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    ものみの塔 1956 | 9月15日
    • れ,追放され,愛する者から引離され,刑務所に入れられ,死さえも受けました。しかし,彼らは真の戦士として忠実を保ち続けています。ヱホバの証者は,平和のうちに音信をもたらしました。しかし人々は暴力でもつてその音信を拒絶しました。現在は諸国家間の戦が行われているだけでなく,真理を宣明するためのはげしい霊的な戦も行われているのです。

      絶対に負けない備え

      8 私たちは,なぜ真理の帯を腰にしめなければなりませんか。どのように?

      8 この神の為の戦に参加するためには,何をすることができますか。兵士と同じように,戦をするためには私たちの備えを良く知らねばなりません。私たちは戦をする理由を理解すると共に,その戦が正しいものであることに確信を持つべきです。パウロは,長年に亙る宣教奉仕の多くの経験に基いて,クリスチャンの戦の主要な武具を箇条書に記しました。最初に『真理の帯を腰にしめ』と語りました。すなわち,真理はいつも身近かになければならない,ということです。私たちは真理の帯を腰にしめ,身をしつかり保つべきです。これは,聖書の討議には耳を向けようとせず,『教会に行つていますから』と無雑作に言う人の態度とは全くちがいます。それらの人は,1週間の中1回か2回は敬虔の装いをしますが,他の時には敬虔を打ち棄ててしまいます。そのような人々は,自分が真理と思つているものが何であるかを調べようとはしません。また自分の信条を深く知つておらず,まして神の言葉には通じていません。しかし,真理の正確な知識はクリスチャンに欠くことのできないものです。真の崇拝と偽りの崇拝の区別を知ることができないなら,偽りを曝露するという戦に参加することはできません。(イザヤ 28:17,18)真のクリスチャンたちは分裂していません。聖書には唯一つの真の信仰が記録されている,と真のクリスチャンは知つています。彼らは,『あなたの御言葉は真理です』と語られたイエスの言葉を信じており,その言葉に従う行をしています。この知識を持つ彼らは儀式とか言伝えの束縛を投げ棄て,神と心を一つにすることができます。『自由を得させるために,キリストは私たちを解放して下さつたのである。だから,堅く立つて,二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。』― ガラテヤ 5:1。エペソ 6:14。ヨハネ 17:17,新口。

      9 正義の胸当はどんな保護を与えますか。

      9 次に,私たちは正義の胸当をつけねばなりません。もし私たちが真理を伝道するなら,正義の中に真理に一致する生活をすることは是非必要です。もしそうしないなら,私たちは偽善者であつてヱホバの真の僕ではありません。私たちの奉仕は真心から為されるべきものであつて,生半可のものであつてはならないのです。肉の慾に負けて不道徳な行をする者たちは,神の御国を相続しない,と戒められています。ほんの少しの腐敗も急速に醗酵してしまい,神の目から見るときに,良い業をみな駄目にしてしまいます。そのような肉の慾は,魂の福利に対して戦を挑みます。それで,正義の胸当によつて防禦しなければなりません。―ガラテヤ 5:9,13。ペテロ前 2:11。

      10 私たちは,どんな良いたよりを宣伝えるよう命ぜられていますか。

      10 『立つて平和の福音の備えを足にはきなさい』(エペソ 6:14,15,新口)ヱホバの証者は人々のところに音信と慰めをもたらします。イエスは次のように語つて,同じ事柄を強調しました,『この御国の福音は……全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』(マタイ 24:14,新口)今日,全世界にいるヱホバの証者は,キリストが今や天の御座に即いており,また,私たちは信仰を持つすべての人々に神の御国を通して永遠の平和が来る変化の時に生活している,という良いたよりを人々に告げています。『よろこびの音信をつたえ,平和をつげ,善き音信をつたえ,救をつげ,シオンに向いてなんぢの神は統治めたもうという者の足は,いかに美しきかな。』(イザヤ 52:7)平和と希望の音信に悪しきことがらは一つもありません。神の御前にあつては,良いたよりを伝える者の足は美しく見えます。しかし,サタンの制度にとつては,この平和の音信は明白な宣戦布告のように見えるのです。

