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    ものみの塔 1979 | 10月15日
    • 詩篇

      詩篇 ― 心にいやしを与える書

      詩篇は,古代ヘブライ民族の詩と歌の書です。その歌詞には曲が付けられ,エルサレムの神殿でエホバの崇拝に用いられました。またそれらは,イスラエル人の家庭で,あるいは心の中で重要な地位を占めていた歌でもありました。その詩は韻を踏んだり,全体に韻律が付されたりしたものではありませんでした。ある場合には類語,ある場合には反語が用いられ,考えが対句的に表現されていることがよくあります。それによって読者の思いと霊は,自然にその考えについてゆくことができ,より勝った理解と動機付けが得られます。多様な表現に加えて,反復効果を活用し,語られている真理を一層完全かつ明解にすることによって,その真理を際立たせています。これを示す幾千もの実例がありますが,次に挙げる幾つかの詩はその好例となっています。

      「エホバの律法は完全で,魂を引き戻す。

      エホバの諭しは信頼に値し,経験のない者を賢くする」― 詩 19:7,新。

      「邪悪な者はいつも借りては返さない。

      しかし義なる者はいつも恵みを示して贈り物をする」― 詩 37:21,新。

      「わたしが苦難の中を歩むことがあっても,あなたはわたしを生き長らえさせてくださいます。

      わたしの敵の怒りのゆえに,あなたは御手を突きいだし,

      あなたの右手はわたしを救ってくれます」― 詩 138:7,新。

      詩篇は人の心に達します。詩篇に人を動かす強い力が備わっているのは,神が詩篇を通して人間の心をあらわにされ,人間のあらゆる感情や苦悩に言及しておられるからです。愛,喜び,激情,賛美,悲しみ,失意,後悔,希望 ― 読む人はこのようなあらゆる感情を共有することができます。病気による憂うつな気分,仲間の示す激しい憎悪,信頼していた友に裏切られたときの失望感,人が罪を犯したときの憂うつな気分と神への恐れの気持ち,自分の罪が許されたことを知ったときの喜び ― 人生の浮沈に伴って生じるそうした感情すべてを,またその他の様々な感情を,読者は単に読み取るだけでなく感じるのです。

      そのようなわけで,詩篇は,神の人を「十分な能力をそなえ,あらゆる良い業に対して全く整えられた者」とする神のことばのうちでも,欠くことのできない重要な部分なのです。(テモテ第二 3:16,17)この書は,人間の特質をあるがままに取り上げ,人間のあらゆる問題に関して,読者に慰めを与えています。そのため詩篇は,時代を超越して,幾千年も前と同様に今日の生活にも適用できるものとなっています。

      神の栄光と威光

      詩篇は,神の特質,つまり神の栄光と完全さを力強く言い表わしています。エホバの永遠性の麗しさ,威光,全能性などが格調高く描き出されています。次の三つの短い引用句を読むだけでも,その一端をうかがい知ることができます。

      「ああエホバよ,あなたはわたしたちのための真の住まいとなってくださいました。

      一つの世代に,また次の世代にも。

      山々さえ生まれる前,

      また,あなたが陣痛を伴うかのように地と沃地をいだされる前,

      実に定めのない時から定めのない時に至るまであなたは神であられます。……

      千年もあなたの目には過ぎ去ればほんの昨日のごとく

      夜間の一区切りのようだからです」― 詩 90:1-4,新。

      「遠い昔あなたは地そのものの基を据えられました。

      またもろもろの天はあなたのみ手の業です。

      それら自体は滅びますが,あなたご自身は立ち続けます。

      そしてまるで衣のようにそれらはことごとく古びてしまいます。

      まるで衣服のようにあなたはそれらを取り替え,そしてそれらは自分の番を終えるのです。

      しかしあなたは同じです。そしてあなたご自身の年が満ちることはありません」― 詩 102:25-27,新。

      「雲と濃い暗闇が彼の周囲一帯にあり,

      義と裁きはその王座の確立された場所である。

      そのみ前を火そのものが行き,

      周囲一帯の敵を焼き尽くす。

      そのいなずまは産出的な土地を照らし出し,

      地は見て激しい痛みを覚え始めた。

      山々さえまるでろうのように溶け出した。エホバのゆえに。

      全地の主のゆえに」― 詩 97:2-5,新。

      同様に,次の幾つかの副見出しが示しているように,神と神の民の間の親密な関係が詩篇全体に一貫して見られます。

      ご自分の民に対する神の愛ある配慮

      「なぜなら,あなたは,『エホバはわたしの避難所』と言ったからだ。

      あなたは至高者ご自身を自分の住みかとした。

      いかなる災難もあなたに降り懸かることはない。

      また,災厄さえもあなたの天幕に近寄ることはない。

      彼がご自分の使いたちにあなたに関して命令をお与えになるからだ。

      あなたをそのすべての道にあって守るようにと。

      彼らはその手に載せてあなたを運ぶ。

      あなたがどの石にも足を打ち当てることがないように」― 詩 91:9-12,新。

      神の憐れみ

      「父親が自分の子たちにあわれみを示すように,

      エホバはご自分を恐れる者たちにあわれみを示してくださった。

      彼ご自身わたしたちの造りをよく知っておられるからだ。

      わたしたちが塵であることを覚えておられる」― 詩 103:13,14,新。

      「あなたの見守るものが誤りであったなら,ああヤハよ,

      ああエホバ,だれが立ち得るでしょうか。

      あなたには真の赦しがあるからです。

      それはあなたが恐れられるためなのです。

      わたしは望みを抱きました,ああエホバ,わたしの魂は望みを抱きました。

      そして御言葉をわたしは待ち望んだ」― 詩 130:3-5,新。

      人間の罪深さ,および悔い改めと許しの必要性

      「あなたの僕に対する裁きに入らないでください。

      あなたの御前にあっては,生きている者のだれも義者とはなりえないからです」― 詩 143:2,新。

      「ああエホバよ,憤りのうちにわたしを戒めないでください。

      また,怒りのうちにわたしを正さないでください。

      あなたご自身の矢がわたしの中にいくつも深く食い込んだのです。

      そしてわたしの上にあなたのみ手はのしかかっています。

      あなたからの刑罰の宣言ゆえに,わたしの肉体に健全な所はありません。

      わたしの罪ゆえに,わたしの骨に平和はありません。

      わたし自身の誤りがわたしの頭上を過ぎ越したからです。

      重い荷のように,それらはわたしには重すぎます。

      わたしの傷は悪臭を発し,うんでしまいました。

      わたしの愚かさゆえに。

      わたしは取り乱し,はなはだしく身を屈め,

      一日中悲しんで歩き回りました」― 詩 38:1-6,新。

      「ご覧ください! 誤りをもって,わたしは産みの苦しみと共にもたらされ,

      罪のうちに母はわたしをみごもりました」。

      「ヒソプをもってどうかわたしを罪から浄めてください。わたしが清くなるように。

      どうかわたしを洗ってください。そうしてわたしが雪よりもさらに白くなりますように」。

      「わたしの罪からみ顔を覆い隠してください。

      そして,わたしの誤りをことごとくぬぐい去ってください」― 詩 51:5,7,9,新。

      「幸いです,自分の反抗が赦され,自分の罪を覆われる者は。

      幸いです,自分の勘定にエホバが誤りを付けず,

      その霊に欺瞞のない人は。……

      わたしの罪をわたしはついにあなたに告白し,自分の誤りを覆いませんでした。

      わたしは言いました,『自分の違犯についてエホバに告白しよう』。

      すると,あなた自らわたしの罪の誤りを赦してくださいました」― 詩 32:1-5,新。

      神を待ち望み信頼する

      「エホバがたたえられますように。日毎にわたしたちのために荷を負ってくださる方,

      わたしたちの救いとなられる真の神が。

      セラ。

      真の神はわたしたちにとって救いのわざを施される神。

      そして,死からの逃れ道は主権者なる主エホバのもの」― 詩 68:19,20,新。

      「わたしには天にだれがいるでしょうか。

      そしてあなた以外に,地に喜びはありません。

      わたしの体と心臓は衰えました。

      神はわたしの心の岩,定めなき時に至るまでわたしの分。

      ご覧ください,あなたから離れているその者たちは滅びるのです。

      不道徳な仕方であなたを去って行くすべての者を,あなたは確かに沈黙させられます。

      しかしわたしにとって,神に近づくのは良いことなのです。

      主権者なる主エホバに,わたしは自分の避難所を設けました。

      あなたのすべてのみ業を告げ知らせるために」― 詩 73:25-28,新。

      「神にわたしは信頼を置きました。わたしは恐れません。

      地に住む人がわたしに何をなし得るでしょうか」― 詩 56:11,新。

      「この神は,定めなき時に至るまで,実に永遠に我らの神だからである。

      わたしたちが死に至るまで彼自ら導いてくださる」― 詩 48:14,新。

      メシア王国

      詩篇には,キリスト・イエスについて,またメシア王国について多くの事柄が述べられています。そこには名前は挙げられていませんが,キリストは特に平和と公正のうちに全地を治める栄光ある王として描かれています。2篇や110篇などのように,詩篇の中には直接メシアについて預言していると思われるものもあります。詩篇の他の部分は,多くの場合,直接にではなく,象徴的,また比喩的にメシアについて述べています。つまり,詩篇作者は,直接,自分自身の問題や国の問題について考えていたのであって,その述べた事柄は,詩篇作者自身の生きていた時代に直接適用されました。しかし,詩篇作者の述べた事柄は,原則の面で,あるいは二度目の完全な,つまり最終的な成就という面で,クリスチャン・ギリシャ語聖書の筆記者たちによってキリストに適用されています。使徒ペテロが,預言者たちは自分の預言する事柄の意味をすべて完全には理解してはいなかったと述べていることからして,詩篇作者はいつもメシアのことを念頭に置いていたわけでも,象徴的あるいは比喩的な適用をあますところなく理解していたわけでもないと考えてほぼ間違いないでしょう。―ペテロ第一 1:10-12。

      そのことを示す例が,先に引用した詩篇 102篇25-27節に見られます。この篇の最初の節が示すように,詩篇作者はエホバに語り掛けていました。しかし,ヘブライ 1章10-12節の中で,使徒パウロはそれらの特質をイエス・キリストのものとしています。イエスは,創造の業の際に神が用いられた方であり,今や神から「天と地における」すべての権威をゆだねられているからです。(マタイ 28:18。コロサイ 1:15-17)イエスは,その特質と行動のすべてにおいて,神を完全に描出しておられます。

      ダビデが書いたとされている詩篇 22篇は,部分的に比喩的な言葉遣いが用いられていますが,そこには,キリストの受けた苦しみの幾らかが記されています。(詩篇 22:1をマルコ 15:34と比較してください。また,同篇全体を,イエスの試練や刑柱上の死に関する四福音書の記述と比較してください。)それらの出来事は,キリストの上にさらに大きな成就を見ることを示唆する言葉で描写されています。

      しかし,詩篇作者たちは,メシアについて書かれた事柄の適用をある程度は理解していました。メシアについて預言するよう霊感を受けたダビデは,詩篇 16篇を書き,その魂が永久にシェオル,あるいはハデス(墓)に捨ておかれることも,その埋葬された肉体が朽ち果てることもないと語りました。(使徒 2:31,新国際訳,エルサレム聖書,改訂標準訳)それゆえ,ペンテコステの日に幾千人ものユダヤ人に向かって話をしていた使徒ペテロは,次のように述べて,それがメシアに関するものであることを示しました。「したがって,彼[ダビデ]は預言者であり,その腰の実のひとりを彼の王座に着かせると,神が誓約をもって誓ってくださったことを知っていたので,キリストの復活を先見し,それについて,彼がハデス[ヘブライ語のシェオル]に見捨てられず,その肉体が腐れを見ることもないと語ったのです」― 使徒 2:30,31。

      詩篇が霊感によるものであることを全面的に認めていた,集合したユダヤ人たちを前に,ペテロは,メシアについて述べている詩篇 110篇とこの論拠を十分に活用して,それらの記述がキリストに言及しているものであること,またキリストがハデス(シェオル)からよみがえらせられたことを示しました。ダビデ自身は死んで埋葬されており,その証拠として,現在ダビデの墓はまさしくユダヤ人の中にあるではないか,とペテロは述べました。ユダヤ人たちは,ダビデがシェオル,あるいはハデスへ行ったこと,そしてその肉が腐れを見た,つまり朽ち果てたことを知っていました。ダビデは自分自身について語っていたのではないということをその時ユダヤ人たちは理解しました。それゆえ,これが真実であれば,預言者であったダビデは,そのことが起こることになっていた自分自身の子孫の一人について語っていたことになります。イエスの死と復活に関する出来事も証拠として当時のユダヤ人の前にあり,それは,ダビデが自分の子孫であるキリストについて預言的に語っていたことを明確に示していました。(ペテロ第一 1:10-12)この論議は,ペテロの話に耳を傾けていたユダヤ人に大きな影響を与えました。―使徒 2:29-36。

      詩篇は,あらゆる仕方で神と神のみ子をたたえ,「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」という言葉の中で言及されているお二方をわたしたちがより良く知るのを助けてくれています。(ヨハネ 17:3)詩篇は,全人類に共通の試練について述べており,幸福な時や困難な時に神に祈る方法をわたしたちに示しています。いかなる問題をかかえようとも,わたしたちを助け,心をいやすバルサムのような詩があります。

      使徒パウロは,祈りに関して助けが必要なことを示してこう語りました。「祈るべきときに何を祈り求めればよいのかをわたしたちは知りません」。(ローマ 8:26)これは大抵,どのクリスチャンに関しても言えることでしょう。わたしたちは詩篇の中から,自分の奥深いところにある考えや願いを神に向かってさらに十分に表現するための必要な助けを一再ならず得ることができます。―エフェソス 5:19,コロサイ 3:16と比較してください。

      人間の様々な感情について述べている詩篇には,個々の人を引き寄せる温かな魅力があります。読者は自分自身を見ることができ,自分に向かって,あるいは自分のために語られているように感じます。それは,読む人の最も奥深いところの考えや動機に触れ,その人の心を探ります。それを読む人は自分の生活を調整するよう動かされます。そうすることにより人は高められ,一層親しく神を知るようになります。だれもが詩篇を通読すべきです。詩篇を読むなら,必ず益を得られることでしょう。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1979 | 10月15日
    • 読者からの質問

      ● 使徒パウロが,「わたしは,律法によって律法に対しては死にました」と述べたのはなぜですか。―ガラテア 2:19。

      この使徒の言葉は,人間は「律法の業」によって自分自身を神の前に義とすることはできない,という論議の一部を成しています。パウロは次のように書いています。「生来のユダヤ人であって,[モーセの律法を持たず,ユダヤ人の目から見ると不法に振る舞っていた]諸国民の罪人でないわたしたちも,人が義と宣せられるのは律法の業によるのではなく,ただキリスト・イエスに対する信仰を通してであることを知っているので,このわたしたちでさえキリスト・イエスに信仰を置き,こうして,律法の業によってではなく,キリストに対する信仰によって義と宣していただけるようにしたのです。律法の業によっては,肉なるものはだれも義と宣せられないからです」― ガラテア 2:15,16。

      律法がパウロに気付かせたことは,自分はどうしても律法を完全に守ることができない,ということでした。律法はパウロを死罪に値する罪人と定めました。律法の要求をどれほど良心的に果たそうと努めても,自分が失格者であることをパウロは思い知らされました。(ローマ 7:7-11)そういうわけで,『律法によって律法に対しては死んだのです』。もしくは,「今日の英語聖書」の表現によれば,「しかし,律法に関する限り,わたしは死んでいます。律法自体によって殺されているのです。それはわたしが神に対して生きられるためにです」。パウロはキリストによるエホバの救いのご準備を信仰のうちに受け入れることによって神から義とみなされ,再度生きたものとなりました。こうしてパウロは霊的に生きたものとなったのです。信仰の結果として,この使徒は聖霊の力を受けるようになり,生活の中で霊の実を結ぶようになりました。そうした理由でパウロは,「神に対して生きた者となるためです」という言葉を加えているのです。―ガラテア 2:19。

      ● ソロモンはどうして,「エホバ自ら,厚い暗闇の中に住まう,と言われました」と語っているのですか。―列王上 8:12,新。

      ソロモン王がこのように述べたのは,祭司たちが聖なる櫃を神殿の至聖所に安置した後,神殿が雲によって満たされた時のことでした。(列王上 8:6-11)以前エホバ神がご自分の臨在を示された方法を,ソロモンはこの雲によって思い起こさせられました。例えばモーセはこう告げられました。「見よ,わたしは暗い雲の中であなたに至る」。(出エジプト 19:9,新)別の時にモーセはこれと関連して,「闇と雲と厚い暗闇がありました」と述べています。(申命 4:11)至高者がご自分の臨在と雲とを関連づけておられることからすれば,ソロモンが『エホバは厚い暗闇の中に住まわれる』と語ったのは正しかったことになります。

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