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  • 物質主義との戦いに肝要な物は自分を調べる事
    ものみの塔 1959 | 1月15日
    • つてから,1台のトラックを買い,家財道具を積みこんで,家族といつしよに南部におもむきました。協会は,この兄弟と家族を小さな町に割り当てました。世俗の仕事は,問題になるでしようか。この兄弟の心がまえは正しいものでした。そして「この町が5000人を養えるというななら,5007人でも養えるはずだ」と言つたのです。今日,この忠実な兄弟と家族は,兄弟たちにとつては励ましの源となり,善意者たちにとつては祝福となつています。このような例は,他にもたくさんあり,日々霊的な事柄を第一にする兄弟たちはよろこびの生活をしています。これらの忠実な兄弟たちは,物質主義の入りこむことを許しません。彼らは物質主義と戦い,物質主義にいつでも反抗し,物質主義の渦巻く海の中に溺れ死んではいません。

      14 物質主義という危険な流砂を避けるため,私たちは道案内にどれ程しつかり従わねばならませんか。つけ加えられた奉仕の特権という要求に対して,私たちはどのように答え応ずるべきですか。

      14 しかしながら,ある人々は新世社会内の進歩に対して,消極的な態度を採つています。そのような人は気を弛めています。それは良いことではありません。私たちは警戒をゆるめることができません,さもないと物質主義が入りこんで来ます。それで,私たちは自分の生命を正しく評価しなければなりません。クリスチャンは荒野であるこの世にいます。群れが道案内にしたがつて流砂のあるところを歩むとき,道案内は自分の跡にしつかり従うように,できるなら自分の足跡どおりに従うよう群れに告げます。この世という荒野を歩むときの道案内は,キリスト・イエスです。もし私たちが彼の足跡にしつかりと従うなら,物質主義という流砂に沈むようなことは決してないでしよう。一見したところ無実のように見えるこの力によつて,私たちが溺れて視界から消えさるということはないでしよう。私たちは目的地である新しい世にまつすぐ導かれて行くでしよう。それですから,あなたの信仰を妥協させてはなりません。あなたの信仰を生き生きとしたもの,張りのあるものにしなさい。霊的な面で成長するためのあらゆる機会を活用しなさい。ヱホバの御言葉の原則を深く考慮し,考える為に,余暇を用いなさい。最初,それはやさしいことではありません。そうするよう自分自身を強制しなさい。それは霊的な健康に極めて役立つものです。僕を援助するとか,講話をするとか,1時間の講演をするとか,あるいは時経て会衆の書籍研究の司会者にすいせんされる,というように会衆内で奉仕する特権がつけ加えられるとき,そのような特権をよろこんで受け入れ,あなたのクリスチャン責任をよろこんで果しなさい。大きな会衆の群れの中に姿をひそめ,最少限の奉仕で満足しているというようなことがあつてはなりません。進歩的で時勢におくれず,信頼に足るもの,そして熱心でありなさい。さもなければ,あなたの信仰は弱まり,あなたのクリスチャンとしての元気は消え夫せ,そして悪い考え方が入つて来るでしよう。

      15 物質主義は何処に導きますか。それだけの価値がありますか。

      15 世俗の機会が十分に良いときに,ちよつとだけ休んで,もつとこの世の品物を求めておこうと考える人々は,物質主義は何処にみちびくかを考えてごらんなさい。パウロはこう言いました,『富むことを願い求める者は,誘惑と,わなとに陥り,また,人を減びと破壊とに沈ませる,無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。金銭を愛することは,すべての悪の根であるある。人々は欲ばつて金銭を求めたため,信仰から迷い出て,多くの苦痛をもつて自分自身を刺しとおした。』(テモテ前 6:9,10,新口)それですから,悪いのは富でもなければ,富の代表するものでなく,むしろ物質的な富と所有物を得ようという決意であると知ります。クリスチャンがそのような決意を持つと,霊的なものよりも物質に多くの価値を置きます,そして危険なのはここのところなのです。世俗の仕事を長くするとか,勤務時間の外にも働くようになつて,研究とか黙想とか,野外奉仕というものはなくなつてしまいます。夫も妻も世俗の仕事をします。それは何の為ですか。一権威者は次のように語りました,『この世の富は木の実のようだ。木の実を得る為に衣服は多く破れ,噛みくだくのに歯はかけ,そして食べても腹は一杯にならない。』この道をどこまでも追い求める人は,間もなく新世社会のはずれのところに立ち,遂には新世社会の外に出てしまいます。新世社会の外には満足がなく,ただ不幸,不平,そして絶望があるだけです。

      16 信心を追い求める智恵について,パウロはどのように示していますか。

      16 物質主義はハルマゲドンの戦いの時にこの世と共に滅亡します。そのことを知るとき,ヱホバ神とその制度に対する強い愛を持つことにより勝利を得なさい。(テモテ前書 6章6-8節,新口)でパウロは次のように述べました,『しかし,信心があつて足ることを知るのは,大きな利得である。私たちは何ひとつ持たないでこの世を去つて行く。ただ衣食があれば,それで足れりとすべきである。』ここにおけるパウロの論議に注意しなさい。クリスチャンが信心を追い求めるとき,多くのものを得るというのです。この信心はヱホバの恐れに関連しています。それで,ヱホバの不興を受けることを恐れるなら,私たちは利己的な物質主義の欲望で自分の考えをゆがませることをしないでしよう。私たちは必要な物質だけで満足するでしよう。パウロの言うごとく,それは衣食だけです。

      17 ヤコブのどんな助言は,私たちを助けて,物質主義の深い水に溺れ死にすることを避けしめますか。

      17 その聖句には,これ以上の意味があるのだ,などという間ちがつた考えを持たないで下さい。その中には最新の物質,最善の物質も入つているのだと言い張ることは,聖句を歪曲して自分の悪い欲望に適合させることです。ヱホバはこのような悪い欲望を生ぜしめる方ではありません。弟子のヤコブは次のように述べています,『だれでも誘惑に会う場合,「この誘惑は,神からきたものだ」と言つてはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく,また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。人が誘惑に陥るのは,それぞれ,欲に引かれ,さそわれるからである。欲がはらんで罪を生み,罪が熟して死を生み出す。』(ヤコブ 1:13-15,新口)それで真実のクリスチャンは,物質主義という深い水のところで遂には溺れ死ぬという危険をおかしません。真実のクリスチャンは生きたいと欲します。そして自分の欲望を適当に制御します。

      18 今日ヱホバとその制度にかたくつきしたがい,肉欲に屈しないために,今日のクリスチャンは何をしますか。

      18 クリスチヤンは信心を追い求めて,物質主義を追い求めません。このサタンの哲学に気をつけることによつてのみ,物質主義に対する戦いは成功を収めます。他の場所にいるよりはヱホバの制度内にいる方がずつと良いと確信しなければなりません。新しい世における生命の機会を危険にするようなことは,何一つしないと心に思い定めねばなりません。そのとき,自分の必要とするすべてのものを持ちます。ヱホバに奉仕するために,あらゆるものの最善のものは必要でありません。しかし,ヱホバの制度は是非とも必要であつて,その制度にはかたくつき従わねばなりません。ヱホバは,制度を設けることにより,サタンの最も巧妙な手段の一つである物質主義に対する強力な防壁を建て起しました。物質主義として知られるこの脅威と戦うため,ヱホバの設けられたすべての御準備を利用しなさい。あなたの思いと心を,すばらしい見込を持つ新しい世に保ちつづけなさい。ますます拡大して行く新しい世の社会と歩調を揃えなさい。そして,今日の宣教に十分の参加をしなさい。これはあなたを霊的に強くならしめ,物質主義の狡猾な侵入に対する反抗は成功を収めることができます。ヱホバを愛する真実のクリスチャンは,考え深く自分の立場を評価します。自分自身を調べることは,是非とも必要です。そして又,新世社会と共に歩調を揃えて霊的な事柄に成長することは,物質主義と戦うときに肝要なものであるとも認識しています。

      19 新世社会外に出ることは,安全ですか。なぜ安全ではありませんか。

      19 生命か死かというこの問題について,そのクリスチャンは制度から助言を受け,そしてこの助言を自分の永遠の益のために適用します。信心こそ追い求めるべきであつて,物質主義を追い求めるべきものでないと記憶します。更に又,新世社会の外に出ることは安全でないとも知つています。新世社会外で物質主義の誘惑にも大丈夫反抗できる程強いと感じていても,新世社会外に出ることは安全でありません。他の者たちは,その誘惑に負けたということを一瞬でも忘れてはなりません。物質主義は,下層の逆流のように致命的なものです。それはあなたを引きたおして,あなたの生命を絶つことができます。常に存在しているその危険を認めなさい。それは人に見さかいをつけません。それですから,全世界にいるあなたの忠実な兄弟たちと共にあなたの生命を守る為に物質主義と戦いなさい。

  • 交わりは結果を生ずる
    ものみの塔 1959 | 1月15日
    • 交わりは結果を生ずる

      『悪い交わりは良い習わしをそこなう』という聖書の原則は,悪い種類の人々と交わるときに人々の受ける影響を示しています。一方,良い交わりは良い習わしを生ぜしめ,保たせるものです。アーネスト・ホワイトは,『クリスチャン生活と無意識者』という本の中で次のように書いています,『他の人と長い密接な友好関係を持つとき,自分には分らなくても他の人にははつきり分る程に,いろいろな点で変化が生じる。友好関係は変化を生ぜしめる力を持つている。この力は,人の知らぬ間に行使されるが,考え方とか,行動の仕方とか,また習わしの面で非常な影響を受けたのを知つてびつくりすることがある,それは,我々の愛する男とか女との交際によつて生ずるのである。同様に,両親とか先生が子供たちに大きな影響を与えることは疑いない。両親も子供も,そのことに気づいていないが,行状という面でそのことは表われてくる。』考えとか,行いで両親と先生が良い模範を示すことは全く大切なことです。

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