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  • 諸問題から全く解放された生活を望みますか
    目ざめよ! 1977 | 1月8日
    • 諸問題から全く解放された生活を望みますか

      あなたは,日常生活のいろいろな問題に参ってしまいそうに感じることがありますか。そういう問題から解放されて,本当に生活を楽しみたい,とお考えですか。

      もしこういう生活ができたらどうでしょうか,考えてみてください。朝目が覚めます。その日も全く楽しい一日となることがあなたには分かっています。お金の問題も,税金や抵当や家賃の問題もなく,その代わりに完全な経済的保障があります。

      そして顔を洗うために鏡のところへきますが,そこに映るあなたの顔の色はつやつやしており,しみも,老齢によるしわも,目の下のたるみもありません。あなたの顔はあなたが申し分なく健康であることを物語っており,頭には美しい髪の毛があります。

      またあなたも,あなたの家族も,もはや病気にかかることがないので,健康保険も必要でないことが分かっているとしたらどうでしょうか。そしてガン,心臓病その他すべての病気が永遠に征服されて,もはやニュースになることはありません。それはどんなにすばらしいことでしょう!

      また,犯罪が一掃されたために,外出してもかぎのいらないことが分かっているとすれば,また刑務所,警察力,軍隊,破壊用武器なども必要がないために世界のどこにもそれらが見られないことを知っているとすれば,それがどんな意味を持つか考えてみてください。

      また,自分のしている仕事に深い満足感を抱いており,それに真の喜びを見いだしているので,その日に楽しい期待をかけることができるとしましょう。そして近所の人たちは大変気持ちのよい,親切な,人をよく助ける,偏見の全くない人たちなので,だれとも楽しく交われます。そして最も良いことに,家族全員が互いに深い愛と敬意を示し合い,よく和合しているために,心から家族生活を楽しみます。

      あなたはそういう一日が好きですか。「もちろん好きです! だれだってそういう一日を送りたいと思うでしょう。でもそれは単なる希望的観測,つまり夢の世界にすぎません。問題の一つもない生活を送れる人などいませんよ」と言う人もあるでしょう。

      では,わたしたちは一体何を言っているのでしょうか。天での生活のことを言っているのでしょうか。そうではありません。かといって宇宙のどこかにある別の惑星の上での生活のことを言っているのでもありません。一種の頭の体操として空想にふけっているのでもありません。この地上での毎日の生活が真に喜ばしいものとなる,きたるべき時代のことについて話しているのです。その時には困難な問題はなくなっていて,わたしたちから喜びを奪い取ることはありません。その時,生活に挑戦となるものはかえって刺激となり,おもしろいものとなって,真に価値ある事柄を行なうことから来る深い満足を生み出します。

      そのようなことが起こり得るのでしょうか。そうです,起こるのです。実際,まともな人々は皆それが起こることを願っています。なぜなら,人はそういう良い生活を望むように造られているからです。しかし,それは実現するのでしょうか。確かに実現します。今日の苦悩から解放されたその喜ばしい状態は必ず訪れます。天にも地にも,それを阻止し得るものはありません。

  • 諸問題は解決されていますか
    目ざめよ! 1977 | 1月8日
    • 諸問題は解決されていますか

      今日存在する様々な苦しい問題からすっかり解放された生活が送れる,というのですか。どうしてそういうことが可能でしょうか。世界を見ると問題は増大しています。

      例えば,地球上のほとんどすべての国に,極めて深刻かつしつような経済問題が存在しています。適当な職が見つからなくて困っている人が多数います。負債はこれまでの最高額に達しています。父親たちは家族を養うことについて心配しています。母親たちは物価が上昇の一途をたどるのを見,収入だけで暮らしてゆこうとする時にざせつ感を感じます。多くのいわゆる繁栄している国の老人の半数以上は貧しい生活をしています。貧しい国々では飢えと文盲が増大しています。

      にもかかわらず,世界の最も優れた経済学者たちも,全部の人に永続的繁栄を約束する経済制度を作ることができません。彼らはこの不安定な制度を一時的に取り繕うことを試みるだけで,それもまたがかいします。

      家族生活の崩壊

      家族生活も,世界中で崩壊が見られ,向上してはいません。多くの国が次々に離婚の新最高数を出しています。

      今ではごく普通に見られる夫婦の状態の中にいるある婦人は,次のように書いています。「私はとてもみじめです。夫は理由らしい理由もないのに腹を立てます。結婚している息子が一人いますが,帰ってきてもほんのしばらくいるだけで,私のことを少しもがまんしてくれません。友達はほとんどありません。年がたつにつれて,ますます孤立していく自分を感じます。私は世界中で独りぼっちのような気持ちがします。生きがいのある生活を送るにはどうすればよいのでしょうか」。非常に多くの人がこの人と同じように考えています。

      今日の親は別の心配を抱えています。彼らの子供は,他の世代の人々が若い時に経験したことのない問題に直面しています。世界が暴力と生存競争の場と化しているのを見て,若者の多くはそれを嫌悪しまた恐れています。ある学生リーダーは卒業式の時のスピーチで,「学窓を巣立つ日のきょう,ぼくたちはざせつ感と絶望感に打ちひしがれています」と話しました。

      親はどこに信頼できる助けを求めることができますか。ニューヨーク・タイムズ紙に掲げられた次の社説は傾聴に価します。それはこういう内容でした。『一世紀かそれ以上の間親たちは家族生活に関する助言を浴びるほど受けてきた。医師,看護婦,教師,神学者などがそれぞれの忠告を与え,そしてここ数十年の間に心理学者や精神分析学者たちが彼らに加わった。しかし,もしこの良い忠告を全部集めて検討するとしたら,どういうことが分かるだろうか。それは恐らくごちゃまぜの矛盾の集積に過ぎないであろう。だから気の毒なのは親である。父親にせよ母親にせよ,忠告を求める点で良心的であればあるほど,恐らく一層混乱するであろう』。

