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    ものみの塔 1964 | 2月15日
    • は明らかです。それは創世記 9章25節と26節に記録されています。「カナン詛はれよ彼は僕輩の僕となりてその兄弟につかへん。……セムの神エホバは讃むべきかなカナン彼の僕となるべし」。

      アブラハムをとおしてセムの子孫であったヨシュアとイスラエル人は,何年も昔に述べられたこの霊感によるのろいについてよく知っていました。そののろいは実現するでしょうか。ヨシュアとその民は,神の指示に従い,のろわれたカナンの子孫の住む土地を手に入れるためにヨルダン川を渡りました。イスラエル人がエリコとアイを攻略したのち,ギベオンの町からカナン人が出てきて和を請い,ヨシュアにこう言いました。「われわれはあなたがたのしもべです。それで今われわれと契約を結んでください」。―ヨシュア 9:11。

      ヨシュアはその要求を入れて彼らと契約を結び,そして言いました。「あなたがたは今のろわれ,奴隷となってわたしの神の家のために,たきぎを切り,水をくむものが,絶えずあなたがたのうちから出るであろう」。神のことばのなんという驚くべき成就でしょう!「イスラエルは強くなったとき,カナンびとを強制労働に服させ」たのです。カナン人は何百年もイスラエル人に仕えました。そのことによって神のみことばは真実であることが証明されました。―ヨシュア 9:23。士師 1:28。列王上 9:20,21。

      アブラハムに与えられた約束

      それにしてもエホバはなぜ,悪鬼を崇拝するカナン人の土地を占領するようにイスラエル人に指示されたのでしょうか。それは400年まえ忠実なアブラハムに約束されていたからでした。アブラハムが,神の指示に従って,カルデヤのウルにあった自分の家を離れ,カナンの地まで来たとき,エホバはアブラハムに言われました。「目をあげてあなたのいる所から北,南,東,西を見わたしなさい。すべてあなたが見わたす地は,永久にあなたとあなたの子孫に与えます。わたしはあなたの子孫を地のちりのように多くします。もし人が地のちりを数えることができるなら,あなたの子孫も数えることができましょう」。―創世 13:14-16,新口。

      子供のない者にまたなんという約束が与えられたのでしょう! アブラハムは85歳,その愛する妻サラは75歳でしたが,彼らにはまだ子供がいませんでした。で,その時は,子孫をつくるためにアブラハムがサラの仕え女ハガルをめとることになりました。そのうちにイシマエルが生れましたが,彼が13歳になったとき,神はアブラハムに,この土地を与えられる相続者はイシマエルではないと言われました。すなわちエホバがこう言われたのです。イシマエルは「十二人の君たちを生むだあろう。わたしは彼を大いなる国民としよう。しかしわたしは来年の今ごろサラがあなたに産むイサクと,わたしの契約を立てるであろう」。―創世 17:20,21,新口。

      ヨシュアもイスラエル人も,イサクの誕生を自分の目で見たわけではありませんが,彼が生れたということは,彼らにとって神のみことばの確実性を証明するものでした。しかしイシマエルが12人の君たちを生むという約束については何が言えますか。霊感による記録はこうなっています。「イシマエルの子らの名を世代にしたがって,その名をいえば次のとおりである。すなわちイシマエルの長子はネバヨテ,次はケダル,アデビエル,ミブサム,ミシマ,ドマ,マッサ,ハダデ,テマ,エトル,ネフシ,ケデマ」。イシマエルは神の約束どおり12人のむすこをもったのです!―創世 25:13-15,新口。

      ヨシュアは,神のみことばが失敗に終らなかったという直接の証拠をもっていました。というのは,イシマエルのむすこたちの名前をもつ人々が,ヨシュアの時代にもいたからです。たとえばヨブ記 ― モーセがヨシュアの時代に書いたことは明白 ― には,「テマの隊商」のことが述べられており,預言者イザヤは,「テマの地」について書いています。「ケダル」は聖書にいく度も述べられています。そしてイスラエルはあるとき「エトル,ネフシ」と戦っています。イシマエルはたしかに,エホバの言葉どおり「大いなる国民」になりました。―ヨブ 6:19。イザヤ 21:14,16,17。エレミヤ 49:28。歴代上 5:19,新口。

      イサクとヤコブの預言

      アブラハムのむすこイサクは,2人のむすこをもっていました。彼らはふた子でひとりはヤコブもうひとりはエサウと言いました。イサクは,むすこエサウにかんする預言の中で,神の霊感のもとに次のように語りました。「あなたのすみかは地の肥えた所から離れ,また上なる天の露から離れるであろう。あなたはつるぎをもって世を渡り,あなたの弟に仕えるであろう。しかし,あなたが勇み立つ時,首からそのくびきを振り落すであろう」。―創世 27:39,40,新口。

      ヨシュアとイスラエル人は,この神のことばの真実性を目撃しました。彼らは「エサウ〔エドムとも呼ばれた〕」が,肥えた土地からほど遠い「セイルの山地に住んだ」のを見たのです。パレスチナとアラビアの間の貿易ルートは,彼らの領地を通っていました。そしてエドム人は,強盗を働いたり隊商から略奪して生活しました。彼らはつるぎをもって世を渡ったのです。―創世 36:8,新口。

      彼らがイスラエル人の兄弟たちに仕える,という預言の成就においては,「エドムびとは皆ダビデのしもべとなった」。実際に,神の言葉はすべて成就したのです!―サムエル後 8:14。列王下 8:20-22。

      神の霊の導きのもとに,イサクのむすこヤコブは,その12人のむすこと曽孫エフライムおよびマナセを祝福しました。そのときまでにはヤコブとその大家族はエジプトに移っていました。ヤコブが死の床で祝福を与えたのはエジプトにおいてでした。「つえユダを離れず,立法者のつえはその足の間を離れることなく……」とヤコブは預言しました。そしてその言葉どおり,ダビデの即位とともに,支配権がユダの家系に移ってからは,ユダの族からその支配権が離れたことはないのです。―創世 49:8-10。

      ヨシュアはこの預言が成就するまで生きてはいませんでしたが,マナセとエフライムにかんする預言の成就はその目で見ました。エフライムは「彼〔マナセ〕よりも大いなる者となり,その子孫は多くの国民となるであろう」とヤコブは預言していたのです。それから200年後,イスラエル人がエジプトを出たときの人口調査は,エフライム族がマナセ族より何千人も多いことを示しました。また,荒野の旅行の終り頃,モーセは「エフライムに幾万」と言っていますが,「マナセ」は「幾千」と言っているだけです。―創世 48:19。民数 1:33-35。申命 33:17,新口。

      エジプトから約束の地まで

      ヨシュアとその仲間のイスラエル人は,エジプトを出て約束の地にはいるまでに,神のみことばの著しい成就を数多く見ました。エホバはかつてアブラハムに,「あなたの子孫は他の国に旅びととな(る)」が,「その後かれらは多くの財産を携えて出て来るでしょう」と預言されていました。その後,イスラエルがまだ「他の国」に捕虜としていたとき,エホバはモーセに言われました。「わたしは下って,彼らをエジプトびとの手から救い出し,これをかの地から導き上(る)。わたしはこの民にエジプトびとの好意を得させる。あなたがたは去るときに,むなし手で去ってはならない」。―創世 15:13,14。出エジプト 3:8,21,22,新口。

      その後に展開した出来事は実に著しいものでした。パロがイスラエル人をエジプトから去らせるのを拒んだとき,エホバはその使者モーセをつかわして,ナイル川の水を血にかえる,とパロに警告されました。神のみことばにたがわず,ナイル川は血のようになり,魚は死に,水は飲めなくなりました。神はパロにくりかえし災を警告し,彼がかたくなになるごとに,ご自身の言葉どおりに災をくだされました。エホバの言葉が失敗に終ったことは一度もありませんでした。―出エジプト 7章から12章。

      エジプトのすべての初子を打ち殺した10番目の災のあと,パロはイスラエル人に去るように言いました。イスラエル人は,神が何百年も前に預言されていたように,「多くの財産を携えて出て」きましたか。そのとおりでした。エホバは「民にエジプトびとの情を得させ,彼らの請い求めたものを与えさせられた。こうして彼らはエジプトびとのものを奪い取った」。エホバのことばがくりかえし成就されたのを見た若いヨシュアは,どんなに深い感銘を受けたことでしょう!―出エジプト 12:35,36。

      荒野においても,エホバの言葉が確かなものであることは,いく度も証明されました。イスラエル人をエジプトから導き出してから1カ月後,神はつぎのように約束されました。「見よ,わたしはあなたがたのために,天からパンを降らせよう。民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない」。そしてそのとおりに神は『天からのパン』を備えられました。「イスラエルの人々はそれを見て互に言った,『これはなんであろう』」。それはエホバが約束されていたパンで,イスラエルが「マナ」と呼んだものでした。―出エジプト 16:2-36,新口。

      しばらくしてイスラエル人は不平を言い出しました。このマナ以外に食べる物がなかったからです。彼らは肉をほしがりました。そこでエホバは約束されました。「あなたがたは身を清めて,あすを待ちなさい。あなたがたは肉を食べることができるであろう」。荒野の中で,そのような大群衆に肉を与えるのは不可能のように思われましたが,エホバは約束を守られました。エホバは風を起し,「海の向こうから,うずらを運んできて,これを宿営の近くに落した」のです。その鳥の数は驚くべきものでした!―民数 11:4-33,新口。

      イスラエルはついに約束の地の境までやってきました。彼らは不従順であったために40年間荒野をさまよいました。いま神は,アブラハムに約束されたとおり,この土地を彼らに与えられるでしょうか。住民のカナン人は強敵であったにもかかわらずエホバは,「あなたはその地の民を追い払って,そこに住まなければならない。わたしがその地をあなたがたの所有として与えたからである」と言って励まされました。ヨシュアにとって,この神の確かなことばは,どんなに励みになったでしょう。―民数 33:50-53,新口。

      カナン人の地を征服していく年か後,年老いたヨシュアは,次のことを民に思い起させました。「あなたがたは,あなたがたの神エホバが約束なさったとおり,彼らの土地を手に入れた」。ヨシュアが人々に銘記させようとしたのはこの点でした。つまり,エホバの言葉を信じよ,それは必ず成就する,ということでした。「汝らは一心一念によく知るならん」とヨシュアは強調しています。汝らの神エホバの改らにつきて宣ひしもろもろの善事はひとつも欠くる所なかりき皆なんぢらに臨みてそのうちひとつも欠けたるものなきなり」― ヨシュア 23:1-4。

      あなたは神のことばを疑いますか。神の約束で,予定の時に成就しなかったものを一つでもあげることができますか。それは不可能です。「それらはみな成就した」からです。ですから神のたしかな言葉は信頼できるものです。神のことばを信じてください。そしてその正しい原則に従って生活し,神のおたてになる新しい組織制度の中における永遠の生命を楽しんでください。

  • 都市で失敗
    ものみの塔 1964 | 2月15日
    • 都市で失敗

      ● サタデー・イブニング・ポスト紙上で(英文,1961年11月18日付)G・パウム・ムセルマン牧師は次のように述べた。「今日の教会の最大の使命は,非文化の地の果てなどに行く事ではない。最大の職務は文明都市のただ中,ビルとアスファルトのジャングルの中にある。そここそ教会が失敗した所だ。会衆の衰微と閉鎖された教会堂とがその失敗の証拠であり,それは今日の物質文明を意味づけるに足る精神的な力を切実に求める人々の生活に教会がはいり得なかったためである。……過去15年ほどの間に,ニューヨーク市は300以上の教会を失い,シカゴは150,クリーブランドは72,デトロイトは63の教会を失っている。……教会指導者は豪華な建物に心を注ぎ,その中ではクラブ化した会衆が往々にして外部の世界を忘れ,もはや自力では支え得ぬ巨大な虚構の中にあってただ抱き合いつつ死の道を行くにすぎない。……おそらく新教主義は,その使命が物質資産の管理にあるのではなく,クリスチャン文化の造り手になる事だと認識する以前に,さらにいくつかの個性を失うことになろう」。

  • この世の霊を見分ける
    ものみの塔 1964 | 2月15日
    • この世の霊を見分ける

      「わたしたちが受けたのは,この世の霊ではなく,神からの霊である」― コリント前 2:12,新口。

      1 どんな精神が地にひろまっていますか。それはどんな影響を与えていますか。

      今日の世界には霊がはんらんしています。昔の一筆者はこれを「この世の霊」と呼びました。それはあらゆる場所の人々に感化を与え,人々を悪い道に導いています。それで世界の状態はますます悪くなり,災のやむことがありません。

      2,3 (イ)「この世の霊」を何に解してはなりませんか。(ロ)「この世の霊」とは何ですか。

      2 「この世の霊」という表現をどう理解すべきですか。それは悪鬼すなわち人類に大きな影響を及ぼしている超人間,超自然の見えない霊者ではありません。目に見えない悪鬼が存在し,また悪鬼のかしらが存在することを示す証拠はたくさんあります。しかし「この世の霊」は見えない者,理知を持つ霊者ではありません。それが目に見えないことはたしかであり,見えないという理由でそれは「霊」と呼ばれています。しかしこれは霊者を指すのではありません。この霊は人類の世界一般の特色となっています。人類の世界はこの霊を表わしています。すなわち世の多くの人はこの霊を持つことを示しています。では「この世の霊」とは何ですか。

      3 それは心の持ち方,心にある考え,人類の世界を支配している精神です。この世に見られる行き方すなわち話し方,考え方,態度,ものの見方,決定の仕方と行動はすべてこの精神に影響されており,従って特有な型にはまっています。それは特定の行動,一様な行為を生み出します。このように外見に表われるものは,人類の世界が持つ精神を如実に反映しているのです。

      4 今日いろいろな種類の人が,同じ「この世の霊」を持つことは可能ですか。

      4 今日の世界は人種,皮膚の色,国籍を異にし,何千の異なる言語を有し,習慣や服装を異にし,宗教を異にするあらゆる種類の人々から成り立っています。しかしこのように異なる人々が同じ「この世の霊」を持っていると言えますか。たしかにそう言えるのです。

      5,6 クリスチャン・ギリシャ語聖書によれば,人類の世界が示すこの共通の精神にはどんな異なった面がありますか。

      5 今日,人々が「恐れの気持」を抱いていることは世界中至るところで目につきます。また「迷いの気持」も全世界にはびこっているに違いありません。宗教をとりあげてみても,さまざまに異なった意見と教えがあります。互に異なるすべての意見,思想,理論,教えがすべて正しいはずはありません。多くの偽りがひろまっているのです。

      6 目ざとい人ならばすぐ気づく通り,世の人の多くは「眠け」をもよおしています。人々は今日の世界の出来事の意味を知ろうとせず,また世界情勢の意味に目ざめて自分自身の安全と永久の福祉のために行動をおこそうとしません。また人々は自分から認めようとはしませんが,実際には「捕われ」の精神を示しています。また時勢の圧力も手伝って,利己主義の精神が至るところにはびこっています。この利己主義の精神は,政治,商業,個人のつき合いから国際関係に至るまで,あるいは娯楽,宗教その他の分野においてすぐに出てきます。たしかに世界はその表わす精神において一つです。a

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