ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 王なる祭司
    ものみの塔 1954 | 8月15日
    • 王なる祭司

      『第一のよみがえりに与る者は幸であり,聖である。これらの者の上に,第二の死は権威を持たない。彼らは神とキリストの祭司となるであろう。そしてキリストと共に千年の間,王となるであろう。』― 黙示 20:6。新世。

      1 誰が王なる祭司を形作りますか? そしてそれの設立と運営の結果として,どんな福利が来ますか?

      この王なる祭司の成員たちは,ヱホバの宇宙的組織に関するあらゆる事柄においてヱホバの職務を行う奉仕者たちであります。そして彼らの行う一つの大奉仕は千年の間キリスト・イエスと共に王として支配することでしよう。この支配は天から行われるでしよう。そしてその時神の御国の下で住む地の住民たちを支配するでしよう。ヱホバを自分たちの神とし,そしてヱホバと和解する希望を抱くすべての国々の民に希望を与えるものは,この王なる祭司の設立と運営であります。王なる祭司は,大祭司であるキリスト・イエスと14万4000人の祭司たちとで成り立つています。それは『メルキゼデクの状にひとしい』永遠の祭司であります。(ヘブル 5:6。新世)幸福と神聖とはこの祭司の位に与る人々に属します。何故なら彼らは『第一のよみがえり』に与り,彼らの上に『第二の死は権威を持たない』からであります。この祭司の御国の支配の間,平和と幸福と生命は,人類の内,ヱホバの新世の王なる祭司の臣民となつて祝福されるすべての者らに与えられるでしよう。

      2 王なる祭司について知ろうとする人々の精神的態度はどうあるべきですか?

      2 黙示録 20章6節の聖句は二つの級を指し示しています。すなわち支配者たちと,支配される人々です。その級のどちらに属することをあなたが望むかに拘らず,真理に対する従順と忠信は不変の要求であります。未来の王なる祭司の成員たちは,彼らの視覚を明らかに保ち,希望を輝かしく保ち,そして神の御心を完全に行う必要があります。神政下の新しい世の地上で永遠の生命を得ようと望む人々は,千年の間支配する王なる祭司団に関する要求と忠信について学ぶことを熱望すると共に,また忠信であることを学ぶことを熱望しています。油注がれた人々は,幾百万の人類を祝福し,生命を与えるヱホバの御目的を学ぶことを喜びます。そしてまた地上で永遠に生きることを待ち望む人々は,彼らが服従するところの王なる祭司について知ることを喜ぶでしよう。

      3 何時ヱホバは王なる祭司を持つという御目的を初めて話しましたか? そしてそれはどうして神政国でしたか?

      3 祭司の国を持つことについてのヱホバの御目的は,シナイ山において模型的神の民に言い表わされました。モーセは彼らに教えるように霊感を受けました。『今もしあなた方がしつかりと私の声に従い,そして実に私の契約を守るならば,あなた方は他のすべて民たちに優つて私の特別な財産となるであろう。何故なら全地は私のものであるからだ。そしてあなた方自身は私に対して祭司の国となり,聖い国民となるであろう』(出エジプト 19:5,6,新世)イスラエルは最高者の法則と儀式の下に生活しながら,ヱホバの下の神聖な国,真の神政国,王なる国民と成ることになつていました。この節で用いられている「国」の語は王権,王朝,主権の意味を有しています。それはヱホバが各成員におのおの王と祭司の資格と品性を持たせながら,一つの王たる祭司の民族,祭司の王朝を作ることを企てられたことを意味しました。

      4 イスラエルは王を求めながら,実際には彼らは何をしましたか? 彼らはヱホバの王たる御子をどのようにあつかいましたか?

      4 イスラエルの民は不満になつて,士師ギデオンが王として彼らを支配するようにギデオンに求めましたが,ギデオンは答えました。『私自身はあなた方を治めないであろうし,また私の息子もあなた方を治めないであろう。ヱホバがあなた方を治めるお方である』(士師 8:23,新世)。サムエルの時代にイスラエルの長老たちは彼に言いました。『今すべての国々のように私たちを裁くために私達に王を立てよ。しかしこの事はサムエルを不快にさせた。……そしてヱホバはサムエルに言われた。……彼らはお前を捨てたのではない。彼らは私を捨てたのである』(サムエル前 8:5-7,ア標)イスエラエルは模型的にヱホバの国でありましたが,しかし彼らは不忠信で不従順でした。後にヱホバが御国の世嗣である御子キリスト・イエスを彼らに遺された時,彼らはシオンの石である彼を捨てました。この模型的のイスラエルの家はヱホバの御目的を見失いました。そしてその家は神の御心に反して建てられました。イエスは彼らに言いました。『「建築者たちの捨てた石は隅の首石とされた。これはヱホバがなされたことであり,私たちの目には不思議に見える」それ故に私はあなた方に言う,神の国はあなた方から取上げられて,その実を結ぶ国民に与えられるであろう』― マタイ 21:42,43,新世。

      国々の民への善い音信

      5 使徒ペテロとパウロは,異邦人らに御国の善い音信を伝えるヱホバの御目的をどのように説明しましたか?

      5 ヱホバがイスラエルの国民を捨て,御国を彼らから取上げ給うたことによつて,祭司の国の一部となる大特権を持つことが出来るように,国々の民に門が開かれました。無割礼の異邦人であるコルネリオがその最初の人でした。そしてペテロは彼を訪問した時にこう言いました。『「ユダヤ人が他の民族の人と交際し,または近づくことが,ユダヤ人にとつて如何に違法であるかは,あなた方のよく知つている通りですが,しかし神は,人を汚れているとか不潔であるとか言つてはならない,と私に示されました」……「ほんとに私は悟ります,神は偏ることはなく,どの国民でも神を畏れ,正義を行う者を受入れ給うお方であることを」』(使行 10:28-35,新世)イエスが彼について言われた通り,パウロは国々の民へ行くように任命されました。『この人は国々の民に,そしてまた王たちやイスラエルの子らに私の名を表すために私が選んだ器である』再びユダヤ人たちに向つて,パウロとバルナバは言つた。「神の言葉はまず必ずあなた方に語られるべきであつた。しかしあなた方はそれをしりぞけて,自分を永遠の生命に値しないものと定めてしまつたので,見よ,私たちは転じて国々の民に向つて行く。事実ヱホバは私たちにこういう言葉で命ぜられた。『私はお前を国々の民の光として任命した。お前が地の果まで救いとなるべきためである』― 使行 9:15; 13:46,47,新世。

      6 ヱホバはアブラハムへの約束を,どのような方法で成し遂げ初めましたか?