      科学の問題

      科学があのより良い世界をもたらし,人類を悩ましている多くの問題を解決する,と考えられた一時期がありました。しかし現在では科学者自身が次のことを認めています。つまり科学は,それが解決する問題より多いとまでは言わなくとも同じほどの数の問題をしばしば作り出している,ということです。

      サイエンティフィック・アメリカン誌の1899年7月号を読むと,科学への期待がはずれたことを示す一つの例に気付きます。その当時,この科学誌は,自動車が『都会生活にすばらしい影響を及ぼすであろう』と予言していました。そして『軽いゴムタイヤを付けた乗り物が,ほこりも臭気もない清潔な道路を,速い速度で騒音もたてずに走り,現代の都会生活のいらいら,混乱,緊張などを大幅に除去する』というふうに述べていました。

      実際の経験から見ると,その予言は今日ではこっけいなくらいではありませんか。それとは全く逆の事態が出現しました。加えて毎年世界中で幾万もの人が自動車事故で死んだり,けがをしたりしています。

      機械を発明した人々でさえ,より良い世界への夢をくだかれた不安を言い表わしました。1942年,第二次世界大戦中のこと,兄のウィルバーと共に飛行機を開発したオービル・ライトは,大量生産自動車の開発者ヘンリー・フォード一世宛てに次のような内容の手紙を送りました。『ウィルバーとわたしは,飛行機が世界平和を早めると考えていました。しかしその逆になったようです。あなたも,これまでの偉大な発明の一つである大量生産を創案されたとき,それが世界を破壊するための戦車の製造に用いられるとは少しもお考えにならなかったことでしょう。どんな有用なものを紹介しても,それを悪用する方法を見つける者が必ず出てくるようです』。

      医学の分野にもこれと同じざせつ感があります。現代医学は病気を征服してより良い世界へ導く,という高い希望が持たれていた一時期がありました。しかし病気は征服されていません。それどころか,ガンとか心臓病などの最悪の病気の中には,最大の増加を見せているものもあります。治療に払われる努力には,逆効果を生んでいるものさえあります。アメリカでは,医師の処方する薬剤の直接の影響で死ぬ人が一年に約3万人おり,有害な反応に苦しむ人はその10倍もいる,と言われています。

      平和がない

      かぎや刑務所,警察力,軍隊または破壊用武器などのない,完全に平和な世界についてはどうでしょうか。世界はそういう平和とはいつの時よりもほど遠い状態にあります。犯罪は急増しています。諸国家は今や一年に約3,000億ドル(約90兆円)を武器に費やします。戦争は次々に起こります。人間の指導者たちは確かに恒久的世界平和をもたらすことに失敗しています。

      1800年代の終わりから1900年代の初めにかけて,ほとんどの指導者は平和と繁栄のすばらしい新時代を予告しました。ある百科事典には,「西暦1914年以前には,神学者までがすべての文化人や知識人と同じく,世界はより良い将来へ向かって進んでいると信じていた。古い時代の一流の人々にとり,1914年は,忘れることのできないショックを受けた年であった」と述べられています。あらゆる“バラ色”の予言に反し,世界は1914年に,それまでの最も恐ろしい戦争の中に飲み込まれてしまいました。そして第二次世界大戦はさらに激しいものとなり,推定5,500万の人命を奪いました。

      また近年人々は,特に政府や実業界における腐敗を見てきました。その結果,世論調査の示すところによると,人間の制度に対する人々の信頼は最低の状態です。

      人々に影響を及ぼすこうした問題の非常に多くが,彼らの力の及ばないものであるところに,ざせつ感の生まれる原因があります。そのために感情がしだいに不安定になります。アメリカだけでも昨年,ただ一種類の薬剤,すなわち精神安定剤のために約5,700万枚の処方せんが書かれました。ですから錠剤となると幾十億錠に上るでしょう。

      非常に長い年月が経過した後ですから,一つのことは確かに言えます。人間はわたしたちが望んでいる生活,つまり冒頭で述べたような生活を自分では実現させることができないのです。ですから詩篇 146篇3節に,「高貴な者たちに信頼を置いてはならない。また,地に住む人の子にも。その者に救いはない」と書かれていても,少しも不思議ではありません。

  • 神の助けを頼みにできますか
    目ざめよ! 1977 | 1月8日
    • 神の助けを頼みにできますか

      しかし,わたしたちが望んでいる生活ができる状態を,人間が,世界の指導者たちさえも,もたらすことができないとすれば,わたしたちはだれを頼みにすればよいのでしょうか。神ですか。神は,わたしたちが今問題を解決するのを助け,人間家族に彼らが望む生活をさせることができるとあなたは信じますか。

      実際,問題はここにあります。人間を問題から助け出す最善の方法を知っているのはだれか,ということです。それは不完全な人間か,全知全能の造り主か,両者のうちのどちらかです。では,人間の思い,感情,そして肉体がどう働くかを一番よく知っているのはどちらですか。もちろん,人間を造った創造者のほうが,これらたじろぐほどの多くの問題からわたしたちを助け出す方法を,人間よりもはるかによくご存じです。

