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    ものみの塔 1970 | 7月15日
    • 忍耐の特質を備えた弟子を作る

      「かん難にあって大いに喜ぼう。わたしたちの知るように,かん難は忍耐を生み出し,ついで忍耐は是認された状態を,是認された状態は希望を生み出し,その希望は失望に至らないからである」― ロマ 5:3-5,新。

      1 クリスチャンにとってカリフォルニア産のセコイアは興味深い巨木です。なぜですか。

      現代の世界で最も広く知られている驚異の一つは,アメリカ,カリフォルニア州産の巨木セコイアが示す耐久力つまり忍耐です。ほとんど病気というものを知らず,その樹齢には終わりがないと言えるほどで,中には,年輪から判断して,数千年も生きたと考えられるものもあります。用材として切り出されたセコイアの中で記録に残る最古の樹齢は,3,148年です。これこそ忍耐の記録と言えます。それらセコイアはエホバに創造された樹木です。そしてその同じ創造者は,永遠の益となるよう人間にこの忍耐の特質を授けることができるのです。

      2 生き残るためにこうした特質を今日ほど緊急に必要とする時期はありません。なぜですか。その特質の一つをあげなさい。

      2 人類史上最も重大な時期に臨もうとしている今日ほど,生き残るためにこうした特質を緊急に必要とする時はありません。聖書に予告されている現在の事物の体制の「終わりの時」が始まって以来,すでに55年が経過しました。そしてこの世界は,「全能の神の大いなる日の戦い」であるハルマゲドンにおいて最高潮に達する「大かん難」の直前に今や迫っているのです。(黙示 16:14,16,新; 19:11-21)現在の事物の体制とハルマゲドンの戦いに生き残るためには,忍耐が必要です。

      3 クリスチャンはほかに何を考慮しなければなりませんか。なぜですか。

      3 クリスチャンが考慮しなければならない別の重要な点は,その任務です。復活したイエス・キリストはこう命令されました。「それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,……わたしがあなたがたに命じた事柄すべてを守るように教えなさい」。(マタイ 28:19,20,新)これは,クリスチャンは弟子を徹底的に教えねばならないという意味です。まことの神エホバの証人になる人は何を覚悟すべきか,救いに至る道は狭く,通りにくく,容易ではないこと,さらに,「大かん難」が近づくにつれ,サタンとその邪悪な組織からのより強力な反対と迫害を覚悟しなければならないことなどを,弟子となる人は教えられねばなりません。(マタイ 24:21,22)反対の増し加わる中で忍耐するのは容易なことではありません。しかし,前もって警告されているなら,事前に防備の体勢を整えられます。聖書は次のように警告しています。「あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ,悪魔が,あなたがたのうちのある者をためすために,獄に入れようとしている。……死に至るまで忠実であれ。そうすれば,いのちの冠を与えよう」。(黙示 2:10,口語)いのちの冠は,忠実に忍耐する人のためのものです。

      4 クリスチャンに忍耐の特質を得させる動機となる,どんな励ましがほかにありますか。それは何を目的としていますか。

      4 神のしもべは,別の観点からも忍耐の特質を得ることを考えます。キリストのようでありたい,つまり神から是認されたい,というのはクリスチャンの願いです。キリストに向かって,「わたしはあなたを是認した」とエホバは言われました。(ルカ 3:22,新)キリストの弟子も同じ是認の印を望んでいます。使徒パウロは次の助言を与えています。「かん難は忍耐を生み出し,ついで忍耐は是認された状態を…生み出(す)」。(ロマ 5:3,4,新)弟子ヤコブも同様なことを書き送りました。「試みに耐え続ける人は幸福である。なぜなら,是認されると,その人は命の冠を受けるからである。それは,ご自分を愛し続ける人々にエホバが約束されたものである」。(ヤコブ 1:12,新)ですから,忍耐は,それを示す弟子が神を愛している証拠となり,その愛は神の是認と,とこしえの命に導きます。―ロマ 5:5。

