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家々に住む人がなくなるまで癒されないものみの塔 1967 | 2月15日
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遣わしていただきたいと申し出てのちは,初志を撤回せず,また,たとえ彼の民に対するエホバからの知らせが厳しいものであっても,願い出た事を回避しようとはしませんでした。イザヤはエホバの忠実な証人であることをりっぱに証明したのです。
30 (イ)イザヤはエホバからの預言的な知らせを,家々に住む人がなくなるまで伝え続けましたか。(ロ)従順に行って伝えたことは,空しく終わりましたか。
30 イザヤは,ウジヤ王の曾孫に当たるヒゼキヤ王が正しく世を治めた時代まで,つまり紀元前775年から732年までの43年間預言し続けました。それで,紀元前607年にエルサレムとその宮がバビロンの軍勢によって滅ぼされ,ユダの全土が荒廃に帰し,家々には住む人もなくなり,生き残ったユダヤ人は遠いバビロンの地に連れ去られ,そして流刑の身となって苦しい生活を送る事態が生じる時まで,イザヤが預言し続けたのではありません。その時に身分の低いユダヤ人の少数の者がユダの地に残されましたが,バビロンからの報復を恐れて,エジプトに逃げ去り,その地で死にました。こうしてイザヤは,国家的なこの大災害の起きる約125年前にその預言的なわざを終えましたが,エホバが彼を遣わしてその民に宣明させた恐ろしい知らせは,人々が遂にはなはだしい苦しみを受けた時,その真実が証明されました。イザヤが遣わされたのは空しい事ではありませんでした。また,従順に,行って伝えたことは空しく終わりませんでした。―歴代下 36:15-21。列王下 25:1-26。
切り株のような「聖なる子孫」
31 イザヤに委ねられた知らせが,全く希望のない音信にならぬよう,エホバはどんなことばを加えられましたか。
31 しかし,エホバの宮でイザヤに委ねられた知らせによれば,希望が全く失われたわけではありません。エホバは次のようなことばを終わりに付け加えられています。「『…その中に十分の一の残る者があっても,これもまた焼き滅ぼされる。テレビンの木またはかしの木が切り倒されるとき,その切り株が残るように』。[聖なる子孫]はその切り株である」。(イザヤ 6:13,[新世訳])このことばにより,イザヤは,「この民」の中に聖なる残れる者があるという保証を与えられ,慰めを得ました。イスラエルの国は,燃料にするために切り倒された巨大な木のように再三再四燃やされても,イスラエルの象徴的な木の大切な切り株は残されるのです。ひとたび少しの水を得さえすれば,この切り株からは再び芽が生じ,この木は再び成長するでしょう。この残りの部分,つまり地下に根を張っている切り株は,エホバにとって聖なるすえあるいは子孫なのです。
32 (イ)イザヤの知らせの中の慰めを与えるこの部分が真実であることは,どうしてわかりますか。(ロ)この事は,この同じ宮の預言に関するどんな事柄を可能にしましたか。またどのように今日の私たちにも影響を及ぼしますか。
32 エホバがイザヤを遣わして伝えさせた音信の中で慰めを与えるこのことばも真実であることが証明されました。ユダの地が完全に荒廃していた70年の終わりに,ユダヤ人の中の,悔い改め神を畏れる残れる者は,紀元前537年バビロンの捕囚から解放され,帰国しました。そしてエホバの宮を再建し,また同時にエルサレムの都を再興したのです。こうして,ユダの地にエホバ神の崇拝を復興させるために「聖なる子孫」が用いられました。(歴代下 36:20-23。エズラ 1:1–6:22)ユダヤ人が,神より与えられた母国に再帰できたことにより,宮でイザヤに与えられたエホバの預言の2番目の成就が可能になりました。それは大いなるイザヤに関連する成就です。肉によるイスラエル人の上に起きたこれら二つの歴史的な成就は,イザヤが宮で得た預言の3番目の成就をあらかじめ示しています。では次にこの問題を調べましょう。
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「われこゝにあり 我をつかはしたまへ」とあなたは語りましたかものみの塔 1967 | 2月15日
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「われこゝにあり 我をつかはしたまへ」とあなたは語りましたか
1 宮でイザヤに与えられた預言はいつ2回目の成就を見ましたか。このことに関連してエホバの立てられた方がだれであるかは,どうしてわかりますか。
聖書中には3回の成就を伴う数多くの預言があります。その3回目の成就は最終的なものであって,20世紀の現代に起きるのです。この事のゆえに,そのような預言は私たちにとってきわめて重要です。イザヤが聖なる宮でエホバ神の幻を見ていた時に与えられた預言もその一つです。(イザヤ 6:1-13)この非常に重要な預言は,19世紀前,エホバ神が第2のイザヤつまり大いなるイザヤを立てられた時,2回目の成就を見ました。この大いなるイザヤとはだれでしたか。クリスチャンになったヘブル人にあてて書かれた手紙で,私たちのため聖書中に収められ保存されてきた本の2章にそれは書かれています。
2 イザヤは自分の子供について何と言いましたか。大いなるイザヤがだれであるかを示すために,そのことばはどのように引用されましたか。
2 イザヤは結婚した人で,女預言者でもあったイスラエル人の妻との間には2人か3人の子供がいました。イザヤは預言的な型となるために,霊感の下にこう語りました。「見よ,わたしと,[エホバ]のわたしに賜わった子たちとは,シオンの山にいます万軍の[エホバ]から与えられたイスラエルのしるしであり,前ぶれである」。(イザヤ 8:18[文語])約800年後,聖書の一筆者はヘブル人への手紙 2章11-14節で,イエス・キリストに関して次のように書きました。「実に,きよめるかたも,きよめられる者たちも,皆ひとりのかたから,〔神から〕出ている。それゆえに主は,彼らを兄弟と呼ぶことを恥じとされない……『見よ,わたしと,神がわたしに賜わった子らとは』と言われた。このように,子たちは血と肉とに共にあずかっているので,イエスもまた同様に,それらをそなえておられる。それは,死の力を持つ者,すなわち悪魔を,ご自分の死によって滅ぼし」。以上のことばは,イエス・キリストが大いなるイザヤであることを明らかにしています。
3 (イ)この大いなるイザヤが宮でエホバから幻を与えられる必要がなかったのはなぜですか。(ロ)人間としての彼の名前は,彼の職務の名称とどのようによく一致していましたか。
3 この大いなるイザヤには,イザヤが幻で見たように,エホバが宮に来られ,セラピムに仕えられている様を奇跡的な幻で見る必要がありますか。その必要はありません。彼はかつて神の天的な御子であり,天のみくらに座していられる「万軍の[エホバ]なる王」を見,エホバとともに天的な栄光にあずかっていました。(ヨハネ 17:5,11,20-24)彼は,天的な栄光を捨て,その生命力がエホバの奇跡的な力によって天から地に移されたとき,人間イエス・キリストになられたのです。(ルカ 1:26-38。ピリピ 2:5-11)地上に来た御子に,エホバ神の命によって与えられた人間としての名前は,ジェホシュアを短かくしたイエスでした。その意味は,イザヤという名前の意味と同じです。ただことばの順序は反対です。
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