      神の約束

      そうであるからこそ聖書の詩篇 37篇3,4節(新)は,『エホバにより頼みなさい。そうすれば,彼はあなたの心の願いをかなえてくださる』と述べているのです。神は,問題をかかえているわたしたちを今助けることだけでなく,もっとすばらしい事さえ約束してくださいました。つまり将来,人類が悩んでいる問題すべてを解決することを約束しておられるのです。人々がこの上なく幸福に,永遠に生きる時が来ることを神は約束しておられます。

      創造者がご自分にお付けになった名前そのものも,その約束に対するわたしたちの確信を一層強めるのに役立ちます。その名前はエホバです。それには『彼は成らせる』という意味があります。すなわち,エホバは約束を果たす者です。エホバはその目的を時間通りに,間違いなく実現させるのです。

      この地に対するエホバの目的についてエホバの言葉が与えている保証に注目してください。例えば,詩篇 37篇9節から11節(新)には次のように述べられています。「悪行者自らは断たれるが,エホバに望みを置く者たちは地を所有する者となるからである。そしてほんの少しすると,邪悪な者はもういない。……しかし温和な者たちは自ら地を所有し,平和の豊かさに必ずや無上の喜びを見いだすであろう」。

      それはいつまでですか。29節(新)はこう答えています。「義なる者たちは自ら地を所有し,そこに永久に住まう」。イエス・キリストはこの聖句を引用して,「柔和な人たちは幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」と述べて,この聖句が将来成就することを示されました。―マタイ 5:5。

      あなたが最近何かのことに一時「無上の喜び」を見いだしたのはいつでしたか。そういうことはまれにしかないことではないでしょうか。しかし,エホバに奉仕する者には,エホバは,今日あるような憂うつな問題などない喜びの日々を永遠に送る生活を約束しておられます。

      悲惨な状態が多く存在するのはなぜか

      しかし,これが目的であるのに,なぜ神はまだそれを成し遂げておられないのですか。なぜ人間家族の歴史は苦悩で満ちているのですか。

      なぜなら,まず最初,神が人間家族の両親であるアダムとエバを創造されたとき,神は彼らに,二人が幸福に生き続けられるかどうかは,彼らが神に奉仕するかどうかにかかっている,と言われたからです。しかし二人は,自分自身に奉仕すればもっとうまくやってゆけると考え,自分で正邪を判断することにしました。神は,自由に選択する能力を持つ者として彼らを創造しておられましたから,彼らが自分の望むものを持つことをお許しになりましたが,それは一定の期間に限られていました。

      それ以後生じたことは,神が正しかったこと,また,造り主から離れるなら人間は真に幸福にはなれないということを,一度限り証明しました。詩篇 127篇1節(新)の言葉は真理であることが明らかになりました。「エホバご自身が家を建てられるのでなければ,その建築者が一生懸命に働いてもむだである」。

      しかし今や,神が人間の愚を許して来られた期間は終わりに近づきました。聖書預言の成就に見られるあらゆる証拠は,まもなく神がこの人間の支配の実験をやめさせることを物語っています。確かにわたしたちが,テモテ第二 3章や,イエスご自身がわたしたちの今住んでいる『終わりの時』を予告されているマタイ 24章に述べられている,予告されていた「終わりの日」に入ってからかなりたちました。

      ですから,人間の過去の記録が,次のことを決定的に証明していることは疑問の余地がありません。つまり人間は,自分でより良い世界,有害な問題のない世界を設計する能力,ないしは権利を持つ者として創造されていないということです。それを成し得るのは神だけです。神の言葉の明示するところによると,神は現在の事物の体制を改革するのではなく取り除くことによってそれを行なわれます。神はそれを滅ぼすのです。なぜなら,それは改革のきかない状態にあるからです。その代わりにエホバは,正しい人間で構成される全く新しい社会の創造を意図しておられます。

      現実のものであることを実証する

      その上に神は,こうした約束に一層の確信を持たせるため,そのきたるべきより良い生き方が現実のものであることを実証しておられます。それはどこに見られますか。世界中の幾百万という人々の生活に見られます。

      ではその人々とはどんな人たちのことですか。聖書はイザヤ書 43章10節から12節で彼らを神の献身したしもべたち,すなわちエホバの証人として示しています。彼らは今日の諸問題の扱い方に関して最も優れた助言を得ています。なぜならその助言は最高の筋,すなわち人間の創造者エホバ神の思いから出るものだからです。その助言は日常生活のあらゆる面に及びます。すなわち結婚に関する問題を扱う最善の方法,子供を育てる最善の方法,友人や隣人,親族,雇用者,従業員などと仲良くやってゆく最善の方法,さらに重要なことであるエホバ神ご自身との一致を保つ最善の方法などに及びます。

      神のこの優れた助言はどこに見いだせますか。それは聖書です。というのはテモテ第二 3章16,17節に次のように述べられているからです。「聖書全体は神の霊感を受けたものであり,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。それは,神の人が十分な能力をそなえ,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです」。

      そうです,聖書は神の強い力,神の聖霊の啓示によって書かれたものです。なんといっても,神は人を畏怖させる宇宙をお造りになったのですから,一冊の本を著わすこともおできになったと考えられないでしょうか。神は実際にその著者です。ご自分の活動力,すなわち霊によってご自分のしもべたちを導き,聖書を人間のための導きとして書かせました。そしてその同じ霊が,聖書を正しく理解するよう,神の真のしもべたちを助けているのです。このようにしてわたしたちは今日自分の身に起こって来る諸問題を最善の方法で処理する仕方や,問題で満ちたこの「終わりの日」を生き残って神の新秩序に入る方法を学んでいます。

      ですからエホバは今からご自分のしもべたちを教育して,新秩序での生活に備えさせておられるのです。イザヤ書 2章2節から4節はこのことを予告してこう述べています。『すえの日』―(すなわち今,この「終わりの日」)―『すえの日にエホバの家の山はもろもろの山のいただきに堅く立つ』。

      神がここで言われていることは,わたしたちの時代に,神の清い崇拝が信号のように高く上げられるということです。そうすれば誠実な人々がそれに心を向けることができるからです。預言は続きます。『おおくの民ゆきて相語りいわん いざわれらエホバの山に……ゆかん 神われらにその道をおしえ給わん』。

      しかし,神の道は,特に現代の,小さな問題だけでなく大きな問題の解決にも本当に有効でしょうか。あなたの問題も解決できるでしょうか。

  • 神の道は本当に効果的?
    目ざめよ! 1977 | 1月8日
    • 神の道は本当に効果的?

