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私は私の忠実のうちに歩むものみの塔 1958 | 3月1日
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た。やはり満足を感じなかつた彼女は,ヱホバの証者を探し出しました。それから近隣の書籍研究が開かれている場所で,3時間ばかり宣教者や出席者と聖書に関する討論をしました。翌朝その婦人は,家から家の伝道に一緒に行きました。彼女は全時間この仕事をすることができたでしようか。それはいうまでもないことです。この婦人が最初に真理に接してから後2年の間に,洗礼,休暇開拓,正規開拓とよく進歩し,今では特別開拓者として奉仕を楽しんでいます。この人と同じ教会にいた一人の若い友達も彼女の話を聞き教会を離れました。そしてその友達もまた特別開拓者として奉仕しています。
前橋にいる特別開拓者は,立正交成会,これは『生き仏』と言われる女の人が頭ですが,この宗派に属する一人の仏教の婦人と興味のある勉強をしました。この婦人は,非常に熱心なヱホバの証者になりました。そしてその宗派の東京本部に自分のとつた現在の立場となぜその宗派を止めたかをはつきりと伝えました。彼女は間もなく他の4人の人々と研究するようになりました。その中の一人は,東京にいる兄弟が,熱心なクリスチャンであるのを思い出し,ヱホバの証者のことや,聖書の正しい理解について彼に手紙を書き送りました。彼は早速姉の所を訪問してびつくりさせました。そして前に会つてから後,彼もまたヱホバの証者になつたことを姉に告げました。
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現代に対する賢明な言葉ものみの塔 1958 | 3月1日
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現代に対する賢明な言葉
『知恵を得よ。そして,あなたの得るすべてのものをもつて,理解を得よ。』― シンゲン 4:7,新世。
1 幸福な生命は,なぜ単なる利己的な欲望ではありませんか。完全な世で,それをどのように得ることができますか。
幸福な生命 ― それこそ,私たちすべての欲するものではありませんか。それは利己的な質問のように聞えるかもしれません。しかし,人間はもともと生きるようにつくられ,生活に幸福であるようにつくられたのです。それですから,幸福な生活をすることは,自然の欲望です。永遠の生命にふさわしいと証明することにより,私たちは生命の与え主なる神を立証します。そのことと一致するものとして,ヱホバ神は最初の人間を完全に創造して,エデンの園なるパラダイスに彼を置きました。彼はその場所で永遠に生き,生命を完全に楽しむことができたはずです。私たちはみなその最初の人間の体内にあつた,つまり将来に生まれてくる者でしたから,私たちも完全な幸福の中に永遠の生命を持ち得たはずでした。しかし,幸福なパラダイスの中にいた完全な両親から私たちが生まれるという機会は,無くなつてしまつたのです。どうして? 私たち人間の最初の親,アダムの知恵の無い行いによるのです。そして,いわゆる現代と言われるこの時代の全人類の状態を見てごらんなさい! 人間家族は全く幸福ではありません。生命に対する人間の期待は,平均100才以下に切り下げられてしまい,そして人間家族全部の存在そのものも,最も現代的な様式で行われる第三次世界戦争の際には,人間のつくつた爆弾の突然の恐ろしい爆発によつて,いまや危険な状態になつたように見えます。幸いにも,私たちの創造主であるヱホバ神は,完全な世における永遠の生命を得る機会を,生命の愛好者に再び開かれました。どのようにして,それを得ますか。知恵によるのです。
2 生命を与えるそのような知恵は,この世の知恵とどのように違いますか。
2 生命をもたらすそのような知恵は,この世のもつものとははるかに違います。この世の知恵は,悲しむべき状態をもたらしました。そして,この世の知恵によつては,この悲しい状態から出ることもできず,また遂には幸福な生命を得ることもできません。この世の知恵は,低い下からのもの,堕落して,自分自身の理解に頼る利己的な人間からのものです。人類外の領域から来るもの,つまり人間の目に見えぬところから来るものは,悪しき霊者たち,悪鬼から来るものであつて,それは悪鬼的なもの,悪魔的なものです。『この世の神』は,ヱホバと人間の大いなる敵であるサタン悪魔である事を,この世の知恵は知りません。その事実以外の事柄では,次のことを説明することができません。すなわち人類種族はそのような堕落した状態,愛のない状態,自己の利益を求める状態に達して,自己の生存を図ることもできなければ,人間家族内に平和と調和を保つこともできないのです。かえつて,政治的な相違や,宗教的な相違や,人種的な相違および経済的な相違の故に,原子戦争で自殺にみちびく道を歩んでいます。それとは全く異なるものとして,幸福で自由な世における終りなき生命に導く知恵は,上から来るのです。それは人間の外から来るのであつて,生命,平和そして幸福の大いなる与え主,ヱホバ神から来ます。
3 それでは,私たちはどんな知恵で賢明でなければなりませんか。古代の一番賢明な王が示したごとく,私たちは,何処からそれを得ねばなりませんか。
3 それで,私たちは,生きるためにはこの世の知恵とは異なる知恵で腎明でなければなりません。私たちはこの知恵を得ねばなりませんが,それはこの世の教育的な学校や,いわゆる経験の学校から得るものではないのです。それを得る唯一つの場所から,すなわちヱホバ神から得ねばなりません。私たちは,古代のいちばん腎明な王から,次のような助言を得ます,『ヱホバ自ら知恵を与えられる。彼の御口からは知恵と分別が出る。彼は実直な人のために実際的な知恵を貯えるであろう。忠実に歩む者たちにとつて,彼は楯である。』(シンゲン 2:6,7,新世)彼もその同じ源から自分の知恵を得ました。それですから,私たちに何を告げるべきかを知つていたのです。彼は,クリスチャン時代以前の1037年にイスラエルの12支族の王になつたとき,青年でした。ヱホバ神が夢によつて彼に現われ,若いソロモン王に何を欲するかと尋ねたとき,彼はこう答えました,『我がこの民の前に出入りすることを得んために,今我に知恵と知識とを与えたまえ。かくのごとき大なる汝の民を誰か裁きえんや。』神はこの願い出によろこび,ソロモンに非常な知恵と知識を実際に与えたのです。(歴代志略下 1:7-12。列王紀略上 5:12)歴史的な記録は,次のように告げています,『ソロモンの知恵は東洋の人々の知恵とエジプトのすべての知恵よりも大なりき。』― 列王紀略上 4:30。
