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聖書は真実にして霊感されたものものみの塔 1962 | 9月1日
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した,「あの人たちから手を引いて,そのなすままにしておきなさい。その企てや,しわざが,人間から出たものなら,自滅するだろう。しかし,もし神から出たものなら,あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば,諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。(使行 5:38,39,新口)もし,キリスト教がいつわりという証拠があるなら,裁判官ガマリエルはキリスト教が神の支持を受けていると感じたでしょうか。また,サンヘドリンは彼の助言に聞き従ったでしょうか。クリスチャンたちはキリストの奇跡と復活について真理を告げました。そのことは,真実を語ったために一生の迫害を受けようと,また殉教しようとも,彼らがその苦しみを受けることに甘んじていたことからも分かります。犯人は死をまぬかれようと思って,絶対の事実を否定します。しかし,クリスチャンは神の真理をいつわりと示すよりも,よろこんで死にます。他の人々は,教理を熱狂的に信じて死にましたが,クリスチャンたちはそのような死方をしませんでした。クリスチャンたちは事物を見て,聞きました。彼らはくさった体と復活されたラザロのあいだの相違を知りました。盲人,耳の聞こえない者,おし,そしてびっこはとつぜん目が見え,耳が聞こえ,話し,そして歩くことができるようになりました。その事実は,ぜったいたしかです。(ヨハネ 11:32-46。ルカ 7:22)クリスチャンたちは,たとえ死刑に処せられても,見たり聞いたりしたものを否定しませんでした。彼らは,そのような奇跡のときに与えられた教えを信じていたため,復活のたしかな希望を持っていました。―ヨハネ 5:28,29。
ハンムラビの法典
「しかし,モーセはハンムラビの法典から言葉を借りたのではないか」。そのようなことはありません。彼は,アダムと族長たちから伝えられてきた最初の記録以外には,書かれた他の資料から言葉を借りていません。その最初の記録に関して,モーセはそれはアダム,ノアそしてセムのような人々の書いた歴史で,彼らの手中にあった歴史であると述べています。(創世 5:1; 6:9; 11:10)同様に,モーセはノアの時の大洪水のことを知っていましたが,彼はその大災害に基づくバビロン人の伝説や他の伝説からそのことを知ったのではなく,その洪水を生残った人々が書いた報告から知ったのです。モーセは,これらの最初の歴史や律法に,神から与えられた律法契約や十戒をつけ加えました。エホバが族長たちに与えた原則や命令は,聖霊のみちびきの下に律法契約の中に含められました。
このことに関連して,ラビであるヒリップ・ビバーフェルドが「一般ユダヤ史」(英文)の中で述べている言葉は興味深いものです。「ハンムラビの法典,ヘテ人の法律,および契約の本と聖書の他の部分に含まれている聖書の律法は,聖書中にいちばん良く保存されている共通の源にさかのぼる。聖書の中では,それの本来の簡素さが保たれている。………これらの法典の起源とも言える共通の源は,ノアの時代の法律と同一のものである。伝説によると,それらは全人類の相続したものであった。契約の本の中では,最初の神の律法は,聖書の法制変化とともにふたたび発布された。………このすべては,次の確信を絶対的に証明するものである。すなわち聖書の単純明白な作成は,人工的な排除の所産でなく,最初からその清純さと簡素さを持つものである。この結論は,昔の法律の領域よりもはるかに深い意味を含んでいる。それは,清くて美しい聖書の言伝えを,みにくくて間違った話のある神話とくらべる場合,決定的な意義を持つ」。―153,154頁。
霊感された預言
聖書の真実なることを証明する証拠はたくさんあります。しかし,その中でも霊感された預言が最大の証拠です。人間は将来を正確に預言することができません。真実の預言は真の神エホバから来ます。彼は次のように言われています。「見よ,さきに預言した事は起った。わたしは新しいことを告げよう。その事がまだ起らない前に,わたしはまず,あなたがたに知らせよう」。(イザヤ 42:9,新口)この記事についている預言の表を調べなさい。預言を成就している出来事は,あなたご自身の観察したもの,また聖書の歴史と世俗の歴史を通して,あなたもご存知の出来事です。その預言は,成就した時よりもずっと昔,幾世紀も昔につくられました。これらの預言の成就は,聖書が神の霊感を受けて書かれたことを証明します。ご希望なら,エホバの証者はよろこんでその詳細をお知らせします。お調べになって,預言が連続的な奇跡と呼ばれる理由を知って下さい。
この表は成就された聖書預言の全部ではありません。また,聖書の真実性に関するすべての証拠がここにしらべつくされたわけではありません。しかし,考古学,歴史,預言および理性から学んだことにより,正直な人はテモテ後書 3章16節のパウロの言葉が真実であると確信するでしょう。「聖書は,すべて神の霊感を受けて書かれたもの………」。
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「金に淡白」ものみの塔 1962 | 9月1日
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「金に淡白」
あるエホバの証者は,自分の職場を訪れた証者たちの態度によって真理にひきつけられたと語っています。「私の働く理髪店に,エホバの証者は何時も来て,『ものみの塔』と『目ざめよ!』を私にすすめました。私は熱心なカトリック信者であり,霊媒術の信者でもあったので,何時もことわっていました。ところがある日,客の一人が雑誌を求め,金を渡して釣り銭はいらないと言ったのです。その証者は,おつりを頂くことはできませんと答えました。それを聞いて私は好奇心を持つようになりました」。
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