ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 助言は人を建て起こす
    神権宣教学校案内書
    • 求められている,話の特質を多少の時間をかけて分析するのはたいせつなことです。努力の対象とされている点が取り扱われている,この本の研究の章をもう一度注意深く読んで,その点をどのように加味して準備すべきか,また,その話の特質を自分の話し方の中でどのように示すべきかを知るようにしてください。あなたを助けるため,この本の中では,話のおのおのの特質の主要な面は肉太の活字で印刷されています。それらは考慮すべきおもな要素です。

      18 自分の話を終えたなら,与えられる口頭の助言を注意深く聴き,感謝の念をもって助言を受け入れてください。それから,注意を必要とする点に努力を払ってください。進歩を速めたいと願うなら,次の話の時まで待っていてはなりません。自分が努力する必要のある点が論じられている,この本の中の資料をもう一度研究し,種々の提案を日常の会話にあてはめるよう努力してください。そうすれば,次の研究生の話をする時までには,おそらくそれらの点を修得していることでしょう。

      19 研究生はみな,この学校のプログラムで順次行なう話のたびごとに改善を目ざして努力すべきです。それには確かに不断の努力が必要です。しかし,それは必ずエホバの祝福をもたらします。神権宣教学校における訓練から最大の益を受ける人々にとって,箴言 19章20節は特別な意義をもつことばと言えるでしょう。「助言を聴き,訓戒を受け入れなさい。あなたが将来に賢くなるためである」。

  • 啓発的な資料,明快に述べる
    神権宣教学校案内書
    • 研究 21

      啓発的な資料,明快に述べる

      1-3. 啓発的な話をするには,具体的な資料が必要です。なぜですか。

      1 価値のある話は熱心な準備から始まりますが,それには時間と努力がいります。しかし,なんと大きな報いをもたらすのでしょう! あなたは正確な知識のたくわえをふやし,聴衆とわかち合う真に有益なものを得,一般的な話をするどころか,人を啓もうする詳細な事がらを提供でき,また,自分が話しているのは正しい事がらであるとの自覚をいだけます。その結果,神のみことばに対する聴衆の認識は高められ,エホバに誉れがもたらされます。啓発的な資料に関してここで特に考慮するのは,話の中で何を話すかという点です。その幾つかの面を簡単に考慮しましょう。それは「話の助言」の用紙上の最初の点となっています。

      2 具体的な資料。一般的な内容の話には重みや権威がありません。それはばく然とした話で,聴衆に確信を与えません。具体的で厳密な考えでなければ,人に覚えてもらうことはできません。それは,論題に関する調査と知識のほどを明らかにするものです。

      3 この特質は,準備の際,なぜ,いつ,どこでなどと自問することによって取得できます。ある事がらが起きたと言うだけでは,たいてい不十分です。場所の名前や日付,あるいは理由をあげてください。ある真理を述べるだけでは不十分です。それがなぜ真実か,知る価値がなぜあるのかを示してください。指示を与える場合には,ある事がらをどのように行なうかを説明してください。この種の説明がどの程度必要かは,聴衆がすでにどの程度知っているかによって決まります。ですから,どの程度詳述するかを決めるには,聴衆を考慮してください。

      4-6. あなたの特定の聴衆に対して啓発的な話をするには,どんな要素を念頭におかねばなりませんか。

      4 あなたの聴衆にとって啓発的な内容。ある聴衆を啓発する事がらも,別の人々にとっては,なんら知識をふやすものとはならなかったり,全然理解できなかったりする場合さえあるかもしれません。したがって,資料は特定の聴衆に適したものでなければなりません。たとえば,わたしたちのわざがどのように行なわれているかを述べる話でも,エホバに献身しようとしている人,あるいはこの世の一群の人々に対する話と奉仕会での話とでは,資料の取り扱い方が全く異なるでしょう。

      5 神権宣教学校のいろいろな割り当てに関しても,これらの要素を考慮しなければなりません。割り当てられたどんな話であれ,述べられる資料は,聴衆や場面,また話の目的などの見地から考慮されるべきです。これらの要素は話の型や,話し手が設定した場面によって決まります。もとより,講話は会衆に対する話です。他の話はいろいろ異なっており,その聴衆や目的は場面によって明らかにされます。そのいずれの場合でも,研究生と助言者は次のように自問できます。資料は,その話に関係している特定の聴衆に適しているだろうか。聴衆は啓発され,教えを受けるであろうか。

      6 準備に際し,次のように自問してください。この話で何を成し遂げたいと欲しているのだろうか。この人,あるいは一群の人々は,わたしが話したいと思っている事がらをすでにどれほど知っているだろうか。これらの点を述べる前に,どんな土台を据えねばならないだろうか。全く異なった人々に対して,どのように違った仕方で話せるだろうか。多くの場合,比較してみると,自分の見方がはっきりします。聴衆を考慮し,自分が話そうとしている特定の聴衆にとって資料を啓発的なものにする仕方が他の場合とどう違うかをちょっと知るため,準備の際,異なったグループの人に話す別の話し方を試みてください。

      7-8. どうすれば,わたしたちの話を実際的なものにすることができますか。

      7 実際的な価値のある資料。学ぶべき事がらはたくさんありますが,そのすべてが実際に役だつわけではありません。わたしたちにとって啓発的な資料とは,クリスチャンとしての生き方,また,わたしたちの宣教に関して知る必要のある事がらにかかわるものです。わたしたちは,学んだ知識の用い方を知りたいと思います。

      8 研究生は準備をする際,また,学校の監督は助言をする際,次のように自問して,この点を考慮できます。この話の中には指針となるどんな原則があるだろうか。この資料は決定を下す際に用いられるだろうか。提出された知識は野外宣教に適応できるだろうか。それは神のみことばをたたえ,神の目的をさし示すものだろうか。そうした知識すべてを与えうる話はめったにないにしても,実際的であるためには,述べられた資料は,なんらかの仕方で聴衆が用いうるものであるべきです。

      9-11. 陳述の正確さはなぜそれほど重要ですか。

      9 陳述の正確さ。エホバの証人は真理の組織です。わたしたちは真理を話し,いつでも,またどんな詳細な点でも絶対に正確でありたいと願ってしかるべきです。教理に関してだけでなく,引用文,または他の人々について話す事がらでも,あるいはそれらの人のことを伝える場合でも,さらには,科学的なデータやニュースとしてのできごとに関する事がらであっても,そうであるべきです。

      10 聴衆に対して誤った陳述がなされると,それは繰り返され,誤りは大きくなるかもしれません。不正確さに気づいた聴衆は,他の点についても話し手の権威を疑い,音信そのものの真実性をさえ疑うかもしれません。最近関心をいだいた人がそうした陳述を耳にし,別の時に,それとは違った見解を聞かされると,エホバの証人の考えは一致していないと結論し,理由を述べることさえせずに交わりを絶つかもしれません。

      11 助言者は,研究生の述べることを1つ1つ取り上げて酷評すべきではありません。真理に新しく,したがって,神のみことばのより深い事がらの点で信仰が十分確立されていない人の場合は特にそうです。むしろ,助言者は,考え方を練るよう巧みに研究生を助け,事前の周到な準備によって正確さを改善する方法を示します。

      12,13. 意味を明確にする付加的な資料の価値を述べなさい。

      12 意味を明確にする付加的な資料。黙想をして得た考えや,ある論題に関してさらに詳しく調査して集めた考えは,話の内容に大いに貢献するものであり,時には,聴衆のすでに知っている資料を繰り返して述べる,非教訓的な話を避けるのに役だちます。それは話に新鮮味を添え,聴衆の関心を生き生きとしたものにするばかりか,よく知られている論題でもほんとうに喜ばしいものにすることができます。同時に,それは話し手に自信を与えます。また,話し手は,少し異なった事がらを話せるというわけで,熱意をいだいて話に取り組めるでしょう。

      13 避けるべき危険があります。それは私的な推測です。協会の出版物を用い,かつ,それに頼るべきです。協会の「索引」や聖句の脚注を調べてください。あなたが述べる事がらは,意味を明確にするものであって,誤って伝えるものではないことを確かめてください。

      **********

      14-16. 物事を簡潔に述べられるようにするには,話を準備する際,何を行なわねばなりませんか。

      14 資料を準備するに際して,自分が言おうとする事がらをどのように述べるかという点に慎重に注意するのも重要なことです。これが,「話の助言」の用紙上で「明快で理解しやすい」という項目として言及されている事がらです。この点に十分注意しないと,聴衆を動かしそこなったり,話した事がらを聴衆に覚えてもらいそこねたりするおそれがあります。この問題には考慮すべき3つの主要な面があります。

      15 簡潔に述べる。これは,言い回しを前もってよく考えておくという意味ではありません。しかし,伝えようとしている考えは分析し,ある一定の要素を考慮しておかねばなりません。そうすれば,概して話は引き締まったものになり,簡潔な考えが,しかもわかりやすいことばで表現されるようになるでしょう。論題が話し手の思いの中でこみいっているなら,話し方もこみいったものになるでしょう。

      16 どたん場になって準備をするということは避けねばなりません。話の論点はすべて話し手が簡潔かつ明快に理解できるようになるまで考え抜かねばなりません。そうすれば,話し方を準備する際,それらの論点

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする