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国々の民はエホバの家に来て祈るものみの塔 1964 | 12月1日
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社会と交わるようになりました。献身したコルネリオと同様,この婦人は本格的な祈りをエホバにささげ,祈りのかなえられることを確信できます。
祈りの必要
15,16 (イ)祈りについて学ぶために,人はなぜ聖書をひもときますか。(ロ)祈りの必要なことを,だれが示していますか。どんな事を祈りますか。
15 祈りについて学ぼうとするならば,聖書をひもとかねばなりません。祈りのことを学ぶのに,聖書にまさる本はありません。ヘブル語聖書には159の祈りが記録されています。四福音書はイエスの祈ったすぐれた祈り20を記録しています。福音書以外のクリスチャン・ギリシャ語聖書中には,祈りの問題が98回以上とりあげられています。イエスの多くの祈りは,地上の生涯のあいだイエスが天の父と多く語る必要のあったことを示しています。「キリストは,その肉の生活の時には,激しい叫びと涙とをもって,ご自分を死から救う力のあるかたに,祈と願いとをささげ,そして,その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである」― ヘブル 5:7。
16 イエスと同じく,私たちにとっても祈りは常に必要です。祈りの点でも,イエスは私たちの師となります。模範的な祈りの中で,イエスは祈るべき正しい事柄すなわちみ名の崇められること,御国の到来,み心の地に成ること,そして最後に日用の糧を求めることを教えました。(マタイ 6:9-13)すでに述べた通り,祈りによって生ける神に近づく道はイエスのほかにありません。ヨハネは次のように書いています,「イエスは彼〔トマス〕に言われた,『わたしは道であり,真理であり,命である。だれでもわたしによらないでは,父のみもとに行くことはできない』」。「何事でもわたしの名によって願うならば,わたしはそれをかなえてあげよう」― ヨハネ 14:6,14。
祈りとは何か
17 祈りとは何ですか。それはどのように働きますか。
17 祈りは天の真の神に語ることですが,それは人間から神のほうへのみ伝わります。天のエホバに祈りのことばを伝えるのに電話線や電波の必要はありません。昔から現代に至るまでエホバは,電話やラジオよりもはるかにまさる伝達の手段を備えています。人間が使うことのできるこの手段は,神の聖霊です。聖霊は祈りをとらえてそれを神に伝えるのに,時間や空間の影響を受けません。エホバが祈りを聞くしくみは,聖書の中で単に神の耳と呼ばれています。(詩 18:6)祈りに対する神の答えが人間の耳に聞こえてくることはありません。祈りにおいて神と話をかわすという事はないのです。むしろ神は霊的な導きを与え,また正しい願いごとによって,祈りに答えます。
祈る時の正しいことば
18 エホバへの祈りの中で,何を述べることができますか。
18 真の崇拝者が一方的にエホバに語る祈りの中で,何を述べることができますか。まず神の愛にこたえて自分が心をこめてなした献身を言い表わすことができます。(詩 18:1,2)また神の偉大さ,神のあわれみをたたえることもできるでしょう。(使行 4:24-30)奉仕の特権と機会に恵まれた感謝を述べることもできます。(サムエル後 7:27)エホバの数多い賜物と恵みに感謝するのは,何時でも正しいことです。(コロサイ 1:3)間違いをするのは人の常であってみれば,神の許しを求めることも当然と言えます。(ルカ 11:4)このような願いは悔改めの気持ちを表わすものであり,神の恵みを更に受ける道を開きます。(ルカ 18:11-13)兄弟たちを気づかい,その行なう御国奉仕の上に祝福を願うのも良いことです。(テサロニケ前 5:25)最後に,本当に必要なものを与えられるように祈ることができます。―詩 33:18,19。箴言 30:7-9。マタイ 6:11。
姿勢
19 祈るときの姿勢については,何が言えますか。
19 これらさまざまの祈りをするときに,特定の姿勢をすべきことが定められていますか。一般的に言えば,精神の集中を助ける姿勢が必要です。かしらを下げ,あるいは目をあげ,あるいはひざまづいて祈った例は聖書にもあり,現代のエホバの証者にも見られます。(ネヘミヤ 8:6。ヨハネ 11:41。ルカ 22:41。ダニエル 6:10)どんな姿勢をとるにしても,それは雑念を払いのけることのできるものでなければなりません。なぜならば,祈りのことばは誠実に,神への愛の気持ちをこめて明白に述べるべきものだからです。よく考えてから口に出した祈りの言葉ならば,聖霊の働きと一致するに違いありません。聖霊はエホバのみ心に一致して働きます。また祈る事柄は聖書の真理と一致していなければなりません。正しい祈りをするには,次のことを理解する必要があります。すなわち「神は霊であるから,礼拝する者も,霊とまことをもって礼拝すべきである」― ヨハネ 4:24。
アーメンと唱える
20,21 (イ)祈るとき,なぜアーメンと唱えますか。(ロ)祈りという点で,エホバの証者について何が言えますか。
20 祈りには適当な結びが必要です。クリスチャンはイエスの名によって祈ることを結びに述べるだけでなく,アーメンと唱えます。アーメンはヘブライ語のことばで,「真実に」という意味です。アーメンは確実性,そうあらしめよといった意味を含んでいます。アーメンと唱えることによって,人はその祈りが誠実な心から出たものでることを示します。会衆での祈りならば,聞く人々もまたアーメンと声に出して言うことを望むでしょう。―コリント前 14:16。
21 今日エホバの証者は祈る人々です。エホバの証者は祈りの必要を知り,祈り方を知っています。その祈りはこたえられています。エホバの証者はエホバの「祈の家」と交わっています。次の記事では,今日祈りの分野でエホバの証者が経験している事柄をいくつか採り上げました。
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真理は人を清めるものみの塔 1964 | 12月1日
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真理は人を清める
● カトリック教徒として育てられたブラジル,オリンダ州の一婦人は,結婚後,心霊術に頼るようになりました。婦人はたばこをのみ,賭博に熱中しました。その後,婦人はバプテスト教会など新教の教会に行ってみましたが,ただ手を上げるだけで救われたとするのは安易すぎると考えて,それらの教会には加わりませんでした。ある日,婦人はエホバの証者の訪問を受けました。婦人はエホバの証者と聖書の勉強を始め,御国会館で開かれる集会に出席するようになりました。しかし,たばこと賭博は中々止めませんでした。ある時娘がその婦人に言いました。「お母さん,なぜこの宗教を止めないの。たばこや賭博を続けているじゃない。そんなの自分を欺くだけだわ」。それを聞いた婦人はすっかり自分の心を改め,熱心にエホバの助けを祈り,たばこや賭博を一切止めようと決意しました。そののち,婦人はエホバに献身し,今では活発な神の御国の伝道者になっています。
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