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イエスに対するユダヤ人の見方に障害となるもの目ざめよ! 1972 | 2月22日
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てまちがった結論を引き出さないように自分を守ることができます。
イエスにかんするユダヤ人の証言は手近にあります。ユダヤ人の福音伝道者マタイ,マルコ,ルカ,ヨハネによって書かれた福音書は,地上におけるイエスの奉仕にかんするできごとを述べており,やはりユダヤ人によって書かれたクリスチャン・ギリシア語聖書(通称新約聖書)の残りの部分は,キリスト教の教理を述べています。あなたはその資料を読んで研究されたことがありますか。
クリスチャン・ギリシア語聖書がイエスをメシヤとしていることは,あなたもおそらくご存じでしょう。「タルマッドの中でさえ,ナザレのイエスはダビデの家系の者であることが認められている」と作家ディビッド・バロンは言っています。そして,「『サンヘドリン』の第43葉には,イエスは『王国の一族』の者として語られている」と述べています。タルマッドは,イエスの生涯のおもなできごとを好意的に描いてはいないまでも,やはりその真実性を認めています。ユダヤ人の学者ジョセフ・クロースナーのことばに注目してください。
「これらタルマッドの物語は,福音書に記録されているできごとを故意に否定するためのもののように思われるふしがある。同一の事がらが曲解されて,非難すべき悪い行為にされている。たとえば,イエスは人間の父親から生まれたのではなく,聖霊によって生まれたと福音書は述べているが,タルマッドの物語によれば,イエスはたしかに父なくして生まれた。しかし聖霊によって生まれたのではなく,内縁関係の結果生まれたのだと主張する。福音書は,イエスは聖霊と神の力とを通して多くのしるしと不思議を行なったと述べている。タルマッドの物語はイエスがたしかにしるしと不思議を行なったことを認めてはいるが,しかしそれは魔術によって行なわれたのだとしている」。
したがって,イエスの身分を明らかにするこの問題は,イエスにかんするどちらの証言が正しいか,クリスチャン・ギリシア語聖書にのせられている,イエスのユダヤ人の弟子たちの記述か,それともイエスをメシヤとして受け入れなかったユダヤ人の述べたことかという問題にしぼられます。もしクリスチャン・ギリシア語聖書の主張が正しいなら,敬虔な態度で調べる人は,その記録の中に,納得のいく証拠を見いだせるはずです。もちろん,ある先入観念をもって調べたり,単に自分の個人的な見解を正当化することだけを考えて聖書の証拠を調べたりする人が,まちがった不合理な結論を出すのは容易なことです。
一方,もしイエスがメシヤでなければ,イエスをメシヤとして受けいれたユダヤ人は,なんらかの点で惑わされていたことになります。しかし,そうだったのでしょうか。なぜ彼らはイエスがメシヤであることを信じたのでしょうか。
預言者としてのイエスの役割
弟子たちに語るにさいし,ご自分がメシヤであることの証拠としてイエスご自身が指摘された事柄のひとつは,イエスの預言者としての役割でした。ヨハネ伝 13章19節には次のように書かれています。「今その事の成らぬ前にこれを汝らに告ぐ,事の成らん時,わがそれなるを汝らの信ぜんためなり」。
したがって,もしイエスがほんとうに預言者であったなら,そのことを示すなんらかの証拠がなければなりません。また,イエスの預言的なことばに留意することは,イエスを信じたユダヤ人に益をもたらしていなければなりません。ではそれは益をもたらしたでしょうか。
一例として,イエスが,エルサレムの破滅と,その災厄からのがれる可能性について話されたことを考えてみましょう。
「汝らエルサレムが軍勢に囲まるるを見ば,その亡近づけりと知れ。その時ユダヤに居る者どもは山に遁れよ,都の中にをる者どもは出でよ,田舎にをる者どもは都に入るな,これ録されたるすべての事の遂げらるべき刑罰の日なり,その日には孕りたる者と,乳を哺する者とは禍害なるかな。地に大なる艱難ありて,御怒この民に臨み,彼らは剣の刃に斃れ,または捕はれて諸国に曳かれん。しかしてエルサレムは異邦人の時満つるまで異邦人に蹂躪らるべし」― ルカ 21:20-24。
イエスが予告されたとおり,セスチウス・ガルス指揮下のローマ軍が西暦66年にエルサレムを包囲したあとでさえ,その町から脱出する機会が訪れました。1世紀のユダヤ人歴史家,フラビウス・ヨセハスは,次のように伝えています。
「セスチウスは…突如兵を撤収し,敗北してもいないのに希望を放棄し,理由らしい理由がないにもかかわらず,同市から撤退した」。
ユダヤ人のクリスチャンはその機会を捕えてエルサレムから逃げましたか。それともローマとの戦いに巻きこまれたでしょうか。ユダヤ人の学者ジョセフ・クロースナーは,次のように書いています。
「あれほど徹底した禁欲主義のエッセネ派信徒さえ,自由のために戦う者たちに加わったが……クリスチャンは反乱が起こるやいなや直ちにエルサレムを捨て,トランスヨルダンのペラに逃げた。それはほとんど不案内な町であった。……クリスチャンは,そしてユダヤナザレ教徒[キリスト教徒]さえ,ユダヤ教のメシヤ主義の政治的見地を全然受けいれなかった。彼らにとっては,宗教的,霊的事柄がすでにイエスにおいて具現していたのである。したがって,ユダヤ人とローマ人のあいだの戦争に関心のあろうはずがなかった」―「イエスからパウロまで」,598,599ページ。
もちろん,クロースナーのようなユダヤ人の学者たちは,クリスチャンのユダヤ人をしてエルサレムを去らせたのが,イエスの預言のことばであったことを認めないかもしれません。しかし,ローマとの戦争に従事したユダヤ人のなかに,イエスの追随者たちが含まれていなかったことはたしかに認めます。したがってクリスチャンのユダヤ人たちは,イエスをメシヤとして受けいれたからこそ,西暦70年ローマ人がエルサレムを破壊したときユダヤ人にのぞんだ恐るべき苦しみを免れたことが明らかになります。イエスの預言のことばに従ったことは,命を守る結果となりました。
ですから,不必要な害をこうむらないようイエスのメシヤとしての身分を徹底的に調べねばならない十分の理由があります。(申命 18:18,19)また,誠実な気持ちで調べる人たちは,キリスト教がその信者の生活にはたして健全な影響を与えているかどうかを確かめるために,イエスの教えをほんとうに守って生活している人々を探すのが賢明でしょう。しかし,キリスト教と自称する種々の宗教組織をすべて詳細に調べるにはおよびません。キリスト教世界の諸教会が流血の罪にあずかったことは,彼らがイエスとイエスの教えを偽り伝えているまぎれもない証拠です。
しかしながら,国家的な誇りや憎しみをもたないことで世界中に知られているクリスチャンのグループがひとつあります。事実,エホバの証人として知られているそれらクリスチャンは,その誇りや憎しみをもたないためにこの20世紀において激しい迫害を受けてきました。しかし証人たちは迫害のゆえに,神の義の律法に対する違反を暴露することをやめるとか,自分たちの道徳的な立場を変えるようなことをしませんでした。彼らはいかなる国の流血の罪にもあずかりませんでした。ですから,あなたがイエスとイエスの教えについてお調べになるさい,エホバの証人の援助をお受けになるのはいかがですか。
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ダニエル書のメシヤとはだれか目ざめよ! 1972 | 2月22日
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ダニエル書のメシヤとはだれか
2,500年ほどの昔,天使ガブリエルは,ダニエルに重要な真理を啓示しました。それは「油そそがれた者」すなわち「メシヤ」が,一定の「週」,普通の週ではなく「週年」の満了したときに来る,ということでした。天使がこの音信を伝えたということ自体,この「油そそがれた者」の到来がきわめて重要な,そして人類に大きな影響をおよぼしうる事件であることを暗示しました。
ガブリエルはダニエルに何を告げたのでしょうか。米国ユダヤ教出版協会の訳(版権取得1917年)によれば,彼は次のように言いました。
「なんぢの民となんぢの聖都のために七十週を定めおかる。しかして違背を終わらせ,罪を封じ,とがを許し,永遠の義を携え入り,幻と預言を封じ,いと聖き所に油をそそがん。ゆえにさとり知るべし。エルサレムを建てなおせという命令の出るより,君たる,ひとりの油そそがれた者の起こるまでに七週あらん。しかして六十二週のあいだにエルサレムは,広場,堀とともに,騒乱のうちに建てなおされん。その六十二週ののち,ある油そそがれたる者断たれん。しかしてひとりの君の民きたりて都市と聖所とをこぼたん」― ダニエル 9:24-26。
この飜訳は,「君たる,ひとりの油そそがれた者」は「七週」ののちに来,別の「油そそがれたる者」は六十二「週」ののちに「断たれる」と受け取れるように訳しています。歴史は,問題をこのように解釈するのが正しいことを証明していますか。
ユダヤ教徒の見解