      要求される,教えの術

      5 (イ)弟子を作る際,心に留めるべき事柄があります。その幾つかをあげなさい。(ロ)どんな質問を自分自身で考慮できますか。その理由を述べなさい。

      5 聖書の研究生がキリストの,献身し,バプテスマを受けた弟子となって忍耐をつちかうよう,弟子を作るわざを行なうには,正しい建材に加えて,『教えの術をつくさ』ねばなりません。(テモテ後 4:2,新)クリスチャン会衆の成員は「神とともに働く者」であり,ともに聖書を研究している人々は,まもなく「神の畠…また神の建築物」となりうるのです。したがって,自分の建て方は賢明であろうか,また,どんな種類のクリスチャンを作っているか,すなわち忍耐をつちかうよう人々を助けているだろうかというような事柄に,クリスチャン会衆の成員は心を用いる必要があります。ということは,建てるわざに携わっている人が次のように自問して,随時自分自身を吟味すべきであるという意味です。わたしはどんな弟子を作っているのだろうか。試練に耐えうるクリスチャンとしての人格を研究生のうちに実際に築いているだろうか。わたしの建築計画の進みぐあいはどうだろうか。教えの術を駆使しているだろうか。自分はそれらの人々と接する場合,クリスチャンの真理を示しているだろうか。研究生は教えられた事柄を信じ,かつ受けいれているだろうか。信仰を表明しているだろうか。自分はその人たちの心を捕えているだろうか。正しい教義と聖書の原則に対する認識のみならず,それらに対する心からの献身的な態度を彼らのうちにつちかっているだろうか。忠誠の重要性を気づかせるだけでなく,それに対する深い認識を彼らのうちにはぐくんでいるだろうか。神とそのお目的に対する愛,および神のしもべであることに対する認識を少しずつ深めるように教えているだろうか。クリスチャンのそれぞれの特質を教える際,弟子となる人が日常生活におけるその必要性と役割を理解できるように教えなければなりません。あなたはこのような仕方で建てるわざを進めていますか。―コリント前 3:9。

      天的な知恵である敬虔な特質

      6 キリストの弟子にとってどんな特質は不可欠ですか。それらを聖書の研究生に気づかせるため,どのように援助できますか。一例をあげなさい。

      6 弟子が取り入れねばならない幾つかの特質がありますが,第一にあげられるのは天的な知恵である敬虔な特質です。それには八つの異なった面があり,それがつちかわれないかぎり,キリストの弟子であることの意味を真に認識しているとは言えません。それらはヤコブ書 3章17節(新)に掲げられています。「上からの知恵はまず第一に廉潔であり,つぎに平和的であり,無理を言わず,すすんで従い,あわれみと良い実とに満ち,不公平な差別を設けず,偽善的でない」。これらの敬虔な特質がどんなものかを理解し,また生活の中にそれらを実際に示せるよう,学んでいる人を助けましょう。たとえば,聖書における「廉潔」ということばの意味を知っているかどうかを尋ねることができます。廉潔とは道徳的また霊的に清いという意味です。そうした事柄を説明してください。それがわたしたちに対する神の御心であることを知って,道徳的また霊的に清い立場を保つなら,わたしたちは神の知恵,神の聖霊によって自分を律していると言いうるのです。

      7 研究している人は,どうすれば天的な知恵に属する次の特質を身につけることができますか。(イ)平和的であること,(ロ)無理を言わないこと,(ハ)すすんで従うこと。

      7 弟子ヤコブは続けて,天的な知恵の特質は,平和的であり,無理を言わず,すすんで従うことにあるとも述べています。「平和的」ということの意味を理解しているかどうかを知るために,聖書を研究している人の心を探る質問をしてごらんなさい。平和的な人は,けんか早く,またけんか好きでもなく,人のあら捜しをしたり,口論・小言・むだ話に時間を費やしたりはしません。その人は平和を愛しているのです。これが家庭内で,すなわちむすこや娘,夫や妻に対しても関係があることを,聖書を研究している家の人に理解するよう助けてください。神のみことばの力を感ずるように助けてください。「神のことばは生きていて,力を出し」ます。(ヘブル 4:12,新)あなたの研究方法を通して,家の人が無理を言うかどうかを調べねばなりません。無理を言わない人がそうであるように,習慣には節度が見られますか。物事を受け入れる人ですか。分別があり,無理な要求をするようなことはありませんか。その人は神の戒めにすすんで従いますか。これは会衆の内外を問わず,またおとなはもとより子どもにも当てはまります。

      8 天的な知恵の他のどんな面について研究生は教えられねばなりませんか。どうすればそれらを十分に教えることができますか。

      8 さらに,天的な知恵は「あわれみと良い実とに満ち,不公平な差別」をせず,「偽善的で」はありません。心に訴えるような点をじっくりと考え合ってごらんなさい。あわれみに満ちているか,また地上におけるこれまでの人生の成果としてきた日々に関して良い実を示せるかどうか,家庭聖書研究をしている研究生にみずからを吟味させてください。不公平な差別は人々を分裂させるものであり,偽善は不愉快なものです。神の力によって自分の心を吟味させなさい。場合によっては,心が痛むことも必要かもしれません。学んでいる人がこうして自分の心を探るなら,神がその人をごらんになるように自分自身を見る機会を得ているのです。ただし,一度に一つの点を取り上げるようにしましょう。そして,聖書の述べる事柄を理解しているかどうか,時間をかけて調べてごらんなさい。そのようにするなら,天的な知恵の敬虔な特質に対する認識を,弟子のうちにつちかっていることになります。―ロマ 2:6,11。

      忍耐を養うように教える

      9 (イ)一般的に,霊の思いを教えることがむずかしいのはなぜですか。(ロ)忍耐にとってかぎとなるのはなんですか。どうすればこのことを関心のある人に理解してもらえますか。

      9 他の人に霊的な識別を宿らせ,理解させ,自分の力で考えるように教えるのは決して簡単な仕事ではありません。一般的にいって,今日の人々はとかく霊の思いを持っておらず,物事を霊的に識別しません。それにもかかわらず,忍耐を養うには霊的な識別・理解・思考力がかぎとなります。この点に関しても,それらの特質および個人の生活におけるその価値に対して永続する認識を持つことのたいせつさを強調して,弟子の心に触れねばなりません。イエスはこのことを行なわれました。それらの特質に対する認識を高め,かつ保つため,イエスは定期的に神のみことばから霊の水を飲まれました。そのようにして,ご自分に関係のあるエホバの原則を完全に理解することができたのです。また,エホバの賛美と人間にとこしえの益をもたらすために取るべき道を,イエスは明確に識別することができました。

      10 (イ)教えるわざにおいて,そのほか何をしなければなりませんか。それをどのように行なえるかを示す一例をあげなさい。(ロ)このような仕方で教えると,何が成し遂げられますか。

      10 いっしょに聖書を研究している人に,問題となる聖句の論理的な考え方を教える必要があるかもしれません。たとえば,マルコ伝 12章29節(新)が読まれたとしましょう。「イスラエルよ聞け。わたしたちの神エホバはひとりのエホバである」。「エホバは何人ですか」,と研究生に質問してごらんなさい。そして,その人に答えてもらいなさい。答えは明らかです。エホバはただおひとりです。この点が識別されると,さもなくば見過ごされたかもしれない一つの重要な事実を,あなたは研究生の心に銘記させたことになります。さらに,この点がその人にとって何を意味するかを認識させなさい。次のように論議を進めることができるでしょう。「エホバがおひとりであるならば,三位一体論者が言うように,エホバは父なる神,子なる神ならびに聖霊なる神の三つの神でありえますか」。やはり,研究生に答えてもらいなさい。「いいえ,エホバは三つの神ではありえません。エホバはひとりの神である,と聖書は明白に述べています」。ここまでで,研究生に聖書の基本的な事実を考えさせ,かつエホバがおひとりの神でしかありえない点を理解させたことになります。同時に,偽りの教理の基本となっている三位一体の教理をも暴露しました。何を教えるにしても,教える人がこのような型にならうなら,学ぶ人には益があります。そうすれば,研究生が学んでいるか,神のみことばの真理を識別しているか,取り上げられた点を理解しているか,霊的な考え方を持っているかを判断することができます。このようにして教えるなら,いっしょに研究している人は,すべての物質的な富よりも,霊的な識別,理解そして思考力の価値がまさっていることを見いだすでしょう。それらの報いは快いものであり,命を意味するからです。―箴言 2:4,5,9-11; 3:16-18。

      試みられた信仰の質

      11 (イ)信仰は不可欠です。なぜですか。(ロ)信仰について,研究生はさらにどんな認識を持つべきですか。(ハ)信仰のどんな質は,金や銀よりも貴重ですか。

      11 聖書研究を司会するとき,信仰の質を常に心に留めてください。「信仰がなければ,神を喜ばすことは不可能」だからです。(ヘブル 11:6,新)また,クリスチャンは『信仰によって生き』ています。(ロマ 1:17)しかし,信仰だけでは十分ではありません。研究生は,試みられた信仰の質を認識しなければなりません。つまり,信仰は試みられねばなりません。すなわち,銀や金でさえも精錬されるように,信仰も精錬されねばならないのです。すべての不純物を信仰から取り除かねばなりません。そして,それは信仰を試みに合わせることによって成し遂げられます。使徒ペテロはこの精錬過程を,わたしたちのために適切に説明しています。「この故に汝ら今しばしの程さまざまの試煉によりてうれへざるを得ずとも,……汝らの信仰の験はくつる金の火にためさるるよりも貴くして,イエス・キリストの現れ給ふときほまれと光栄と尊貴とを得べきなり」。(ペテロ前 1:6,7)したがって試みにあい,それに耐えた信仰でなければほんとうの信仰とは言えません。この試みられた信仰の質は,金や銀よりも貴重であり,それは単なる信仰以上のものです。

