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  • エホバに聞き届けられる祈りの仕方
    ものみの塔 1980 | 9月1日
    • ものとなっています。「からしの種粒ほどの信仰があるなら,……何事もあなたがたにとって不可能ではないのです」とイエスは語られました。(マタイ 17:20)ヘブライ 11章6節では,神を喜ばせるためには,神が存在するとの信仰だけでなく,神が「ご自分をせつに求める」者に報いてくださるという信仰も持たなければならないと説明されています。弟子ヤコブは,「信仰のうちに求めつづけるべきであり,疑うようなことがあってはなりません」,『疑う者はエホバから何もいただけません』と書いています。―ヤコブ 1:6,7。

      17 たゆまず祈ることについて,聖書はどんな助言を与えていますか。

      17 請願に答えていただくには,たゆまず祈ることも必要です。祈りを捧げることを一つの習慣にしたいという願いを持つべきです。「祈りの習慣をしっかり保ちなさい」と聖書は諭しています。(ローマ 12:12,現代英語の新訳聖書,J・B・フィリップス)イエスも祈りのこの面を再三再四強調されました。山上の垂訓の中ではこう述べておられます。「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。たたきつづけなさい。そうすれば開かれます」。(マタイ 7:7)神を恐れることも,人間を尊ぶこともしなかったある裁き人に裁きをしてもらったやもめに関するたとえ話の中で,イエスは同じくたゆまず祈ることの大切さを強調されました。(ルカ 18:1-8)エホバ神に願い求めている事柄について本当に真剣であれば,わたしたちは「たゆまず祈り」,「絶えず祈り」ます。―ローマ 12:12。テサロニケ第一 5:17。

      18 祈りの時間を持つのを妨げるどんなことを許してはなりませんか。

      18 たゆまず祈ることと密接な関係があるのは,祈るための時間をとることです。忙しすぎて祈れないようであってはなりません。確かに,毎日の仕事,食事,身繕い,睡眠などのように,一日24時間の大部分を占める,生活に必要な事柄はあります。しかし,必要以上に時間を奪いかねない事柄も数多くあるのではないでしょうか。新聞を読むこと,テレビを見ること,スポーツ活動や他のレクリエーションに携わったり息抜きをしたりすることがその中に含まれます。貴重な祈りの特権を深く認識していないなら,このような事柄によって祈りのための時間が締め出され,いつのまにか祈りがなおざりにされてしまうかもしれません。

      祈りのための機会

      19 わたしたちに開かれている祈りの機会は数多くありますが,そのうちのいくつかを挙げてください。

      19 祈りのために開かれている機会は実にたくさんあります。「絶えず祈る」人であるということは,朝起きた時,夜寝る時,食事の前,夜中に目覚めた時などあらゆる機会に祈るということです。(詩 5:3; 92:1,2; 119:147-149,164; テモテ第一 4:4,5をご覧ください。)重大な問題に直面することやストレスの高ずる時期があるかもしれません。重責を担わなければならないかもしれません。クリスチャンの聴衆の前で話すよう,また政府職員の面前で自分の信仰を弁明するよう求められる場合もあります。確かにそれは,思い煩いをエホバに委ねるべき時です。『自分のすべての道で[神]に目を留めなさい。そうすれば自らあなたの行路をまっすぐにしてくださるでしょう』。(箴 3:6,新)さらに,わたしたちが何かの特別な祝福を得たときはいつでも,とりわけそれが思いがけない,あるいは切望していたものであれば,わたしたちの気持ちは当然エホバへの感謝で高まってくるはずです。しかし,言うまでもなく,特別な理由が必要なのではありません。そのほかのどんなときにも,わたしたちの心と思いは感謝を表現するようにわたしたちを動かすことでしょう。

      20 祈るときの姿勢については何と言えますか。

      20 いつどんなときでも祈りができるとすると,祈るときの体の姿勢に考慮を払う必要はないのでしょうか。確かに聖書は,祈りに際してひざまずくとか手を組むとかいう特定の姿勢を取ることを定めてはいません。でも,立ったまま,あるいはひざまずき,ないしはひれ伏した姿勢で,または手を大きく広げた姿勢で祈った人の記述はあります。(創世 24:26,48; 列王上 8:22,42,44,54; ネヘミヤ 2:1-4; マルコ 11:25をご覧ください。)このことから,可能な場合には,祈るときにうやうやしさを表わすある姿勢を取ることはふさわしい,と言えるでしょう。例えば会衆の集会では起立して頭を垂れるかもしれません。このように姿勢を変化させることは,わたしたちのために捧げられている祈りに気持ちを集中する助けにもなるでしょう。個人的に祈るときには,特にひざまずく姿勢が適切であるように思えます。(ダニエル 6:10; フィリピ 2:9,10と比較してください。)たとえ就寝前の祈りに際して寝床でうつ伏せになるとしても,祈るときには,「目ざめていなさい」,警戒を怠らずに注意していなさいという使徒の命令に留意しなければなりません。―エフェソス 6:18。

      21 神のみもとに行って聞いていただくためには,どのように祈らなければなりませんか。

      21 エホバへの祈りは,確かに,真面目に考えたい事柄です。天の父がいつ何時であってもわたしたちに耳を傾けてくださることを確信してみ父に近づけることを,わたしたちは本当に感謝すべきです。もとよりそのことは,信仰をもち,正しい経路を通して,また正しい心構えで神のみもとに来るかどうか,忙しくて祈れないという事態をなくし,たゆまず祈るかどうかに依存しています。そしてもしお子さんをお持ちでしたら,教えと立派な模範によって,祈りの重要性を忍耐強く教えてあげてください。

  • 『あらゆる祈りと祈願を用いなさい』
    ものみの塔 1980 | 9月1日
    • 『あらゆる祈りと祈願を用いなさい』

      「あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい」― エフェソス 6:18。

      1 (イ)祈りによってエホバ神のみもとへ行くとき,わたしたちはエホバについてどのように考えたいと思いますか。(ロ)祈りにはどんな四つの基本的な種類がありますか。

      創造者であられるエホバ神は,人格の伴わない単なる第一原因などではなく,感情を持たれる真実の人格的存在です。この方は見ることも聞くこともおできになります。祈りによって神に近づくとき,わたしたちはエホバについていつもこのように考えたいと思います。神の言葉は,「あらゆる祈りと祈願をもって」そうすることを勧めています。(エフェソス 6:18)その中には何が含まれますか。祈りには,賛美,感謝,請願,祈願という四つの基本的な型があります。

      祈りで神を賛美する

      2,3 最も気高く,高揚した気持ちを表わす祈りは何ですか。それがエホバ神にふさわしい理由は数多くありますが,そのうちの幾つかを挙げてください。

      2 賛美とは,もちろん,高揚した気持ちを表わす気高い祈りのことです。創造者の特質とみ業からして,これは当然捧げられるべきものです。この方は「主権者なる主エホバ」であられ,権威においてその右に出るものはいません。(サムエル後 7:28,新)エホバ神には始めも終わりもなく,匹敵するもののない「とこしえの王」であられます。(テモテ第一 1:17)その方は栄光に満ちた

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