      6 国々の民に重きを置いてパウロはこう書きました。『こう記されている。「それ故に国々の民の中にあつて,あなた〔ヱホバ〕に感謝し,あなたの御名を讚め歌おう。」また言つている。「国々の民よ,彼の民と共に喜べ。」また,「すべての国民らよ,ヱホバを讃めよ。」』コロサイ人たちに向つてパウロはこう言いました。『あなた方が聞いたその善い音信の希望を変えないようにしなければならない。その音信は天下のすべての造られたものに宣べ伝えられたものである。私パウロはこの善い音信の奉仕者となつたのである。』(ロマ 15:9-11。コロサイ 1:23。新世)『さて聖書は,神が信仰によつて国々の民を義とされることをあらかじめ知つて,前もつてアブラハムに善い音信を発表された,即ちお前によつてすべての国民らは祝福されるであろう。』また,『アブラハムの祝福はイエス・キリストによつて国々の民に与えられるのである』(ガラテヤ 3:8,9,14,新世)ヱホバは血統によるイスラエルとは違つた諸国民に偉大な音信を向けられたことについての大目的を成し遂げるために,未来の王なる祭司であるパウロを用いました。

      7 『善い音信』を受取ることは何を意味しますか? 恩恵の或物を述べなさい。

      7 王なる祭司キリストと一つになる,これらの「召された」者らに対してパウロはこう書きました。『前にはあなた方は肉体から見れば国々の民であり……無割礼者と呼ばれていた。あなた方はその時にはキリストなく,イスラエルの国に遠ざかり,そして約束の諸契約には無関係の者であつて,希望を持たず,また世にあつて神を持たない者であつた。しかし曾ては遠く離れていたあなた方が,今キリスト・イエスにあつて,キリストの血によつて近づくことが出来た。』そして再び彼は言います。『あなた方はすべてキリスト・イエスにあつて一つである。そこで,もしあなた方がキリストのものであるならば,あなた方は実にアブラハムの裔であり,約束による世嗣である。』(エペソ 2:11-13。ガラテヤ 3:28,29。新世)諸国民に対する善い音信は,ヱホバ神に一致調和してもたらされるものであることを意味しており,そしてそれは神の御約束の保証によつて神聖なものとされております。これは神の偉大な祭司キリスト・イエスによつてなされる真の奉仕です。何故なら彼はただ国々の民を神に近づけるだけでなく,また神を彼らに近づけるからです。清い聖なる交りが生じます。この善い音信はすべての国々の民に伝えられましたが,しかし民のすべてが受入れるのではありません。それを受入れる人々に対してヱホバは,アブラハムと彼の裔によつて『すべての国民らは祝福されるであろう』という御約束を果たされるのです。この善い音信は今もなお宣べ伝えられつつあります。事実,今日この善い音信は以前よりも更に大規模に,広範囲に行き渡るように宣明されつつあります。現在においてはこの善い音信は諸国民の中から他の級の者を召し出しますが,しかしその仕事は引続き王なる祭司によつて行われております。

      霊的な王なる祭司

      8 生れつきのイスラエルは失敗しましたが,ヱホバが王なる祭司を持つべき御目的はどのように成し遂げられるかを説明して下さい。

      8 王なる祭司を持つヱホバの御目的は成し遂げられます。けれども生れつきのイスラエルは失敗しました。パウロはこう書きました。『イスラエルから出る者がみな真の「イスラエル」というのではない。またアブラハムの裔であるからといつて,みなその子供であるのではない。……それは神がホセア書にもまた次のように言われている通りである。「私は私の民でなかつたものを『私の民』と呼び……彼らは『生ける神の子ら』と呼ばれるであろう。」』『神は最初に認められた神の民を捨てられたのではなかつた。……イスラエルは熱心に求めるその物を得なかつたが,しかし選ばられた者らはそれを得た。その他の者は感覚が鈍くなつた。』(ロマ 9:6,7,25,26; 11:2,7。新世)ユダヤ人が捨てられたことによつて他の者らに富が与えられました。何故なら真の王なる祭司のいくらかは生れつきのイスラエルから選ばれましたけれど,その大部分は諸国民から選ばれることになつたからです。ヱホバが祭司の王国を持つべき本来の目的はこの方法で成し遂げられるのです。彼らについてパウロはこう書きました。『神はその御目的にしたがつて召されたところの神を愛する者らのためには,すべての業を相共に働かせて益になるようにして下さる。何故ならば神は最初に認められた者らを御子の像に似させようと,予め定めておかれたからである。それは多くの兄弟たちのうちにあつて御子を長子となされるためである。その上……神が召された者らを義とされた。そして結局神が義とされた者らには栄光を与えられた。』『もし私たちが子供であるならば私たちはまた世嗣である。実に神の世嗣である。しかしキリストと共に共同の世嗣であつて,もし私たちが彼と共に苦しむならば,また彼と共に栄光を受けることが出来るのである』― ロマ 8:28-30,17。新世。

      9 使徒ペテロは王なる祭司をどのように正しく見定めていますか?

      9 使徒ペテロは『父なる神の先見によつて選ばれた者ら』に対してこう書いています。『私たちの主イエス・キリストの父なる神が崇められますように,というのは,神はその大きな憐みにしたがい,イエス・キリストの死人の中からのよみがえりを通じて,私たちを新しく生んで,生ける希望を与え,朽ちない,汚れない,衰えない相続財産を与えるようにして下さつた。その財産はあなた方のために天に蓄えられているのである。あなた方は終りの時に現われるように備えられている救いを得るために信仰を通じて神の力によつて守られているのである。』ペテロは更に彼らにこう言います。『まことに人々に捨てられ,神に選ばれた貴い生ける石であるところの彼〔キリスト〕に来て,あなた方自身もまた生ける石として霊的の家に築き上げられなさい。それはあなた方が聖い祭司となつて,イエス・キリストを通じて神に喜ばれる霊的の犠牲を献げるためである。というのは聖書にこう記されているからである。「見よ,私は選ばれた貴い石,隅の首石をシオンに据える。そして彼の上に信仰を置く者は決して失望しないであろう。」』(ペテロ前 1:3-5; 2:4-6。新世)この霊的の建物は王の家であります。何故ならそれは真の基礎即ちヱホバの油注がれた王,王なる御子,神の世嗣の上に建てられているからです。使徒はここでキリスト・イエスと彼の体の成員たちで成る祭司たちの王国,神の王なる祭司,天の祭司を正しく見定めております。

      10 或る人々が,天の王なる祭司の一部となる希望をどのように得るかを,聖句によつて示しなさい。

      10 このような不思議な希望は人間の想像力を遙かに越えています。それはただヱホバの霊感によつてのみ,聖霊の力によつてのみ出来得ることです。心を元気づけて,天の希望に生きさせるのは,創造者から発するこの霊であります。この故にこのような希望を持つている者らに向つて次のように記されています。『神はいろいろな罪過と罪とによつて死んでいたあなたをも生かし給うた。』『けれども,もしあなた方がキリストと共によみがえらされたのであるならば,上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが神の右に坐しておられる。』そして『これはあなた方のために天に蓄えられている希望によるのである。』この希望を得て楽しむ人々はキリストにあつて霊的の宮であります。『彼にあつて全体の建物は調和よく結び合わされ,成長してヱホバのための聖い宮となつてゆく。……霊によつて神の住む所となるのである。』― エペソ 2:1。コロサイ 3:1; 1:5。エペソ 2:21,22。新世。

      11 すべてのヱホバの民は何故御国の完成を非常に感謝すべきでしようか? そして宇宙におけるその地位は何でしようか?

      11 主の他の羊たちと共に,まだ地上に居るこの級のすべての者らは,神がお作りになつたこの不思議な御準備,即ち天の御国に深く感謝しています。それは霊によるヱホバの住居を意味します。そしてこれは最高者が以前には有されなかつた物であります。そうです。それはたとえ私たちの想像力を越えていても,それは真実です。それは聖い天の宮です。何故ならキリストについてこう記されているからです。神はキリストを『すべての政治と権威と権力と支配の上に,またこの組織制度のみならず,来るべき組織制度においても,称えられるすべての名の上に坐らせた。民はまたすべてのものを彼の足の下に従わせ,そして彼をすべてのものの上にあつて,会衆の首とされた。会衆は彼の体である。』故に聖書は彼を『地の王たちの支配者』と呼んでいます。使徒ヨハネは『私たちを愛するお方,そして御自分の血によつて私たちの罪から私たちを解き放つて下さつたお方 ― そして私たちを一つの国となし,父なる神への祭司として下さつたお方』について語つています。特に『そして私たちを一つの国となし』という表現に注意して下さい。それは実際に祭司の国です。これらの王としての神聖な位は,多分人間の間に存在することが出来る二つの最高の位であつて,それは明かに神の子らに属する,この上もなく高い地位であることを示しています。―エペソ 1:21-23。黙示 1:5,6。新世。

      12 ヱホバの讃美が天と地上で歌われることを私たちはどのようにして知ることが出来ますか?

      12 未来の王なる祭司の成員たちは,彼ら自身がその一部となつて完成される天における神の建物を見るために,焼き尽すような熱心を抱いています。それはヱホバの永久の聖所,宮であつて,そこでヱホバの御名は永遠に讃美されるでしよう。そしてそれは,イエス・キリストの下にあつてヱホバの讃美を歌う14万4000の祭司たちの聖い軍勢であると見られています。天全体は彼らの喜びと感謝の歌を聞き,地のすべの住民たちは,宇宙で最も美しい調べのこの歌を学ぶでしよう。何故ならすべての者は,天のシオンの最も妙なる歌手である王なる祭司,主イエスによつて指導されるからです。それはまことに,聖い盛装をして,丁度神の聖所の神聖さのような神聖の美をもつてヱホバを崇めつつ歌う合唱隊の合唱でしよう! その幸福な目に,すべてのものはそれぞれの正しい所に在るでしよう。何故なら神権的支配がすべてのものに行き渡るからです。創造されたすべての物は,聖いお方,最高の神ヱホバの栄光と尊厳を語るでしよう。すべての不浄邪悪が一掃され,あらゆる形と表現の罪が終り,そしてすべての悪い事が存在しなくなるその日は今や非常に近づいています! その喜ばしい日には,平和と静穏と幸福はすべての生物の受ける分でしよう。『私たちの神ヱホバよ,あなたが栄光と尊敬と大能とを受け給うことは至当であります。それは,あなたが万物を造られたからであり,またあなたの御心によつてそれらは存在し,造られたからであります。』― 黙示 4:11。新世。

      13 (イ)詩篇記者が『ヤコブの全能者のために幕屋』を見たいと願つたのは,何の意味ですか?(ロ)この予言的予表はどのように成就され,ヱホバの民の聖なる願いは何ですか?

      13 王なる祭司の成員たちは,これらの不思議な事の起るのを見ることを願います。それで彼らはその終りに向つて勤勉に働きます。生ける万物がヱホバの讃美を語るまでは,『天に,地上に,地の下に,海の上にあるすべての造られた物と,そしてそれらの中にあるすべての物が,「御座に坐られているお方と小羊とに讚美と尊敬と栄光と権力とが永遠にありますように。」』(黙示 5:13,新世)と言うまでは,満足もなく,休みもないでしよう。昔のシオンの王ダビデは偉大な王なる祭司の模型でありましたが,彼は同様の願いを抱きました。そしてそれらの願いは私たちの利益のために記録されました。彼は,神の臨在を象徴している神の櫃を見ることと,それを聖所に安置し休息させることを願い,熱望しました。彼の言葉に耳を傾けて下さい。『われヱホバのために処をたづねいだし,ヤコブの全能者のために幕屋を求めうるまでは,たしかに我はわが家の幕屋に入らず,わが寝床に入らず,わが目を眠らしめず,わが瞼を閉ぢしめざるべし。』(詩 132:3-5。ア標)そうです,ヱホバのための安息所! 何という不思議にも気高い,霊感による考えでしよう! ヱホバの霊はこれらの願いを精神と心の中に湧き上るようにさせます。その詩篇記者は更に続けます。『ヱホバよ,ねがわくは起きて,汝の力の櫃と共に汝の安息所に入り給え。汝の祭司たちに義を着せしめよ。……ヱホバはシオンを選びて,おのが住所にせんと望みたまえり。曰く,これは永遠にわが安息所なり。われここに住まん。そはわれ,これを望みたればなり。』(詩 132:8,9,13,14。ア標)シオンは王の都であり,宇宙の『首都』であつて,それは王キリスト・イエスと14万4000の『生ける石』で造られております。そしてそれはヱホバが選び,切に愛するところのヱホバの永遠の住所であります。ヱホバ御自身の居所又は宮を準備し,建築するのに数千年かかりました。王なる祭司を通じてヱホバはすべての造られたものと親しい交りを保たれるでしよう。彼はシオンの王なる祭司を救いの施設とされます。何故なら彼はシオンの祭司たちに救いを着せ給うからです。彼等の全体の外観は救いを表わし示します。今日地上に残つているその成員たちは何百万の人々に救いを布れ知らせます。『そして救者達はシオンの山にのぼつて,エサウの山を裁くであろう。そして国はヱホバのものとなるであろう。』― オバデヤ 21。ア標。

      王なる祭司に対する要求と責任

      14 神の民に対するヱホバの第一の要求を述べて下さい。私たちはただ褒賞のために奉仕すべきですか? 説明して下さい。

      14 第一の要求は服従でありましたが,今でもなお服従であります。シナイ山でイスラエル人たちに対して初めて王なる祭司のことに言及された時に,ヱホバはこう言われました。『されば汝等もし実に我が声に従い,我が契約を守らば,汝らはもろもろの民より区別されて我が財産となるべし。全地はわが所有なればなり。汝らは我に対して祭司の国となり,聖き民となるべし。』(出エジプト 19:5,6。ア標)ヱホバはイスラエルの最初の大祭司アロンに言われました。『汝は彼らの土地の中に何の相続財産をも持つな。また彼らの中で何の取分をも持つな。我は汝の取分であり,汝の相続財産である。』(民数 18:20。ア標)たとえ,その心が天の褒賞に向けられていなければならないとはいえ,忠信な,王なる祭司の者らは単に天の褒賞のためだけで奉仕すべきではありません。しかしその偉大な天の褒賞は,彼らが完全な服従をもつてヱホバに仕え,そしてヱホバを彼らの相続財産とする場合においてのみ彼らのものとなるでしよう。

      15 模型的祭司に関して,不合格となる疵にはどのようなものがありましたか? 肉体的の疵は今も不合格になりますか? もしそうでないなら,どんな種類の疵又は汚れが不合格となりますか?

      15 模型的祭司において,祭司の全体の外観は,最高の純潔とヱホバへの専門の献身を反映していました。律法は身体状態と生活調整に関する特効薬でした。盲目,跛,鼻欠け,足折れ,矮少,目に疵のあるもの等のような肉体的の欠点のある人は,祭司に適しません。(レビ 21:16-24)祭司の資格に合格しない120種類の疵があつたと言われていました。では,模型的祭司にそのような厳密な要求がなされたのであるなら,実体にはどれほど多くの要求がなされるのですか? 肉体的の疵は,天の王なる祭司の成員となる者を不合格にしないことは真実です。しかし他の疵は不合格となるでしよう。何故なら汚れたものは決して天に入ることが出来ないからです。『キリストもまた会衆を愛し……水の洗いをもつて御言葉によつて会衆を潔められた。それは汚れや皺や,すべてそのようなもののない,聖い,疵のない,栄え輝く会衆を御自身のために作るためである。』『すべて淫行する者,汚れた者,又は貪慾な者 ― これは偶像崇拝者を意味す ― はキリストの国と神の国の中で何の相続財産も持たない。』『すべての人と和ぐようにつとめなさい。そして聖潔を追い求めなさい。これがなければ誰も主を見ることは出来ない。』― エペソ 5:25-27; 5:5。ヘブル 12:14。新世。

      16 ヱホバの民はどのようにして清められた状態に留りますか?

      16 王なる祭司の成員に不合格となる可能性について熟考することは,心配な,恐ろしい考えです。それ故未来の成員たちはヱホバの御要求について,熱心に,祈りを以て,正しく熟考しなければなりません。すべての者はキリスト・イエスの血の尊さと,彼の有利な正義とによつて,いつも清められた状態に,純潔にされた状態に留まつていなければなりません。そしてまた,王なる祭司となる列の中にある人々は,私たちの天の父の豊かな御親切によつて,次の事を記憶していなければなりません。『私たちはイエスの血によつて聖所に入る道については確信を持つている。彼は私たちのために彼の肉体という幕を通じて,新しい活ける道を開いて下さつた。そして私たちは神の家を治めて居られる大祭司を有している。だから私たちは心の中から悪い本心を洗い清め,清い水で私たちの身体を洗つて,誠実な心と信仰の十分な保証をもつて近づいて行こう。』(ヘブル 10:19-22。新世)偉大な王なる祭司キリスト・イエスは私たちの保護者であります。

      17 ヘブル書 5章1節のパウロの言葉と,それがどのようにキリスト・イエスに適用されるかを説明して下さい。

      17 主要な責任の或るものが,ここに述べられています。パウロは書きます。『すべての大祭司は,人々の中から選ばれて,人々に代つて神に関する事を行うように任命された者である。それは罪のための供物と犠牲とを献げるためである。』(ヘブル 5:1,新世)この記述は祭司に対する神の任命を示していて,その本質的な観念は神のためと堕落した人々のために奉仕することです。これは祭司の真の本質です。それについて更にこう記述されています。『すべての大祭司は供物と犠牲とを献ずるために任命されたのである。それ故彼もまた何か献げるべき物を持つ必要があつた。』『キリストが善い事の大祭司として,手で造られない,即ち造られた世のものでないところの,より大きな,より完全な幕屋を通つて来られた時,彼は山羊や若い牡牛の血でなく,御自身の血をたずさえて,唯一度聖所に入られて,私たちのために永遠の解放を得られた。』『キリストは……今私たちのために神の御前に現われるようとして,天そのものに入られたのである。』(ヘブル 8:3; 9:11,12; 9:24; 10:12。新世)彼が献げた犠牲は,自発的に提出された彼御自身の生命でありました。そして彼は完全な人間の生命の価値を天の父に献げました。そしてこのすべてはヱホバ讚称のためになされたのであつて,またそれによつて私たちは神の恵みを受ける者となることが出来たのです。

      18 どのように『祭司の口唇に知識を保つ』かを示しなさい。

      18 王なる祭司の者らは神の律法の教師と,指導者でなければなりません。『それ祭司の口唇に知識を保つべく,また人,かれの口より律法を尋ぬべし。そは祭司は万軍のヱホバの使者なればなり。』『またヱホバがモーセによつて語られたすべての法令をイスラエルの子らに教えるためである。』(マラキ 2:7。レビ 10:11。ア標。申命 33:10; 17:9-11)これらの任命された教師たちは神権的に教えなければなりません。何故なら恐ろしいほどの責任が彼らの肩の上に置かれているからであつて,ヱホバはこの責任を彼らに負わされたのです。彼らはヱホバの律法を管理していました。それ故彼らはイスラエルの中の真の審判者でありました。忠信な祭司たちは律法を教え,ヱホバの民に正しい道を歩ませました。彼らは『羊たち』を本当によく世話をしました。

      19 祭司が神の聖い民に対して,どのように律法の教師の義務を持つているかを示しなさい。

      19 大祭司は神権政治の原則によつて,神の聖い民の中で律法の教師の義務を持つていました。何故なら国家のすべての権力はヱホバに結合されていたからです。会衆の活動でさえヱホバの名によつて行われました。ヱホバは立法者であります。『ヱホバは我らの審判者,ヱホバは我らの立法者,ヱホバは我らの王である。彼は我らを救い給うであろう。』(イザヤ 33:22。ア標)丁度,立法権がモーセを通じて行使され,そしてただ基本法だけが有効であつたように,神権政治の発展の場合でもモーセよりも偉大な予言者キリスト・イエスはヱホバの律法を執行します。『あなた方は彼の語るすべての事に聴き従わなければならぬ。実にその予言者に聴かぬ魂はみな民の中から全く滅ぼされるであろう。』(使行 3:22,23。新世)今日喜ばしい服従が要求されています。

      20 祭司の資格の或るものを述べなさい。そして私たちは何故それらの事を考える必要がありますか?

      20 偉大な王なる祭司の資格と義務を注意深く考えて下さい。彼は自分の下で働く祭司たちのために型を定めます。彼は『無知な人々や迷つている人々を穏かにあつかうことが出来』『また彼を通じて神に近づく人々を完全に救うことが出来る。何故ならば彼は,彼らを弁護するために常に生きて居られるからである。このような大祭司,即ちいつくしみあり,狡猾なところのない,汚れのない,罪人から離れているお方は私たちにとつてふさわしいのです。』彼は常に奉仕に役立つお方です。何故なら,『すべての祭司は公けの奉仕をなすために毎日部署につく』からです。彼の下の祭司たちもまた犠牲を献げることを要求されています。『彼を通じて私たちは常に讃美の犠牲,即ち彼の御名を公けに宣明する口唇の実を神に献げようではないか。その上他の人々に善を行うことと,物を分け与えることを忘れないようにしなさい。神はこのような犠牲を十分に喜ばれるのである。』― ヘブル 5:2; 7:24-26; 10:11; 13:15,16。新世。

  • 『メルキゼデクの状』
    ものみの塔 1954 | 8月15日
    • 『メルキゼデクの状』

      1 メルキゼデクは誰でしたか? そして誰が『彼の状にひとしく』されましたか?

      メルキゼデクは王なる祭司でありました。そして王なる祭司は彼に似せられました。使徒パウロは教えます。『キリストは自分が大祭司になることによつて,彼自身を栄光の位に上げたのではない。彼に対して,「お前は私の子である。今日私はお前の父となつた。」と言われたお方によつて栄光の位に上げられたのである。このお方はまた他の場所でこう言われる。「お前はメルキゼデクの状にひとしく永遠に祭司である。」……彼はメルキゼデクの状にひとしい大祭司と,特別に神から呼ばれ給うた。』(ヘブル 5:5,6,10。新世)この状とは何ですか? そしてそれは何を意味しますか?

      2 メルキゼデクが創世記 14章の記録に出て来る情況を手短かに述べて下さい。そしてパウロはこの王なる祭司について何と言つていますか?

      2 この王なる祭司についての最初の記録は,聖書中に報道されている最も古代の戦争に関連して登場した彼の外観を示しています。それはヨルダンの谷の侵略でした。その当時の王たちとその谷の人々との間に一大戦闘が起りました。侵略者たちが勝つて分捕物を取り,捕われ人たちを連れ去りました。その中にはロトとその家族も含まれていました。ロトの伯父アブラムはその捕虜のことを知つてよく調練された彼の奴隷たちを引き連れて,その勝利者たちの後を追い,彼らを打ち破つて捕われ人たちを救い出し,分捕物を取り戻しました。メルキゼデクが公けに現われたのは,この勝ち戦からアブラムが帰つて来た時でした。(創世 14:1-20を見よ)パウロは最も興味深い方法で,ヘブル書 7章1-3節(新世)でこう説明しています。『このメルキゼデクはサレムの王であり,いと高き神の祭司であつて,王たちを屠つて帰つて来たアブラハムを迎えて祝福した。アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えた。まずメルキゼデクを翻訳すれば「正義の王」である。彼はまたサレムの王であるが,それは「平和の王」である。彼は父もなく,母もなく,系図もなく,生れた始めもなく,生命の終りもなく,神の御子に似せられていて,永遠に祭司である。』

      3 『メルキゼデクの状』に関するヘブル書 7章のパウロの論はどんなですか?

