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  • イエスはわたしたちに祈ることを教えておられます
    ものみの塔 1971 | 3月15日
    • 祈りをやめてはならないことをさとす,ひとつのみじかいお話をなさいました。

      イエスのお話にあるように,あなたのお友だちが,とおいところから,はるばるあなたをたずねてきたとしましょう。そのお友だちは,まよなかにやって来ます。長い旅をしたので,おなかがすいています。でも,あなたの家には食べ物がなにもありません。おみせもしまっています。あなたはどうしますか。

      となりの家に行き,パンを少しかりることにしたとしましょう。でも,もし,となりの家の人が,このようにいったらどうですか。「おこさないでください。時間はおそいし,わたしはねどこにはいっていますから,おきて,あなたになにかをさしあげることはできません」。そのようなとき,あなたはどうしますか。

      もし,あなたがそのとなりの人に,おきてくださいと,なんどもなんどもたのんだなら,その人はおきてくれるでしょう,とイエスはいわれました。その人はいやいやながらでも,おきて,あなたにいくらかのパンをわけてくれるでしょう。神はそのとなり人のようなかたではありません。神は,わたしたちが祈りによって神に近づくことを望んでおられます。しかし,イエスは,わたしたちがほんとうに神を信じていること,また,自分がほんとうに思っていることがらを話しているということを示すために,祈りつづけなさい,といわれたのです。―ルカ 11:5-9。

      ですから,わたしたちは,エホバが祈りを聞いてくださるということを信じ,エホバに願いつづけなければなりません。そうすれば,エホバはわたしたちの祈りを聞いてくださるでしょう。エホバは,わたしたちがささげる祈りを喜んで聞いてくださるのです。わたしたちが思っていることを祈り,正しいことがらを願い求めるとき,エホバは喜ばれます。そしてエホバは,それらのものをわたしたちに与えてくださるでしょう。あなたはそのことを信じていますか。

  • あなたでしたらお子さんと別れますか
    ものみの塔 1971 | 3月15日
    • あなたでしたらお子さんと別れますか

      “自分の子どもと別れるですって?” たいていの親なら,そんなことは考えただけで,あきれて,しりごみすることでしょう。しかし,多くの国々,特にアフリカ諸国では,親が自発的にわが子と別れることがあります。つまり,友人や親族に子どもを預ける,つまり“里子”に出すのです。

      無慈悲な習慣だと思われますか。そんなことをする親には,親としての感情も,わが子に対する真の愛もないに違いないと判断されますか。

      習慣の背後にある理由

      この習慣を非としてかたづける前に,そうした親の動機となっている理由を幾つか考えてみましょう。“里子”というような習慣がない国に住んでいる人でも,こうした習慣に対する聖書からの平衡の取れた見解を得るならば,自分の住む場所で見られる,親の子どもの取り扱い方にあてはまる,聖書の原則をしっかりと銘記する助けが得られるでしょう。

      アフリカのある場所で奉仕する宣教者は,誠実な親から幼い子どもを預かって欲しいと依頼されたことを報告してきています。そうした親は無慈悲どころか,子どもにとても強い愛情をいだいています。しかし,だれかほかの人に世話してもらうことによって,子どもに何か実質的な益が及ぶなら,犠牲を払うだけの価値があると考えるのです。

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