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必要な円熟にむかつて熱心に努めるものみの塔 1957 | 8月15日
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うと,それにはかかわりなく,どのクリスチャンもこの円熟さを発展し,そして,この円熟さを用いることによつて他の者を教えなければなりません。パウロは,円熟に欠けていたヘブル人に宛てて鋭い言葉を書き記しました,『あなた方は,久しい以前からすでに教師となつているはずなのに,もう一度神の言葉の初歩を,人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。あなた方は堅い食物ではなく,乳を必要としている。すべて乳を飲んでいる者は,幼な子なのだから,義の言葉を味わうことができない。しかし,堅い食物は善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。』― ヘブル 5:12-14,新口。
食事,運動,そして力
10 神の御言葉は,どのように堅い食物のようですか。霊的な力を建て起す為には,それはどのように用いられねばなりませんか。
10 初歩の真理を『乳』にたとえ,そして深い事柄を『堅い食物』にたとえていることは,適当なものです。食物は是非とも必要なものです。食物は滋養を与え,生命を支え,生長をなさしめ,そして必要な力を与えます。同様に,神の御言葉の真理は滋養と力を与え,霊的に成長せしめ,そして神の奉仕に強く活潑にならしめます。イエスはこう言われました,『人はパンだけではなく,ヱホバの御口から来るすべての言葉によつて生きなければならない。』(マタイ 4:4,新世)力を与えるこの霊的な食物には,豊かな真理,力づける模範,滋養を与える予言的な説明,そして信仰を建て起す神の言葉の約束が含まれているのです。それの与える精力は,正しく用いるならば,力と円熟にみちびきます。そのような力を得る為には,それはどのように用いられねばなりませんか。さて,体力を強くする為には,体の精力をどのように用いますか。体操をすると,筋肉は発達して体は強くなります。霊的な力も類似しています。霊的な力を得る為には,研究によつて得る力を用い,良い事柄を他の人々に語るのに頭や心や舌を使わねばなりません。家から家の伝道を多くすればするほど,再訪問を多くすればするほど聖書研究を多くすればする程,そして隣りの人や,友人や,同労の者や業務上での知り合いの人々に真理のことを話せば話す程,あなたは強くなるでしよう。このような霊的な運動によつて,あなたの知識は心にしつかりきざまれ,そして勝利を得る信仰の丈夫な筋肉がつくられるでしよう。また,質問を受けると,更に多くの知識を得たいと欲し,霊的な食物の供給源に戻るでしよう。このことが起る度に,あなたは御言葉の乳から,成人に属する堅い食物に達する路に沿つて一歩を進めたことになります。
11 新しい人,または信仰に弱い人は,どのようにすれば十分に成長する人になりますか。もし,円熟と力に欠けているならば,そのわけは恐らく何処にありますか。
11 研究は奉仕にみちびき,奉仕は更に多くの知識欲にみちびき,そして増加して行く知識は,もし正しく用いるならば,更に大きな伝道活動にみちびきます。それで,神の言葉の真理でもつて心をみたし,そしてヱホバの奉仕をする際にその知識を忠実に用いるならば,いちばん新しい伝道者でも急速な進歩をとげて強い成人になることができ,問題に対処し,反対者にかたく立ち得ることができ,そして拡大して行くクリスチャン会衆に,流れのごとくに絶えず入つてくる新しい人々を建て起すことができます。それとは反対に,もしそのような円熟さと力に欠如しているなら,その理由は恐らく研究が不足しているか又は奉仕が不足しているからです。健全な知識を奉仕に用いれば,あなたは次のことを為し得ます,『私たちの参加すべき競走を,耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり,またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ,走ろうではないか。』― ヘブル 12:1,2,新口。
12 毎週の『ものみの塔』研究は,知識を得るために払うあなたの努力を,どのように調べますか。クリスチャン全部の採る道について,パウロは何と言いましたか。