      3 これらの出来事に続いて,『サレムの王メルキゼデクはパンと酒を持つて来た。彼はいと高き神の祭司であつた。そこで彼はアブラムを祝福して言つた。「天地の造り主であるいと高き神がアブラムを祝福しますように。そしてあなたを圧制した人々をあなたの手に渡し給うたいと高き神に讃称がありますように。」』(創世 14:18-20,新世)パウロは述べます。『民族の首であるアブラハムが主な分捕物の十分の一を与えたこの人がどんなに偉大であるかを見なさい。……そして〔メルキゼデクは〕約束を持つ彼を祝福した。さて小さい者が大きい者から祝福されることについては言い争う必要がない。それで,もしレビの支族の祭司によつて本当に完成されたとすれば……アロンの状にひとしくない,メルキゼデクの状にひとしい他の祭司の起る必要があるであろうか? そしてメルキゼデクと同様の,……滅びない生命の力によつて立てられた他の祭司が起つたので,そのことはなお一層十分に明かになつた。というのは,「お前はメルキゼデクの状にひとしく永遠に祭司である。」と証明されているからである。』パウロは再び詩篇 110篇4節を引いて,その論を続けます。『ヱホバは誓われた。そして彼は悔い給わないであろう。「お前は永遠に祭司である。」』それは誰ですか? キリスト・イエスであります。『彼は永遠に生き続けられるから,後継者なしで祭司職を持ち給うのです。したがつて,また彼を通じて神に近づく人々を完全に救うことが出来る。何故ならば彼は,彼らを弁護するために常に生きて居られるからである。』― ヘブル 7:4-7,11,15-17,21-25。新世。

      4 ヱホバがイエスを御自分の子であると宣言された事実は,どうしてイエスを完全な祭司とすることになりますか?

      4 イエスがヨルダン川で浸礼を受けた時に,ヱホバは彼を承認しました。『するとどうだろう,天から声があつて言つた。「これは私の子,愛する者である。私は彼を承認した。」』それからイエスの容貌が変られた時に再び『声が雲の中から起つて言つた。「これは私の子,私の選んば者である。彼に聴きなさい。」』また彼が王として再臨されることについて詩篇記者はこう語つています。『ヱホバは私に言われた,お前は私の子である。今日私はお前を生んだ。』(マタイ 3:17。ルカ 9:35。新世。詩 2:7。ア標)御子と他の油注がれた神の子らは王室であつて,永遠に生きるでしよう。そしてそれ故子と,祭司との関係は一つになり,同一になります。キリスト・イエスは神の御子ですから選ばれた祭司で,彼は永遠に生きられます。

      5 メルキゼデクが偉大な王なる祭司をあらかじめ描いていた点のいくつかを述べなさい。

      5 メルキゼデクに関して,「生れた始めもなく,生命の終りもない」と記録された事実,そしてこの祭司がアブラムから十分の一を受け,アブラムを祝福した事実,また彼が「平和と正義の王」であつた事実は,彼がヱホバの永遠の御子をよく描いているものとしてパウロにより示されています。この御子こそ神の王なる祭司長であつて,神の王なる祭司の首であります。

      6 詩篇 110篇と黙示録 19章の聖句は,王なる祭司に関聯して何を意味しますか?

      6 詩篇 110篇はこの王なる祭司長が成しとげる偉大な業を予言的に教えています『ヱホバはあなたの力の杖をシオンから突き出されるであろう。あなたは敵どもの中で支配されるであろう。主はあなたの右において,あなたの怒りの日に王たちを打ちたもうであろう。彼は国々の間を裁くであろう。』(詩 110:2,5,6。ア標)この支配者は黙示録で述べられている方と同一の方であります。『それから私は天が開かれたのを見た。するとどうだろう。白い馬である。そしてこれに乗つている者は,忠信,また真実と呼ばれ,彼は正義をもつて裁き,そして戦いを行う……彼はまた全能の神の憤怒の怒りの酒搾器を踏む。……彼には王の王,主の主という名が記されている。』(黙示 19:11,15,16。新世)メルキゼデクよりも偉大なお方はただ犠牲を献げる祭司であるばかりでなく,また征服し支配する王でもあります。そしてこの実体の正義の王は正義をもつて戦いを行います。この故に私たちは,ヱホバ神に対するすべての不法と反対は消え失せるであろうということに,強い確信を持つことが出来ます。何故ならキリストは正義をもつて支配するからです。そしてそれから平和はすべての者が受ける永遠の分でありましよう。彼は永遠に平和の君であり,王なる大祭司であります。

      第一のよみがえり

      7 よみがえりについての完全な保証は何処にありますか?

      7 キリスト・イエスの下のこの王なる祭司についてこう書かれています。『第一のよみがえりに与る者は幸であり,聖である。これらの者の上に,第二の死は権威を持たない。』(黙示 20:6。新世)これはどういう意味ですか? ヱホバを恐れるすべての造られた者は,よみがえりについての完全な保証を得たいと望みます。もし或る者がよみがえりを絶対的に確信することが出来たなら,死は単なる眠りに過ぎないでしよう。誰がそのように確信しますか? 自分がよみがえるであろうということを,ほんの僅かな疑いの影もなしに信ずる,そんなに十分な信仰を誰が創造主に対して持ちますか? その答はこうです,即ちそれは,自分がヱホバに全く身を献げた者であるという確信を持つことの出来る人々でありすべての心と精神と魂と力を尽して真実にヱホバに奉仕している人々であります。神はこのような忠信な人々を知つて祝福し,その信仰を承認いたします。私たちはすべて信仰を増し加えることが出来ます。―ルカ 17:5,6とコリスト前 12:4,9を見よ。

      8 よみがえらされた或る者らは死ぬ可能性があるでしようか? そして『第二の機会』はありますか?

      8 復活の確実な希望は生命に対する強い力であります。或る者は,より偉大なメルキゼデクである王なる祭司の千年統治の間に,死の眠りから目ざめさせられて,ヱホバの律法を教えられるでしよう。そしてもし従順なら彼らは生命を持続するでしよう。もし不従順なら彼らは生命から『切り離される』でしよう。その時彼らの死は二度目の死となり,更に別のよみがえりはないでしよう。最初の死は,アダムの原の罪によつて人類の上に及んだ死の宣告の結果として生じました。第二の死は彼ら自身の責任でありましよう。この事は『第二の機会』を教えるものではなくて,地上何億の死人の中から或る人々がよみがえらされるであろうということを指し示しているのです。

      9 地の住民たちは永遠に生き得るように新しい世でどのように助けられるでしようか?

