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聞き届けられた一囚人の祈りものみの塔 1981 | 10月15日
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長女は,結婚して子供を産むまでの数年間,ベテルで奉仕しました。上の3人の娘はフィリピンで最初に任命された特別開拓者の中に含まれており,そのうちの一人は長年にわたってタイで宣教者として忠実に奉仕しています。一人を除いて子供たち全員が信仰のうちに堅く立っています。
次女は17歳の時に特別開拓者の任命を受けました。割り当てられた奉仕を行なうために家を離れた娘から手紙が送られてきました。その内容を思い起こすと,今でも涙がこみ上げてきます。その手紙には,子供のころは何と冷酷な父親なのだろうと考えていた,と書かれていました。しかし今では,両親の確固とした懲らしめがなかったなら特別開拓奉仕というこのすばらしい特権を楽しむことは決してできなかっただろうと考えている,と言うのです。(娘はその後,外国の地で宣教者として奉仕する任命を受けました。)ですから,クリスチャンの親である私たちは,子供を懲らしめなければなりません。(箴 22:6)子供たちは懲らしめを必要としており,何年かすればそのことを感謝するようになるのです。
様々な奉仕の特権を享受する
私はエホバの民との交わりにおいて様々な特権を享受してきました。例えば,フィリピンの大会で最初に食堂部門を組織する特権をいただきました。長年にわたって,「ものみの塔」誌を私が住む土地の言葉に訳すすばらしい特権にもあずかりました。その間に,15人の成員から成る小さな群れが活発で大きな11の会衆に成長するのを目にしました。
家の近くの刑務所での奉仕ももう一つの特権でした。時々,受刑者がものみの塔協会に手紙を書いて霊的な援助を求めてきますが,こうした手紙がよく私のもとに回されてきます。1947年以降,私は関心を持つ受刑者たちと定期的に聖書研究を司会してきました。その結果,何年もの間におよそ50人の人がエホバの側に立場を定め,刑務所の中でバプテスマを受けました。ある地域大会では,そのうちの23人に出会いました。これらの人々の中には,釈放後,開拓者になったり旅行する監督になったりした人もいます。現在,長老として奉仕している人も少なくありません。
刑務所で全く予期せぬ人物に会いました。私にエホバのことを最初に宣べ伝えたあの排斥された人に会ったのです。この人は日本軍に協力したとして逮捕されていました。(後日,恩赦によって釈放されました。)刑務所の中で,その人は謙遜にも,私の司会している集会にやって来ました。何年も後の1975年に,私はその人の復帰願いを審査する審理委員の一人を務めました。ほぼ40年も排斥された状態にあったこの人は,再び神の民と自由に交わることができるようになったのです。
これまでの幾年もの年月の間,妻はずっと真の意味で大きな助け ― 神への奉仕における忠節な支え手となってくれました。私たち二人は今,エホバに仕えてきた30年余りの期間を振り返ることができます。エホバを捜し求めて見いだした私は,何年も前に日本軍の収容所でした約束を果たしつつあるのです。働き盛りの年代にエホバ神を見いだし,その期間をエホバへの奉仕に用いられたことを,深く感謝しています。
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読者からの質問ものみの塔 1981 | 10月15日
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読者からの質問
● ローマ 8章30節には,クリスチャンたちが『栄光を与えられる』ことについて述べられています。このことはいつ起きるのでしょうか。またこの『栄光を与えられる』ことと,彼らが『召され』る,また『義と宣せられる』こととはどのように関係しているのですか。
使徒パウロはローマ 8章の中で,霊によって油そそがれたクリスチャンたちに対して神が行なわれることを述べています。神はご自身の真理の知識をもたらすことにより彼らに誉れを,すなわち栄光を与え,ご自身の目的を行なっておられました。それには彼らを天において「キリストと共同の相続人」とする目的も含まれていました。(ローマ 8:14-17)パウロはまた一部次のようにも書いています。
「ご自分が最初に認めた者たちを,神はまた,み子の像にかたどったものとするようにあらかじめ定められたからです。それは,み子が多くの兄弟たちの中で初子と
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