      12 信仰の試みに関して,研究生にあらかじめ警告するのはなぜ良いことですか。この点について,だれの模範に従わねばなりませんか。

      12 研究生が,自分の選んだ道のゆえに試みに合うことを前もって知っているなら,信仰のために試みや試練が降りかかっても驚かないでしょう。むしろ,それは覚悟していたこと,予期していたことです。イエスはご自分の弟子たちにあらかじめ警告を与えられました。わたしたちも同じようにしなければなりません。マタイ伝 10章22,36-38節で,イエスはクリスチャンが各方面から試みを受けることを示し,彼らが「〔イエスの〕名のためにすべての人に憎まれん」と言われました。さらに,家族からの反対に直面することを告げて,「人の仇はその家の者なるべし」と言われました。この避けがたい,現実に対処できるよう,研究生に備えさせてください。―ヨハネ 15:20; 16:33。マルコ 13:9。黙示 2:10。ルカ 6:22,23。コリント後 11:21-28。

      忠誠を保つ理由

      13 (イ)忠誠がなんであるかにとどまらず,それ以上のどんな事柄を教えねばなりませんか。なぜそれは重要ですか。(ロ)研究生はどんな確信と決意を持つようにならねばなりませんか。

      13 しかし,世の人に憎まれ,クリスチャンであるゆえに多くの苦難にあうでしょう,と研究生に告げるだけでは不十分です。なぜ苦難にあわねばならないか,なぜしっかりと立ちつづけねばならないかを理解し,かつ,このことに関し深い認識を持たねばなりません。ですから,単に義に対する忠誠を教えるだけでなく,忠誠を保つ理由についても教えねばならないのです。忠誠がなんであるかを教えるにとどまらず,それに対する認識をつちかわねばなりません。他の人の良い模範になるからとか,あるいは他の人から良く言われるからとかというだけの理由で忠誠を保つのではなく,忠誠が要求されるおもな理由はわたしたちの行なうことや行動の仕方に神の御名が関係しているからである,ということが聖書を研究している人にわかるよう援助しなければなりません。したがって,人に対する恐れに屈せず,義の側,敬虔な原則の側に立場を定め,エホバの御名の立証にあずかるすばらしい特権を認識するよう他の人を助けるのは,まったくふさわしいことです。(マタイ 10:28。使行 2:31,32)妥協して神への忠誠を破るよりも,古代の族長ヨブのように,死を選ぶ気持ちがなくてはなりません。「息が絶えるまで,わたしは決して自分の忠誠を捨てない」とヨブは語りました。(ヨブ 27:5,新)研究生はまさにこうした決意をいだくようにならねばならないのです。―ヤコブ 5:11。

      聖書の原則に対する献身的な態度

      14 聖書の原則に対する献身的な態度が教えられねばならないことを示す一例をあげなさい。

      14 聖書にしるされた原則を研究生が知るのは重要ですが,それだけでは不十分です。それに加えて,わたしたちは聖書の原則に対する献身的な態度を教えねばなりません。聖書の原則に対して献身的な態度を持っていれば,便宜主義に陥ることはありません。ヤコブの子ヨセフはこのことを示す良い例です。ポテパルの妻から,彼女と不道徳な関係を持つよう誘惑されたとき,ヨセフはその誘惑に屈して正しい原則を捨てるようなことをしませんでした。そのかわり,彼はこう答えました。「汝はその妻なればなり,されば我いかでこのおほいなる悪をなして神に罪ををかすをえんや」。(創世 39:9)他人の妻と関係を持つのは誤りであることをヨセフは知っていました。それは『神に対して罪を犯すこと』になるのです。こうした道徳的な認識をこそ,聖書の研究生に教え込まねばなりません。敬虔な原則を忠実に堅持したため,ヨセフは最初不当な苦しみをこうむりますが,正しいことに対する献身の深さのゆえにエホバから受けた彼の祝福は,はるかにすぐれたものでした。

      律法と要求に対する尊敬

      15 神の律法と要求に対してつちかわれねばならないふさわしい態度を,詩篇作者はどのように言い表わしていますか。

      15 命に関するエホバの律法と要求からはずれていながら,その御心および目的と一致することは望めません。とはいえ,律法と要求だけではなく,それに対する深い尊敬を教えなければなりません。クリスチャンはこの認識に動かされて,義の道を歩むのでなければなりません。詩編作者の次のことばは,この点におけるふさわしい尊敬の念を表わしています。「ねがはくはわれにそう明と知識とををしへたまへ われなんぢの法をいつくしむこといかばかりぞや われ終日これを深くおもふ」。(詩 119:66,97)道徳的に正しく歩むためには,神の律法を深く思わねばなりません。その意味する事柄に尊敬の念を持たなければなりません。研究生が忍耐するためには,この認識の特質が教え込まれねばなりません。

      聖書が神のことばであることを確信する

      16 聖書に関してどれほど深い認識を研究生は持つようにならねばなりませんか。テサロニケの人々はそれをどのように表わしましたか。

      16 しるされた神のみことばに対する信仰と信頼を教えなければなりません。神のみことばを生活における確かな導きとして用いるよう,研究生は学ばねばならず,詩篇作者の次の結論に到達しなければなりません。「あなたのことばはわたしの足のともしび,わたしの道の光です」。「あなたの御ことばの実質は真実です」。(詩 119:105,160,新)この確信に至ることは可能ですか。それは可能です。パウロはテサロニケの人々について書いた際,彼らが神へ賛美をもたらす一因となっていると述べました。なぜなら,パウロが伝道した神のことばを聞いたとき,彼らは「それを,人間のことばとしてではなく,真にそのとおりであるが,神のことばとして受け入れた」からです。(テサロニケ前 2:13,新)研究生が忍耐しうるためには,聖書研究の際この確信に至るようにならねばなりません。

      神の見える組織に対する忠節

      17 エホバの組織に対する忠節は,研究生の生活の中でどのような立場を占めるべきですか。使徒ペテロはそれをどのように表明しましたか。

      17 研究生はさらに,エホバの民の神権的な組織に認識を持つようにならねばなりません。研究生が神権的な組織に対する忠節心を持っていれば,神のみことばに関するある説明がむずかしくて理解できなくても,それにつまずくことはないでしょう。イエスがむずかしい教義上の真理に人々の注意を向けた際に離れ去ったため,神の会衆の一員になるというすばらしい特権を逸した人が1世紀に多数出ました。イエスが「なんぢらも去らんとするか」と尋ねたとき,訓練の行き届いた使徒たちはどう応じましたか。使徒ペテロはこう答えました。「主よ,われらたれにゆかん,永遠の生命の言は汝にあり」。(ヨハネ 6:67,68)いっしょに神のことばを研究している人々のうちに,ペテロの持っていたような真の忠節心をつちかいたいものです。そうすれば,その人たちはいかなるときにも神の組織に堅くつき従い,祝福を受けることでしょう。

      兄弟たちを優しく愛すること

      18 兄弟たちに対するどのような愛を,研究生は心の中につちかわねばなりませんか。イエスの生がいはこの点に関してどのような模範となりましたか。

      18 自分の仕事の記録がどんなに良いものであろうと,愛がなければクリスチャンは無に等しいことを,使徒パウロはコリント前書 13章で強調しています。そして,「愛は決してむなしくならない」と述べています。(コリント前 13:8,新)しかし,研究生は兄弟たちを愛する以上のことを学ばねばなりません。兄弟たちを暖かく,かつ優しく愛さねばなりません。パウロは,「兄弟愛のうちに,互いに対して優しい愛情を示しなさい」と書き送りました。(ロマ 12:10,新)使徒ペテロは,「お互いに一心に愛し合いなさい」と書いています。(ペテロ前 1:22,新)このお互いに一心に愛し合うという特質は,研究生にとって喜びの真の源となり,それにより多くの試みに耐えることができるでしょう。それがあればエホバの組織に近づけられます。愛は「一致のための完全なきずな」だからです。(コロサイ 3:12-14,新)優しく,しかも心から愛するという点で,イエスはわたしたちに完全な模範を示されました。(ヨハネ 10:11-15。ヨハネ第一 3:18)救いに至るまで研究生が耐えうるためにつちかわねばならないのはこのような愛です。

      御国を支持し,伝道する

      19 御国に関するどんな重要な事柄を研究生は学ばねばなりませんか。研究生にとってそれはどのように助けとなりますか。

      19 わたしたちは,すでに建てられた神の御国の民であり,したがって,どんなことがあっても御国につき従い,恐れず積極的に御国を証言しなければならない,ということに対する認識を持つよう研究生を助ける必要があります。(マタイ 24:14)神の御国の大使あるいは公使であるわたしたちは,現在の事物の体制下の政府の一部ではありません。(コリント後 5:20,新)わたしたちが押し進めるのは,神が天に建てられた御国の事柄だけです。そして,建てられた御国を,恐れることなく宣明し続けねばなりません。この点でわたしたちは,イエスとその使徒たちの勇敢な模範にならいます。(ヨハネ 18:36。使行 4:20)ですから,わたしたちの忠節を分かつ余地はありません。御国に対するこの認識が研究生の心に養われるならば,その人は御国の伝道者として堅く立ち続けるでしょう。その人は,自分の代表している御国のこの良いたよりを宣明する責任におじけたり,しりごみしたりすることはないでしょう。

      20 (イ)パウロによると,結論としてどんな事柄を心に留めるのは賢明ですか。(ロ)どうすれば賢明な仕方で建てることができますか。それはどんな結果をもたらしますか。