4 今日,保存されているソロモンの知恵のいくらかに聞くことは,古代のどんな活動のようですか。私たちは,実際には誰の知恵を研究していますか。
4 このことを支持する聖書の歴史は,更にこう告げています,『彼シンゲン三千を説けり。又その歌は一千五首あり。』聖書中のシンゲンという本が,ソロモンの筆によることは,全く適当なものです。その本は,次のような言葉で紹介されています,『ダビデの子,イスラエルの王ソロモンのシンゲン。人をして知恵とこらしめを知らしめ,理解の言葉をさとらせ,洞察と正義と公平と実直を与えるこらしめを受けしめ,無経験な者に機敏さを与え,若者に知識と考えの能力を与えるためである。賢い者は耳を傾けて聞き,更に多くの教えを得るであろう。理解のある人は巧みな指示を得て,シンゲンと難解の言葉,賢人の言葉やその謎を理解するであろう。』(シンゲン 1:1-6,新世)聖書の歴史の中には,次のように書かれています,『もろもろの国の人々ソロモンの知恵を聴んとて来り,天下のもろもろの王ソロモンの知恵を聞き及びて人をつかわせり。』(列王紀略上 4:32,34)シバの女王を含めて地の全国民が,いろいろのところからはるばる旅をしてソロモンの知恵を聞きに来ました。今日の私たちも,ソロモンの知恵のいくらかに聞くことは賢明であります。神は,シンゲンの本の中で,私たちのためにその知恵を保存されて来られたのです。この本は天からの霊感によつて書かれたものであり,またソロモンの知恵は実際に『神がソロモンの心に授け給える』ものです。それですから,私たちがシンゲンの本を研究するとき,ソロモンの知恵,単なる人間の知恵を研究していることにならず,実際にはヱホバ神の知恵を研究していることになるのです。(列王紀略上 10:23,24)これらのシンゲンは,永遠の真理を概括しており,その時と同じように今日にもまつたく時宜にかなつたものです。
知恵の秘訣
5 ソロモンが私たちに与えている知恵の秘訣は何ですか。地上にいた証者の中の最大の証者は,なぜソロモンを御自身と比較せられましたか。
5 エルサレムの王であるソロモンは,そのシンゲンの中で,真の知恵の秘訣を私たちに与えています。この通りです,『ヱホバを恐れることは,知恵の始まりであり,最高の聖者についての知識を持つことは,理解となる。私によつてあなたの日は多くなり,生命の年月はあなたにつけ加えられる。』また,『ヱホバを恐れることは,知識の初まりである。愚か者は,知恵とこらしめを軽んじた。』(シンゲン 9:10,11; 1:7,新世)これらの言葉からも分るとおり,ソロモンはヱホバの知識と恐れをすすめました。彼はヱホバの証者でした。実際のところ,彼は当時において一番際立つたヱホバの証者だつたのです。今までの地上にいた証者の中で最も偉大な証者は,ソロモンを御自身と比較せられました。この方はイエス・キリストで,19世紀前に次の言葉を告げておられます,『南の女王(シバの女王)が,今の時代の人々と共にさばきの場に立つて,彼らを罪に定めるであろう。なぜなら,彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果から,はるばるきたからである。しかし見よ,ソロモンにまさる者がここにいる。』(マタイ 12:42,新口)ソロモン王が彼よりもさらに賢く,さらに偉大なイエス・キリストについてどのように書いたかを見るのは,興味深いものです。
6 生命を求めるすべての人にとつて,先ず第一に何が必要ですか。このことについて,今日のヱホバの証者は,ソロモンの行つたごとく何をしていますか。
6 しかし,生命を与える知識と知恵は,ヱホバを知ること,ヱホバを恐れることから始まります。それですから,生命を求めるすべての人は,先ず第一にヱホバ神を恐れねばなりません。叡智をもつて彼を恐れる前に,私たちは彼を知らねばなりません。それは,宗教的に混乱しているキリスト教国が彼について教える仕方によらず,シンゲンや神の書かれた御言葉の他の部分が彼について述べる仕方によるのです。ソロモン王はヱホバ神について証言しました。それと全く同様に,現代のヱホバの証者は,ソロモンの予言した通り,印刷した頁や口の言葉を通して神の真の知識をすべての人に活溌にもたらしています。
7 それでは,先ず第一に私たちは何を知らねばなりませんか。なぜこのことですか。
7 ヱホバ神は,見えるものも見えないものも,すべてのものの創造者です。私たちは,先ず第一にそのことを知らねばなりません。その知識に基づいて,私たちは彼が存在していることに強い生き生きとした信仰を持たねばならないのです。なぜなら,『信仰がなくては,神によろこばれることはできない。なぜなら,神に来る者は,神のいますことと,御自身を求める者に報いて下さることを,必ず信じるはずだからである。』(ヘブル 11:6,新口)私たちのまわりにある見える創造,および私たちの知るところとなつた見えない力は,全人類の警嘆の的になつています。創造主を信じない物質主義的な科学者も,警嘆しているのです。彼らが研究して学べば学ぶ程,創造は知識と知恵と理解を示しており,科学者がそれらに追いつくことは不可能であると告白せざるを得ません。なぜですか。なぜなら,霊感を受けたソロモンも次のように書いているごとく,『ヱホバ御自身,知恵によつて地の基を立てられた。彼は分別をもつて天をかたく定めた。彼の知識により,波打つ大水は分けられ,雲は小雨をそそぎつづける。』(シンゲン 3:19,20,新世)彼は,見えるものも見えないものもすべての創造の源です。それですから,永遠の過去においてはヱホバ神が御ひとりだけいた時がありました。彼は永遠者だからです。
8 彼はその時ひとりだけでしたが,どんな知識を持つていましたか。
8 彼は終りのない空間宇宙にひとりだけ居られました。しかし,彼は知識を持つていたのです。彼は御自身についての知識を持つて居られ,またこの果てしない空間宇宙に他のものの存在はないということを知つていました。彼は,自分の内にあるすべての力を良く御存知でした。彼は全能の御方であつて,不可能なことは何一つありません。彼は御自分の創造を始める時を知つていました。その時が来たとき,彼は知恵を行使し始めたのです。
9 創造の最初からヱホバは,どのように比較できない程の知恵を示しましたか。そのときヱホバは何をするのに独り子を用いましたか。そしてなぜ?