ユダヤ教徒の注釈者によると,「エルサレムを建てなおせという命令」は,預言者エレミヤが,都市はカルデヤ人によって荒廃させられたのちに再建されると予告したときに出されました。たとえばエレミヤ記 30章18節は,「斯邑はその故の丘垤に建られん」と述べています。このことばから注釈者たちは「七週」を,ユダヤ人の残れる者がバビロンの捕囚から帰還したときに終わった,70年間の荒廃を指すものと解釈します。さらに進んで,あるユダヤ教徒の注釈者たちは,「君たる油そそがれた者」をクロス王と結びつけます。クロス王というのは,ユダヤ人の流刑者たちに,ユダとエルサレムへもどるよう命令を出した人物です。かと思うと,「ひとりの油そそがれた者」を総督ゼルバベル,または大祭司エシュアとするのを好む人々もいます。両者とも,クロスの勅令発布後,バビロンの捕囚からもどりました。
では「六十二週」についてはどうですか。ユダヤ教の注釈者たちはこれを434年の期間に相当するものとし,このあいだにエルサレムは完全に建てなおされることになっていた,と言います。「断たれる」(ダニエル 9:26)ことになっていた「油そそがれた者」は,西暦70年のエルサレムの破滅の時に住んでいたアグリッパ王(2世)を指すと信じている人々もいます。しかし他の人々はその「油そそがれた者」は,西暦前175年,アンティオカス・エピハネスが退けた大祭司オニアスだと考えています。
こういうわけで,ユダヤ教の注釈者たちがガブリエルのことばの意味を正確に理解しているとは決して言えません。事実,説明に矛盾があります。「七週」は各週が10年,合計70年(7×10)と解釈されていますが,「六十二週」は,各週が7年で合計434年(62×7)と考えられています。このようにユダヤ教の注釈者は,カブリエルのことばを無理に解こうとして時間的要素を手かげんしました。
加えられた「終止符」が意味を変える
ある人たちにとっては,おどろくべきことに思えるかもしれませんが,ユダヤ人の写字生といく人かのユダヤ人の飜訳者は,ダニエル書 9章25節の原文に書き加えることをしました。マソラ学者として知られている律法学者たちは,ダニエル書 9章25節のヘブル語本文の「七週」のあとに「アサナ」すなわち「終止符」をそう入して強勢を施し,そうすることによって「七週」を「六十二週」から切り離しました。そのうえに,いく人かのユダヤ人の飜訳者は,「六十二週」の前に「あいだ」または「あいだに」を加えて,その期間内にエルサレムが完全に復興するかのような印象を与えました。もしこうした修整を施さなかったとすれば,ダニエル書 9章25節は次のようになります。「汝暁り知べしエルサレムを建なほせという命令の出づるよりメッシヤたる君の起るまでに七週と六十二週あり その街と石垣とは擾乱の間に建なほされんその六十二週の後にメッシヤ絶れる」。これに似た訳は,非ユダヤ人の訳した多くの飜訳に見られます。
この訳は,「メシヤ」すなわち「油そそがれた者」が,「七週」ののちに来るのではなく,7足す「六十二」週,すなわち69「週」ののちに来ることになっていたことを明らかにしています。したがって,「六十二週」のあとのいつかに断たれることになっていた「メシヤ」は,「七週と六十二週」の終わりに来ると預言された者と同一人物です。「油そそがれた者」はその時に出現したでしょうか。
メシヤ出現のとき
この質問に対する答えを出すには,エルサレム再建の命令が出された時を確かめねばなりません。合理的に考えれば,その命令は,エルサレムが破壊される前にエレミヤが預言したときではなくて,むしろその命令に従って行動しうる時に出されたと見るべきです。
ユダヤ人の残れる者は,西暦前537年にバビロンの捕囚からユダとエルサレムに帰還しましたが,市の城壁と門は,何年ものちまで再建されることも,補修されることもありませんでした。ユダヤ人の捕虜の代表は,ペルシア王アルタクセルクセス(ロンギマヌス)のユダヤ人の酒人ネヘミヤに,エルサレムの町の様子を次のように説明しました。「俘虜人の遺余なる夫の州内の民は大なる患難に遭ひ凌辱に遭ふまたエルサレムの石垣は打崩されその門は火に焚たり」。(ネヘミヤ 1:3)この報告を受けてからなんか月かのち,ネヘミヤはアルタクセルクセス王から,エルサレム再建の任務を与えられます。それはアルタクセルクセス治世の第20年のニサンの月のことでした。(ネヘミヤ 2:1-6)最も有力な歴史的証拠は,その第20年のニサンが西暦前455年に当たることを示しています。a したがって,エルサレムを建てなおせという命令は,西暦前455年に,ネヘミヤが何か月かのちエルサレムに到着するとともに発効したものと考えられます。
西暦前455年を起点として69週年(483年)を計算すれば,「メシヤ」すなわち「油そそがれた者」は西暦29年に到来するよう定められていたことがわかります。ユダヤ人は当時「メシヤ」の到来を予期していましたか。「メシヤ」はその時に出現しましたか。
