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    ものみの塔 1959 | 9月1日
    • 御国のこの良いたよりを全世界に宣べ伝えることができるからでした。使徒行伝を読むと,当時の伝道のわざの発展状況を見ることができます。そして,アフリカの北海岸に住んでいた人々や,メソポタミヤ,ギリシヤ,イタリヤ,および地中海の島々の人々に,どのように音信が達したかを知ります。ステパノに対して迫害が起つた時,移動の必要を認めた人々は,事態を活用して,必要の大きい区城に入りました。『さて,ステパノに対して起つた迫害のために散らされた人々は,ピニケ,クプロ,アンテオケまでも進んで行つたが,ユダヤ人以外の者には,だれにも御言を語つていなかつた。ところが,その中に数人のクポロ人とクレネ人がいて,アンテオケに行つてからギリシヤ人にも呼びかけ,主イエスを宣べ伝えていた。』パウロや彼と一緒に旅行した同僚たちのような他の人々は,注意を必要としていた区域に宣教旅行をし,そこに必要な期間だけ滞在しました。コリントなどでは,18ヵ月もすごし,かたく設立してから,他の場所に行きました。彼らは,すべての国の人々を弟子とせよというイエスのご命令を遂行することを熱望していたのです。―マタイ 13:38; 28:19,20,新口。

      10 歴史は,初期クリスチャンたちの心からの願望が何であつたと示していますか。それについて彼らは何をしましたか。

      10 第1世紀の熱心なクリスチャンたちは,それまで住んできた場所に落ち着いて,キリスト教に対する信仰を表明し,神の御国を待つということで満足しませんでした。彼らは,良い音信がまだ伝道されていない場所があるのを知つていました。そして可能なかぎりその仕事に参加するのを望みました。「ユーセビアス・パンフィラスのキリスト教会史」は,クリスチャンたちの熱心さを指摘し,こうつけ加えています,『彼らは,自分たちの国を離れ出て行き,まだこの信仰のことを聞いたことのない人々に,福音伝道者の務めを行つた。そして,キリストを宣べ伝えるという高潔な念願を果すかたわら,人々に聖なる福音書も手渡した。外国の地で,彼らの伝道活動の特別の目標である信仰の基礎を置くことがすんだ後は……彼らはさらに他の地方や国々に行つた。』聖書の記録が示しているアクラとその妻の場合のように,彼らは住んでいた方々の場所で,自分たちの家を開放し,彼らと交わりはじめた人々のための集会場所にしました。―ロマ 16:3-5。

      11 今日どんな類似したわさが行われていますか。そして特にいつから?

      11 地球をおおうヱホバの証者たちの活発な移動によつて,聖書が今日成就しつつあるのを見るのはすばらしいことです。多くのヱホバの証者は,自分の国を離れて新しい土地に行きました。協会は,ものみの塔ギレアデ聖書学校を開校した1943年に,このわざに大々的に力を入れました。それ以来,多数の人々が,宜教活動を行うために,外国の地に送り込まれてきました。しかし,この種の仕事,はギレアデ学校で訓練を受けた人々に限定されているわけではありません。『すべての国民』に行つて,弟子をつくることは,若人にも老人にも,献身している人々ならば誰にでもできることです。ですから,多くの家族が,必要の大きい場所で働くことを望み,自分の国を離れて他の国に行つたということを知るのは,すべてのヱホバの証者にとつてたいへん興味深いことです。このことは,ヱホバの新世社会内にいるすべての人々が,祈りをもつて考慮しうる事がらです。あなたの最大の祝福は,世界の他の場所に行くことかも知れません。

      12 (イ)新しい土地に出かけて行くようヱホバの民を動かすものは何ですか。そして最近どの程度それがなされていますか。(ロ)私たちは宣教を拡大するこの機会を,どのように見るべきですか。

      12 神の民をして,新しい土地に行かせるのは,ヱホバ神に対する彼らの愛,ヱホバ神に対する専心の献身,真理に対する関心,良いたよりを伝道するという彼らの願望です。オーストラリヤからの報告によると,過去12ヵ月間に,50人の人々が,南太平洋にある六つの島に出かけて行きました。英国からは,28人のヱホバの証者が外国に出かけました。二人がカナダを後にしました。ニュージーランドからは5人が出ました。フランスから出かけた者は10人,そして,かなりの数の人々がアメリカを離れて南アメリカ,アジアに移動しました。また,他の人々も他の国々で伝道するために,ドイツ,リベリア,南アフリカ,フインランドを後にしました。これらの兄弟たちは,家をたたんで,必要の大きい場所に移動して行つたのです。もつと多くの御国伝道者を心要とする場所はまだたくさんあります。「1959年度ヱホバの証者の年鑑」の286頁には,それらの場所の表がのつています。あなたの宣教を拡大するこの機会を祈りをもつて考慮して下さい。働き人を強く必要としているこれらの土地に移動できる人々には,ゆたかな祝福が与えられます。

      13 (イ)自分の国のなかで,宜教を拡大するどんな機会がありますか。(ロ)新しい区域を開拓するこという点で,パウロは私たちにどのようにすぐれた模範を残しましたか。そしてどんな助言を与えましたか。

      13 しかし,自分の国の事もあります。あなた自身の国で,必要が大きいなら,そこにとどまつて下さい。あなたは旅券を必要としません。また普通ならば旅行許可証もいりません。ただ,協会の支部事務所に,その国のどの場所がもつと多くの奉仕者を必要としているかを問い合わせて,手続きを経てそこに行き,職業に就いて,伝道を続ければよいのです。パウロは自活するために天幕を作る仕事をしましたが,必要の大きい場所に行つてその仕事をし,そこにいる間は,良いたよりの伝道を主要関心事としたことを忘れないで下さい。単身であろうと,全家族であろうと,ヱホバの民はこのように働き人を緊急に必要とする場所に進んで出かけて行くことによつて,コリント前書 10章24節に記録されているいましめに心から進んで従うことを示しています。『だれでも,自分の益を求めないで,ほかの人の益を求めるべきである。』そして同時に,彼らのためにはヱホバからのゆたかな祝福が備えられています。というのは,『ゆたかにまく者は,ゆたかに刈り取ることになる』からです。―コリント後 9:6,新口。

      14 円熟へと成長するために,私たち各自は何をすべきですか。

      14 すべてのヱホバの証者は,円熟へと成長すべきです。パウロがテモテに助言した通りにしなさい,『すべての事にあなたの進歩があらわれるため,これらの事を実行し,それを励みなさい。自分のことと教のこととに気をつけ,それらを常に努めなさい。そうすれば,あなたは,自分自身とあなたの教を聞く者たちとを,救うことになる。』いつとはなしにこの世に逆戻りして,ハルマゲドンでこの世と共に滅ぼされることはクリスチャンの望みではありません。ですからクリスチャンは,キリスト教の宣教に常に努め,それに熟達しなければなりません。クリスチャンは,奉仕という上衣を常に保つことを望んで,神の御国の良いたよりを伝道し,そうすることによつて自分自身と他の人々を救います。ヱホバがどのくらいの期間私たちにこの良たよりを伝道させられるか,また悪魔の制度に滅びをもたらすまで,どの程度忍耐されるかは,私たちにはわかりません。しかしその時が来るまで,私たちは,私たちの前に現われるすべての特権を見守り機敏にそれをとらえることを望んでいます。私たちはどこにいようとも,また時が良くても,悪くても,御言葉を宣べ伝えることを望んでいます。―テモテ前 4:15,16。テモテ後 4:2,新口。

  • 「御心が地に成るように」(その17)
    ものみの塔 1959 | 9月1日
    • 「御心が地に成るように」(その17)

      イエスがヨルダン河で洗礼者ヨハネにより洗礼を受けた後,ヱホバは天から聖霊によつて彼に洗礼を施しました。かくして彼を正義の新しい世における『最高至上者の御心を実施する王』に任命いたしました。彼は象徴的な『岩』となり,追随者で成り立つ彼の会衆はその岩の上に建てられます。彼は,新しい世を支配する天的な御国で彼と共に『支配する聖なる者』となる弟子たちを集め始めました。西暦33年ニサンの14日,木曜日夜である過越の夜に,彼は11人の忠実な使徒たちと共に先ずユダヤ人の過越を祝いました。それから『主の夕食』と呼ばれるものを紹介しました。彼はパン種の入つていないパンを一片取り,彼らに食べるようすすめました。そして,それは罪人である人間のために犠牲にささげる彼の完全な人間の体を表わすと語つたのです。それから,ぶどう酒の杯を取つて,飲むようにと彼らにすすめ,それは彼の血を表わすと告げました。彼は次のように述べています。『これは罪のゆるしを得させようと,多くの人のために注がれる私の「契約の血」を意味する。』― マタイ 26:27,28,新口。

      8 彼の人間としての体には,何がなされるべきでしたか。どんな目的のために?

      8 この体については何がなされますか。ルカ伝 22章19節によると,イエスはこう言われました,『これはあなた方のために与えられる私の体を意味する。私の記念として,これを行いつづけなさい。』これは次のことを意味します。すなわち彼らのため,および彼を信じて彼の犠牲を受けいれるすべての人間のために彼の人間としてその体は,二度と繰り返されることのない犠牲,二度と行われることのない犠牲として与えられる,ということでした。その証明としてヘブル書 10章10節(新口)は,次のように述べています,『この(神の)御旨にもとづき,ただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによつて,私たちはきよめられたのである。』彼の人間としての体は,完全なもので罪のない体であつたため,神にささげる犠牲として,うけいれられました。彼の体はパン種の入つていないパンで象徴

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