9 創造の最初から彼は比較するもののない知恵を表わし示しました。それでは,彼の最初の創造は何でしたか。ひとりの子 ― 最初の子,彼が直接につくつた独り子です。彼は,私たちのような地的な者ではありませんでした。そのときには,地は存在していなかつたからです。彼は,天的な父と同じく霊者でした。それで,父を見ることも,聞くことも,そして話をすることもでき,父と共にいることもできたのです。そのとき,ヱホバ神が御子を何と呼んだかは,私たちには分りません。しかし,ヱホバ神は,ソロモン王に与えた知恵よりも,はるかに多い測り知れない程の知恵を彼に与えました。非常に多くの知恵を与えたため,神はこの知恵と呼ばれるものを一人の生ける個性を持つ被造物にしたかのようです。この御子は,天的な御父の知恵を完全に示したため,知恵そのものがひとりの人にされたようです。御子も,自らを知恵と言及しています。子が父と共に働くことは,地上でもよくあります。それと同じくヱホバ神は御子が御自分と共に働くのを欲しました。そのような才能を持つ御子が怠けているのは良くないとヱホバ神は知つていました。奉仕をすることによつてそれらの能力を使わないならば,御子の能力は無駄に消費されることになるでしよう。この賢明な御子は,怠け者でありません。働くことを熱心に求める彼は,天的な父なる創造主,および生命の与え主が彼に望まれたことをしようと欲しました。このことに一致してヱホバ神は,この独り子を用いて,見えるものや見えないもの,生けるもの生きていないもの,すべての万物を創造したのです。
10 この天的な御子は,何について語つていますか。ヘブル語の『知恵』は,文法上では女性でありながら,なぜ彼は自分自身のことを知恵と語つていますか。
10 神の霊感を受けて書かれたソロモンのシンゲンは,神の天的な子を体現化された知恵と描き,その最初から創造の業について語つています。もちろん,ヘブル語の中で『知恵』という言葉は,文法上では女性形です。しかし,神の子が自分を意味するものとして『知恵』という言葉を用いたとき,彼が女性的であつたという意味ではありません。神が彼に与えた顕著な性質について述べているだけであり,神のこの性質が彼を通して創造の業に働いていることを示すために,彼の名前として用いたのです。それで,彼はこう言われています。
11 体現化した知恵はシンゲン 8章12,22-31節で創造について何と述べていますか。
11 『知恵である私は,悟りと共に住み,私は考える能力の知識を見出す。ヱホバはその道の始めとして(黙示 3:14),昔の業の一番最初のものとして,私をつくり出された。不定の時から,その最初から,地のなかつた時から私は立てられた。波打つ水もなく,また大いなる水の泉もなかつたとき,私は生み出されていた。山も定められず,丘もなかつたとき,私は生み出されていた。彼が地をも野をも,産出の多い地の塵の最初の部分を造られなかつた時である。彼が天を準備されたとき,私はそこにいた。彼が波打つ大水の上に水平線を定め,上にある雲をかたくし,波打つ大水の源を強くし,水はその限界を越えてはならぬと海にその定めを立てたとき,私は主要な働き手として彼の側にいた。私は日々彼の特別なよろこびとなり,常にその前でよろこび,彼の地の産出の多い土地でよろこんだ。私のよろこんだものは,人間の子らと共にあつた。』― シンゲン 8:12,22-31,新世。
12 それでは,なぜ『ヱホバ御自身,知恵によつて地の基を立てられた』と言うことができますか。知恵のよろこんだ事柄は,どのように人間の子らと共にあるようになりましたか。
12 全く真実の意味で,『ヱホバ御自身,知恵によつて地の基を立てられた。』と言うことができます。彼は賢明な御子を『主要な働き手』として,側に置き,そうしたからです。このことは,後日のクリスチャン使徒ヨハネが,全創造はどのように存在するようになつたかについて述べていることと全く一致するものです。(ヨハネ 1:1-3)創造されたこの神の御子は,『われらの像のごとくにわれら人をつくり』とヱホバが彼に言われてからずつと後になつて,彼自身が人間になるということを,そのとき知りませんでした。彼が人間になられたのは,最初の人間が賢明でない行いをなし,ヱホバ神の簡明ないましめに罪を犯したために生じた恐ろしい結果から人類を買い戻すためです。それで,神の御子は,極めて特別な意味で次のことを示しました,すなわち,彼の言葉によると,『私のよろこんだものは,人間の子らと共にあつた。』地上にいた彼は,ソロモン王よりもはるかに賢明でした。そして忠実な使徒たちに向つて,地上の政治的な支配者の前で証言をしなければならぬとき『あなたの反対者のだれもが抗弁も否定もできないような言葉と知恵とを,私が授ける』と言われました。(ルカ 21:15,新口)パウロと言われる使徒の一人は,この世の知恵やギリシヤ哲学の知恵と,神の知恵との間の相違を表わし示しています。彼はこう言つています。
13 パウロは,コリント前書 1章20-30節で,この世の知恵と神の知恵の間の相違を,どのように述べていますか。
13 『神は世の知恵を愚かにされたではないか。実に,神の知恵にあつて,この世はその知恵により,神を認めるに至らなかつた。神は伝道の愚かさによつて,信ずる者たちを救うのを良しとされた。ユダヤ人はしるしを求め,ギリシヤ人は知恵を求める。しかし,私たちは杭につけられたキリストを宣べ伝える。ユダヤ人にはつまづきとなり,諸国民には愚かなことであるが,召された者にとつては,ユダヤ人にもギリシヤ人にも,キリストは神の力,神の知恵なのである……これは,すべての人間が神の前にあつて誇ることのないためである。あなた方がキリスト・イエスにあるのは,神によるのである。キリストは,私たちにとつては神からの知恵となつた。』― コリント前 1:20-30,新世。
14 私たちがいまキリストに従つて,倣うことはなぜ賢明な道ですか。彼を王として受けいれることは,なぜこの世の政治よりも賢明ですか。
14 それですから,現代において私たちがキリストの弟子になり,キリストに倣うことは賢明な道です。『知恵と知識のすべての宝は,彼の中に注意深く隠されている。』それで,使徒パウロは次のように言葉をつづけて私たちを戒しめているのです,『哲学や,空しい欺きであなた方をとりこにしようとする人のいることに注意しなさい。それらは人の言伝えや,この世の初歩の事柄に従うのであつて,キリストに従うものではない。満ち満ちた神のごとき性質は,彼の中にみな宿つている。』(コロサイ 2:3,8,9,新世,欄外)あるいは,エッチ・ジェー・スコンフィールド著の『真正な新約聖書』(1955年)を引用すると,その聖句はこうです,『神のごとき知恵は,彼の中に非常に多く宿つている。』彼は神の知恵を体現された御方です。アダムの知恵のない行いから生じた死から私たちを救うために,神は彼を準備しました。私たちが彼を受け入れることは,生命にみちびきます。知恵の体現した知恵として,彼はこう述べています,『私を見出す者は,生命を必ず見出し,ヱホバからの善意を得る。しかし,私を見失う者は,彼の魂に悪を行つている。私を強く憎む者は,みな死を愛する者たちである。』(シンゲン 8:35,36,新世)栄光を受けたイエス・キリストをヱホバの新しい世の油注がれた王として受け入れることは,この世の政治よりも遙かに賢明なものです。彼はソロモン王よりも遙かに賢明だからです。天の御使たちも,彼に向つてこう言います,『ほふられた小羊こそは,力と,富と,知恵と,勢いと,ほまれと,栄光と,さんびとを受けるにふさわしい。』(黙示 5:11,12,新口)彼は新しい世の王の必要とするすべてのものを持つています。
知識,知恵そして理解
15 アダムは,知識を得るために禁ぜられた木の実を食べることはなぜ必要でありませんでしたか。彼は,不順従の故に何から脱落しましたか。
15 ソロモン王は,シンゲンの中で知識と知恵と理解,すなわち分別について多く述べています。彼はそれらを次々に結びつけています。そのわけを見てみましよう。最初に知識です。それはヱホバ神から来ます。人類の最初の家であるエデンの園で,神は他の木々の中に『善悪を知るの木』を植えました。神は最初の人間アダムに,もし死を避けたいなら,この木の実を食べてはいけないと命じました。(創世 2:9,15-17)シンゲンの本や,聖書の他の本は,次のことを明白に示しています,すなわち全能の神ヱホバは,神御自身の時に善と悪の知識をアダムに与えることができ,アダムは神にそむいて善悪を知るの禁ぜられた木の実を食べる必要がなかつたのです。神に背いたアダムは,創造者の恐れから離れ去り,知識から脱落しました。シンゲン 1章7節(新世)もこう述べています,『ヱホバを恐れることは,知識の初まりである。』
16 神はなぜ人間が無知に陥るのを欲しませんか。そのわけで,なぜソロモンは,彼の語る言葉に耳を傾けるよう私たちを強くすすめているのですか。
16 神は人間を無知につくらず,又人間が無知に陥るのを欲しません。それは善い結果にならないからです。『また,知識のない魂は良くない。急ぎ足で行く者は,罪を犯す。』(シンゲン 19:2,新世)知識は,私たちが無知にも特定な道に急ぎ行き,そして神に対して罪を犯せしめることから私たちをひきとめます。『賢明な者は,知識をもつて行う。しかし,愚鈍な者は愚かさをひろめるであろう。』(シンゲン 13:16,新世)霊感の下にシンゲンを書いた人は,神の知識の益を知つています,そして知識を求めるすべての人々に,聖書の中で述べた彼の言葉に耳を傾けるようすすめています,『賢い者たちの言葉に耳を傾けて聞きなさい。それは,私の知識にあなたの心を適用し得る為である。』― シンゲン 22:17,新世。
17 神は最初に何時知恵を行使しましたか。知恵とは何ですか。それで知恵は何を必要として用いますか。
17 ヱホバ神は,御自分の賢明な御子を創造する以前の永遠の存在中,知識を持たれていました。彼は創造し始めたときに,その知識を働かせられました。そのときに彼は知恵を用いて,知恵を表わし示されたのです。知恵は働くものです。それは,知識を正しく用いる能力です。それは,知識を正しく行使して,良い結果を得ること,そして目的を達成することです。それは啓発をともなう行為を意味します。知恵は知識を必要とします。『賢明な者は,知識を貯える者である。しかし,愚か者の口は,滅びに近い。』知恵は知識を用います。『賢い者の舌は,知識をもつて善をなす。しかし,愚か者の口は愚かさを吐き出す。賢い者の唇は,知識をまき散らす,しかし愚鈍な者の心は,そのようではない。』― シンゲン 10:14; 15:2,7,新世。
18 神が知恵を用いて最初の男と女の創造を終えたとき,彼は何を見ましたか。私たちが神の知恵をもつて行うためには,先ず何が必要ですか。
18 ヱホバ神は,他のすべてのものを創造した際に,御自分の最初の子に体現化された知恵を用いました,そして主要な働き手としてそれを用いたのです。神は知恵を用いて最初の男と女の創造を終えたとき,『神そのつくりたるすべてのものを見たまいけるに,はなはだ善かりき。』(創世 1:31)知恵は人の活動に巧みな指示を与えます。ヱホバ神のすべての活動は,その知恵と能力の故に,ことごとく完全です。それで,知恵は単なる知識以上のもの,すなわち心の中に見聞を持つこと以上のものです。それは,知識の大いなる泉,ヱホバ神に誉と讚美をもたらし,その被造物に益をもたらす仕方で,その見聞を働かせることです。私たちが神の知恵をもつて行うためには,神からの知識をもつて行わねばなりません。そのわけで,私たちは神の言葉である聖書に行き,聖書を学んで知識を得ることは避けることのできないものです。聖書から知識を得ることは,生命を得る為に必要です。体現化された知恵は,父にこう語りました,『永遠の生命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,またあなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。』(ヨハネ 17:3,新口)そのとき,人は賢明になり,その人の唇と手は,生命を与える知識を他の人々にひろめることができます。
19 (イ)知識と知恵以外に,何が欠くことのできない程必要ですか。(ロ)理解するために知識はなぜ必要ですか。しかし,理解そのものは何ですか。
19 知識と知恵に加えて,理解は絶対に欠くことのできないものです。すなわち,神の理解は私たちに必要なものということです。私たちは,事柄や,出来事や,取り極めについての私たちの理解を押し通して,神の理解に反することはできません。『あなたのすべての心をこめてヱホバに依り頼みなさい。自分自身の理解に頼つてはならない。あなたのすべての道において彼を認めなさい。彼はあなたの道を正しくするであろう。自分自身の目に賢明であつてはならない。ヱホバを恐れて,悪から離れ去れ。』(シンゲン 3:5-7; 21:30,新世)私たちのすべての道において彼を認めるためには,私たちは彼の言われたこと,および為されたことについての知識を持つことにより,彼を知らねばなりません。私たちはこれを聖書の中に見出します。彼についての知識がないなら,私たちは真実の理解の益を楽しむことができません。『ヱホバを恐れることは,知恵の始まりであり,最高の聖者についての知識を持つことは,理解となる。』『悪しき者たちは,裁きを理解することができない。ヱホバを求めている者たちはすべてのことを理解し得る。』(シンゲン 9:10; 28:5,新世)それですから,理解とは結合した部分の中に或るものを見ること,1つのものの各部分を分けて,それぞれがなぜ互に属して行うかという理由を知ること,そしてこのすべてのことを,神との結びつきの中に見ることです。それは,神のことを常に心にとめる分別を意味します。それで,それは知恵以上のものです。知恵とは,知識を用いて目的を最善に果し得る能力と気質です。
20 ヱホバは天を創造するに当つて,どのように理解を示しましたか。このことにおいて,なぜ彼は下等動物とは異る人間をつくりましたか。
20 ヱホバ神は,私たちの目に見えるすばらしい天を創造するに当つて,理解を用いると共に,理解を示しました。ヱホバ神は,その最初から天のすべての部分,およびそれらの部分の互いの関係,そしてそれらが互いに働いてお互いに生ずる結果というものを知つておられ,また識別いたしました。それらが地上の被造物にどんな影響をもたらすか,ということも重要であり,ヱホバ神はそのことを識別して予じめに知つて居られました。彼は『知恵をもてもろもろの天をつくり給えるもの……地を水の上に布き給える者……大いなる光をつくり給える者……昼をつかさどらするために日をつくり給える者……夜をつかさどらするために月ともろもろの星とをつくり給える者』です。(詩 136:5-9)『ヱホバはその力をもて地をつくり,その知恵をもて世界を建て,そのさとりをもて天を伸べ給えり。』(エレミヤ 10:12)彼は,地上の下等動物とは異なる人間を創造しました。つまり,理解する能力と理解したいという欲望を人間に与えたのです。人間は生きつづけるためには,自分の創造主との関係を理解しなけばれなりませんでした。
21 理解を持つ人は,なぜ神の言葉に行きますか。なぜ彼は知恵と密接な接触を保つのですか。
21 理解する為には,私たちは明白なまぼろしを持つ心によつて,何を求めているかを知らねばなりません。『理解の心は,知識を求めるものである。しかし,愚か者の口は愚かさを強く切望する。』理解が知識を求めることは報われます,『理解を持つ者の心は,知識を得る。賢明な者の耳は,知識を探し求める。』理解を持つ心は,真の知識の源を見て,神と人間との関係および人間は万事において神に依存していることを認めます。それで,そのような心は肝要な知識を得る為に神の御言葉に頼ります。そして,神はそのような心に洞察を与えて,御自分の御言葉の意味を知らせます,『賢明な者に洞察を与えるならば,彼は知識を得る。』(シンゲン 15:14; 18:15; 21:11,新世)理解を持つ人は,神の言葉と業,およびこれらの背後にある目的に関連するすべての事の知識を切望します。しかし,それだけでなく知恵と密接な接触を保ちます。神と一致するその知識を用いる為の能力と叡知を得るためです。彼は知恵を自分の前に密接に保ちます。『理解ある者の前には,知恵がある。しかし,愚か者の目は,地の果にある。』(シンゲン 17:24,新世)愚か者がどんな分別を持つていようと,また示そうと,彼の目は地の果にあるものと同じようなものです。
22 愚か者は,理解を持つ人とどのように違いますか。ソロモン王は,知恵を持つていたにもかかわらず,どのように愚か者に転じましたか。
22 愚か者は,神を心に考えもせずまた念頭に置きません。しかし,理解を持つ人は神を念頭に置きます。彼は賢明にもヱホバを恐れるだけでなく,理解を有しています。彼はその敬虔な恐れと一致した行いをしています。神御自身も次のように言われました,『見よ! エホバを恐れることは知恵であり,悪から離れることは理解である。』(ヨブ 28:28,新世)理解を持つ人は,こらしめを拒絶して,それから嘲けるというようなことをしません,『あなたは嘲ける者を打たねばならない。未経験な者が物分りに早くなるためである。理解を持つ者を叱らねばならない。彼が知識を見分け得る為である。』(シンゲン 19:25,新世)理解を持つ人には,単なる叱責だけで十分です。強く打つことは必要でありません。彼は知恵を持つていますが,それにも拘らず無思慮な悪い行いをします。その理由の故に,時折りこらしめを与えて理解にひき戻すこがと必要です。老年になつてからこりかたまつたソロモン王は,こらしめに注意を払いませんでした。彼は神から知恵を頂いたにもかかわらず,愚か者に転じました。なぜ? なぜなら,彼は理解を棄てたからです。どのように? 彼はヱホバ神との間の関係についてのまぼろしと鋭い感覚を鈍くさせました,彼は獣のようになつたのです。『尊貴なかにありて悟らざる人は,ほろび失する獣のごとし。』― 詩 49:20。
23 それで,ソロモンは何をした時に理解を失いましたか。私たちは彼が離れた大きな知恵をどのように認識することができますか。
23 ソロモンは,ヱホバとの関係を棄てて他の神々,すなわち彼が結婚していた多数の異教の妻の神々と結びつくようになつたとき,理解を失いました。『ソロモンの心転りてイスラエルの神ヱホバを離れしによりてヱホバ彼を怒り給う。ヱホバかつて再び彼に現われ,このことについて彼に他の神に従うべからずと命じ給いけるに彼ヱホバの命じ給いし事を守らざりしなり。』(列王紀略上 11:9,10)ソロモンは大きな知恵を持つていましたが,その知恵から離れて神の不興の中に死んでしまいました。しかし,彼がヱホバの証者の一人として霊感の下に書いたソロモンの書を開くとき,私たちはその大きな知恵を認識することができます。
24 なぜ私たちは,神の事柄をけつして嘲つてはなりませんか。知識や,知恵や,理解を,なぜ私たちの一部にしようと努めますか。
24 神の事柄を嘲けるようなことは,決してあつてはなりません。真の神についての生命を与える知識は,そのようにしては決して得られないでしよう。神との創造的な結びつき,および神に全く依存していることを理解する人は,神を容易に知ります。『嘲ける者が知恵を見出そうと努めても,知恵は一つもない。しかし,理解のある人にとつては,知識は容易なものである。』(シンゲン 14:6,新世)知識や,知恵や,理解は互に保たれねばなりません,そしてそれら3つのものは生命と正しい行に必要なものです。そのことを悟る私たちは,それらのものを私たちから切り離すことのできないものにしようと努めます。私たちはそれらのものを私たちの親族,私たちの霊的な家族の一員にします,『知恵にむかつて,「あなたは私の姉妹」と言いなさい,そして,理解をば「近親」と呼びなさい。』― シングン 7:4,新世。
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知恵によつて心を守るものみの塔 1958 | 3月1日
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知恵によつて心を守る
1 この現代において,肉体的と霊的の両方で何を守ることが大切ですか。
現代の医学の研究や進歩にもかかわらず,心臓の病気は一番大ぜいの人を殺しています。正しい状態下にある心臓は,永久に鼓動しつづけて生命を支える血液を体内に送り出すことができます。肉体的な面だけでなく,むしろ霊的な面において心を守ることは遙かに重要です。そして,心の働きをなさせるために心を良い状態に保つことは重要です。
2 (イ)どのような面でソロモンは自分の心を守らず,神なるヱホバにその心を全く向けませんでしたか。(ロ)私たちは何をつくして神を愛するように忠告されますか。従つてこれに対して何をすることが要求されていますか。
2 ソロモンは,霊的な面と肉体的な面の両方における心について,シンゲンの中で多くのことを語つていました。実際のところ,31の章の中で心という言葉は94回も述べられているのです。ソロモン王は霊的に言つて,自分の心を守りませんでした。彼は自分自身の助言をないがしろにしたのです,『私の子よ,私の言葉に注意を払いなさい。私の語ることに耳を傾けなさい。それらをあなたの目から離してはならない。それらをあなたの心の中に保ちなさい。それらを見出す者には生命であり,その全身を健康にするのである。守るべきすべてのものにまさつて,あなたの心を守れ。生命の源はそこから流れ出るからである。』(シンゲン 4:20-23,新世)ソロモン王は,崇拝を受けるにふさわしい唯一つの神ヱホバに愛を保ちつづけなかつたのです。創造主は専心の献身を求める神であるという事実を彼は見失つたのです。それで,ソロモンは神なるヱホバに心を全く保ちつづけませんでした。心は愛情の中心です。それで私たちの愛情の対象は,極めて大切なものです。私たちは,すべての心を傾けて神なるヱホバを愛するように命ぜられています。彼は永遠から永遠までの唯一つの神であり,彼に対する被造物の愛で,いかなる敵対をも許さないからです。(出エジプト 20:4,5)私たちは,自分自身のごとく隣人を愛することができ,また愛さねばなりません。しかし,隣人の中からでも,または他のどんな者からでも,神をつくり出すようなことがあつては決してなりません。敵対の神または神性に愛を注ぐことは,魂なる私たちがヱホバの御手から死を受けることを意味します。ヱホバは生命の泉です。それですから,守るべき他のいかなるものにまして私たちの心を守ることは全く重要なものです!
3 (イ)私たちの魂を愛するとは,どういう意味ですか。(ロ)『心を得る』という表現は,何を意味しますか。それで,善を見出すために私たちは何を見定めねばなりませんか。
3 シンゲン 19章8節(新世)は,生命を魂として語つて,こう述べています,『心を得る者は,自分自身の魂を愛している。分別を守る人は,善を見出す。』自分自身の魂を愛するとは,幸福の中に永久に生きたいと欲することを意味します。現在の私たちの生命,そして特に神の新しい世における私たちの生命に対して,私たちの愛を示すという意味です。しかし,現在私たちの魂を生きつづけさせるために,私たちはすでに心を持つています。それでは,『心を得る』という表現は何を意味しますか。ここのところの『心』は,ヘブル語聖書新世訳(英文)の下欄にもあるごとく,『良い動機』という意味を持つています。心は愛情だけの中心ではなく,動機の中心だからです。愛情は人をして行為をなさしめます。『愚かなること子の心に結ばる』という格言もあります。それで,私たちは次のことを知ります,すなわち人間の心は若い時から悪に走る傾向があり,愛情を悪く置くことによつて悪い衝動を持つ傾向があるのです。それで,私たちの動機を清くて良いもの,および無私のものにするため,私たちの愛情を高尚なもの,高いもの,親切なもの,敬虔なものに置かねばなりません。このことをするなら,私たちは私たち自身の魂,私たち自身を真実に愛しています。心を見分けて裁く神は,私たちの心が善くて愛を持つものであり,かつ神をよろこばせようと努めているのを知ります。そして,私たちの永遠の生命のための御準備に私たちがあずかるようにいたします。それですから,私たちは自分の心の動機がどんなものであるかを注意深く見定め,その動機が良いものであり,神に受け入れられるものであるようにしなければなりません。そのとき,神の御手に善を必ず見出します。
4 教訓者は,シンゲン 23章26節で,子にむかつてその心を与えよ,そして教訓者の道に彼の目が楽しむようにとすすめていますが,その意味は何ですか。
4 賢人は,論しを与える者に向いシンゲン 23章26節(新世)でこう述べています,『私の子よ,あなたの心を私に与えよ。私の道にあなたの目が楽しむようにせよ。』シンゲンを読む者は,ヱホバ神に全き献身をするようにと,この聖句はすすめているのですか。そうではありません。教えを受けている人が,教訓者に全心の注意を払い,教訓者の教えることに心を傾けて聞き入り,学ぶようにとすすめ諭しているのです。彼は父親のような教訓者の与える教えに愛情を抱かねばなりません。彼の心も,彼の目も,その教訓者に向つていなければなりません。彼の目は,その教訓者の採る道に楽しみ,教訓者にならつてその道に行くよう願うべきです。それだけにかぎらず,彼の心は教訓者に全く恵念して,彼を愛し,教訓者の語る助言の言葉を真剣に採るようにしなければなりません。特に教訓者がいま論じようとしている事柄においてはそうです。それには一番真剣な考慮,専心の注意,一番深い認識を払うべきです。何ですか。
5 シンゲン 23章27-35節で,教訓者が,子のごとき生徒にむかつて専心の注意を払うようにと欲しているものは何ですか。
5 食べること,アルコール飲料を飲むこと,そして清い道徳のことです。それで,教訓者は,息子のような生徒に向つて言葉をこう続けているのです,『淫売婦は深い坑であり(淫売で生活をする)異国の女は狭い井戸である。彼女は盗人のように待ち伏せする。そして,人々の間に不信な者たちを増加せしめる。災ある者は誰か。不安を持つ者は誰か。争いを持つ者は誰か。憂慮を持つ者は誰か。理由なしに傷を持つ者は誰か。目の鈍くなつている者は誰か。長い時間,酒を飲む者,混ぜ合わせた酒を探しに来た人々である。』思いがけず深い坑に入りたいと欲する人は誰ですか。逃れることのできない狭い井戸に落ちこんで傷を受けたいと欲する人は誰ですか。それであるなら,不道徳な女,すなわち神の『聖なる国民』には異国の者である淫売婦のすすめ言葉に屈してはなりません。そのような女は,あなたの純潔,童貞,清い記録,清い良心,潔白,そしてヱホバの聖なる会衆と交わるにふさわしい価値を奪つてしまうでしよう。また,アルコール飲料を一びん飲むか,あるいは一杯飲んでその犠牲者になりたいと欲する人は誰ですか。現実にないことを見たり,曲つた話をしたいと欲する人は誰ですか。荒れ狂う海の只中で舟の檣上にいる船乗りのように,ふらふらと足場の定まらない人になりたいと欲する人は誰ですか。他の者から虐待を受けても無感覚になりたいと欲する人は誰ですか。いつまでも自分の感覚の欲求を満たすために起きていて,強い欲求を満たそうとする人は誰ですか。それであるなら,アルコール飲料をいつまでも飲んで,無節制に多く飲みすぎることがあつてはなりません。自制をいたしなさい。―シンゲン 23:27-35,新世。
6 女と姦淫をする者が心の足らない者であるとは,どうしてですか。そして,会衆内の彼に生ずる結果は何ですか。
6 姦淫をする者は,神に対しても,また不道徳を行う相手に対しても良い動機を持つていません,『女と姦淫をする者は,心の足らない者である。姦淫をする者は,自分の魂を滅ぼす。彼は災と不名誉を見出し,彼のそしりは消し去られることがない。』(シンゲン 6:32,33,新世)その者は,自分自身にそしりをもたらすだけでなく,神の会衆にもそしりをもたらします。それですから,その者を追い出し,排斥しなければなりません。悔い改めて行いを変えた後に復帰しても,悪い記銀は身につきまとい,彼は神の群にとつて好ましくない手本であると示されます。淫行をする者または淫売婦と関係を持つ者は,良い動機を持つていません。その人は,一つの事を心に留め,計画を立てても不道徳な人に近づきます。そして,誘惑されることに同意するのです。
7 ソロモン王は,自分の窓から見ていたとき,このことについてのどんな例を私たちのために記述していますか。
7 物事を良く観察したソロモン王は,窓から見た一つの例をこう記しています,『若い男子たちの中に心の足りない一人の男を見た。彼は道を通つて彼女の街角に近づき,その家に向つて行く,そして,見よ! 淫売婦の衣服を着けて,心の邪悪な一人の女は彼と会つた。』(シンゲン 7:6-10,新世)不道徳な女は,自分の方にやつて来て,彼女の誘惑を受けようとする男は,良い動機を持つていないと知ります。『そして,彼女は町の高い所にある自分の家の入口の椅子に坐つていた。そして道を歩む人々,道を真直ぐ歩む人々にむかつて,「未経験な者よ,心の足りない者よ,誰でもここに来よ。」と呼ばわる。』― シンゲン 9:14-16,新世。
8 (イ)私たちの真実の教訓者に対して採るべき正しい道とは何ですか。不道徳な女だけでなく,それ以外の誰が心の足らない者に呼ばわりますか。そして,なぜ私たちはこのものといつしよに食事しなければなりませんか。
8 それですから,採るべき賢明な道とは,これらの重要な事柄について私たちを戒める教訓者に心を傾けるということです。私たちの大いなる教訓者はヱホバ神です。そして私たちは彼の言われることに,すべての心をこめ目をよく見開いて注意すべきです。不道徳な女は,心の足りない者または良い動機の足りない者に向つて呼ばわります。しかしまたヱホバの与える知恵もそのような者に向つて呼ばわるのです。彼らが良い動機,良い行いをなさしめる力を得るためです。神からの真の知恵は,彼女の言葉を聞く者たちに御馳走を準備しました。真の知恵は,『その侍女たちをつかわして町の高いところで呼ばわせる「未経験な者よ,誰でもここに来よ。心の足りない者よ,私は話をしたい。来て私のパンを食べ,私の混ぜた酒を飲みなさい。未経験な者を棄てて生きつづけ,理解の道をまつすぐ歩きなさい。」』(シンゲン 9:1-6,新世)神から与えられる知恵と共に食することは,傷も残さず,そしりも残さず,後悔も残しません。かえつて人は向上して,心に正しい動機をつくりあげます。謙遜な中に知恵のこらしめを受け,死を拒否して,名誉と幸福の中に生命を選びなさい。『こらしめを拒否する者は,自分自身の魂を棄てる。しかし,こらしめに耳を傾ける人は,心を得ている。ヱホバを恐れることは,知恵に対するこらしめであり,栄光の前には謙遜がある。』― シンゲン 15:32,33,新世。
今日,知恵は私たちをどのように呼ぶか
9,10 (イ)いまと将来の生活の為にどんなものが必要ですか。それで,ヱホバは何を叫ばしめますか。(ロ)シンゲン 1章20-33節に述べられているごとく,このものの叫ぶものは何ですか。
9 今日と将来に生活するために,知識と知恵と理解は必要です。ヱホバ神はこのことを一番良く御存知です。ヱホバ神はこの現代をあらかじめに見られ,またあらかじめに告げられました。それですから,ヱホバ神はその知恵をして曾つてない程に叫ばしめ,警告を与えしめているのです,『真の知恵は,街路で声高く叫びつづける。それは,広場で声を挙げる。それは騒がしい街路の端で叫ぶ。邑に通ずる門の入口のところでそれはこう言う。
10 『あなた未経験な者よ,いつまで未経験を愛しつづけるのか。あなた方,嘲笑をする者よ,いつまであからさまな嘲笑を欲するのか。愚かな者たちよ,いつまで知識を憎みつづけるのか。私のこらしめに戻りなさい。そのとき,私は私の霊をあなた方に注ぎ,私の言葉をあなた方に知らせる。私が呼ばわつても,あなた方は拒絶しつづけ,私の手を伸ばしても注意を払うものは一人もいない。あなた方は私の助言をことごとく無視しつづけ,私のこらしめを受け入れなかつた。私はあなた方の災に笑おう。あなた方の恐れるものが来るとき,あなた方の恐れるものが暴風雨のごとく来るとき,あなた方自身の災が暴風のごとくここに来るとき,災と苦しい時があなた方に臨むとき,私は笑うであろう。そのとき,彼らは私を呼びつづけても,私は答えない。彼らは私を探し求めても,私を見出さない。彼らは知識を憎み,ヱホバの恐れを選ばなかつたからである。彼らは私の助言に同意せず,私のこらしめをことごとくないがしろにした。それで,彼らは自分の道を行つた実を食べることになり,自分自身の諭しで一杯になるであろう。未経験な者の背教は自分を殺し,愚か者の無頓着は自分を滅ぼす。私に身を傾ける人は,安全の中に住み,災の恐れで心をかき乱されることはない。』― シンゲン 1:20-33,新世。
11 今日,人々は何を恐れますか。しかし,彼らの上に何が来ると,神の知恵は知つていますか。
11 今日,人々は世界の災を恐れています。そのような災は,人間自身が戦争の近代手段を用いたために生じたのです。私たちがこの世の『終りの時』に入つたという証拠を予言したイエスの予言は,恐れにうちのめされる今日の状態を言い表わしました,『人々は世界に起ろうとする事を思い,恐怖と不安で気絶するであろう。』(ルカ 21:25,26,新口)しかし,神の知恵は次のことを知つています,すなわち世界の災は人間や悪鬼共の破壊的な手によつて来るのでなく,天と地にあるサタンの世の制度に対する全能の神の正義の戦いによつて来る,ということです。その災は,恐怖に戦く人間の心で想像し得るもの以上にはるかに悪いものです。
12 今日,神の知恵はどこで叫びを挙げますか。それは,どのようにそうしますか。
12 それですから,神の知恵は神の恵みを表わすため,遅過ぎない前のいま叫びを挙げているのです。それは,多数の人々に会える場所のところで,最も広範囲な警告を与えています。すなわち,街頭で,公共の広場で,人通りのはげしい大道の十字路で,都会の近代設備すべてに入る入口のところなのです。知恵というこの神の特質,すなわち神の知恵は,どのようにこれをしますか。最高の神ヱホバに献身している人々,そしてヱホバとその目的の知識を得ている人々,かつヱホバの知恵に満たされてヱホバの御言葉とその組織化された民の助言に従つて行う人々に体現されることによるのです。彼らは,神の知恵の体現されたイエス・キリストに倣いました。そして,神の書かれた音信を『公衆の前でも,また家々でも』伝道するために出かけて行きました。いまでも行きつづけています。(使行 20:20,新口)それらの人々は,ヱホバ神の崇拝を御国会館で共に集まることだけに限定していません。唇で音信を言い表わし,また手に印刷された音信を携えて,彼らはこれらの奉仕中心地から出かけて行きました。そして,家々や街路や,また公共の集まるところで人々に音信を伝えようと努めてきました。彼らは恐れの気持なしにその声を挙げ,御国の文書を持つその手を伸ばしました。そして,人々を霊的な御馳走に招待すると共に,来るべき宇宙戦争の嵐,ハルマゲドンから身を守る唯一つの避難の場所に逃げるよう,人々を警告しています。
13 ますます強力となる知恵の叫びにたいして,誰が答え応じましたか。しかし,地の住民の大多数の者は,どんな道を採りますか。
13 第一次世界大戦により,ヱホバの証者の組織は解体する程の影響を受けました。しかし1918年に彼らがその影響から立ち直つて以来,彼らを通して述べられる神の知恵は更に多くの神の御国と神の報復の日の宣明者を通して聞かれています。それは更に多くの土地で,しかも人々の間にますます強く,かつ深く聞かれているのです。幾十万という人々は,答え応じました。そして知恵の霊は,彼らに注がれて神の御言葉は知られるようになり,彼らを生気づけて,御言葉の一層の宣明に参加するようになります。しかし,地の住民の大多数は聞こうとせず,知恵の授助の手を受け入れようとしません。すでに非常な艱難とますます増し加わる苦しい時は彼らの上にのぞんでいます。彼らは,悪化して行く状況に対処するための知恵を呼び求めます。しかし,神の知恵はこの世の知恵と妥協することを拒絶します。彼らは,ハルマゲドンが神の戦争であるという警告を嘲笑します。そして,ヱホバの恐れを示しません。ヱホバの恐れは,知識と知恵の初まりなのです。彼らは,聖書の中に述べられているすべての破壊的な裁きに未経験であり,分別の無い獣のごとく愚かにも安易な道を歩んでいるのです。そして,この世の知恵を神の知恵に従がわせることをせず,また神の助言に従おうともしません。彼らは神からますます離れ,背教しているのです。
14 この道は,これらの者に何をしますか。こんどは,知恵は何をしますか。どんなシンゲンは,彼らに成就されるでしようか。
14 この行いは,突如として彼らを殺すでしよう。彼らは滅びを受け,神の御国の下にあつて死人からの復活を受けるという希望も機会もないのです。神の戦争が盗人のように突如として彼らの上におそうとき,そして彼らの終りが神の正義の御手から急速に近づいてくると知るや,彼らは叫び声を挙げます。しかし,今度は知恵は彼らを笑い,彼らを嘲笑するでしよう。そして,彼らは結局のところ賢明な者でなく,愚鈍な愚か者であつたと認めざるを得ません。次のシンゲンの言葉は,彼らに成就するでしよう,『悪しき者の宝は,何の益もない,しかし正義は人を死から救うものである。悪しき者には,その恐れているものが来る,しかし義しい者の願いは許される。暴風の過ぎ去るごとく,悪しき者はもはや居ない,……義しい者は不定の時にいたるまで動かされることはない。しかし悪しき者は地に住みつづけないであろう。』(シンゲン 10:2,24,25,30,新世)『馬は戦いの日のために備えられているものである。しかし,救いはヱホバに属する。』(シンゲン 21:31,新世)『貴重なものも怒りの日には何の益にもならない。しかし,正義は人を死から救う。』(シンゲン 11:4,新世)『悪しき人々の家は滅ぼされる,しかし実直な人々の天幕は栄える。』― シンゲン 14:11,新世。
15 特に1925年以来,私たちは誰に対して私たちの責任を認めましたか。それで,私たちがシンゲン 24章11,12節に従わねばならぬと,私たちはどのように示しましたか。
15 ハルマゲドンの戦いとは,地上における国際的な無秩序の期間ではなく,悪鬼と人間とで成り立つサタンの全制度に対するヱホバの戦争です。ヱホバの証者がそのことを1925年に認めて以来,私たちは人類に関して大きな責任を認めました。人類はその宇宙的な戦争で永遠の滅亡を受けるという危険に曝されているのです。全世界にわたる憎しみや迫害を受けようとも,私たちは神の音信を良心的に宣べ伝えることにより,シンゲン 24章11,12節(新世)の言葉に従わねばなりません,『あなたが救われたいと願うなら,死に連れて行かれる者たちを救え。滅びによろめき行く者たちを救え,「見よ,この者を知らなかつた」とあなた方が言う場合,心をはかる者がそれを認めないだろうか。あなたの魂を見る者が知らないであろうか。そして,その活動に応じて地的な人に報いないであろうか。』私たちは彼の見張であることを認識しており,いわばものみの塔から叫び,家の屋根から宣べ伝えねばなりません。ハルマゲドンで滅ぼされる者たちの血に対する責任が,私たちの臆病な怠慢とか利己的な無関心のせいにされたくないからです。(エゼキエル 23:1-7。マタイ 10:26,27)キリストの弟子の油注がれた残れる者,すなわち『忠実にして慧い奴隷』級は,天に行くという自分自身だけの救いを考えるだけに止まりませんでした。彼らは正しい羊飼の『他の羊』なる『大いなる群衆』に注意を向けました。そして,それらのものもハルマゲドンを生き残つて神の新しい世に入れることに,彼らは興味を持つたのです。
16 すでに集められた他の羊は,こんどは何をしましたか。それで,彼らは何になりましたか。
16 さて,正しい羊飼によつてすでに集められたそれらの『他の羊』は,まだ見失われて道に迷つている他の羊の救いに興味を持ちました。そして,油注がれた残れる者とともどもに狩り集める業に参加したのです。彼らも又ヱホバの証者になりました。そして次のシンゲン(14:25,新世)を良く知つています,『真の証者は魂を救う。偽りの証者は噓のみを語る。』キリスト教国内の欺瞞者たちが如何に不平を言い,反対しようとも,彼らは神の真理を伝道します。
17 人間の畠を耕すことは,霊的にどんな結果となりますか。それで,私たちはみな互に何を楽しみますか。
17 他の者たちを援助して救おうというこの努力は,私たち自身の救いという結果になります。人間という畠を耕す結果は,救われる者という報いの豊かな満足すべき収穫となります。『自分の庭を耕す者は,パンに飽き足りるであろう。しかし,価値のないものを追い求める者は,心(良い動機)の足らない者である。』(シンゲン 12:11,新世,欄外)『貧しい者の耕された畠は,多くの食物を生ずる。しかし,判断の不足のために押し流されるものもある。』(シンゲン 13:23,新世)『あらゆる種類の働きには利益がある。しかし,唇の言葉だけは,欠乏を(来らす)』(シンゲン 14:23,新世)単なる言葉だけでなく,働きもなければなりません。(シンゲン 3:27,28)私たちは人々のところに出かけて行つて,人々を生命の水に招待し,そして霊的な食物を供給しなければなりません,『物惜しみしない魂は肥え,(他の者を)自由に潤す者は,自分も潤される。穀物をしまいこんでいる者は,民に呪われる。しかし,穀物を売る者の頭には祝福がある。』それで,私たちは印刷された音信を人々に持たせつづけます。人々はそれに寄附をします。それは,更に多くの文書が出版されて,更に多くの他の人々に頒布されるためです。(シンゲン 11:25,26,新世)それでいま私たちはみな,『生きつづける』ために,知恵と共に御馳走に与ります。―シンゲン 9:1-6。
18 何がハルマゲドンの戦いを生き残りますか。それで,いま何を得ることは好ましいですか。そしてなぜ?
18 神の知恵はハルマゲドンの戦いを生き残るでしよう。ハルマゲドン前の現在に知恵を得る人々,および理解をともなう知恵によつてみちびかれる人々も,同様に生き残りそしてヱホバの新しい世で知恵を用いるという特権を持つでしよう。『実直な者たちは地に住み,非の打ちどころのない人は地に残る。悪しき者は,地から切り絶たれるであろう。不信実な者たちは地からとりさられるであろう。』(シンゲン 2:21,22,新世)いま知恵を得ることは,なんと好ましいことでしよう!『毎日私の門で目を覚ましつづけ,私の戸口の柱で見守つて私の言葉に耳を傾ける者は,幸福である。私を見出す者は,必ず生命を見出し,そしてヱホバからの善意を得るからである。』― シンゲン 8:34,35,新世。
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