      9 復活の日に,裁きは各人の責任です。メルキゼテックよりも大いなる方はヱホバの御心を成しとげます。いと高き者の御目的は,天で,王なる祭司職によつて十分に知らされるでしよう。地の数百万の人々がヱホバの御心に一致して生命を得るためのあらゆる機会が与えられるでしよう。何故なら彼らは,彼らを支配する祭司の国民を有するからです。彼らのあらゆる怠慢と努力は理解され,評価されるでしよう。慈悲と憐れみと寛容は,物惜しみせずにすべての者に与えられるでしよう。しかし悪しき者や偽善者や不忠信者に対しては,平和と正義を求めてそれに至るための十分な機会が与えられた後に,不利な待遇がなされるでしよう。新しい天と新しい地の行政は,現在の悪い組織制度とは大層違つているでしよう。今日は苛酷,理解の欠乏,外観による審判,そして偽善があります。新しい組織制度の中で王なる祭司は正義と憐れみと仁慈をもつて支配するでしよう。すべての成員は人間の肉体の弱さを経験しています。そして,しばしば他の人たちからは誤解されてはいますが,ヱホバに奉任することは何を意味するかについて,また,他の人たちは多分その動機について正しい見解を持たないかもしれませんが,続けて愛の心を持つことは何を意味するかについて,14万4000人のおのおのは知つています。彼らは人類の弱点に触れて,障害があるにもかかわらず闘つている人々を助けることを好むでしよう。今日,そうではないのですか? 弱い肉体を憎み,彼ら自身の弱さに度々悩まされるけれどもヱホバは戦いつづけて,止めてしまわない神の民の人々を愛するに違いありません。御国でもそうでしよう。何故なら地位と光栄は王なる祭司の性質を変えないでしようし,彼らが神の正しい裁きを従順に行うことを妨げないでしよう。

      10 悪しき者の或る者らは千年統治の前でさえ『第二の死』を当然受ける価値がありますか?

      10 地の数億の人々の内の或る者らは,彼らが地上に住んでいる間に,そして御国が千年間の支配を開始する前に,第二の死の裁きを当然受ける価値があります。エルサレムから出た廃物を焼きつくすために絶えず燃やされていたヒンノムの谷(ゲヘナ)の甚だしい火は,価値のない人々の最後の絶滅の図解として用いられました。実際にこの大きな火の池には犯罪者たちの屍体が投げこまれました。そして彼らは記憶されませんでした。このような者らは記憶の墓に葬られませんでした。彼らは永遠に滅ぼさるべきであり,彼らの名は忘れられるべきでした。しかしながら私たちは,これらの屍体が滅ぼされるためにヒンノムの火の燃える谷に投げこまれた時に死んでいたことを忘れぬようにしましよう。それゆえこの火は第二の死で死んだ人々の運命の図解となつたのです。何故ならこのような者らは滅ぼされるからです。

      11 滅ぼされる級のいくつかを述べなさい。

      11 このように滅ぼされる級のいくつかが黙示録 21章8節(新世)に挙げられています。『臆病な者,信仰のない者,その汚れのために嘔気を催させる者,人を殺す者,淫行する者,降神術を行う者,偶像を拝む者,そしてすべて嘘を言う者,彼らの運命は火の燃える池の中であろう。』そこでヱホバとその民の憎む者らに対して警告が鳴りひびきます。『蛇よ,蝮の子孫よ,どうしてあなた方はゲヘナの裁きから逃れられようか?』 主イエスはも一つの価値のない山羊級の人々に注意を向けて,彼らに言われています。『あなた方は私が飢えた時に何も食べさせてくれなかつた。私が渇いた時に何も飲ませてくれなかつた。私が旅人であつた時に手厚く泊めてくれなかつた。裸であつた時に着せてくれなかつた。病気の時や牢獄に入つていた時に見舞つてくれなかつた。』こういう方法で主の兄弟たちをあつかう人々はヱホバの王なる祭司の裁きに会うでしよう。何故ならイエスは更にこう断言しているからです。『呪われた人々よ。私を離れて永遠の火に入りなさい。』神の民の迫害者たちや信じない人々もまた,この死を受けるべきです。『あなたを苦しめる者には苦しみを以て報い,苦しめられるあなた方には私達と共に救助を以て報いて下さるのは神にとりて正しいことである。それは主イエスが力ある御使たちと共に,燃える火の中に,天から現われ給う時に行われるのである。その時主は,神を知らぬ者らと,私達の主イエスの善い音信に従わぬ者らに当然の罰を与えられる。』更に『さて,もし私達が宣べる善い音信が事実蔽われているならば,それは亡ぼされる人々に蔽われているのである。この組織制度の神はこれら不信者の心を盲目にしている。』それゆえ或る人々が信仰に傾くよりも,更に多くの人々がこの第二の死の状態で亡ばされるでしよう。しかしそれは私達が受入れなければならぬヱホバの言葉であつて,それは私達自身の願いや感傷的な考えではありません。―マタイ 23:33; 25:41-44。テサロニケ後 1:6-8。コリント後 4:3,4。新世。

      12 ヱホバの民のすべては何故,ヱホバの余りにも豊かないつくしみに絶えず感謝しなければなりませんか? そしてもし私たちが感謝の念を失つたなら何が起るでしようか?

      12 これらの聖句はたしかに,神の民のすべてがこの裁きの日に如何に慎重に歩まねばならないかを,彼らに気付かせます。あなたが永遠の王たる祭司級に属することを希望しているか,又は干年間ヱホバの王なる祭司の臣民の一人となることを希望しているか,そのどちらであつても,忠信な服従が要求されています。怠慢,不忠信,不信仰,不従順は不合格に相当しますから,すべての者は恐れとおののきの内に歩まなければなりません。それら不承認の者に対しては「もはや罪のために犠牲を献げる余地はない。」今でさえキリストの霊的兄弟たちはこう警しめられています。『実に一たび光に照らされ,天からの自由な賜物を味い,聖霊に与る者となり,神の正しい言葉と来るべき組織制度の力とを味つて,しかも堕落する者は,更にまた自分たちのために神の子を杭に刺して晒して,公けにはずかしめるのであるから,再び悔改めによつて彼らを生き返らせることはできない。』『それは,私たちの神はまた焼きつくす火であられるからだ。』(ヘブル 6:4-6; 12:29。新世)彼らの運命がどちらに属するかに関係なく,ヱホバの民のすべては,その信頼を堅く保ち,ヱホバの余りにも豊かないつくしみと神の愛する御子の犠牲とを,常に感謝すべきです。

      13 『第二の死』はどのように王なる祭司の人々の上に権威を持つことが出来ませんか?

      13 より偉大なメルキゼデクの天の仲間となる人々は不滅性によみがえらされるでしよう。それゆえ彼らの上に『第二の死』は権威を持ちません。『愛する人々よ,私たちは今神の子である。しかし私たちがどのようになるであろうかは,まだ明らかにされていない。彼が現れ給う時には,私たちは彼に肖せられるであろうことを知つている。何故ならば私たちは彼の本当の状を見るであろうから。』『彼は始めであつて,すべてのものの中で第一の者となるために,死人の中から最初に生まれたお方である。』更にこう記されています。『今キリストは死人の中からよみがえらされて,死の中に眠つている人々の初穂となられた。』(ヨハネ第一 3:2。コロサイ 1:18。コリント前 15:20。ヨハネ 14:2,3。黙示 1:5。新世)パウロはこう述べています。『メルキゼデクと同一の他の祭司〔イエス・キリスト〕が起つた……彼がこのような祭司になつたのは肉に属す誡命の律法によつたのではなく,滅びない生命の力によつたのである。』(ヘブル 7:15,16,新世)それゆえ,より偉大なメルキゼデクの下の王なる祭司の成員たちは,決して死によつてそこなわれないでしよう。何故なら彼らもまた滅びないようになるでしようから。パウロはこう言いました。『死人のよみがえりもまたこれと同じである。朽ちるもので播かれて,朽ちないものによみがえらされる……肉体で播かれて,霊体でよみがえらされる……血肉は神の国を相続することはできない。朽ちるものは朽ちないものを嗣ぐことはできないのである。』― コリント前 15:42,44,50,新世。

      14 『早いよみがえり』とは,どういう意味ですか? パウロがそれにあづかることを待ち望んでいたことを,どのように知ることが出来ますか?

