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  • ほかの何をしているときでも宣べ伝えなさい
    ものみの塔 1974 | 7月1日
    • には,それがなぜ可能であるかを示しています。1節と2節にはこう述べられています。『もろもろの天は神のえいこうをあらわし おおぞらはそのみ手のわざをしめす この日ことばをかの日につたえ このよ知識をかの夜におくる』。これはあたかも天がほんとうに神について語るように聞こえるかもしれませんが,3節で言われているように,『語らず言わずその声』は聞こえないのです。

      20 もろもろの天の無言の証言が,わたしたちの創造者の威厳について多くを物語るのと同じく,共同社会のなかにおけるわたしたちの良い模範は,宣べ伝えるわざの促進に大いにあずかって力があります。良いたよりを伝えるわざのこの面も見逃がしてはなりません。近所の人びとは仲間の信者ではないかもしれませんが,彼らは同胞であって,しかるべき思いやりを示されるに価する人びとです。親切なことばや気持ちのよい微笑は非常によいものです。困ったときには,ちょうどイエスが当時困っていた人びとに人間らしい同情を示されたのと同じく,その人たちに援助の手をさし伸べることさえできるでしょう。隣人が困っているときにわたしたちが心から関心を示すなら,彼らはそれによって,「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません」というイエスの助言に従う人びとが地上にいることに気づくでしょう。(マタイ 7:12)また,わたしたちが人間らしい親切な気持ちを持っていることに気づくだけでなく,わたしたちの家のまわりも特別にきちんとしていて清潔であるのに気づくでしょう。また,物事を家族ぐるみで行ない,いつも楽しそうにしているのを見るでしょう。職場では,聖書の原則を守るわたしたちは,正直な,よく働く者としてめだちます。わたしたちは,日常生活を営むさいにも,共同社会の中の人びとに無言の伝道を行なっているのです。そこで,わたしたちかあるいはクリスチャンの兄弟のひとりが,クリスチャンのこの希望の音信を携えてその地域の家々を訪れるときに人びとが示す反応は,ある程度,それまで示されてきた模範に対する反応と言えるでしょう。あなたは最近,近所の人のために,次のエホバの証人が訪れるときに耳を傾けさせるようなどんなことをしましたか。―ガラテア 6:10。マルコ 10:13-16。

      あなたが行なった宣べ伝えるわざの結果

      21 エホバがその民の伝道を祝福しておられることを示すどんな確かな証拠を指摘することができますか。

      21 わたしたちは,「エホバの証人の年鑑」を読んで,毎年何万という人びとが宣べ伝えるわざに答えていることに気づくでしょう。そして,「なぜわたしたちの会衆はもっと早く増加しないのだろう」と思うかもしれません。しかしもし事実を調べるならどんなことがわかりますか。5年,10年,あるいは20年前の状態を調べてごらんなさい。あなたの区域には当時よりも多くの会衆があり,多くの良いたよりの伝道者がいるのではありませんか。今のほうがよりひんぱんに人びとを奉仕で訪問していませんか。わたしたちは農夫のように忍耐しなければなりません。わたしたちは日々その増加に気づくことはないかもしれませんが,増加していることは確かです。組織としてわたしたちは祝福されています。そしてそれはイザヤが預言したようにエホバの民にかんして事実となりました。『その小さきものは千となり その弱きものは強き国となるべし われエホバその時いたらば速かにこの事をなさん』― イザヤ 60:22。ヤコブ 5:7,8。

      22 宣べ伝えたあと直接に「推薦の手紙」を指摘することができなくても,なぜ落胆すべきではありませんか。

      22 しかし個人としてのわたしたちはどうですか。会衆内のだれかを指して,この人が真理の道にはいるのを助けるためにわたしは用いられたということができなければ,それは神がわたしたちの奉仕を祝福しておられないことを意味するでしょうか。そうではありません。実際に,ある人を指して,この人はわたしが真理の道に入れた,と言える人が何人いるでしょうか。実際それには全部の兄弟が,忠実に宣べ伝えることにより,また共同社会の中で良い模範を示すことによって畑を耕すよう努力することが必要です。そして最後に増加をもたらしてくださるのは神です。あなたが,良いたよりを学ぶよう助けたかもしれない人がどれほどいるかだれにわかるでしょうか。最初に彼らの関心を呼び起こしたのは,あなたの良い模範であったかもしれず,あなたの訪問あるいはあなたが書いた手紙であったかもしれません。実際には別の人がその聖書研究を司会して彼らの関心と知識をさらに深めたかもしれませんが,その「推薦の手紙」を書くことにはあなたも貢献しているのです。ほんとうに神の民は全部,エホバの証人に奉仕者の資格が十分ある証拠として,近年バプテスマを受けたクリスチャンとなった人びとを指摘することができます。―コリント第一 3:7。コリント第二 3:1-6。

      23 なぜエホバの証人は,宣べ伝えるわざを生活のなかで最優先させますか。彼らが宣べ伝えるわざに成功する秘けつは何ですか。

      23 年齢や性や教育的背景の別なくすべてのクリスチャンが伝道すべきことは,神のご命令であることをわたしたちは知りました。また,宣べ伝える者としてのわたしたちの成功は,神への愛の強さ,信仰の質,そして同胞に対する愛の深さにかかっていることもわかりました。また,宣べ伝えるための多くの機会が開かれていること,そして結果がすぐに表われないように思えても落胆すべきでないことに気づきました。忍耐と,共同社会のなかでの忠実な模範はその実を刈り取ります。エホバの証人が過去幾年にもわたって行なってきた宣べ伝えるわざの結果は彼らにとって励ましとなり,エホバのみ名にとっては誉れとなっています。ですから,良いたよりを宣べ伝えるわざにおいて何をしていても,そのりっぱなわざを続けてください。

  • 神はどのような神殿の中に見いだせるか
    ものみの塔 1974 | 7月1日
    • 神はどのような神殿の中に見いだせるか

      宇宙の主権者は,地上の人間がご自分に近づくためのはっきりとした道を明確に指定しておられます。これは論理にかなったことであり,当然のことです。低い立場にある,被造物である人間が,なんの許しもなく,また正しい態度や作法もわきまえずに宇宙の主権者の前に出られると考えるのは道理に合いません。

      神に近づくことは可能です。ある人々が唱えるように,神は「死んでいる」のではありません。つまり,引き下がって人間を全く放置し,わたしたちの問題を聞いたり人間のために何か行なったりすることをしなくなっておられるのではありません。イエス・キリストの一使徒はこう言明しました。「[神は]定められた時と人びとの居住のための一定の限界とをお定めになりました。人びとが神を求めるためであり,それは,彼らが神を模索してほんとうに見いだすならばのことですが,実際のところ神は,わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではありません」― 使徒 17:26,27。

      神は遍在しているのではありません。つまり,同時にすべての場所に,すべてのものに浸透する霊として存在しているのではありません。すべてのものが神の一部を成しているというのでもありません。神はすべてのものを創造されたのです。神は人格的存在者ですから,そのおられる場所があります。それは神の住まれる場所であり,そこで神に近づくことができます。その住まいは天に,つまり目に見えない領域にあります。―マタイ 6:9。

      神は特別の取決めを設けられましたが,それはご自身の便宜のためではなく,神に近づこうとする人間の便宜のためです。神はそのためにご自分の天の住まいのさまを変更されました。み使いたち

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