12 この力を持つためには,努力が必要です。研究に長い時間を掛けねばなりません。このことについて,あなたは如何ですか。たとえば,御国会館での『ものみの塔』の研究には,前もつて研究して置きましたか。『ものみの塔』の中にある諸点を知つていますか。そのことに考えをめぐらし,良い註解をするように準備しましたか。研究するものが特に深いものの場合,それを傍に押しやつてその特定な研究の要点を得ようとせず,もつと多くの乳を待つていて肉を打ち棄てますか。円熟について多くのことを語つたパウロは,知識の面で成長し,初歩の教理から更に進歩せねばならぬ,とさとしました。彼は次のように語つています,『このわけで,キリストの初歩の教理を後にして,円熟にむかつて進もうではないか。いまさらに,死んだ業の悔い改め,神への信仰,洗礼や手を置くことの教え,死者の復活,そして永遠の裁きというような基礎を再び置かないようにしよう。神が真実に許されるなら,そうしよう。』― ヘブル 6:1-3,新世。
13 味の良い真理の食欲亢進物について,私たちは何をすべきですか。更にかたい食物をもつと多く得る為に,私たちはどのように励み努めて行きますか。
13 多分,あなたは初歩の教理の非常な明白さに,先ず心打たれて真理にひきつけられたことでしよう。それで,最初の二,三ヵ月の研究中に学んだこれらの事柄は,正式の食事前に出される快い食欲亢進物にもたとえられます。私たちは食欲亢進物だけで止めません。むしろ,食欲亢進物を用いて,その後につづく真実に力を与える食物への食欲をおこします。これらは初めに過ぎないのです。私たちは,ヱホバの備えられた御馳走から十分の益を受けなければなりません。それは,聖書を自分一人で研究することにより,御言葉の伝道に耳を傾けることにより,会衆のすべての集会に活潑に参加することにより,そしてヱホバの備えられた食物分配の道から来るすべての知識の益を受けようと熱心に努めることによるのです。このことをするならば,あなたは『この世の組織制度に従うのを止めます。むしろ,神の善にして御旨にかなう全き御意をわきまえ知るために,あなた方の思を替えて変化します。』― ロマ 12:2,新世。
あなたの愛を証明する
14 奉仕によつて愛を示すためには,クリスチャンはどんな能力を必要としますか。
14 他の人々に伝道するためには,そのような正しい知識を持たねばならず,そして,ヱホバ神とその子キリスト・イエスに対する愛を示す為には他の人々に伝道しなければなりません。イエスはペテロにむかつて,自分を愛しているかと3度たずねました。3度目には,ペテロは同じ問が繰り返してなされたことに悲しく感じ,こう言いました,『主よ,あなたはすべてをご存じです。私があなたを愛していることは,おわかりになつています。』しかし,イエスは『私の羊を養いなさい。』との教えを繰り返して述べています。(ヨハネ 21:15-17,新口)私たちは,そのようにして私たちの愛を証明します。私たちは,神の僕なる奉仕者でなければならず,羊を養う者でなければなりません。質問を受けるなら,何を言うべきかを知らねばならず,かつ私たちの言葉は,聞く者に啓発を与えると共に神に讃美をもたらすものでなければなりません。質問に会うとき,聖書の頁をめくつて,聖書からあなたの信仰の証明を明白に,そして的確に示すことができますか。すくなくとも初歩の教理については,あなたは自分の信仰を聖書から証明して,ただ聖書はそう教えていると言うだけでなく,聖書の何処でまたどのようにそう教えているかを示すことができますか。実際に,時間と努力をはらつてこれらの事柄を学びましたか。それには刻苦することが必要です。つまり,私たちは知識を得ようと熱心に努め,そしてそのような事実を掘り出して,心にしつかり刻みつけねばならない,という意味です。教える為の正しい資格を得る為には,それだけが唯一の道であつて,それは真のクリスチャンに対する要求であります。会衆内の者は,みな知識と経験において進歩発展しなければなりません。そして,効果的に羊を養うための円熟にむかつて熱心に努める際には愛を示さねばなりません。あなたの進歩はどうですか。
15,16 イエスの時代とそのすぐ後には,聖書に関する知識についてのどんなすばらしい模範が示されましたか。いま,私たちはそのことについて何を為すべきですか。
15 イエスとその弟子たちの持つていたすばらしい聖書の知識を考えてごらんなさい。12才のイエスは,『教師たちのまん中にすわつて,彼らの話を聞いたり質問したりし……た。聞く人々はみな,イエスの賢さやその答えに驚嘆していた。』自分の持つ神の言葉の知識によつて,あなたは教育を受けている神学者たちを驚嘆させることができますか。真実の知識を持つならば,必らずできるはずです。弟子たちも聖書については驚くほど良く知つていました。そのことは,昔のヘブル語の書物から豊富に引用していることからも分ります。(このことは次の記事の19節でくわしく述べられています)さらに,弟子たちの手紙を受け取つた人々も,そのような知識を持つていました。私たちの持つているような手引は,当時にはなく,聖書とか書物は入手しにくいものでした。みな丹念に手で写されたのであつて,すべての人が入手できるというものではなかつたのです。しかし,初期のクリスチャンたちはそれらを使用しました。彼らは聖書を知つており予言の成就を見て,使徒たちの書いたものを読みました。彼らの知識は増加し,その信仰は拡大しました。それから,他の者を教えることにその愛を示すことによつて,この知識と信仰を用いたのです。注意して頂きたいことは,この知識が使徒たちや他の特別な牧師級だけに限られている,と彼らは考えていなかつたことです。むしろ,すべての者がその知識を持つべきでした。西暦33年の五旬節のときに3000人が洗礼を受けたとき,それらの人々は力と知識を得るためにエルサレムに留まつていました。そして,迫害のために散らされたときには,彼らは『御言葉を宣べ伝えながら,めぐり歩いた。』― ルカ 2:46,47。テモテ後 4:13。使行 2:46,47; 8:4,新口。
16 今日の真実のクリスチャンは,同じ模範に従います。彼らは必要な知識を得て,それから,良いたよりを他の人々に語ることにより神への愛と隣人への愛を示します。この世的な教育にはかかわりなく,すべての人はそのような知識を得ることができるのです。第1世紀中の身分の低い漁師や,税取立人や,他の普通人がクリスチャン円熟に達したのも,以前の教育によるのでなく,むしろ彼らが耐え忍んで行つたこと,信仰,飽くまでもなし続けたこと,決意,そして神の御霊によるのです。今日でも,同じ事柄によつてあなたは必要な正しい資格を進歩発展せしめることができるのです。―マタイ 4:18-22; 9:9。使行 4:13。
誰が力を持つていますか
17,18 その力と熱心については誰が有名ですか。彼らは何処でそれを得ますか。この世の宗教は,なぜ失敗しますか。
17 一般に認められている事柄にこういうものがあります。すなわち,この世の宗教の成員は,自分では何一つしないで,そのような研究や宣教の奉仕を牧師たちに委せきるだけでなく,自分の指導者たちによつてそのような活動をするようにとすすめられるときには,きわめていやいやな態度をとります。たとえば,1954年4月22日,シカゴで行われた国家カトリック協会集会の席上で,ジョン・オブライエン『尊師』は,自分の民を『改宗者を得る熱心が不足している』と非難しました。ところが,ヱホバの証者の進歩は『近代歴史で最も目ざましいものである』と同師は語つています。また,(1955年8月28日の)「我らの日曜訪問者」(英文)は,カトリック教会員をはげまして冊子使用を一段と大規模なものにさせようと努めていましたが,ヱホバの証者についてこう語つていました,『彼らは国家に面倒をかけるが,それでも6年間に46万5000人の改宗者を得た!』 他の群が持つていないのに,なぜヱホバの証者は活潑なクリスチャン奉仕をする力と熱心を持つているのですか。なぜなら,正しく用いられる良い食物は,強い人をつくり上げるからです。彼らの力の源についての鍵は,ルイズブル(ケンタッキー)「コーリヤー・ジャーナル」(英文)に与えられていました,『彼らが聖書を勤勉に研究する者であることは疑いのないところだ。ところが,それだけに限らず,ヱホバの証者は,自分の読むものを信じている。』
18 イエスはそれらを持つていました。使徒たちも持つていました。また,第1世紀のクリスチャン会衆も持つていました。今日の真のクリスチャンの精力と力,熱心と活動はむかしよりも少いものと期待すべきでしようか。そうではありません! 多くの宗教が自分たちの民に供給している正確な知識の量は,少いものになつてしまつたため,その成員たちは坐つているだけで働かないのです。彼らは力を持つて居らず,また熱心さをも持つていません。力と熱心は第1世紀のクリスチャンの示したごとく,真のクリスチャン会衆を特徴づける活動に必要なものです。しかし,正しい知識は,それを持つ人々を発奮せしめます。それで,他の人々にそのことを語り,迫害に対してもかたく立つことができるのです。また,自分の信仰を否認するよりは敢然と死に面します。多数のヱホバの証者は,暴力を加えるナチや共産主義者の迫害下でも,それをしてきました。そのようなところでは,他の宗教の指導者たちは降伏してしまつているのです! この力は,それを持つている人々には,驚嘆すべきことではありません。しかし,それを持たない人々には驚嘆すべきことがらです。それを持つ人々は,ずつと以前に述べられた次の聖句を記憶しているからです。ヱホバは『疲れたるものには力を与え,勢いなきものには強きを増し加えたもう。』『ヱホバはその民に力を与えたもう。平安をもてその民をさきわい給わん。』― イザヤ 40:29。詩 29:11。
19 この課の研究を検討してから,真のクリスチャンは何をしなければなりませんか。
19 本当に,クリスチャンに要求せられていることは,良い生活をして二,三の規則に従うことよりも,もつと多くのものなのです。あなたは正しい知識を得ねばなりません。あなたは円熟に達し,かたい信仰を持ち,正確な理解を得ねばなりません。それらは真のキリスト教を特徴づけるものです。そうするとき,あなたは他の者を助けることができるだけでなく,あなた自身の救いをもたしかなるのにし,そして『信仰の結果なるたましいの救を』得ます。(ペテロ前 1:9,新口)信仰を持つ人々が,真理の言葉をあなたのところにもたらしました。あなたはその音信を聞いて,それを受け入れ,そして他の人々にそれをすでに語り始めました。理解と能率の面で,改善しつづけなさい。必要な円熟さを得る為に真実に努めなさい。そうすれば,「他の者を教える正しい資格」は,増しつづけて行きます。この制度内の新しい一人一人が,自分の学んだ真理を,他の者を教えるだけの正しい資格を持つ忠実な人々にゆだねるとき,少数のクリスチャン会衆は強力なものになりました。真のクリスチャンは,みな巧みに神の言葉を用いるよう進歩し,そしてクリスチャン奉仕者として円熟しなければなりません。さらに,『あなたがたが実を豊かに結び,そして私の弟子となるならば,それによつて,私の父は栄光をお受けになるであろう』といわれたイエスの言葉を念頭に置いています。どんな資料は,この円熟さを得しめてこの実を産出せしめる助けになりますか。次の記事は答えています。―ヨハネ 15:8,新口。
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基礎のクリスチャン出版物を認識するものみの塔 1957 | 8月15日
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基礎のクリスチャン出版物を認識する
『義しき者の心は答うべきことを研究する』― シンゲン 15:28,欽定訳
1,2 御国伝道者は,どのようにしてその奉仕に有能になりますか。このことはなぜ必要ですか。
二人のヱホバの証者は,神の御国の音信をたずさえて家から家に伝道していました。1軒の家で家の人は異論を申し立てました。新しい伝道者はその異論に答えることができません。円熟している別の伝道者が前に出て聖書からその質問に答えたため,家の人は十分に納得しました。それで,真理を良く宣べ伝えただけでなく,その二人の持つていたクリスチャン音信について良い印象を残すことができました。後になつて新しい伝道者は,『私には,あの質問にとうてい答えることができないでしよう』と語りました。しかし,円熟している伝道者は,研究と奉仕をつづけて行くなら必らずできるようになる,と力づけました。
2 御国伝道者は,みな類似の経験をしています。奉仕をする際に十分の能力を持つようになり,そのような質問に答えて大きな異論にも反論できるようになるのは,聖書と聖書出版物を研究して知識を得,それから奉仕をすることによつてその知識を効果的に用いることができるようになつたからです。前の記事で知つたごとく,真理に強くなりたいと欲する人は,研究と奉仕を省くことができません。そして,この力と円熟さは重要なものです。なぜなら,パウロの武器のごとく,私たちの戦の武器は『神のためには要塞をも破壊するほどの力ある』ものだからです。そして私たちは神の正しい知識に反して立てられた偽りの議論を崩すことができなければなりません。あなたはすることができますか。あなたは必要な円熟さを持つていますか。―コリント後 10:4,5,新口。
3 どんな報いは,忙しい伝道者の気持をすすめて,附加された研究に多くのものを費させますか。
3 兄弟が健全な知識を持つていて,質問に良く答えることができ,奉仕のときには良い証言をなし,援助と知識を求める他の兄弟から頼られるようになるとき,その兄弟の持つ理解の源については秘密なところはひとつもありません。おそらく,その兄弟にはあなたの持つ時間と同じ量の時間しかないでしよう。妻や,子供たちや,家庭があつて,その扶養ということについては他の兄弟の持つ問題と同じか,又は時にはもつと大きな問題に面するでしよう。さらに,奉仕に時間を費すために,その兄弟の毎日はあなたの毎日よりも忙しいことでしよう。しかし,その兄弟は真理にすつかり没頭しています。健全な知識を得るときに大きな幸福を感じ,そして余分に研究したことが御国の音信の提供に特別に役立つ,そして恐らく思いがけない面で役立つということに,非常によろこびます。それらの兄弟は,研究する時間がないとは言いません。必要なのは,より多くの奉仕だけでなく,より良い奉仕であると知つているからです。ヱホバの奉仕に多くの時間を費すだけでなく,その時間の中に多くのものを入れます,つまり奉仕の量を増すだけでなくその質をも増します。前進を止めるなら,後戻りし始めると知つているのです。また,学びつづけないなら,知ることを中止するとも知つています。それで,つづけて研究することにより健全な知識が可能になります。
4 あなたのクリスチャン証言を,どのように改善することができますか。
4 ヱホバの僕は,みな明白,かんたんに,そして容易に理解できる仕方で語る
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