      11 (イ)信仰は,どのように私たちを守りますか。信仰は,どのようにして得られますか。(ロ)大きな信仰についての過去の例を述べなさい。

      11 そのわけで,『信仰のたてを手に取りなさい。それでもつて,悪しき者の放つ火の矢を消すことができる。』と私たちは戒められているのです。この戦で攻撃を受けることは必至でありましよう。故に戦を続けて行くためにヱホバへの信仰を必要とします。信仰によつて私たちは世に打克ち,そして忠実な奉仕を妨げるあらゆる妨害をも克服することができます。根気強く伝道しても,見たいと欲している結果が直ぐに得られない場合があります。しかし強い信仰のある時に,私たちは失意落胆することはないでしよう。ノアは長年のあいだ伝道した後でも失意せず,また断念しませんでした。ノアは神の真なることを知つていたのです。イザヤはこう語つています,『ヱホバよ,私たちの述べ伝えたことを信じたものは誰もいない……不従順で言返す民に私は一日中手を差し伸べた。』それでも彼は断念しなかつたのです。パウロはこの例をローマ人に告げています。なぜなら,たとえ多くの者は信じなくとも神の業は達成される,とパウロは悟つていたからです。私たちは信仰を打ち建てるための知識の基礎がないなら信仰を持つことはできません。神の正確な知識を多く持ち,また多く使用すればする程,私たちの信仰の盾は良く私たちを守るでしよう。―エペソ 6:16,17。ロマ 10:16,20,21。新世。イザヤ 53:1; 65:2。

      12 私たちはどのように救の冑をいただきますか。

      12 また,あなたの武具の一部として『救のかぶと』をも取りなさい。これはパウロの諭しの言葉です。過分の御親切を有せられる神は,キリストを通して私たちに永遠の救を与えられる御方です。パウロはそのことを良く知つておられました。この御準備は賜物であつて,すべての人に強制される者でない故に,その恩恵を受けるためには,私たちはこの御準備を受け入れねばなりません。多くの予言の成就を見たパウロは,次のように書きました,『今は,私たちの救が,初め信じた時よりも,もつと近づいている。』(ロマ 13:11,新口)この言葉は,今日のクリスチャンにとつて猶いつそう良く適用するものです。なぜなら,私たちは信仰を持つ人の救を見る時代に生活しているからです。(黙示 12:10)救を受ける人は直ぐに識別することができます。彼らが特別の衣服を着ているわけではなく,その信仰と業によつて識別することができるのです。彼らはヱホバのクリスチャン証者として生活し,また伝道することにより,その光を照り輝かしています。

      13 私たちは,なぜよろこんで霊の剣を取りますか。それをどのように用いますか。

      13 霊的な戦をするための武具で,極めて大切なものは,『御霊の剣,すなわち神の言葉』です。(エペソ 6:17,新口)これは,身を守るためにも,また攻撃をするのにも是非とも必要です。(コリント後 6:2-10)武器を持たない兵士は,何の役にも立ちません。また武器の使い方を知らないなら,戦場に長く居ることはできません。同じように,聖書を持つている福音の奉仕者が聖書を効果的に使用したり,聖句を見出したりすることができないなら,霊的な戦で無益な者となります。実際,今日の多くの牧師たちは,そのような状態なのです。彼らはヱホバの言葉を棄ててしまい,ヱホバの言葉が真実であり,霊感を受けたということを否定しています。そのような人たちは,どんな智恵を持つていますか。霊の剣を取りなさい,とパウロは言つています。ベレヤの人々は聖書を熱心に調べ,正しいと裏書きされたものを受け入れました。パウロはそのベレヤ人の行を賞めています。私たちもベレヤ人のように行うべきです。神は御言葉により人類に対する御目的と御意を知らせると共に,生命を頂くための要求を知らせているのです。私たちはこの霊の剣という武具を身につけて攻撃し,神によつて要塞をも破壊する程の力あるものになります。

      14 神はどんな祈りを聞きますか。

      14 パウロは霊感を受けて書いた諭しの言葉をこう続けています,『絶えず祈と願いをし,どんな時でも御霊によつて祈り,そのために目をさましてうむことがなく。』祈りをすることにより,私たちはこの霊的な戦の指揮者であり司令官であるキリストを通してヱホバに接し,かつ交わることができます。私たちは,必要な時に力と導きを与えて頂くよう神の御霊を願い求めねばなりません。私たちの祈りが神の御意と一致しているなら神は必らず私たちの祈を聞き給うでしよう。しかし,古い世の制度に属する戦士たちが血にまみれながら利己的なことを願う定期的な祈は,神に聞き入れられません。(イザヤ 1:15。エペソ 6:18,新口)兵士は『目をさましてうむことがなく』ということを是非行わねばなりません。しかし,この危急の時にいる今日のクリスチャンにとつてこのことは特に必要なものです。キリストが先見されたように,一般の世は彼の来ることを知りません。ヱホバの証者はそのことを公やけに発表していますが,世は認めないのです。大多数の人々は眠りつづけており,イエスの臨在されているしるしを見て叫ばれているよろこびの声にも目を覚まさないのです。―黙示 16:15。マタイ 24:42-44。

