の君たちを表わします。骨は肉体をささえる骨格を成すものですから,「えり抜きの骨」は,国家的組織体の構造を維持している人びと,すなわち軍司令官やその幕僚たちを表わしています。それらの人びとはみな,その攻囲中,『煮える』ことになりました。

      7-9 エルサレムの流血の罪の記録に関して,エホバは何を行なうことを意図しておられましたか。

      7 エルサレムの住民は流血の罪を犯していたので,こうした災厄を受けるにふさわしい者とされたのです。エホバはエゼキエルを通してこう言明されました。

      8 『禍なるかな血の流るゝ町 さびのつきたる釜 そのさびこれを離れざるなり 肉を一つ一つ取りいだせ これがためにくじをひくべからず 彼の血はその中にあり 彼〔輝く裸岩の表面〕の上にこれを置けり これを土にそそぎて塵におおわれしめず 我怒りを来たらせ仇を返さんがためにその血を〔輝く裸岩の表面〕の上に置きて塵におおわれざらしめたり』― エゼキエル 24:6-8〔新〕。

      9 象徴的な釜,つまり流血の罪をもつエルサレムの中にたまった道徳上のかすや汚れは,その内側にこびりついて,さびを生じさせました。そうしたかすや汚れは簡単に洗い流したり,洗いさったりできるものではありません。エルサレムは人間の血に対してあまりにも不敬な態度を取っていたため,その都の犠牲者の血を注ぎ出して塵でおおうことをさえしませんでした。人間の犠牲者たちに対してなされたのは,狩猟のさいに殺された動物の血に関して行なうよう神の律法によって命じられていたこと以下の処置でした。(レビ 17:13,14)エルサレムは厚かましくも,凶暴な仕方で流した血を,輝く裸岩の表面の上に注ぎ出して,自らの犯罪行為の証拠としてその岩を公にさらしました。人間の血を侮るそうした行為はエホバの憤りを引き起こしました。エホバは,エルサレムの流血の罪の記録をおおい隠させず,塵一つない輝く裸岩の表面の血のように,そうした記録を衆人注視の的としてさらすことに決めました。エルサレムの中の犯罪者たちは無差別に,肉を「一つ一つ」取り出すように法に照らして処断されるのです。彼らのためにくじを引いて,だれかを選ぶということは行なわれません。

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