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    目ざめよ! 1977 | 8月8日
    • くるたびに,大きな拍手がわき起こりました。私は,水をしたたらせながら,「今日は人生で最も幸福な日です」と言わんばかりに満面に笑みを浮かべた一人の人の顔が忘れられません。

      バプテスマの後には二時間の休憩がありました。ニュー・ローズ会衆はすべての人のために,わずかな値段で求められる食べ物を用意しました。聴衆の中から自発的な奉仕者が出て,食事を出すのを手伝いました。受刑者たちが外部から来た人々と一緒に食事をすることは許されませんでした。彼らにはステージの近くで食事が出されました。

      私は受刑者たちの集まっているグランドの中に自由に入ることができ,エホバの証人の業に関心を抱き始めている幾人かの人々との話し合いを楽しみました。一人の人は,「あなたがたは自分たちの宗教の教義などを伝道する必要はありませんね。ある人と友だちになればよいのです。そうすれば,振舞いや友好的な態度によって,やがてその人を自分たちの側に引き入れることになるのです」と私に話しました。

      二時間はすぐにたってしまい,プログラムが再開される時間になりました。公開講演は,「神の王国,現実のもの」という主題で行なわれました。それに続いて,バプテスマを受けた受刑者たちによって,「ものみの塔」研究の要約が行なわれました。彼らは立派にその割り当てを果たしました。

      午後4時になって,閉会の歌と祈りの時が来ました。古くからのエホバの証人で,私の友人である婦人の述べた次の言葉は,私たちの多くの感情をよく言い表わしていました。「私たちがこれまでに出席したどんな大会よりも,深い暖かさと愛を感じました」。

      ルイジアナ州立刑務所の受刑者たちの発行している出版物「アンゴライト」は次のように論評しています。「これはエホバの証人がアンゴラ刑務所で開いたこの種の大会の四番目のものであった。そして,エホバの証人はますます多くの受刑者たちの心を捕えているので,今後もさらに多くの大会が開かれる見込みである。彼らの払った努力は,自らを向上させ,より有意義な生活をするよう当刑務所の受刑者たちを説得し助ける面での各種の宗教団体が払ってきた努力の中でもその規模と一貫性において際立っている」― 1976年11月,12月合併号。

      唯一の計画か

      私が自分の見聞きした事柄から深い感銘を受けたと言っても,それは決して言い過ぎではありません。ニューヨークへ帰ってから,私は様々な手がかりを尋ね,手紙を書いて,刑務所内で行なわれている計画についてできるだけ調べてみました。その結果,アンゴラ刑務所で行なわれている事柄は,その規模と大きな成功の点で際立ってはいるものの,ほかにもそうした例があることが分かりました。ほんの幾つかの例をここに挙げることにしましょう。

      エホバの証人の一長老は,毎週水曜日に,オハイオ州にあるチリコーシ嬌正施設を訪れます。この長老は,平均して8人ないし14人の受刑者の出席する聖書研究を司会しています。そのうちの二人はバプテスマを受け,さらに別の二人がバプテスマを受けることを考えています。

      1,700人の囚人を収容する,オハイオ州のロンドン嬌正施設では,エホバの証人が四つの集会を開いています。これらの集会はすでに二年近く続いており,三人の受刑者がバプテスマを受けました。バプテスマを受けようとしていた別の人は,今年の一月に釈放されました。

      オハイオ州ルーカスビルの南オハイオ嬌正施設で実施されている計画は大きな成功を収めています。その計画は1972年の秋に始まりました。集会の平均出席者数は22人ほどで,最近行なわれた特別な集会には33人が出席しました。1975年4月と1976年3月に,七人の受刑者は,浸礼という特別な機会のために購入された散水用水槽の中でバプテスマを受けました。

      メリーランド州立刑務所では,1973年の末に,優れた計画が実施されるようになりました。間もなく受刑者たちと多くの聖書研究が行なわれ,やがてエホバの証人の長老たちが定期的に集会を司会するようになりました。これまでに八人の人が,(刑務所の付属病院の浴槽で)バプテスマを受けました。

      ニューヨーク市ライカーズ・アイランドでは,刑務所内で受刑者たちとの聖書研究を司会するために,八人の長老たちが毎週訪問しています。また,同市内の他の刑務所を訪問している長老たちもいます。

      では,刑務所および犯罪に関する大きな問題が,エホバの証人の手になるこうした教育計画によって解決されるというのでしょうか。決してそうではありません。確かに,問題全体を解決する上でこのような計画が果たす役割は微々たるものです。しかし,この計画は真の解決策への鍵を示していると思われます。

  • その解決策は?
    目ざめよ! 1977 | 8月8日
    • その解決策は?

      刑務所内での聖書教育は,少なくともある限られた数の受刑者にとって解決策となりました。そうした人々は,自分たちの受けた健全な情報に基づいて,表面的にではなく,根本的に自分たちの生活を変化させました。

      過去三年間に,ルイジアナ州アンゴラ刑務所では42人の受刑者がバプテスマを受け,そのうちの14人は釈放されました。私は彼らがその後どうしているか関心があったので,調べてみました。釈放された人々の中で犯罪行為に戻った人はわずか一人だけでした。

      他の人々はうまく順応していっています。そのうち少なくとも一人は,会衆内で奉仕のしもべとして仕えています。それでも,前に述べたとおり,刑務所内でのこの聖書教育計画は,刑務所問題全般に対する解決策とはなりません。この計画は,受刑者たちに機会を提供し,それを活用したいと願う人々を助けることができるにすぎません。

      しかし,聖書は犯罪者を処罰することに関して特別な指示を与えています。それを実施するなら,刑務所および犯罪の問題を大いに軽減できるに違いありません。

      被害者に対する償い

      古代イスラエル人に与えられた神の律法の中には,懲役刑の取り決めは見られません。盗みや詐欺など財産に関係した犯罪の基本的な罰は,被害者に償いをすることでした。

      しかし現在では,犯罪の被害者に対する救済措置はほとんど,あるいは全く設けられていません。盗まれた金は返って来ないのが普通ですし,身体や財産上の被害を受けてもそれが償われることはありません。ところが聖書は,犯罪者が自分の行為に対して責任を取らねばならないことを示しています。どのようにしてですか。

      古代イスラエル人に対する神の律法の規定によれば,一頭の雄牛あるいは羊を盗んだ者は,被害

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