      15,16 私たちは,どのように霊的な戦に参加することができますか。私たちの為にどんな準備がなされましたか。

      15 最後に,ヱホバのどの戦士も真理を他の人に知らせる力を持たねばなりません。パウロはこう語りました,『私が口を開くときに語るべき言葉を賜わり,大胆に福音の奥義を明らかに示しうるように,……語るべき時には大胆に語れるように。』(エペソ 6:19,20,新口)くさりにつながれた大使として書いている時でも,パウロは自由に,そして大胆にいたしました。なぜなら彼は論争と,戦う理由を十分良く理解していたからです。クリスチャンの兵士は,神の真理の言葉によりこの知識を得ます。また,この源から彼は信仰に伴う勇気を得ます。光と正義の武具でこれらのあらゆる面で全き備えをしている故に,いまや臆病にも引きさがるべきでありません。夜は更けて日は近づいてきました。いまこそ行動をしなければならぬ時です。―ロマ 13:12。

      16 『戦することをわが手に教え,闘うことをわが指に教え給うわが磐ヱホバは讃むべきかな。』(詩 144:1)まつたく,闘うための武具,敵についての知識,戦を押し進めるための力と勇気,これらのものはみな賢明なヱホバによつて備えられたものです。しかし,私たちも,自分の分を果さなければなりません。普通の戦をするためには訓練が必要です。同じく,霊的な戦にも訓練は必要です。ヱホバは私たちの必要としているものを知つておられ,私たちの必要物に気づかれています。しかし,私たちはヱホバの御準備を用いなければなりません。ヱホバの御準備とは何ですか。研究,交わり,そして奉仕です。それぞれは,私たちに備えをなし,武装をなさせるのに是非必要なものです。研究といえば,熱心で絶えず行う個人的な研究と会衆の研究に積極的に参加することの両方を意味します。そのすべては,戦のために私たちを備えさす訓練計画の一部です。交わりをすることにより,私たちは励ましと確信を得,かつ兄弟たちの心からの支持を必らず得ます。もし一人で立つなら,誰も戦の勝運を持たないでしよう。それで,交わりは是非必要なものです。また奉仕をしている時に,私たちは自分の武具を調べ,知識を強め,そして御霊の剣を用いるのに慣れてきます。ヱホバのこれらの備えを十分に用いなさい。そして,あなたの出来得るすべての事を為してからは,神は勝利に必要なものを供給せられるでしよう。なぜなら,『私たちは,この宝を土の器の中に持つている。その測り知れない力は,神のものであつて,私たちから出たものでない。』からです。―コリント後 4:7-11,新口。

  • 真理のための戦士
    ものみの塔 1956 | 9月15日
    • 真理のための戦士

      『信仰と正しい良心とを保ちながら,りつぱに戦いぬきなさい。ある人々は,正しい良心を捨てたため,信仰の破船に会つた。』― テモテ前 1:18,19,新口。

      1 宣教の資格を持つ人は誰ですか。

      あなたは,真理のためヱホバの戦士の隊伍に参加し得る資格を持つていますか。男でも女でも,若い者も年老いた者も,ヱホバの奉仕に献身する人は,もし要求を守るなら,誰でもその資格を持ちます。パウロは『キリスト・イエスの正しい種類の兵士』であることについて語りました。私たちが正しい戦を行わねばならぬように,神の是認を受けるためには正しい種類の兵士でなければならず,また宣教に献身しなければなりません。かつ,宣教にともなう苦しみや迫害,そしてよろこびや祝福に分け与らねばならないのです。『キリスト・イエスの正しい種類の兵士として,悪を苦しむのに分け与りなさい。』(テモテ後 2:3,新世)人が実際にどの種類の兵士であるかは,戦のときに示されます。その人は自分に割当てられた任務を良く果しますか。あるいは,集会には欠席しており,奉仕に

  • 外面だけの宗教
    ものみの塔 1956 | 9月15日
    • 外面だけの宗教

      アメリカ合衆国で教会の会員は増加しています。しかし,すべての牧師がそのことに満足を感じているわけではありません。その中のひとりに,アメリカ連合ユダヤ会の会長チャールス,ロセンガーテンがいます。彼はこう語っていました,『私は,数が増したからといつて進歩しているとは思わない。深みが加わつてこそ進歩したものと思う。もちろん,数が増すことはけつこうなことではあるが,しかし生活の諸問題に対する宗教的な答が必要になつたために,そういうことになつたのであつて,その必要が充たされたから数が増したというわけではない。』さらに,ロセンガーテンはこうつけ加えて話しました,『宗教は祈り以上のものである。宗教は四旬祭儀式以上のものである。宗教は我々のすべてと,人間のすべてを献身することである。』

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