ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 囚人の更生 ― どうすれば首尾よくそれを果たせるか
    目ざめよ! 1975 | 8月22日
    • は車に乗り,刑務所内の別の門を通って3㌔ほど走り,教育ビルと呼ばれる刑務所内の建物に着きました。守衛詰所を通ってわたしたちは待機室に案内されました。

      「囚人たちはこの部屋で歩き回りながら“呼び出し”を待っています。“呼び出し”は,種々の教育的な集まりに出席する際に,記帳を済ませて部屋から出るために行なわれます。ほとんどの人は黙っていましたが,エホバの証人の囚人とその仲間は,皆互いに語り合い,非常に友好的で楽しそうでした。彼らは集会を司会するゲーリー・ジェーニーとエド・ジャーニーを待っており,それぞれ聖書と研究用の書籍を手にしていました。

      「“呼び出し”に関して何か問題があるようなので,わたしたちはまだ集会に出席していない一人の囚人のところへ再び訪問するために出かけました。その人は外部の幾つかの新聞社に寄稿している人です。彼はエホバの証人が互いに対して示し合う関心に当惑しています。そして,神の王国やその王国によって地上にもたらされる祝福に関する希望は良い見込みのように思えるが,少なからず信じ難いと考えています。(啓示 21:3,4)刑務所にはこの囚人のような人々が少なくありません。そうした人々は世の中の不公平と偏見のゆえに希望を失っているのです。わたしたちは彼を集会に招待してから,立ち去りました。

      「“呼び出し”の際に幾らかの混乱があったため,約20人の囚人はその晩の集会に来ることが許されませんでした。そのため,出席したのは30人の囚人だけでした。わたしたちが集まった部屋は学校の教室によく似ていて,すべての人は机を前にして座っていました。わたしたちが紹介されると,囚人たちは歓迎の意を表わしてくれました。わたしたちはその場のふんい気が,地元の王国会館で開かれるいつもの集会と少しも変わらないことに気付きました。

      「午後9時ごろ集会が終わり,わたしたちは帰路に着きました。わたしたちは午後2時半からずっと外出していたのですが,その活動は霊的にとても励みを与えるものだったので,疲れを感じるどころか興奮していました。帰りの車の中で,その日の出来事について話し合いました。わたしたちは,これらの囚人たちがエホバの目的を知るようになり,その結果,いわゆる自由の身にある人々さえ持ち合わせていない,心の平安や自由を持っていることに深い感動を覚えました」。

      他の刑務所でも

      エホバの証人は他の刑務所でも囚人を首尾よく更生させる喜びを味わってきました。ノース・カロライナ州バーゴゥ州立刑務所も,聖書研究が所内で司会されてきた刑務所の一つです。

      マサチューセッツ州ノーフォークのノーフォーク刑務所では,何年間にもわたって刑務所内で聖書研究が行なわれてきました。刑務所の当局者は,囚人たちがその集会のために用いるよう所内の学校の一室をあてがってくれました。最近,同刑務所から釈放された,以前囚人だった人はこう説明しています。

      「マサチューセッツ州フランクリン会衆から地元のエホバの証人たちが,その教室で行なわれる集会を司会するために,二週間に一度,土曜日の午後に来てくれました。彼らは聖書の講演を行なったり,わたしたちと交わったりして,二時間ほど過ごしました。土曜日の午前中,わたしたち関心を抱く囚人は,聖書文書を携えて監房から監房へ行き,囚人や看守の別なく話しかけました。新しい冊子が発表された時には,その冊子を700部近く配布しました」。

      そのような業の効果について,以前囚人だったこの人はこう述べています。「一人の若者は,孤児院に収容されてから州立刑務所で服役している現在に至るまで,生まれてからずっと特殊施設暮らしをしてきました。長髪のその若者は,たばこをのみ,監房の壁には好色的な写真をいっぱいはり,汚ない言葉を使い,秘術にたいへん凝っていました。

      「わたしたちはその囚人と聖書研究を始めました。二週間もたたないうちに,彼はたばこをのまなくなり,人をののしるのを止め,壁から写真を外し,髪を切り,言葉遣いを改めました。この人はすでにバプテスマを受け,刑務所内で他の囚人との聖書研究を司会しています。1972年の9月以降だけで,すでに6人の囚人がバプテスマを受けています。そのうち2人は刑務所の中で,4人は仮釈放中にバプテスマを受けました。

      首尾よく更生させる道

      ある刑務所当局者が証言しているとおり,前述のような経験はだんだん珍しくなくなっています。連合メソジスト教会の僧職者ディーン・M・ケリーが述べたように,エホバの証人は確かに「この社会の犯罪者や麻薬中毒者を救い出して」います。その上,そうした人々は犯罪に逆戻りするどころか,自分の生活を神の要求に合わせるよう,さらに他の人々を助ける面でよい働きをしてきました。

      多くの刑務所当局者が困難な問題に直面していることは容易に理解できます。刑務所では囚人の暴動が起きたり,囚人たちが人質を取ったり,禁制品がひそかに囚人に手渡されたりしたことがありました。囚人の更生はたいてい失敗に終わりました。しかし,カリフォルニア刑務所機構の責任者であるプロキュニアーが認めているとおり,「既決の重罪人を“善良な人々”から隔離」することは,明らかに問題の解決策とはなりません。

      エライン・ハントがアンゴラ刑務所の状況について述べた次のことばは,まさにその点を突いています。「当刑務所は,他の刑務所で起きたような大問題に直面したことはない。そして,その理由の一半は,囚人たちが外部の人々とできるだけ接触を保つことや宗教面からの積極的な影響を受けることを許している点にあると思う」。

      エホバの証人はどの地方でも,喜んで刑務所の中にまで出かけて行って,囚人たちが神の言葉に書かれている義の原則を学ぶよう助けるために,惜しみなく自らの時間を用います。そうすることは,多くの犯罪者を首尾よく更生させる方法であることが証明されてきました。アンゴラ刑務所のヘンダーソン所長は,エホバの証人の業に協力して働いた結果得られた経験に関してこう述べています。「少なくともわたしが経験したことからすれば,エホバの証人の中にはうそつきはいない。エホバの証人は誠実で,囚人たちを助けたいと願っている。彼らは問題を起こしたことがない」。

      あなたが刑務所の当局者のおひとりでしたら,ご遠慮なく土地のエホバの証人に助力を求めてください。あるいは,エホバの証人が刑務所を訪問したりするような場合には,生活を改めさせるよう囚人たちを助けたいというエホバの証人の申し出を十分に考慮してみてください。そのようにして囚人たちが生活を改めることは囚人たち自身にとって,また社会全体にとって益となります。

  • 悲惨な生活を強いられる子供
    目ざめよ! 1975 | 8月22日
    • 悲惨な生活を強いられる子供

      ● ネパールのカトマンズにある一宮殿には,子供が生きた“女神”として祭られています。クマリと呼ばれるこの少女はわずか7歳ですが,3歳の時から礼拝の対象としてこのヒンズー教の寺院に閉じ込められています。ヒンズー教の一学者は,人がクマリに選ばれるのはその人の生まれた時の星の位置が,「特に強い運命線」を示しているからである,と説明しています。その少女は寺院の儀式を執り行なったり,自分を礼拝するために遠くヒマラヤの村々からやって来る人々に祝福を与えたりして毎日を過ごします。礼拝に来る人の大半は,子供を欲しがる不妊の婦人です。クマリの両親はそこに訪ねて来ても,我が子に触れたり,特別なあいさつを受けたりすることは許されません。思春期になるとその子供は解放され,別の幼いクマリがその代わりに女神になります。しかしながら,前述の学者はこう述べています。「その子供が解放されたとしても,配偶者を見つけることはほとんどないであろう。当地の男性は,強い運命線を持つ婦人に関して迷信的な考えを抱いているからである」。その学者はさらに,「ごく最近までクマリだった少女のうちの幾人かは,売春婦としてカトマンズの街頭をさまよっている」と述べました。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする