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落ち着きと身なり神権宣教学校案内書
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しかし,好ましくない事がらを聴衆に連想させるような服装や,集会に来る人をつまずかせるようなことは常に避けるのが賢明です。
19 この学校や奉仕会で話をする兄弟たちの適当な服装については,公開講演をする兄弟とだいたい同様な服装をしてしかるべきでしょう。あなたの住んでいる地方では,公開講演をする人が背広とネクタイを着用するのがならわしであれば,それはまた,神権宣教学校での話をするさいの適当な服装ということができます。というのは,あなたは公の話の仕方の訓練を受けているのだからです。
20 また,適当な身だしなみにも注意を払うべきです。くしをあててない髪はいやな印象を与えるものです。この点でも身なりをきちんとするよう適当な注意を払うべきです。同様に,会衆内の男子が集会で割り当てを担当するさい,きちんとひげをそっておくよう注意すべきです。
21 適当な服装と身だしなみの問題で助言をすることについては,ほめるべき点があれば,いつでも演壇からほめてさしつかえありません。事実,服装や身だしなみに適当な注意を払った人をほめるなら,そうした良い模範に従うよう他の人を励ませます。しかし,服装と身だしなみの点で改善を必要とする場合,学校の監督は演壇から研究生に助言を与えるよりも,個人的に親切な仕方で提案を与えるほうが良いでしょう。
22-28. 姿勢が話し手の身なりにどのように影響するかを論じなさい。
22 正しい姿勢。正しい姿勢も身なりの中に含まれます。ここでも,すべての人が同じ姿勢をするわけではありませんから,兄弟たちをある決まった型に合わせようとすべきではありません。しかしながら,聴衆の注意を音信よりも話し手個人にひくような,極端で望ましくないところがあるならば,それを直したり除去したりするため,なんらかの注意をすべきです。
23 たとえば,足の置き方にしても,人によって多少の違いはありますが,一般的にいって,まっすぐに立つかぎり,どのように立つかはほとんど問題になりません。しかし,話し手は馬にまたがっているのではないかとさえ思えるような印象を聴衆に与えるほど両足を開いて立つならば,それは聴衆にとってたいへん目ざわりです。
24 同様に,話し手がまっすぐに立たないで,前かがみに立っていると,聴衆は話し手のことを気の毒に思うような気持ちにさせられます。なぜなら,話し手は元気がなさそうに見えるからです。そしてもちろん,これは話の価値を減ずるものとなります。聴衆は,話される事がらではなく,話し手のことを考えるのです。
25 片足で立って,他方の足をうしろにからませるのは,落ち着きのないことをあらわに示すものです。手をポケットに突っ込んで立つのも同様です。そうしたかっこうは避けるべきです。
26 同様に,演台がある場合,時おり手をその上に置くのは悪いことではありませんが,演台にもたれたかっこうで話すべきではありません。それは野外宣教のさい,伝道者がドアによりかかって話をしないのと同じです。それは良いかっこうではありません。
27 しかしながら,人はそれぞれ異なるということをもう一度強調しなければなりません。すべての人が同じ仕方で立つわけではないのですから,神権宣教学校では,話の価値を減少させるような望ましくない極端な点にのみ注意を払うべきでしょう。
28 姿勢を直すというのは,確かに準備に関する事がらです。この点で改善する必要のある人は,事前に考えておき,演壇に立つさい,話しはじめる前に正しい姿勢をすべきことを知っていなければなりません。これも,毎日正しい姿勢をする練習をすれば,直せる事がらです。
29-31. わたしたちは自分の所持品をきちんとしておくべきです。なぜですか。
29 きちんとした所持品。戸口で話し合っているさい,あるいは演壇で話しているとき,使っている聖書から紙片が抜け落ちたりするのは確かに目ざわりです。それはていさいの良いことではありません。とはいえ,これは,聖書のあいだに何もはさんではならないという意味ではありません。ただ,話の価値を減少させるような問題が生ずる場合には,きちんとしたていさいを保つべく,もっと注意しなければならないということです。自分の使っている聖書のていさいを吟味するのは良いことです。よく使われているために,よごれたり,すり切れたり,乱雑になっていたりする場合があります。ですから,演壇や野外宣教にさいして使う聖書が,わたしたちが援助したいと願っている人々にいやな気持ちを与えないかどうかを確かめるのは良いことです。
30 文書を入れる鞄についても同じです。鞄に文書類をきちんと入れる仕方はいろいろありますが,戸口に行って,鞄から出版物を1冊取り出すのに,ごちゃごちゃになった紙片類をかきわけて捜したり,あるいは雑誌を1冊取り出したところ,他の何かが抜け落ちて玄関に散らばったりするのでは,確かになんらかの処置を講ずる必要があります。
31 また,話し手の上着のポケットに万年筆や鉛筆その他の所持品がはいっていて,それとわかるようにふくれているのも聴衆にとってはかなり目ざわりです。そうしたものをどこに入れるべきかに関する規則などはありませんが,聴衆の注意が話からそうしたものにひかれてゆくようでは,なんらかの処置を講じて事態を改善する必要があります。
32-34. 身なりの点で,表情はどんな役割を果たしますか。
32 不適当な表情をしない。話を準備するさい,資料に応じたふさわしい気分について考慮するのは当を得たことといえます。たとえば,死と滅びについて語るさいに,明るい笑顔で話すのは穏当ではありません。同様に,新しい事物の体制下の幸福な状態について語るのに,聴衆をにらみつけて話すのは,およそふさわしいことではありません。
33 普通,表情はまず問題になりません。もちろん,他の人よりももっと深刻な表情をしがちな人もなかにはいます。しかしながら,警戒しなければならないのは,話の価値を減少させるような極端な表情です。聴衆が話し手の表情を見て,話し手の誠実さに疑いをいだかされるようであれば,そうした表情は確かに望ましいものではありません。
34 ですから,話を準備するさい,話をするときの気分について考慮しておくのは良いことです。論題が,邪悪な者の滅びを取り上げるような深刻なものであれば,深刻な態度で話すべきです。そして,そうした資料について考え,また,内容を念頭におくならば,たいてい表情はおのずから資料を反映するものとなるでしょう。もし,それが聴衆の喜びを誘うような楽しい論題であれば,楽しそうに話すべきです。そして,演壇で気持ちを楽にしているならば,普通,あなたの表情はそうした喜びを発散させるものとなるでしょう。
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あなたの進歩を明らかにしてください神権宣教学校案内書
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研究 38
あなたの進歩を明らかにしてください
1,2. わたしたちすべては進歩を遂げるという見地に立って物事を考えるべきです。なぜですか。
1 この本の教課を注意深く研究し,そのすべてを適用してきたあなたは,今や神権宣教学校を卒業できるでしょうか。いいえ卒業できません。これは奉仕の訓練を施す継続的なプログラムだからです。敬虔な知識を蓄え,かつ,あなたが学ぶ事がらを実践することにかんしては卒業はあり
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