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  • 世界平和 ― 誰によつて?
    ものみの塔 1955 | 2月15日
    • このことが行われた後に,世界平和が来ます。それは,地上の全家族のあいだの平和,人間と動物のあいだの平和,人間と神とのあいだの平和です。そして,それはどの位の期間ですか? 詩篇を書いた人は,『たゞしき者はさかえ,平和は月のうするまで豊かならん。』と答えています。(詩 72:7)それで,再び質問いたします。世界平和 ― 誰によつて? 神によつて,神の仕方によるのであり,しかも間もない中です。

  • クリスチャン戦士
    ものみの塔 1955 | 2月15日
    • の述べている武器を手に取らず,またもはや近代の非神権的な戦争の技術を学んでいないからです。彼らは天的牧者の害を与えぬ『羊』のように行動します。(ヨハネ 10:16。黙示 7:15-17)これらの者たちは,ヱホバの裁きと決定を学び,そしてまた天的シオンから来るヱホバの律法と御言葉は,以前のごとく彼らが『肉の業』を行うのを禁じており,それに間もなく来る新しい世で行う平和の技術をいまこそ求めねばならないと,彼らは知つています。これら『他の羊』は,望ましいものであり,全国民の中でも神にとつて,貴重なもので,彼らは神の家または宮に来て,それを栄光で充たしました。彼らはそこで神の御意を認めて従わねばなりません。ハガイ書 2章9節の予言は,その御意についてこう述べています。『この処においてわれ平康をあたえんと万軍のヱホバ言いたもう。』彼らはそれで平康を保ち,霊的の宮級である霊的祭司職のあいだを乱す要素とはなりません。この霊的な祭司職は,彼らがヱホバ神の宮で内輪同志にひどい戦を行うことも,またハルマゲドンの戦のときに,外部の者とひどく戦うことも認めず許しません。―ハガイ 2:7-9。ヤコブ 4:1-4。

      16 その故に,私たち共同の戦はどんな種類のものでなければなりませんか? この戦に加わるために,私たちはどんな命令に従わねばなりませんか?

      16 その故に,私たちの共同の戦は,霊的な戦でなければなりません。それでは私たちの両方の群は,このために命令どおりに従つて,神の与える同じ武具をつけなければなりません。『それで,かたく立ちなさい。そして,真理の帯を腰にしめ,正義の胸当てを胸につけ,平和の良いたよりの備えを足にはきなさい。あらゆることにまして,信仰の大きな楯を手に取りなさい。それでもつて,悪しき者の放つ火の矢を消すことができる。また救のかぶとをかぶり,御霊の剣,すなわち神の言葉を取りなさい。あらゆる祈と願をなし,御霊によつてどんな時でも祈り続けなさい。そのために絶えず目を覚まし,すべての聖徒のためにも祈りなさい。また,私が口を開くときに話す力が与えられ,そして良いたよりの聖なる奥義を大胆に語ることができるように,私のためにも祈つてほしい。私はこの良いたよりのために,鎖につながれた大使として働いてはいるが,良いたよりを語るべき時には,大胆に語れるように祈つてほしい。』― エペソ 6:14-20,新世。

      17 私たちは平和でありながら,どのようにこの戦に参加することができますか? 私たちは,なぜ劣つた剣を用いてはなりませんか?

      17 あなたはこの武具を身につけることにより,血肉に害を与えない地の平和な住民になることができます。と同時に,天の場所にいる悪い霊の勢力に対して神権的で霊的な戦を行うことができます。その悪い霊の勢力は,地上の騙された人間を用い,良いたよりを大胆に伝道する言論の自由を止めさせようとしております。『霊の剣』または霊的の剣は,神の御言葉であつて,何人に対しても身体上の傷害を加えることはありませんが,しかし非常な霊的の善をいたします。朝鮮戦争の一将軍は,最近に『文は武よりも強し。』と言いましたが,その武とは文字通りに剣を意味していたものです。さて,今度は,神の言葉はこの世の文よりも強いのですから,文字通りの剣よりも強いということになります。使徒パウロは,また生きている神の言葉は,『力を持ち,いかなる両刃の剣よりも鋭い』と述べました。(ヘブル 4:12,新世)それであるのに,聖にして神権的な戦に潔められている私たちは,これ以上にお互い同志にむかつて,力のない,劣れる武器を用いるべきでしようか? 私たちの共通の敵,『天の場所にいる悪しき霊の勢力』に敵対して,力ある剣,勝つた武器,霊的な剣,神の言葉を,なぜに用いないのですか? 私たちが,戦争で強いということは,神からあたえられる武器に依存するからであつて,私たちはただこれらの武器のみを使用することができます。

      18 私たちの防禦の武具につけ加えて,何が必要ですか? このことは,ユダのアサ王の場合にどのように力強く示されましたか?

      18 それにまた,祈りは私たちの戦で重要な役目を果すものであり,私たちの防禦の武具に是非つけ加えられるものであるということを見逃してはなりません。神権的な戦の醋わな時に,祈りをすることは非常に大切です。ずつと昔のこと,ユダのアサ王は祈りをして勝利を得ました。58万人の潔められた戦士で成り立つ軍隊では,エジプト人ゼラのひきいる100万人の軍隊と300の戦車には,とうてい立ち打ちできないと知り,アサは心をこめて熱心に祈りました。『ヱホバよ,力ある者を助くるも力なき者を助くるも汝においては異ることなし,我らの神ヱホバよ,我らを助けたまえ,我らは汝に倚り頼み,汝の名によりて往きてこの群衆に敵る。ヱホバよ,汝は我らの神にましませり。人をして汝に勝せたもうなかれと。』その祈りに答えて,100万人といえども,人間は神に勝つことができませんでした。次のように書かれています。『ヱホバすなわちアサの前とユダの前においてエテオピア人を撃ち敗りたまいしかば,エテオピア人逃げ走りけるに……かくて,エテオピア人は倒れて再び振うことを得ざりき。そは彼らヱホバとその軍旅に打ち敗られたればなり。』(歴代志略下 14:9-14)この記録は,後の時代の私たちの学ぶために書かれました。祈りがどのように勝利を助けるかということについて,これはなんとすばらしい説明なのでしよう! いつでも,いま祈りを捧げましよう。

      19 (イ)私たちは,ハルマゲドンの時になぜ霊的の武具を脱ぎ棄てて,肉の武器をとりませんか?(ロ)キリスト・イエスは,正しい戦のために,私たちをどのように潔めましたか? 私たちは,この戦になぜ熱心に参加しますか?

      19 私たちは神権的な武具を身につけて,ヱホバの大義の聖なる戦のために潔められ,いまの悪しき日に立つております。私たちは,ハルマゲドンの宇宙的戦争に直面しております。その戦争は,人類の経験したあらゆるもののうちで,最もひどく,最も災をもたらす戦であります。しかし,私たちはそのときの暴力に参加する必要はありません。ハルマゲドンについての昔の予言的な予表から,ヱホバの御言葉は,私たちにこう述べています。『汝らの戦にあらず,ヱホバの戦なればなり。』『かたく立ちて,ヱホバの救を見よ。ヱホバは今日,あなた方のために救をなされるであろう。……ヱホバ自ら,あなた方のために戦うであろう。』(歴代志略下 20:15。出エジプト 14:13,14,新世)これらの言葉は,ハルマゲドンの戦の時に,私たちが霊的の武具をかなぐり捨ててしまい,肉の武器をとつて,地上の人を守るためとか,あるいは反対するために,その肉の武器を用いることを禁じているものです。マゴグの主なる君ゴグが新しい世の社会に全力をかけて攻撃を加え,そして私たちを防ごうとヱホバがゴグに反撃されて,ハルマゲドンが始まるその時にいたるまで,私たちは聖なる戦の潔めを保たねばなりません。(エゼキエル 38:1より39:22)私たちの大祭司キリスト・イエスは,私たちのためにその人間としての犠牲を捧げられましたが,私たちは彼の犠牲によつて神の御前に潔められた立場を取り,霊的な戦をすることができるのです。私たちは,彼によつて神の御意を聞き,そして『信仰の戦をりつぱに戦つて勝利を得ねばならぬ』ということを学びました。(テモテ前 6:12,新世)私たち各人は,キリスト・イエスの正しい種類の兵士』であると証明せねばならないと知つています。私たちの大祭司であるイエスは,陣営の中に私たちと共におり,私たちに助言を与え,また敵を恐れず,神権的な兵士として神の御意を行いつつ前進せよと励ましております。ヱホバの栄光と立証のための私たちの戦は,聖なる戦,神聖なる義務,潔められた義務であつて,私たちのクリスチャン良心は,聖なる武具をつけてこの神権的戦に参加することに対して,全く反対しないものです。しかし,私たちは忠節な自発志願者として,この奉仕に熱心に参加するものです。詩 110:3。

      20 (イ)私たちは神権的な陣営を,どのように保つべきですか?(ロ)それでは,全能の神の大いなる日の戦争のあいだに,私たちはどのように振舞いますか? それにはどんなすばらしい結果が来ますか?

      20 私たちは聖い生活をなして,この敵の世と淫行を結ばず,そしてヱホバが私たちの中に汚らわしいものを見て,共にいることを止めないように,私たちの陣営を清く保たねばなりません。私たちは神の霊的の武具を身につけ,『天の場所にいる悪しき霊の勢力』に対して,いまやたえず,戦わねばならずそして,設立された神の御国の良いたよりを全地に伝道することにより『神の言葉である霊の剣』を勇敢に使うべきです。それで,決定的な戦が近づく時,そうです,私たちが『全能の神の大いなる日の戦争』に入る時でも,『聖なる国民』であり『王なる祭司職』である私たちは,あらゆる国から来るすべての善意者の仲間の戦士とともに,ヱホバの讃美を歌うのにふさわしいものでありましよう。そして,ヱホバは私たちに勝利を与えて下さるとの確信を強くもち,敵に対して勇敢な進撃ラッパを吹きならす者にふさわしい者でありましよう。良いたよりの伝道を助けて,私たちが戦い続ける時に,私たちは信仰を持つてお互のためと,またヱホバ神の御目的が成功するようにと熱心に祈ります。その時,私たちの神権的な戦は,全く無益なものではありません。その戦は,キリスト・イエスによる神御自身の勝利と,またその勝利にあづかる私たちに与えられる新しい正義の世の永遠の生命という飾りをつけることでしよう!(コリント前 15:57,58,新世)『汝らの戦にあらず,ヱホバの戦なり。』― 歴代志略下 20:15,ア標。

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