      14 使徒パウロの目的はこう言い現わされています。『何とかして私が死人の中からの早いよみがえりを得たいためである。』(ピリピ 3:11,新世)『早いよみがえり』とは『第一のよみがえり』と同一である。『早いよみがえり』という言い現わし方は,ギリシャ語のエクザナスタシスから来たのであつて,ここでは特別な文意に用いられ,『よみがえり』を意味するアナスタシスとは違つています。パウロがここで述べているのは『一般の』よみがえりではなくて,彼は死人の中からの『より早く』よみがえる人々の内の一人になることを望んでいるのです。何故ならそのようなよみがえりは一般の死人のよみがえりよりも優つているからです。それは特別なよみがえりです。それは時間的にも,重要さの上でも主要なよみがえりです。パウロはこう言いました。『しかし,めいめいにはそれぞれの順序がある。初穂であるキリスト,その後に,キリストの臨在の時にキリストに属する人々である。』(コリント前 15:23,新世)キリストは西暦1914年以来その御国の内に,目に見えない臨在をして居られます。そして王なる祭司の成員として,キリストに忠実に属して死んだ人々は,キリストが1918年に宮に来られた時以来,この『早いよみがえり』を受けました。―マラキ 3:1-5。黙示 11:15から12:5まで。

      千年間の支配

      15 サタンは千年統治の前か,又は統治の間縛られるでしようか? またキリストは千年統治前に王として即位することが出来ますか?

      15 王なる祭司は千年の間支配するでしよう。その支配の間,大なる敵対者サタンは完全に監禁されるでしよう。こう記されています。『そして彼は龍すなわち原の蛇を捕えた。それは悪魔であり,サタンである。彼はこれを千年の間縛つておいた。そして彼を底のない坑に投げ込み,これを閉じ込め,その上に封印をした。それは千年の終るまで,これ以上諸国の民を惑わすことのないようにするためである。』(黙示 20:2,3,新世)いと高き神の未来の御目的についてのこの驚くべき見通しは神の制度に一致して生きる人々を,喜びで身震いさせます。このような前途の見通しは私たちを元気づけ,すぐ前まで来ている栄光の時の幻像を私たちに見させます。では,私たちが約束の新しい世を見た時,そしてそれが非常に近いことを知つた時,たしかに私たちは及ぶかぎりそれに入ることを確保し得るように,すべてのことをしたいと望みます。私たちの王なる祭司は今天で統治しております。『それから私は天が開かれるのを見た。するとどうだろう。白い馬である。そしてこれに乗つている者は,忠信,また真実と呼ばれ,彼は正義を以て裁き,そして戦いを行う。』(黙示 19:11,新世)『「来い」と云うのを私は聞いた。そこで私は見た。するとどうだろう。白い馬である。そしてその上に弓を持つた者が乗つていた。彼に冠が与えられた。そして彼は勝つために,勝利を完成するために出て行つた。』(黙示 6:1,2,新世)この王なる祭司はサタンとその制度がまだ存在している今支配しています。より偉大なメルキゼデクは彼の敵どもの中で支配しています。

      16 詩篇 2篇と110篇は,キリストが王として即位した後に,サタンとその制度に関して,どのように多くの仕事が成しとげられなければならぬかを説明して下さい。

      16 キリスト・イエスは1914年に王として天で即位され,その年からハルマゲドンまで彼は行うべき仕事を持つて居られます。この時期は『ヱホバの日』として知られています。ヱホバは王なる大祭司に関してこう述べて居られます。『しかれども我わが王をわが聖きシオンの山に立てたり……汝はわが子なり。今日われ,なんぢを生めり。』神は彼を支配者として生み出し,そしてこう命じられます。『われに求めよ。さらば汝にもろもろの国を嗣業として与え,地の極を汝の有として与えん。』では押し進め! あなたは今支配すべき王です! 彼らを征服しなさい! 国々の民を服従させなさい!『汝はくろがねの杖を以て彼らを打ちやぶり,陶工の器物のごとくに打ち砕かん。』(詩 2:6-9)再びヱホバは言い給う。『汝はもろもろの仇の中に王となるべし……汝はメルキゼデクの状にひとしく永遠に祭司たり。主は汝の右にありて,その怒りの日に王たちを打ち給えり。』(詩 110:2,4,5)王として即位された大祭司イエス・キリストは,栄光ある千年間の平和の統治が始まる前に,この強大な仕事を成しとげます。『その時キリストはすべての政治とすべての権威と権力を亡ぼされる……何故なら神がすべての敵を彼の足の下に置くまでは,彼は王として支配しなければならないのである。』― コリント前 15:24,25,新世。

      17 (イ)キリスト・イエスが西暦1914年に即位されたことを,何が私たちを確信させ,私たちに信頼を与えますか? そして私たちの信仰は日時に実際に頼りますか?(ロ)ヱホバの御国建設についての最も強い,最も確かな証拠を,何処から得ることが出来ますか?

      17 王キリスト・イエスは天で即位されて,この古い組織制度の終りの日は今来ました。サタンは自分の時が短いことを知つています。そして「この世代」は『これらすべての事が起らないうちは決して過ぎ去らない』とイエスによつて保証されています。(マタイ 24:34。黙示 12:12,新世)これらの真理を知つて信ずる時,私たちの信仰は確かなものとなります。私たちの信頼は日時の上に築かれませんし,また決して築かれたのではありませんでした。事実,予言の成就のいろいろの兆は,日時よりも遥かに信服させます。ヱホバが年や日について述べられたことは真です。そしてそれらについての理解を得ることはヱホバに喜ばれます。しかし私たちは,ヱホバ神はいと高きお方であつて,価値あるのは彼に対する実際の信仰であり,そして常にそれを持つことである事をいつも記憶しましよう。愛する御子キリスト・イエスに対する信仰,そして彼の犠牲の仕事と栄光ある祭司の職務に対する信仰は,私たちの保証であります。彼の支配を知つて承認することは,私たちに希望と喜びを与えます。丁度何年又は何月にサタンを実際に打ち負かせて千年の間縛るかを知ることは,重要ではありません。昔から予言されていたこれらの出来事が今起りつつあることを私たちは知つています。そしてもしそれらの出来事を見るなら,私たちの眼は幸福であり,恵まれています。たとえ予言されたいろいろの出来事が国々の民の中で起つていることによつて私たちはすべて力を添えられますけれども,実際に,神権制度の中でなされ,また神権制度を通じてなされたヱホバ神の行動は,御国開始の最も強い証拠を形づくつています。

      18 新しい国民はどのように生み出されましたか? そしてこれは何を意味しますか?

      18 これはヱホバの日です。『これヱホバの設けたまえる日なり。我らはこの日に喜び楽しまん。』この日についてこう記されています。『これはヱホバの門なり。正しき者はその内に入るべし。』『汝ら門を開きて,忠信を守る正しき国民を入れよ。』またこう記されています。『誰がこのような事を聞いたか誰がこのような事を見たか? 一つの国は一日で生まれるであろうか? 一つの国民は一時に生まれるであろうか?』 そうです。私たちは「このような事を聞きました。」ヱホバはヱホバのこの日の間に,御言葉を成就され,このような事を起させました。これは私たちの眼に不思議に見えます。回復されたヱホバの霊的イスラエルの国民は生み出されました。それは新しい世の社会の核心として西暦1919年以来実在しています。この事実は,この古い世の諸国民の間の論争,喧嘩,戦いの中に見られるいろいろの兆よりも,御国についての更に大きな証拠です。霊的の国民は今既にここにあり,より偉大なメルキゼデクである王キリスト・イエスは支配しています。―詩 118:24,20。イザヤ 26:2; 66:8。ア標。

      19 ヱホバが王なる祭司を有する神権的国民を建てられた事実は何を意味しますか?

