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良い結果をもたらす実際的な導き目ざめよ! 1976 | 1月8日
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した事物の体制の中で生活していても,聖書の助言を首尾よく適用するのは可能なことです。今そうすることによって,自分の生活の質を確かに改善することができます。聖書がこう述べている通りです。『敬神の専念はすべての事に益があります。それは,今の命ときたるべき命との約束を保つのです』。(テモテ第一 4:8)これは単なる理論ではなく,人々の生活に見られる豊富な証拠が十分に,しかも納得のいく仕方で実証しているように事実なのです。
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人々の生活の中に見られる証拠目ざめよ! 1976 | 1月8日
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人々の生活の中に見られる証拠
この混乱した世の中で,自分の生活を簡略にし,心の平和と幸福を見いだすのはむずかしいことです。聖書の原則と助言は,もし実践されるなら,それを本当に成し遂げるでしょうか。もちろん,正しい事が実際に行なわれれば,満足のいく具体的な結果が生み出されるはずです。聖書が人の心を動かして,幸福な生活に必要な変化をさせ得ることを示す証拠があるのでしょうか。聖書は,どんな立場や境遇にある人々をも助けることができますか。
そうです,できるのです。現在,世界には,聖書を実際に勉強してその助言を自分の生活のあらゆる面に適用すべく最善の努力をしている人たちが,少なくとも200万人はいます。その人々は,聖書を唯一の導きにするときに有益で建設的な生活が送れるようになることを知りました。彼らはエホバの証人として知られています。なかには過去において無法な,また不道徳な生活を送っていた人たちもいますが,証人の大多数は,正常な,法律を守る生活をしていた人々です。以前教会に行っていた人,あまり宗教的でなかった人,家族が一致している家庭の人,分裂している家庭の人,と様々です。しかし皆一つの共通点を持っていました。それは,感情の安定を得る必要を感じていたことと,生活の中で何か価値のある永続的な事を成し遂げたいと望んでいた点です。神は,幸福な生活を渇望する人,正しいことをしたいと思う人,神について学んで神に奉仕したいと考える人すべてを顧みられます。このことは次に掲げる経験によって証明されます。
聖書が家族の助けになることを悟った心理学者
聖書は,人々を,また一家全員を助けるのに,多くのことを成し遂げます。心理学の分野で働いていたある人は,この真理が実現するのを実際に見て驚くと同時に確信を得ました。彼は次のように語っています。
「私は父に勧められて大学に入りました。心理学専攻学生としての教育を終えたあと,人を矯正する分野の仕事に従事しました。自分は本当に人を助けていると感じられたので,私はその仕事から,物事を成し遂げる満足感を得ることができました。
「ところが,何年かたって私は,自分の用いてきた方法が若者たちを大して変化させていないことに気づき始めました。なるほど表面は変わっていました。しかし永続性のある個人的,社会的変化はほとんど見られませんでした。このことで私はひどく悩みました。幾年も費やして学んだことを応用しても,実際には良いほうへの効果があまりなかったのです」。
仮釈放中の非行少年の補導員という資格で,その人は非常に考えさせられる一つの問題を扱いました。それは,三人の子どものいるある家族に関係したケースで,その三人が三人とも問題のある子どもでした。そのケースを扱っていたとき九か月の中断期間が生じました。彼はもう希望はないと考えていました。しかし次にその家族に会ったとき,彼はすばらしい変化に気づきました。とても汚くて散らかっていた家が,小ざっぱりときれいに片付いていました。子どもたちは見苦しくない服装をし,以前よりもしっかりしているように思えました。この驚くべき変化をもたらしたのはいったい何だったでしょうか。母親がエホバの証人と聖書の勉強を始め,聖書の示す原則を家族生活に当てはめることに努力していたのです。このすばらしい変わりようを見て彼は,自分が受けた教育をもってするよりもさらに優れた結果をもたらし得るものが何かあったのではなかろうか,と考えさせられました。
彼を非常に憂慮させたもう一つの事柄は,世相の悪化と,彼が協力して働いていた社会問題に対処するための機関の力のなさでした。彼は次のように話しています。
「その機関は,成果をあげるために様々の手段を試みました。取扱い件数を減らすこともしました。新しい方法も試してみました。過去のやり方を復活させて新しい名称を付してもみました。しかし,こうした努力もすべて実りのないものに思えました」。
その結果この人は,より良いものを探求し始め,聖書も読んでみましたが,理解はあまり得られませんでした。彼が大学に入ったころエホバの証人になっていた彼の母親は,日ごろ彼にいろいろな事を説明していましたけれども,彼は母親の言うことに心からの関心を示しませんでした。しかしついにエホバの証人の王国会館に行くようになり,聖書を真剣に勉強し始めました。彼はまた若い人々に目をとめました。そのなかには,以前麻薬常用者であった人や非行少年だった若者も幾人かいました。しかし今の彼らは見方と性格をすっかり変えて,信頼できる,品行の正しい人になっていました。その時からその人は,聖書の原則に従うと人の性格は,自分の場合をも含め,表面だけでなく心底から変わるのだということを認識するようになりました。
暴力を事とする生活から転向した囚人
1975年5月11日のサウス・ミドルセックス(マサチューセッツ州)・ニューズ紙面でも,同様のケースが報道され,「在監者,宗教的負債を返済」という見出しで,ある中年の囚人のことが伝えられました。
その男は,エホバの証人になっていた囚人と同じ監房に入れられました。彼はカトリック教徒だったので,次のように語りました。『エホバの証人の言うことはみな,私が教わっていたことと衝突しました。しかし最後に私は,エホバの証人が,その矛盾すべてに対して答えをもっていることを認めるようになりました』。今この元犯罪者は,「以前一度も持ったことのない」しっかりした土台と目標を与えられた,と言っています。労働釈放計画で外出するときには,マサチューセッツ州,フラミグトンで王国会館を建てているエホバの証人の手伝いをしています。彼が得た聖書の知識は,彼の家族にみられる「暴力に走る傾向」を完全に変えるのに役立った,と彼は言っています。
彼を扱った心理学者も,自分の患者が,「道徳意識のない破壊的な人間から良心のある人間に」変わったことを述べて,彼のことばを支持しています。「彼がこうした変化を遂げたのはひとえに,証人たちと接した経験によると私は思う。証人たちは過去二年半にわたり,非常な力と効果のある社会的再教育を行なってきたのである。この男がこれまでになれるような治療法は全くない。私は彼が道徳意識のない,破壊的な態度を捨て,しっかりした責任感を持つ人間へと変わっていく
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