      神の道は本当に効果がありますか。今ある日常の諸問題や将来の問題に対し,実際的な解決策を与えることができますか。では試験をしてみましょう。生活の幾つかの領域を調べ,他の方法が失敗しているところでエホバの方法が実際に有効に働いているかどうか,見てみましょう。

      一例として,生活上の大きな問題の一つで,全地球的な問題となっているものを取り上げ,エホバの方法が最も有効であるかどうかを考えてみましょう。イザヤ書 2章4節には,わたしたちの時代に関し預言的な言葉で次のように述べられています。『エホバはもろもろの国のあいだをさばきおおくの民をせめたまわん かくてかれらはその剣をうちかえて鋤となし そのやりをうちかえて鎌となし国は国にむかいて剣をあげず 戦闘のことを再びまなばざるべし』。

      現在における成就

      この言葉は今,現在,実際に成就していますか。証拠は確かに成就していることを示しています。といっても,国際連合加盟国の間で成就しているのではありません。それは明白です。それらの加盟国は同機構が発足した当初から戦い合っています。

      またその預言はこの世の宗教の上に成就しているのでもありません。宗教も幾世紀もの間,互い同士で戦ってきました。そのことについてニューヨーク・タイムズ紙の社説記者が昨年初頭,「神の名においての死」という題の記事の中で述べたことは注目に価します。彼はこう述べています。『世界のあちこちで今行なわれている戦争の恐らく半分かそれ以上が,公然とした宗教上の紛争であるか,または宗教上の紛争が関係した戦争であることは憂うつな事実である。そして事実上,全部の宗教が一つの神を信じているからには,これは人々がこの瞬間も神の名において互いに殺し合っているということである』。

      ではイザヤの預言はだれの上に成就していますか。神のしもべ,すなわち神の証人たちの上に成就しています。世界中の人々を一致させて平和な,愛に満ちた人間社会を作る神の目的は今進展しており,だれもそれに抗することはできません。神はすでに誠実な人々をあらゆる国民の中から集めて一つの世界的家族となし,完全かつ恒久的な平和の道を彼らに教えておられます。

      そうです,まさに現在,史上最も恐ろしい戦争によって引き裂かれた時代のただ中で,200以上の国にいるエホバの証人は,平和を好む人々の社会があり得る ― また現にある ― ことを示す生きた証拠となっています。この点でエホバの証人は,最も有力な政治家,最も強力な国家や国家の同盟,世界宗教などが成し得なかったことを成し遂げつつあります。それはすなわち,あらゆる人種や国籍の人々の間の戦争を永久になくするということです。その結果,エホバのしもべたちは,諸国家の戦争には一切参加しません。

      なぜ可能か

      神のしもべたちにどうしてこれが可能なのでしょうか。彼らが非常に聡明だからですか。

      そうではありません。彼らも他の人々と同じように不完全で,限界のある,ごく普通の人間です。しかしそれが可能なのは,エホバの証人たちが,神に奉仕すること,神の言葉に従うことに同意したからです。使徒 17章26節で,すべての人間は兄弟であると言われていれば,彼らはそれを信じます。使徒 10章34節で神が,わたしは不公平ではない,と言われていれば,彼らも不公平なことをしません。

      また,ご自分のみ子を通し,ヨハネ 13章35節で,「あなたがたの間で愛があれば,それによってすべての人は,あなたがたがわたしの弟子であることを知るのです」と言われていれば,その愛を培うことに努めます。戦いの武器を捨てよ,と仰せになれば,それもします。

      神のしもべたちが神の道に従って物事を行なうとき,神は,互いに平和にやっていこうとする彼らの努力を実らせてくださるのです。詩篇 29篇11節に,『エホバ……平安をもてその民をさきわいたまわん』とある通りです。またイザヤ書 2章4節にも,『かれらは……戦闘のことを再びまなばざるべし』と予告されていました。ですから神のしもべたちは,仲間同士でも,また他のだれとも戦争をしません。彼らは戦争をしたことがなく,今後も決してしないでしょう。こうして彼らは,新秩序に入って完全に平和な秩序ある新しい人間社会を,しかも最初の日から発足させるべく,神によってすでに準備させられているのです。

      他の人々もこの平和と一致と愛に注目します。一昨年の夏初めてエホバの証人の大会に出席したある人は,「私は生まれてこのかたこのようなことを見たことがありません。多くの国民や人種が一堂に会して互いに深い愛を示すのを見たのはこれが初めてです」と,その感想を述べました。

      神の真のしもべでない人々の間にまだ恐ろしい戦争があることは事実です。そしてそれは確かにわたしたちの幸福に影響します。しかし問題のこの部分は,神ご自身が,相争う国をその悪魔的な破壊用武器とともに滅ぼすことにより近く解決されます。詩篇 46篇8,9節(新)には次のように述べられています。「来たれ,あなたがた民よ。エホバのみわざを見よ。地上にどのように驚くべき出来事を置かれたかを。彼は地の果てに至るまで戦争をやめさせようとしておられる。弓を折り,実に槍を切り砕き,もろもろの[戦]車を火で焼かれる」。

      犯罪をなくする

      神に仕えることが大きな問題の解決となることを示す別の証拠は,ほとんどあらゆる場所で犯罪が驚くべき増加を見せていることと関係があります。犯罪は当局が解決できない問題です。

      しかし神にはできます。現に神はそれを行なっておられます。どこで? やはり,神に仕え,神の道を学ぶ人々の間です。エホバの証人の間では犯罪は皆無に近いと見られています。なぜそうなのでしょうか。なぜなら,神に仕えることは神の律法と原則に従うことであるからです。その律法は,盗みや不正直,殺人,暴力行為,性犯罪その他を禁じています。

      神のしもべの一人が実際に重大な罪を犯すそのまれな場合には,世界中の3万9,600の会衆にもうけられている審理制度がその問題を扱い,聖書に基づいて適切に処罰します。そのためにエホバの証人は世界のどこでも,どんな人々の社会よりも一番犯罪のない社会であると言われてきましたが,それは事実です。しかしこの場合にも彼らはそれを自分の手柄とはしません。なぜなら,それはエホバの道に従って物事を行なうことから生ずる結果であるからです。

      モンタナ州でこのほど開かれたエホバの証人の大会で,あるモテルの支配人は,「全部の人がエホバの証人のようだったら,警察官はいらなくなるでしょうな」と言いました。クリーブランド市の市立競技場で開かれた時にはある警察官が,「ここで開かれる集会が全部あなたたちの大会のようであってほしいと思いますね。困るような問題は全く起きないんですからね」と言いました。

      それでも,別のところで急増している犯罪は,神に仕える人々にさえ実際に影響を及ぼします。しかしこの場合も戦争の場合と同じく,神だけが問題を解決することができ,また解決されます。神がそれを解決されるのは,現在の事物の体制を終わらせるときです。箴言 2章21,22節(口)には,「正しい人は地にながらえ,誠実な人は地にとどまる。しかし悪しき者は地から断ち滅ぼされ,不信実な者は地から抜き捨てられる」と述べられています。

      しかし,それと同時に聖書の原則は現在でも犯罪からのより良い守りとなっています。例えば,殺人事件のほとんどは,家族の成員,友人,隣人など,互いによく知り合っている人々の間で起きています。多くの場合,犠牲者の側の自制心のなさが,殺人者を憤激させています。しかし,聖書の原則で訓練されているクリスチャンは,悪に対して悪を返してはいけないこと,柔和な答えは人の憤りを和らげること,そして神のしもべとなるには柔和な気質を培うことに努めねばならないことを知っています。したがって,そのような聖書的原則に従って生活する人は,身に危害を加えられるほど相手を怒らせるようなことはまずありません。

      性病を根絶する

      神に仕えることが助けとなって神の民が避け得ている別の大きな問題は,ほとんどあらゆる国で野火のように広がりつつある性病という流行病と関係があります。医学専門家は,自分たちにそれを阻止する力がないことを認めています。

      なぜなら世の人々は,姦淫,淫行,同性愛行為を禁ずる神の律法を無視するからです。それで性病はそうしたことによって広がります。しかし,神のしもべたちの間ではそれらの律法が実施されています。ですから神の民は清く保たれています。彼らは性関係をそのあるべき位置にとどめることを学びます。そして神は,それが結婚の取り決めの中においてのみ許されることを告げておられます。

      恐ろしい病気,望まぬ妊娠,口論,家庭の破壊,心痛など,神のしもべたちが,この事柄に関し神の道に従うことによって完全に避け得ている問題を考えてみてください。

      別の大きな問題は家族生活に関係したものです。神に仕えることは,この場合でも実際に役立つでしょうか。

  • 家族生活を改善する
    目ざめよ! 1977 | 1月8日
    • 家族生活を改善する

      家族のきずなの崩壊がこの「終わりの日」の特徴となることを聖書預言は示しています。―ローマ 1:29-31。テモテ第二 3:1-4。

      しかし神は,人間社会の基本単位として家族を創造されました。そのことは今も変わっていません。ですから神は,世界が家族の崩壊を経験しつつあっても,ご自分のしもべたちには家族を強化する方法を示されます。どうすればより良い夫また父親,より良い妻また母親,より良い息子また娘,より良い兄弟また姉妹となれるかを,神はわたしたちに教えてくださいます。完全になるということでではありません。より向上するということです。

      夫に対する実際的な助言

      結婚生活に関する問題でわたしたちの助けになる優れた聖書の原則はたくさんありますが,そのうちの幾つかを考えてみることにしましょう。一つはエフェソス 5章28節に記されています。ここでは神は家族の頭に助言しておられます。「夫は自分の体のように妻を愛すべきです」。

      さてこの原則と,ペテロ第一 3章7節のさらに別の原則とを合わせてみてください。その原則によると,神に仕える夫は妻の身体や感情の構造を考慮し,そこに述べられているように,『彼女に誉れを』,つまり「弱い器である女性として」「誉れを配」さなければなりません。

      もし本当に妻を自分の体のように愛し,尊敬する,つまり本当に妻に敬意を抱いているなら,あなたはどのように妻を扱うでしょうか。確かに,可能なかぎり妻を喜ばせようとするでしょう。自己中心的でなく,ほとんどの場合に最初の選択の機会を妻に与えることさえするでしょう。本当に尊敬していれば,妻にどなりつけたり,妻を侮辱したり,あるいはけなしたりすることも確かにしないでしょう。

      これこそ神のしもべである夫が培わねばならない愛と思いやりであることを,聖書は示しています。それは培うものですか。そうです,努力と練習がいります。それらの特性は,不完全な人々に自然に備わっているものではありませんから,養う必要があります。

      ある婦人は,あなたのご主人のどんな性質が一番好きですか,と聞かれて,「私に優しいところが好きです」と答えました。世の多くの男性が考えているのとは逆に,慎みのある女性は,威張り散らす専横な男性,自分を粗暴にそして不親切に扱う男性を好みません。

      また夫は,自分が神を恐れる特質を培い,妻を扱う際にその特質を働かせるとき,次のことを発見します。つまり神が妻を精神的にも感情的にも,そういう思いやりのある扱いにこたえるように造られているということです。彼女は恐らくより良い妻になるでしょう。

      もちろん,これは夫が家族の頭としての地位を放棄することではありません。夫には依然,先頭に立って事を行なう,また最終的決定を下す,神から与えられた責任があります。しかし結婚関係においては,夫が妻の意見や態度,希望,性格などを考慮に入れなければならない事柄があります。なぜなら,それは神がご自分のしもべたちに行なうように告げておられることだからです。

      妻をそのように扱うなら,結婚生活は幸福なものになります。神のしもべである多数の夫は,そのことを証しすることができます。一例を挙げますと,ある男の人は最初の結婚に失敗し,離婚しました。その後,聖書の教える原則を勉強するようになり,結婚に関する神の道を受け入れました。後日その人は次のような手紙を書いてよこしました。「過去のわたしは女性に対し敬意を欠いていました。わたしはあのような生き方をして,自分自身と他の人々,特に最初の妻を不幸にしてしまいました。聖書に従って生きるようになってからは,聖書の原則に従うことこそ最善の生き方であることが分かりました。そして二番目の妻を自分自身のように愛し,クリスチャンにふさわしい仕方で扱うことによって,わたしは結婚の真のしあわせを知りました。わたしたちは結婚して10年になりますが,その間比較的平和に過ごしました。結婚に関する問題について兄弟たちから相談を持ちかけられる時,わたしは兄弟たちの注意を聖書の言葉に向けさせます。聖書の助言に従えば本当にうまくいくことをわたしは自分の経験から知っています。その反面,意識して,あるいは無意識に,聖書の原則を無視する人は,多くの不幸と心痛を経験します」。

      妻に対する実際的な助言

      聖書にはまた妻に対する優れた,実際的な助言があります。テトス 2章4,5節は妻たる者に対して,「夫を愛し,子どもを愛し,健全な思いを持ち,貞潔であり,家事にいそしみ,善良で,夫に柔順である」ようにと助言しています。

      今日,多くの女性が,夫に従うという考えに憤慨するのは事実です。もちろん,夫が聖書の原則を実行せず妻をひどく扱うなら,服従はいやなものになります。

      しかし,聖書の原則を守る,神のしもべである夫への服従は,妻にとって重荷とはなりません。かえって家族の和合を促進し,良くまとまった家族にします。そして妻が夫に愛を示し,エフェソス 5章33節が「深い敬意」と述べているものを示して自分の分を尽すなら,妻は大抵夫の一番良いところを引き出すことになります。夫は妻に一層よくするようになります。妻の愛と敬意にこたえるように神がお造りになっているからです。

      しかし,夫が神のしもべでない場合でも,妻が従うことには良い報いがあります。使徒ペテロが助言しているとおりです。彼は次のように書きました。「妻たちよ,自分の夫に服しなさい。それは,みことばに従順でない者がいるとしても,ことばによらず,妻の行状によって,つまり,深い敬意のこもったあなたがたの貞潔な行状を実際に見て引き寄せられるためです」― ペテロ第一 3:1,2。

      ところでこれは,神の道に従えば今完全な結婚生活が送れるということでしょうか。そうではありません。わたしたちはまだ不完全ですから,今そのようなことはできません。しかしそれによって結婚生活が非常によいものになることは事実です。ですから仮に100組の夫婦に神の道を守らせるとすれば,夫も妻も聖書の原則を尊敬しない100組の夫婦の場合よりはるかに多くの夫婦が,結婚に成功するでしょう。

      子供の訓練

      家族の問題の大きな部分は,子供に関する問題です。若い人々の間では,不道徳な事を行なわせようとする,また大酒を飲ませ,麻薬を使用させ,あるいは親に対して反抗的な態度を取らせようとする非常に強い圧力が働いています。多くの学校は食うか食われるかの“ジャングル”のような場所になってしまいました。そうした悪い影響を相殺する最善の方法は何でしょうか。

      それはエホバの言葉を学び,それを実行するよう努力することです。使徒パウロは,テモテ第二 3章15節でテモテに,『幼い時から聖なる書物に親しんできたことを知っているのです。その聖なる書物はあなたを賢くし……救いに至らせることができます』と言っています。

      もちろん,いつでも,聖書の中の神の言葉を子供たちに教え始める良い時期と言えます。しかし,幼少の時に始めるなら特に効果的です。箴言 22章6節(口)に,「子をその行くべき道に従って教えよ,そうすれば年老いても,それを離れることがない」と言われているとおりです。

      神のしもべである親たちは,聖書教育の価値をよく知っています。ですから,巡回大会や地域大会,また王国会館で行なわれるクリスチャンの集会などに子供たちを赤ちゃんの時から連れて来ます。したがってそういう子供たちは,何年もの間健全な霊的環境の中で過ごし,神について徐々に学び,円熟したクリスチャンたちが行なう,徳を高める話を聞きます。そして共同社会における規律を学びます。

      しかしそういう親は,家庭こそ子供をしつけるためのかなめとなる場所であることを認識しています。したがって非常に早くから,子供と一緒に聖書を読むこと,また神を敬うことに関する原則が強調されている出版物を読むことを始めます。子供たちは,非常に幼い時から神の道を学ぶだけでなく,読み方も学校に上がる前に学びます。優れた読解力は多くの場合,他の多くのことを学ぶかぎとなります。

      教育者の一グループは次のように言っています。『非常に幼い子供に本を読むための準備をさせる最善の方法は,その子が好きな物語を大きな声で何度も読んでやることである。文字の印刷されたページ,安心感,心強い声,物語の魅力 ― こうしたものがすべて子供の思いの中で一緒になって,子供は,本というものはとてもおもしろいものだと考えるようになる』。

      別の報告は次のように述べています。『自分の子供を個人指導する親は,普通以上の知性を持つ子供を生み出す役割を果たしている。良くできる子供のほとんどは,学校に上がるまでの間,この一対一の指導を行なう親に育てられている』。

      神の律法や原則を教えるこの種の教育は本当に効果があります。その証拠は,王国会館での集会やエホバの証人の他の大会で,神のしもべになる道を学んでいる多数の子供や10代の人たち,成人したばかりの人たちの中に見られます。

      外部の人々もそれが効果的であることを認めています。若い人々を扱っていたある心理学者は,自分の勤めている機関が青少年問題を扱う能力のないことに心を悩ませていました。彼らが取る方法は皆失敗しました。しかし,そのうちにその心理学者は一つのケースを扱って,本当に考えさせられました。そのケースというのは三人の子供のいる家族が関係していたもので,子供は三人とも法律問題を起こしていました。このケースは望みがない,と彼は考えていました。しかし,彼がそのケースを扱わない期間が何か月かあり,その期間が終わってからまたその家族を訪ねてみました。ところがその時彼はすばらしい変化に気付きました。汚くて乱雑だった家が,きちんと整とんされてきれいになっていました。子供たちも見苦しくない服装をしていますし,以前よりもしっかりした感じがしました。なぜこの驚くべき変化が生じたのでしょうか。その心理学者の話によると,母親が聖書の勉強を始め,それを子供たちに教え,また王国会館の集会に子供たちを連れていっていたからです。そしてその母親は,自分が学んでいた聖書的原則を,日常の家族生活の中で実行していたのです。心理学者は非常に感動し,自分もエホバの証人とその種の勉強を始めました。

      しかし,この訓練は,それを受ける子供が成人して一人残らず主義高潔な神のしもべとなることを保証するでしょうか。そうではありません。この場合にもわたしたちは,自分たちが皆不完全であること,また現在は子供たちに非常な圧力が働いていることを忘れてはなりません。しかし,結婚の場合と同じく,仮に100人の子供にこのような訓練を施すとするなら,この種の教育を受けない100人の子供に比べ,はるかに多くの子供が,品位ある,神を恐れるおとなとなるでしょう。

      確かに神の道は家族生活を改善するのに効果があります。結婚生活や子供の訓練に本当に役立ちます。しかし,このほかにも解決の必要な問題があります。

  • 他の問題の解決に役立つ
    目ざめよ! 1977 | 1月8日
    • 他の問題の解決に役立つ

      わたしたちは皆,神から来る実際的な導きを,幾つかの他の大きな問題分野を扱う際に活用することができます。例えば,その一つは精神の憂うつと関係のある問題です。

      精神の憂うつは,今日深刻な,増大しつつある問題となっています。非常に多くの人が,自分自身の問題で,また近所や一般の世の中で行なわれていることを見て,ひどく失望しています。彼らは恐れを抱いて将来を見ます。

      楽観的な希望を築く

      しかし神のしもべは,そうした悪い事柄がすべて「終わりの日」の一部であること,そしてそれらは神がこの邪悪な事物の体制を終わらせて義の新秩序を招来されるときに消失し,しかもその時が近いことを知っています。

      その知識は確かに希望を築き上げます。将来に対する楽観的な,確信のある見方を与えます。それは精神を平静に保ち,態度を向上させる助けになります。なぜなら,世界で起きている多くのひどい事柄に絶えず心を乱されるということがないからです。箴言 14章30節(新)には,「穏やかな心は人体の命である」とあります。また箴言 17章22節(新)は,「喜びに満ちた心は良い治療の用をなす。しかしひしがれた霊は骨を乾かす」とつけ加えています。

      神の目的に関する正確な知識がそうした憂うつにどのように打ち勝つかを示す一つの例は,ある老人の場合です。その人は結婚50年目の記念日の直前に妻を亡くしました。そして次のように書いています。「そのためにわたしは非常に暗い気持ちになりました。教会からはなんの満足も得られませんでした。わたしはひどくみじめな気持ちになり,最後に,自殺して妻の所へ行く決心をしました。そして近所に生えている毒草を摘み,それをせんじて飲むつもりでいました。その計画の実行に取りかかろうとしていた時,二人の若い人が道を登ってわたしの所へやって来ました。わたしたちは聖書について,また人類に対する神の目的について一時間余り語り合いました。その二人は来週も来ると言ったので,わたしはその晩毒草をせんじて飲むことはしませんでした。その時から二人は一週も休まずに来てくれました」。

      この老人は神の新秩序について学び,復活というすばらしい希望が妻にあることを知りました。また,病気,悲しみ,そして死をもたらしたのはだれなのかを学びましたし,神の新秩序にはそのようなものは存在しないということも学びました。それ以後その人は神の献身したしもべとなり,新秩序の良いたよりを他の人々に伝えています。

      経済上の問題を解決する助け

      神に仕えることは,経済上の問題を持つ場合にも助けになるでしょうか。そうです,幾つかの面で助けになります。心から熱心に神に仕える人には神の後ろだてが約束されています。「それでは,王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これらほかのもの[すなわち物質の必要物]はみなあなたがたに加えられるのです」とイエスは言われました。―マタイ 6:32,33。

      また聖書は,わたしたちが生活の中で本当に最重要な事柄を見分けるのに役立ちます。そのためにわたしたちは物質主義のわなを避けることができます。自分に買えない,肝要でないものにお金を浪費しないので,たくさんのお金が節約できます。多くの人は,『自分が知らない,あるいは好きでもない人に感銘を与えようとして不必要な物を買い,持ってもいないお金を費やしますが』,わたしたちはそういうわなを避けます。

      それに加えて,飲み過ぎのような多くの悪い習慣を避け,また喫煙をしないなら,人は健康を守り,お金を節約し,そのお金を必要なものに使うことができます。肺ガンによる死の約90%が,そしてまた他の色々な病気が喫煙に起因する以上,この不潔な習慣一つを克服するだけでも,どれほど多くの問題が避けられるかわかりません。神のしもべはこの習慣を捨てなければならないことを知っています。

      また聖書は,正直でなければならないこと,よく働くこと,雇い主のために一日中十分に働くべきことを教えています。そのために神のしもべたちは従業員として高く評価されている場合が少なくありません。あるガレージ経営者は,従業員のエホバの証人に,客をごまかすように言いました。しかし証人は雇い主に,「もしわたしにお客をごまかすことができれば,あなたをごまかすこともできるということですよ。そんなことはお望みではないでしょう」と言いました。雇い主は納得し,それ以後,以前に増してその証人の働きを重く見るようになりました。

      しかし,むろん経済問題は現体制が続く限りなくなることはありません。神の天的王国の支配する新秩序だけが,激しい貧富の差,幾百万に上る失業者の問題,望ましくない仕事,幾億もの人々を苦しめている飢え,といった経済上の不公平を取り除きます。

      その新秩序においては,詩篇 72篇16節にあるとおり,「地には穀物が十分にでき,山々の頂は実りこぼれる」でしょう。地球とその実り多い田野を創造された神は,新秩序に住むすべての人が真に繁栄し満足するように,人類の経済制度を再組織する方法をご存じです。

  • わたしたちの問題を解決する最善の方法
    目ざめよ! 1977 | 1月8日
    • わたしたちの問題を解決する最善の方法

      神のしもべであることが,問題に対処する助けとなる生活分野はほかにもたくさんあります。あらゆる種類の人々と仲良くやってゆく最善の方法,個性の相違に対処する方法,家族や友人,隣人などとの関係を改善する方法,また自分がした間違いや他の人々がした間違いを扱う方法などを学ぶのにそれは役立ちます。しかし,すでに述べた幾つかの例は,神に仕えることが,自分の問題を処理しやすくしておくための最も実際的な方法であることを示しています。そしてわたしたちの力の及ばない問題は神ご自身が定めの時に解決してくださいます。

      神のしもべはこの二つの助け(すなわち,わたしたちが今日自分の問題を扱う際に与えられる最も優れた助言,また神の新秩序においてすべての問題が完全に解決されるという希望)を与えられますから,神に仕えない人々の生活にはない心の平安と喜びがあります。イザヤ書 65章13,14節にはこの対照が次のように興味深く述べられています。

      『このゆえに主エホバかく言い給う わがしもべらはくらえども汝らはうえ わがしもべらはのめども汝らはかわき わがしもべらは喜べどもなんじらははじ わがしもべらはこころ楽しきによりて歌うたえども汝らはこころ哀きによりて叫びまたたましいうれうるによりて泣き叫ぶべし』。

      確かに神に仕えることは道理にかなっています。なぜなら,テモテ第一 4章8節に述べられているように,それは『現在,より良い命を約束するだけでなく』,神の新秩序における『はるかに良い命をも約束』しているからです。

      その新秩序における生活は本当にすばらしいものとなるでしょう。汚染も,犯罪も,憎しみや戦争,貧困,病気そして死さえもない,美しい地球の上で住むことを考えてご覧なさい。

      雄大な山々,気分をそうかいにさせる森林,花で飾られた庭園,興味深い動物,きらきら輝く小川や湖,おいしい食べ物,また愛する家族や友人を持つ喜びなど,神がご自分の民のために創造された多くのものを毎日楽しむ時の感動を想像してみてください。それらは,神が今そのしもべたちのために準備しておられる永遠の生き方を作り上げるものとなるのです。

      実際,すべての事柄を考慮すると,神に仕えることがあなたの問題の解決に役立つことは疑えません。残る問題は,あなたが神に仕えることを望むかどうか,ということです。あなたはそれを望むはずです。なぜなら,エホバはご自分の民に多くの益を与える,親切で,寛大で,愛の深い神だからです。また,エホバは耐えられないような重荷をあなたに負わせることもされません。ですからエホバに仕えることは喜びです。

      確かに,神に仕えることを学ぶために時間とエネルギーを用いるのは,100円投資して1億円の利益を得るようなものです。なぜでしょうか。それはエホバがあなたを支持され,エホバに奉仕するあなたの努力を祝福されるからです。エホバは今あなたの問題を助けてくださいます。そして問題のなくなる新秩序においては,あなたが永遠に生きることを許されます。詩篇 145篇16節で約束されているとおり,エホバは『そのみ手を開いて,すべての生けるものの願いを飽かせられる』のです。

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