西暦17世紀の有名なラビ,マナセ・ベン・イスラエルは,ダニエル書 9章に言及し「七の七十週期を,これが終了したのちにメシヤが来ることを示すものと受け取る者もあるだろう。……たしかに,ローマ人に対して武器を取ったユダヤ人は当時みなそういう見解をもっていた」と述べています。またユダヤ人学者アバ・ハイレル・シルバーは,「メシヤは,西暦1世紀の第二,四半期に出現すると期待されていた」と述べています。バビロンのタルマッドは,サンヘドリン小論,第97葉aの中で,「その終わりにダビデの子[メシヤ]が来る,という7年の週期」のことを語っています。ですからユダヤ人は,ただの「メシヤ」ではなく,そのメシヤ,すなわち「ダビデの子」が,ほかならぬダニエル書 9章に示されている時に出現することを期待していたのです。
確証されたメシヤ
このメシヤとして西暦29年に現われた唯一の人物は,ダビデ王の子孫であったイエスでした。聖書も一般の歴史も,b イエスが西暦29年の秋にヨハネのもとにきて,バプテスマを受けた証拠を提出します。バプテスマの直後,「天ひらけ,神の御霊の,はとのごとく降りて己が上にきたるを見給ふ。また天より声あり,曰く『これは我が愛しむ子,わが悦ぶ者なり』」。(マタイ 3:16,17)神の霊によって油そそがれると同時に,イエスはメシヤ,すなわちキリストになりました。キリストということばは「油そそがれた者」という意味です。その時以後,イザヤ書 61章1節は,イエスに適用されました。「主なる神の霊がわたしの上にある。良いおとずれをへりくだる者に伝えさせるために,主がわたしに油をそそがれたからである」。(ユダヤ教出版協会)油そそがれてから3年半後,イエスは死に,「断たれ」ました。
したがって,ダニエル書 9章25節の証拠は,イエスが約束のメシヤであることを明示しています。(西暦17世紀の)ラビ,シモン・ルザットは,次のことを認めました。
「このきわめて顕著な本文が…ラビたちをさんざん悩ませたので,彼らは皆目見当のつかない状態におかれている。この預言を研究しつづけるなら,われわれがみなクリスチャンになるような結果は容易に出てくる。メシヤの出現がそこに明示されていること,またその時を,すでに経過したものとして受けいれるべきことは,たしかに否定できない」。
したがって,マソラ学者はイエスを退けたがために,ダニエル書 9章25節に「終止符」を加え,そうすることによって,イエスが約束のメシヤであることを証明する時間的要素をおおいかくそうとしたことは明白です。E・B・プセイ教授は,オックスフォード大学で行なった講議(1885年に出版された)のひとつの脚注の中で,マソラ学者の付した強勢について意見を述べています。
「ユダヤ人たちは,その節の主要な終止符を〔7〕の下に置き,二つの数字つまり7と62を切り離すことをもくろんだ。彼らはこれを不正直な気持ちからしたにちがいない。……ラシ[西暦12世紀の著名なユダヤ教のラビ]が,クリスチャンに有利な字義通りの注釈を退けるさいに述べているとおりである」。
大多数のユダヤ人がダニエル書 9章25節を,イエス・キリストに適用することを拒みつづけているのも驚くにはあたりません。彼らの見方は,西暦11世紀から15世紀のあいだのユダヤ教の学者や思想家たちの影響を大いに受けているのです。この期間は,極端な反セム族主義のためにユダヤ人が苦悩した時でした。その憎しみはおおかた,イエス・キリストの追随者と自称する人々によってかもし出されたのです。そのためにイエスという名前は,ほとんど全部のユダヤ人にとって嫌悪すべきものになりました。その時代以降のラビの聖書注釈書が,明らかにイエスに成就した多くの預言をメシヤに適用することを拒んだのも不思議ではありません。
しかしながら,「クリスチャン」であると偽善的に唱える人々の行なった悪にも災いされることなく,イエスの名に対して偏見をもたなかった誠実なユダヤ人も多数います。そうした人々は,ユダヤ人の福音伝道者,マタイ,マルコ,ルカ,ヨハネによって書きしるされた,地上におけるイエスの奉仕にかんする記録を読み,自分で証拠を調べました。また,イエスが約束のメシヤであることを示すヘブル語聖書の預言も調べました。そして調べた結果,イエスがほんとうにメシヤであることを信ずるに至りました。
もしあなたが,約束のメシヤの来たことを信じない多数のユダヤ人のひとりでしたら,時間をかけてこの問題を徹底的に調べてみてはいかがですか。もしイエスが,ダニエル書 9章に預言的に明示されているキリストであるなら,あなたはたしかに,キリストに反対する立場に身を置いて,祝福を失うことは望まないでしょう。エホバの証人は,イエスがメシヤであることを示すさらに多くの事実をあなたがお調べになって,メシヤの義の支配の祝福を受ける者となられるよう,喜んでご援助いたします。
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