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  • 夫たち,かしらの地位に伴う責任をはたしなさい
    ものみの塔 1968 | 6月1日
    • 主よ汝がさきに遣はしたまひし神の人をふたゝび我らにのぞませ之をして我らがその産るゝ児になすべき事を教へしめたまへ」。「なぜなら,この世の知恵は,神の前では愚かなものだからである」― 士師 13:8,文語。コリント第一 3:19。

      家族の聖書研究を活用する

      20 家族の聖書研究において,どんな事柄をとりあげることができますか。

      20 家庭また会衆内に起こる問題を処理するのに,夫は聖書を使うことができます。なすべき事があります。問題も起こるでしょう。家族の問題があります。会衆内の責任や責務もはたさねばなりません。これらの事柄を処理し,問題を解決し,質問に答え,自分の責任をはたし,家族がそれぞれの務めをするのを助けるにあたって,夫は聖書をどのように使いますか。具体的な例を簡単に述べてみましょう。

      21 アブラハムとエホバ神ご自身のどんな手本がありますか。

      21 子供を扱うに際して聖書の原則を犠牲にするのは,実際には愛を示すことではありません。子供の愛情を得,あるいは保持するために原則を犠牲にするのはまちがいです。それを示す例が聖書にあります。創世記 22章1節から10節をごらんください。アブラハムはイサクの愛情を得るため,あるいは保持するために原則をまげるようなことをしていません。アブラハムは「手を差し伸べ,刃物を執ってその子を殺そうとした」。その時エホバの天使がアブラハムをとめました。(ヘブル 11:17-19)エホバ神ご自身のことを考えてごらんなさい。神は御子を犠牲にされました。御子キリスト・イエスは子供じみた愛情ではなく,破れることのない愛をもって応じられました。

      22 悪い欲望にはどんな危険がありますか。家族の聖書研究を活用するどんな機会となりますか。

      22 クリスチャンであるかしらは,自分自身また家族が悪い欲望をいだかないように注意しなければなりません。悪い欲望はくり返し頭をもたげるゆえに常に注意しなければならず,また常に対処しなければなりません。それは行ないの背後にあるものです。イエスはこれを説明して次のように言われました。「口から出て行くものは,心の中から出てくるのであって,それが人を汚すのである。というのは,悪い思い,すなわち,殺人,姦淫,不品行,盗み,偽証,誹りは,心の中から出てくるのであって,これらのものが人を汚すのである」。(マタイ 15:18-20)夫は自分や家族の心に生ずる悪い欲望をつきとめ,それを除く方法を聖書から示さなければなりません。「人が誘惑に陥るのは,それぞれ,欲に引かれ,さそわれるからである。欲がはらんで罪を生み,罪が熟して死を生み出す」。(ヤコブ 1:14,15)それで家族のかしらは,これらの聖句や関連のある他の聖句を家族の聖書研究の際に用い,悪い欲望ということに関して家族を正すことができます。家族全体がこの点で各人を助け,各人が家族全体を助けることができます。そしてすべての人が聖書に従うのです。

      23,24 家族の聖書研究において,悪い態度という問題をどのように処理できますか。

      23 クリスチャンであるかしらは,悪い欲望のみならず悪い態度にも気をつけ,自分や妻,子供たちがそれに染まらないようにします。思いわずらう態度が家族の中に見られる時,マタイの福音書 6章25節から34節およびマルコの福音書 4章19節にあるイエスのことばを一緒に学び,あわせてペテロの第一の手紙 5章7節の次のことばを読むと良いでしょう。「自分の思いわずらいを,いっさい神にゆだねるがよい」。不敬の態度が家族の一部に見られるかもしれません。配偶者,両親あるいは会衆,しもべたち,時には聖書と宣教に対してさえ,不敬の示されることがあります。一家のかしらは,対策を講じなければなりません。夫は,当面の問題に特にふれた聖句を家族とともに調べます。それは悪い態度を聖書に照らして反省し,改めるためです。不敬の問題に関しては,ヨハネの第三の手紙 9,10。詩篇 74:10。ユダの手紙 8-10。箴言 11:2; 13:10; 16:5,18; 21:4,24。ヤコブの手紙 4:16。サムエル前書 15:23その他があります。

      24 争い,論争,臆病,利己主義,ねたみ,食欲,人の恐れ,むさぼり,頑固,憎しみ,偽善,ねたみ,怠慢,金銭に対する愛,物質の富に対する愛,悪意,おさえのきかない怒り,頑迷,悪意のある疑いその他の悪い態度が自分の心あるいは妻や子供の心にきざしたのを見る時,家のかしらはそれを改めるために聖書をしらべます。適当な聖句を見つける助けとして,「すべての事を確かめよ。良いものを守れ」(英文)の99頁以下に聖句の引用と参照があります。家族にとってどんな態度が問題になっているにしても,聖書の教える態度を身につけるようにそれらの聖句を用いてください。

      25,26 (イ)悪いことをならわしにする危険は,だれにありますか。(ロ)家族のかしらはどんな処置を講ずる必要がありますか。

      25 家庭でも会衆でも起こる,そして家族のかしらが対処しなければならない問題は,悪い態度だけではありません。自分や妻また子供たちに,よくない習慣があれば,これも聖書的に除かねばなりません。それにはどんなものがありますか。不平を言うことはその一つです。それは悪い態度そしておそらく悪い欲望,愛の欠如の表われたものです。不平を言うことは避けなければなりません。それがあるなら,追放してください。どのようにするかと言えば,家族全員を集めてユダの手紙 16,コリント人への第一の手紙 10:10,民数記 11:1,コロサイ人への手紙 3:13などの聖句を文脈とともに調べるのです。最後にあげた聖句の前半には「互に忍びあい,もし互に責むべきことがあれば,ゆるし合いなさい」と述べられています。不平は喜び,協力,感謝の気持ちを奪い,他の悪い行ないの原因となります。そしてそれが生命を失わせるかもしれません。そこでクリスチャンである一家のかしらは,家族とともに神のことばに頼り,正しい行ないをする理由,また行ないを正しく改めるために必要なことを皆が聖書から知るようにします。

      26 誇り,酔酒,大食,みだらなことば,慎しみを欠いた服装,不道徳への傾向,口論,盗み,騒ぎその他の悪い習慣を防止し,また除くために同様な方法を用いられます。ここでも「すべての事を確かめよ。良いものを守れ」(英文)の特に102頁以下が役だつでしょう。敬虔な実を培うことに関する聖句も,そこから得られます。

      27 家族全員にとって何が必要ですか。

      27 どんな問題があるにしても,家族そろって聖書をしらべ,聖書から解決策を得るようにすれば,皆が益を受けます。家族全員が常にこれらの事柄について学ぶことが必要です。そうすれば悪い考え,欲望,態度,行ないを避けられます。そうすれば,解決の困難な大問題にまで事が発展することはありません。「愚かな者にならないで,〔エホバ〕の御旨がなんであるかを悟りなさい」。これはエペソ人への手紙 5章17節〔新世訳〕にある良い助言です。

      28 (イ)妻および(ロ)子供たちの受ける益について述べなさい

      28 聖書から見てかしらの地位に伴う責任をはたすクリスチャンの夫は,周囲の者に益を与えます。妻は安心感と自尊心を得,子供たちもその必要とする安心感と自尊心を与えられます。世の若い人々はその両方をいろいろな方法で求めていながら得ることができず,万事において極端に陥っています。愛の心を持つ父親は,神のことばを使う時,この点で子供たちを保護できます。

      29 献身をはたすという見地から,どんな益がありますか。

      29 夫がかしらの責任を正しくはたすことは,夫の献身の成就を促進し,家族が忠実な献身の道を歩むことを助けます。宣教が促進され,家族は宣教のために備え,宣教に心と愛情を向けるように導かれます。それで物質主義に心が移ることなく,宣教のかわりに物質の富を求めることに専念することもありません。

      30 (イ)家族を守ること,および(ロ)わたしたちの崇拝を改善することに関して,何が言えますか。

      30 一家のかしらが自分の心あるいは妻と子供たちの心と態度の中に金銭への愛を認めたならば,それを改めるための手段を講じなければなりません。宣教は促進されなければならず,宣教に携わる者は進歩しなければなりません。またかしらの地位に伴う責任をはたすことによって,夫は家庭の崩壊を防ぎ,家庭を守ることができます。夫がかしらの権を正しく行使する時,家族の行なうエホバの崇拝は改善されます。それは家族全体また各人の上に反映されるでしょう。それは良いことであり,望ましい目標です。これらすべてが実現可能であるという事実は,夫にとって大きな励みであり,かしらの地位に伴う責任をはたすうえに大きな力となります。そうすることは現在大きな喜びをもたらし,将来を保証します。それは自分と家族が,エホバの正義の新しい事物の制度に永遠の生命を得る望みを確かなものにします。

  • 信仰の仲間に対して善を行なう
    ものみの塔 1968 | 6月1日
    • 信仰の仲間に対して善を行なう

      「だから,機会のあるごとに,だれに対しても,とくに信仰の仲間に対して,善を行おうではないか」― ガラテヤ 6:10。

      1 善を行なうことは家庭内に限られていますか。

      前の記事には,夫,かしらの地位に伴うその責任,家庭において神のことばを実践するときに夫,妻,子供たちが受ける大きな益をとりあげました。クリスチャンにふさわしいと言えるのは善なるものだけです。キリスト教 の創立者またかしらであられるキリスト・イエスの追随者をもって任ずる人は,善を行なうことを家庭の外にまで及ぼさなければなりません。エホバの証人が考慮すべき,そして実行すべき事柄で,家庭の外にまで及ぼすことのできるものは沢山あります。

      2 (イ)ガラテヤ人への手紙 6章に示されているように,善を行なう機会はどれほど広範囲にわたっていますか。(ロ)クリスチャンにとってふさわしくまた肝要なことはなんですか。

      2 聖書のガラテヤ人への手紙第6章には,他の人とくに信仰を同じくするクリスチャンの仲間,エホバの証人と彼らに交わる人々に善を行なう無限の機会が示されています。ガラテヤ人への手紙のこの章は,愛し合い助け合うクリスチャン同志の間柄と,それに伴って生ずる善行の機会について多くを述べています。ゆえに「善」とはクリスチャンの信仰にふさわしく,適切な事柄であり,神のことばの要求と,キリスト・イエスの手本に従っていることの肝要な証拠です。

      3 (イ)どんな重要な事実のために,エホバのしもべにはいま責任がありますか。(ロ)どんな面において動機が関係していますか。

      3 ガラテヤ人への手紙第6章の冒頭の6節は,柔和と謙遜をもって助け合い,無私の気持ちで分け合うことについて述べています。ついで7節から次のようにつづいています。「まちがってはいけない,神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを,刈り取ることになる。すなわち,自分の肉にまく者は,肉から滅びを刈り取り,霊にまく者は,霊から永遠のいのちを刈り取るであろう」。(ガラテヤ 6:7,8)ゆえにクリスチャンは良いわざをして「まく」機会に恵まれています。大群衆が神の善意を受け,クリスチャン会衆との交わりに導き入れられている今日,この機会は増大する一方です。この

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