      19 この驚くべき出来事の証拠は,この見える神権的国民の行動によつて地上に実現されています。ヱホバ神は主権者であつて,この神権的国民を支配されます。間もなく王なる祭司の全成員は天の栄光の中に共に集められて,祭司の国は天から,そしてすべてものの上に支配するでしよう。地上にはこの神権政府の見える代表者たちが居るでしよう。これらの代表者たちは『君たち』(サリム)でありましよう。そして彼らは見える人間社会に関するあらゆる事柄を監督するでしよう。この人間社会の核心たちは,未来の一千年の奉仕のために,今統一され,組織され,そして訓練されています。

      20 千年統治が第七の一千年期間であるということは何を指し示していますか?

      20 来るべき一千年期間は人間創造からの第七の一千年期間であつて,それゆえそれは最後のヱホバの大安息日の一千年であります。ヱホバの忠信な人々が入るのは,ヱホバの休みのこの大安息日であります。『或る所で神は七日目についてこう言われているからである。「神は七日目にすべての仕事をやめて休まれた。」そして同じ所で神はまた言われる。「彼らは私の休みに入れてやるまい。」』パウロは休みの場所すなわち『神の民に残されている安息日』があることを示しています。(ヘブル 4:4,5,9,新世)信仰によつて王なる祭司の成員たちは今神の休みすなわち安息に入つています。間もなくキリスト統治の一千年の安息日は人類のために始まり,そして一千年間続くでしよう。ヱホバの祝福はその日の上にあるでしよう。ペテロはその日の長さを述べてこう言つています。『愛する人々よ,この一事を無視してはならない。ヱホバにありては一日は一千年の如く,一千年は一日の如くである。』(ペテロ後 3:8,新世)詩篇記者は神に向つて言いました。『汝の目の前には千年もすでに過ぐる昨日の如く,また夜の間の一時に同じ。』(詩 90:4)絶対者ヱホバにとりて制限はありません。一千年は丁度昨日のように ― 消え去つた日のように ― 行つてしまいます! ヱホバが全体の千年間を回顧し,見渡す時,ヱホバにとりての千年間は,丁度私達が過ぎ去つた昨日を見るようなものです。創造主にとりて一千年間は,夜の断片のようです。それは痕跡を留めません。ヱホバの永遠無限を表現するために私達が用いることのできる比喩はほとんどありません。それはたしかに恐れと尊敬を感じさせます。

      21 詩篇 110篇3節が現在の時にどのように成就しつつあるかを示しなさい。

      21 聖徒たちが喜び叫ぶように命じられているのは何も不思議ではありません。(詩 149:5)私たちは平和な千年期の門口に居ります。その日の輝きはすでに視界に示されています。『朝には喜びきたる。』(詩 30:5,英文欽定訳)他のどんな喜びでもシオンの喜びより勝ることは出来ません。偉大な支配者はここに居ります。天に居るヱホバの王なる祭司はこの地の事柄を支配するために権威を引受けます。詩篇記者は強くこう言います。『汝の勢いの日に汝の民は聖なるうるわしき衣をつけ,心より喜びておのれを献げん。汝は朝の胎より出ずる汝の若さの露を持てり。』(詩 110:3,ア標)キリスト・イエスに関する,すなわち彼が保つ栄光ある任務および彼が今なし遂げつつあるところの,そしてやがて彼がなしとげんとするところの,すべての驚くべき御業に関する,この日の予言の驚くべき成就は,祭典の時の任務に際して大祭司が着た聖い美わしい上衣の実体的成就のようであります。ヱホバの御子はこの主なる祭司たちの隊伍を,サタンと彼の悪に対する聖戦へと導いて行きます。新しい国民は,ヱホバの聖霊と愛の働きによつて不思議に,そうです,奇蹟的に生まれて,今存在しています。大勢の新鮮な元気のよい民は,真珠の露のように夜明けの子供たちです。なぜなら,この原文は多産 ― 無数の仲間の思想を有しているからです。そうです,若者の快活さを持ちながら,心から喜んで自分を献げる人々の軍勢が今出て来ました。今は組織された奉仕を行うために神の民を召集する日です。

      22 何故ヱホバの新しい国民はそんなに元気がよくて活動的なのですか? ヱホバのこの民をそれほどに満足させるものは何ですか?

      22 ヱホバの民は元気のよい活動的な民です。彼らは若い勇士のようであつて,祭司の王の行く所へは何処でも従つて行きます。それは金銭で雇われた軍隊ではなくて,愛によつて奉仕する軍隊です。彼らは聖なる外衣を着ていて,彼らのすべては歌い手であります。彼らはまことに祭司の王の兵士です。彼らは正義をもつて奉仕し,正義の聖い大義のために奉仕し,何物も彼らを止めることはできません。この国民がただ僅かにこの終りの日になつて現われたには違いありませんが,しかしそれは,大群衆が,突然に,思いがけなく,不思議な現われ方をすると,ヱホバが言われた通りなのです。『朝の胎より出ずる』若い子供たちのように,ヱホバの忠信者たちは『聖きうるわしきものをもてヱホバを崇拝』します。(詩 29:2,ア標)ヱホバが天に居られることは私たちを満足させます。彼は天と地の神であります。彼の御子キリスト・イエスは宇宙の王なる祭司であり,メルキゼデクよりも偉大なお方であつて,彼は今即位されて居り,祭司の王として職務を行つて居ります。彼と共に14万4000人の成員が居りましよう。その大多数は今既に天によみがえつていますが,遺れる者はまだ地上に居ます。今は地的追従者である『大なる群衆』が集められています。なぜならこの級を生み出すために,神の恵みは諸国民に向けられているからです。(黙示 7:9-14,新世)間もなくサタンは一千年間縛られて,王なる祭司はその偉大な千年期の安息日を支配して,数百万の地の住民たちに祝福と平和と生命と幸福を与えるでしよう。それゆえ私たちは感謝して,『聖きうるわしきものをもてヱホバを崇拝』しましよう。

  • カナダからの報告
    ものみの塔 1954 | 8月15日
    • カナダからの報告

      (1954年度のヱホバの証者の年鑑より)

      伝道者 1942 9,159 1947 12,093 1952 21,562 1952 24,882

      この国での真の崇拝のために戦う戦場の中心点はクェベックでした。昨年の奉仕年度のあいだ,64名の宣教者は20の群になつてクェベックで奉仕をし,迫害,妨害,そして敵意にもかかわらず,宣教について良い証拠を示しました。

      牧師がけしかける多くの憎しみも,しばしば明るい経験談と変つています。フランス・カトリックの信者である一組の夫婦は,牧師の言うことを良く聞く教会の住民でした。しかし,ヱホバの証者たちに対して,牧師のした不法の行いについて,裁判所でヱホバの証者はその牧師を告訴していると知つて,その夫婦は以前のように牧師の言うことを聞くものではなくなりました。牧師が,教会で日曜日に次のように言うのをその夫は聞きました『私は皆さんの先生である。それで,そのような証者たちがみなさんのお宅に来る時,追いだしてしまいなさい。』その後少しして,牧師はその夫婦の夫のところに来て,その地方で最も力があり熱心なカトリックであるから,なにかあるものを組織して証者をうち負かし,おい払つてもらいたいとたのみました。その

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする