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「善意の人には平和」,それともハルマゲドン ― そのどちらですかものみの塔 1965 | 1月1日
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はこれら「善意の人」のことを昔から考慮されていました。それでおよそ六千年前に世の基がすえられた時から,神は,愛するみ子の国の治める清められた楽園にこの人々を住まわせる準備を始められました。天の御国において,王は霊的な兄弟たちと共に治め,全人類を祝福します。「善意の人」に数えられなかった人々は,ハルマゲドンにおいて滅び,こうして清められた地は,天の御国の地的な領域となります。地は楽園となって,神の国に対する賛美と感謝とにみちるでしょう。サタンと悪鬼がそれを妨げることはできません。
57 いまどんな行いをすれば,平和な地上の楽園に住むことが可能となりますか。
57 「善意の人」にとって,楽園の地は栄光と平和のみちた永遠の住みかとなります。読者の皆さんはそれを望まれますか。神の恵みを失った人々と共にハルマゲドンで滅びるのを避けるためにさっそく行動し,いま心からすすんで神の「善意の人」となって神からの平和を享受するとき,楽園の地に住む望みがかなえられます。
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預言に注意しなさいものみの塔 1965 | 1月1日
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預言に注意しなさい
(イ)預言に関してイエスはどんな助言を与えましたか。(ロ)諸国家は導きを得るために何をしましたか。どんな結果を得ましたか。
「よく注意していなさい」。終りの時に関して預言したイエスは,預言に対する正しい態度を弟子たちにさとして,このように言われました。(ルカ 21:34)世界情勢の発展につれて一般の人々や政府も将来を見通す必要を痛感している現在,この警告はきわめて適切です。歴史や政治の研究家,世界情勢を分析し研究する人々,さらには古代バビロンに起源を持つ星占いに至るまで,この世には多くのいわゆる預言者がいます。しかし古代バビロンの預言者と同じく,これらの預言者も失敗しました。またこれからも,将来を確かに預言することはできないでしょう。―イザヤ 47:12-15; 44:25,26。
いま全世界に宣明されている預言
(イ)聖書の預言はなぜまさっていますか。だれでもそれから益を得られるのはなぜですか。(ロ)今日「エホバ」は預言者として,どんな器を用いられていますか。このグループは預言をどのように見なしてきましたか。
いかに専門家のものといえども推測の域を出ない人間の預言とは異なり,エホバの預言は,万物を支配し,預言を成就させる力を持つ宇宙の創造主から出たものです。エホバの預言はそのことばである聖書にしるされているゆえに,だれでも調べることができます。その預言に注目し,それを理解したいと心から願うならば,その機会はだれにでもあります。文字の読めない人でも聞くことができます。初期クリスチャン会衆の時代と同じく,今日でも神の預言者の働きをする組織が存在するからです。(使行 16:4,5)イエスはこれらのクリスチャンを「忠実な思慮深い僕」と呼びました。(マタイ 24:45-47)このしもべであるグループは,「預言を軽んじてはならない」とはっきり命ぜられています。(テサロニケ前 5:20)エホバの油そゝがれた証者の場合に,この事は真実です。彼らは最大の敬意をこめて預言に注意を払ってきました。それで自分たちの間違いが預言の光によって明らかになったときは,それを正しました。キリスト教国において行なわれているものでも,彼らは,預言から見て非とされる行いを容赦しません。(イザヤ 58:1)また世の憎しみを受けても,神のことばの預言を宣明してきました。―マタイ 24:9。
エホバの預言は成就する
(イ)ユダのマナセ王は,神の律法と預言に対する不敬をどのように示しましたか。(ロ)ゆえにどんな預言がその上に成就しなければなりませんか。そのためどんな器が用いられましたか。
預言に注意する必要を明白にするため,ユダの国の歴史を簡単に振り返ってみましょう。ダビデの家系の王が治めたこの国も終末に近い頃,すなわちダビデ王から14代目の王マナセのときの事です。善政を行なった父ヒゼキヤ王のあとを継いで王位に上ったマナセは,55年間治めました。王はユダの歴史またその先祖の上に成就したエホバの預言を十分に学び知る機会に恵まれていました。ダビデの位に坐る王について,神は次のことを預言していました。「もし彼が罪を犯すならば,わたしは人のつえと人の子のむちをもって彼を懲らす」。神のことばと預言にまっこうからさからって,マナセは占星術,魔術,うらない等のバビロン的な宗教に頼りました。そして王の家に生まれた自分の子を,カナン人の神バアルへの人身御供にさえしました。またエルサレムにあったエホバの宮の二つの庭に,太陽,月,星を拝むための祭壇を築きました。「彼は刻んだ偶像を造って」,神の聖なる宮に安置しました。そのため,神の預言した事柄は,第2の世界強国アッシリアの手によってマナセの上に臨みます。神は預言を成就する器としてアッシリアを用いました。―サムエル後 7:14。歴代下 33:1-7。
マナセが神のことばと律法を軽んじたことは,どんな結果を生みましたか。
しかしモーセその他の預言者によって与えられた神のことばを,マナセが無視したことは,彼自身の上に罰をもたらしただけではありません。マナセのゆえに,ユダは土地の異教徒にもまさる悪を行ないました。エホバ神はマナセの耳をそばだたせずにはおかないような痛烈な預言を告げました。「見よ,わたしはエルサレムとユダに災をくだそうとしている。これを聞く者は,その耳が二つながら鳴るであろう……わたしは……人が血をぬぐい,これをぬぐって伏せるように,エルサレムをぬぐい去る。わたしは,わたしの嗣業の民の残りを捨て,彼らを敵の手に渡す」。―列王下 21:10-15。
イザヤは,土地とその住民に対するエホバの裁きをどのように預言的に描写しましたか。
悔い改めることを知らないマナセの行いのゆえに,無実の者の血が「多く」流されました。(列王下 21:16)ユダヤ人のラビの書きものによれば,イザヤもマナセ王に殺された一人です。イザヤはのこぎりでひかれたとも言われています。マナセはイザヤによって告げられたエホバの同様な預言をも軽んじました。「視よエホバこの地をむなしからしめ荒廃れしめ,これを覆へしてその民をちらしたまふ……地はことごとく空しくことごとく掠められん,こはエホバの言ひ給へるなり地はうれへおとろへ……たり民おきてにそむき法を犯し,〔十戒に基づく〕とこしへの契約をやぶりたるがゆえに地はその下にけがされたりこのゆえに呪ひは地をのみつくしそこに住める者は罪をうけ……その罪はそのうへにおもく遂にたふれて再びおくることなし」― イザヤ 24:1-20,文語。
(イ)マナセが地を汚したために,エホバはユダに対してどんな不変の裁きを定めましたか。(ロ)マナセはこの事を前以てどのように思い知らされましたか。それはマナセにどんな影響を与えましたか。
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