      20 したがって,弟子を作るわざにおいて,使徒パウロの次のことばを心に留めるのは良いことです。「我らは神と共に働く者なり。汝らは神のはたけなり,また神の建築物なり。我は神の賜ひたる恩恵にしたがひて熟錬なる建築師のごとく基をすえたり,しかして他の人その上に建つるなり。されどいかにして建つべきか,おのおの心してなすべし,すでに置きたる基のほかはたれもすうること能はず,この基は即ちイエス・キリストなり。人もしこの基の上に金・銀・宝石〔これらは火に耐えるすぐれた特質〕・木・草・わらをもって建てなば,各人の工はあらはるべし。かの日これを明かにせん。かの日は火をもってあらはれ,その火おのおのの工のいかんをためすべければなり」。(コリント前 3:9-13)ですから賢明な仕方で建ててください。研究生に天的な知恵の敬虔な特質を理解させ,認識を持たせてください。霊的な識別,理解そして思考力に対する,永続する認識を持つよう助けてください。試みられた信仰の特質,忠誠を保つ理由,聖書の原則に対する献身的な態度,また神の律法と戒めに対する深い尊敬の念を大事にするよう援助しましょう。聖書が神のことばであること,およびエホバの組織に堅くつき従い,かつ兄弟たちに対する心からの愛をつちかう必要性を認識させるようにしてください。御国が人類の唯一の希望であることを認識し,どんなことがあっても御国につき従い,御国について進んで証言する心構えを研究生のうちにつちかうように導いてください。そうすれば,あなたのわざは存続し,神に賛美と栄光を帰すものになると信ずる十分の理由があります。神がそのことを約束しておられるからです。

  • 弟子を作る際,その心を動かしなさい
    ものみの塔 1970 | 7月15日
    • 弟子を作る際,その心を動かしなさい

      「心からあふれることを,口が語るものである」― マタイ 12:34,新。

      1 クリスチャンの任務には何が含まれていますか。その任務を果たすため,何に触れねばなりませんか。

      ククリスチャンの任務は教義を教えるだけではなく,愛・認識・謙そん・信仰など,事実ガラテヤ書 5章22,23節に述べられている,神の霊の実のすべてを十分に教えなければなりません。クリスチャンの仕事は,他の人が『彼らの以前の生き方に基づき,人を欺く欲望にしたがって腐敗している古い人格を脱ぎすて,彼らの心に働く力によって新たにされ,真の義と忠節にそいつつ,神の御心にしたがって造られた新しい人格を着ける』ように助けることです。(エペソ 4:20-24,新)これを達成するには,頭にはいる知識以上のものが必要です。研究生の心に触れ,義の道を歩むよう研究生に動機を与えねばなりません。

      2 実際のところ,心はどんなものであると言えますか。心を調べるのはなぜ必要ですか。

      2 実際のところ心はいろいろなものの貯蔵所と言えます。人は心の貯蔵所に良いものも悪いものも入れることができます。神のみことば聖書を研究している間,人はエホバの尽きることのない貯蔵所から品物を出して,自分の貯蔵所に入れていることになります。それは良い品物です。『神は良いかた』だからです。(マルコ 10:18)ほかの場合,たとえば,テレビ・映画・演劇・新聞・雑誌その他を介して,この世の犯罪や腐敗を目にするときの心は,悪い考えや思いをやすやすと取り入れているのです。そうではないと反対されるかたがあるかもしれませんが,聖書は次のように注意を促しています。「人の道はおのれの目に正しとみゆ されどエホバは人の心をはかりたまふ」。(箴言 21:2)わたしたちが心の貯蔵所に何をたくわえたかを見るためわたしたちの心を調べる際,エホバが欺かれることはありません。そこには何がたくわえられていますか。

      3 (イ)イエス・キリストは心についてどんなことを明らかにされましたか。(ロ)どのようにすれば,よこしまな心を正せますか。

      3 イエス・キリストは,心が多くのよこしまな事柄をたくわえうることを明らかにされました。律法学者やパリサイ人たちが無益な崇拝者で,自分たちの伝統のゆえにむなしい崇拝を行なっていることを暴露したあと,イエスは次のたとえを語られました。聖書はこう述べています。「かくて群衆を呼び寄せて言ひたまふ『ききて悟れ。口に入るものは人を汚さず,されど口より出づるものは,これ人を汚すなり』ここに弟子たち御許に来りていふ『御言をききてパリサイ人のつまづきたるを知り給ふか』答へて言ひ給ふ『わが天の父の植え給はぬものは,みな抜かれん。彼らを捨ておけ,盲人を手引する盲人なり,盲人もし盲人を手引せば,二人とも穴に落ちん』ペテロ答へて言ふ『そのたとへを我らに解き給へ』イエス言い給ふ『なんぢらも今なほ悟なきか。すべて口に入るものは腹にゆき,遂にかはやに棄てらるる事を悟らぬか。されど口より出づるものは心より出づ,これ人を汚すものなり。それ心より悪しき念いづ,即ち殺人・姦淫・淫行・ぬすみ・偽証・そしり,これらは人を汚すものなり,されど洗はぬ手にて食する事は人を汚さず』」。(マタイ 15:9-20)心の中にあるよこしまなものを除いてからにしてしまう唯一の方法は,神のみことばの力を心に直接及ぼさせ,そのよこしまで無価値なものを,神の霊の実で置き替えることです。神の霊の実はとこしえの命に至るまで人をささえる力があります。

      思いは心に通ずる道

      4 心に通ずる一つの経路をあげなさい。それについて使徒パウロはなんと述べていますか。

      4 心をクリスチャンの特質に触れさせて,心を正すにはどうすればよいでしょうか。「心より悪しき念いづ」と語ったイエスは,思いは心に直接通ずる経路であり,口は心の「代弁者」であることを示されたのです。結論が下されるところはこの思いです。さらに,悪は実行に移される前に,思いの中ではぐくまれ,そして計画されるのです。ゆえに,心を清め,そして改め,かつ保護するためには,それ以前に判断を下す力,つまりその人の思いに触れねばなりません。次の使徒のことばは,そうした考えを述べたものではありませんか。「この事物の体制にそって形造られるのをやめなさい。むしろ,神の善良で,好ましく,かつ完全な御心をわきまえ知るため,心を作り変えて,自分を新たにしなさい」。(ロマ 12:2,新)思いは,神の霊感を受けた考えを取り入れることによって力を与えられねばならないのです。

      5 (イ)思いに通ずるおもな経路はなんですか。(ロ)心を良いものであふれるばかりに満たすのはなぜ賢明ですか。

      5 思いに通ずるおもな経路となるのは感覚です。わたしたちが見,聞き,触れ,味わいそしてかぐものはすべて思いに影響を及ぼします。これから,神のみことば聖書の研究を通して見,かつそのみことばが討議される集会に出席して,神のことばを聞かねばならないことがわかります。そうすればするほど,また,得た知識に基づいて行動すればするほど,わたしたちにもたらされる益はいやまさります。神のみことばから学んだ事柄を実行するならば,わたしたちの感覚はすべて用いられるのです。心は触れられ,口は応じます。「心からあふれることを,口が語るもの」だからです。(マタイ 12:34,口語)霊感の下にしるされた聖書のことばにあふれるほど満たされた心が語り,かつ善を行なうように動かされるのです。人はその心の奥から,強固な忠誠心・神聖な原則への献身・義に対する愛・喜び・愛・平和・寛容・親切・善良・信仰・柔和そして自制を得るのです。キリストのうちに見られる特質を備えた弟子を育てたいなら,心はそうした事柄に集中しなければなりません。―ピリピ 4:6-9。

      心は模範によって動かされる

      6 心に通ずる他の経路について述べなさい。それについてパウロはなんと語っていますか。

      6 しかし,他の人の心のうちに何かを築くには,まず自分自身のうちにそれが築かれていなければなりません。まことの教え手であったキリスト・イエスは,わたしたちが従うべき完全な模範を残されました。(ペテロ前 2:21,23)クリスチャンの特質をその心に植えようとわたしたちが努力している相手の人が,それとまったく同じ特質をわたしたち自身のうちに見いだすべきであるのは当然です。使徒パウロはテトスに次のように教えました。「若き人にも同じく,謹慎を勧め,なんぢ自らすべての事につきて善き業の模範を示せ」。(テトス 2:6,7)思いに対し良い模範ほど強い影響力を持つものはほかにないと言えます。しかし,見習う価値のある模範を,わたしたちは示すべきです。パウロははばからずこう述べました。「なんぢら我に学びしところ,受けしところ,聞きしところ,見し所を皆おこなへ,さらば平和の神,なんぢらとともに在さん」。(ピリピ 4:9)また,コリントの人々にこうも語りました。「我がキリストにならふ者なるごとく,なんぢら我にならふ者となれ」。(コリント前 11:1)他の人の心に触れ,それに影響を与えたいと願うなら,わたしたちの模範が価値あるものでなければなりません。わたしたちの模範はそうであると言えますか。

      7 模範が力強く心に作用するのはなぜですか。

      7 心が動かされるためには,わたしたちが教えることと行なうこととの間に一致が見られねばなりません。パウロは次のように書いています。「何ゆえ人を教へて己を教へぬか,ぬすむなかれと宣べて自らぬすむか,姦淫するなかれと言ひて姦淫するか,偶像を悪みて宮の物を奪ふか」。(ロマ 2:21-24)この論議をさらに進めて,次のようには言えないでしょうか。『定期的に聖書を研究すべきです』と言うあなた自身は,聖書を定期的に研究しますか。『物質主義に陥ってはいけません』と言うあなた自身が,あり余るほどの物質に囲まれて,物質社会のぜいたくに浴しながら安楽な生活をしますか。ここで学ぶべき教訓は,教えること,行なうこと,そして観察されることの間に一致が見られるべきであるという点です。模範が示されねばなりません。そうされるなら,心は触れられ,必要とする敬虔な特質を備えることになります。

      訓戒は心を正す

      8 (イ)心を正しくするのに,訓戒はどんな役割を果たしますか。(ロ)どうすれば心を正すことができますか。

      8 心に通じ,かつそれを動かすことに関連して,もう一つ別の面があります。心を造られたエホバはこう言われました。「心は万物よりも偽る者にしてはなはだ悪し たれかこれを知るをえんや われエホバは心腹を察り腎腸を試みおのおのにその途に順ひその行為の実によりて報ゆべし」。(エレミヤ 17:9,10)心はそのように動くものですから,教える人は,研究生の弱点やクリスチャンにふさわしくない傾向に警戒し,それらを巧みに研究生に気づかせ,訓戒を通してそれらが正されるようにしなければなりません。聖書を研究している人は高慢で誇り高ぶっていますか。過度に批判的で,感謝の念に欠けていますか。その人の心の実状はどんなぐあいですか。教える人も同様に自分の心を吟味し続け,可能ならば,何か悪いものが根を降ろすのを見やぶるようにします。聖書研究が進むにつれ,そうした弱点に注意し,それを改善しなさい。自分や研究生の持つ弱点に同調してはなりません。それは問題の解決にはならないからです。「みんな不完全ですから,あやまちもしますよ」と言う傾向があります。それは真実ですが,あやまちもそれを直す努力をすれば克服できるのです。わたしたちの問題を克服するには,あるいは他の人の助けを求めることが必要かもしれません。しかし,霊的な弱点は克服できます。さもなくば,ご自分の御子イエス・キリストの像にそって人格を作り直すようにと神はわたしたちに要求されなかったはずです。人を欺く心にだまされて,きょうせいは必要でないとか,改善の余地はないなどと考えてはなりません。聖書研究生の心を正すには,その人の心に義を伝え,かつ心が正しいことによって動かされるよう絶えず努力します。

      9 他の人の弱点について助言をするのがふさわしいことを示すどんな例がありますか。そうした助言はどんな結果をもたらしましたか。

      9 ですから,研究生の信仰に見られる弱点に気をつけなさい。神はカインに警告を与え,どうすべきか戒めを与えられました。「汝もし善を行はばあぐることをえざらんや もし善を行はずば罪門戸にふす 彼は汝を慕ひ汝は彼を治めん」。(創世 4:7)イエス・キリストは裕福な若い支配者の弱点を見抜き,『その所有物を売って,貧しい人々に施すなら,宝を天にたくわえることになるだろう』と告げられました。(マタイ 19:21)しかし,カインもこの裕福な若者も良い助言に聞き従いませんでした。一方,健全な助言に聞き従い,神のしもべになった人も,大ぜいいます。

      どのようにして心を守るか

      10,11 (イ)心を守るにはどうしますか。(ロ)心を守るにあたって,わたしたちの態度はどんな役割を果たしますか。

      10 神のみことばと一致して誤りを正すため,断固として計画的に努力するなら,心を変えることができますし,同様にして心を守ることもできます。それには神のみことばを定期的に研究しなければなりません。そうすれば,真理を思いと心に引き続き取り入れることができます。それから,神に近づくよう祈ることも必要です。そうすれば,神はわたしたちに近づいてくださいます。そのうえ,神のみことば聖書の内容と約束を黙想することも学ばねばなりません。そうすることによって,わたしたちの思いには正しい考えが保たれるのです。また活発に宣教を行ないましょう。それはわたしたちの感情,わたしたちの喜びの発露となります。クリスチャンの原則を実践することによって,霊の実を育て上げるよう真剣に努力してください。

      11 他の人,場所そして物事に対する,わたしたち自身の態度にも気をつけたいものです。他の人がいるときには,徳を高めることにつとめ,積極的な見方を持ってください。そうすれば,兄弟たちの弱点ばかりを捜すのではなく,良い点を見いだすことができるでしょう。こうしてわたしたちは,徳を高める愛,すなわち神のみことば・その組織・兄弟たちを常にたたえる愛を言い表わすことになります。宣教,神の民の集会,そしてこの「終わりの日」に神のしもべであることの喜びを人々にすすめていることになります。

      忍耐の模範

      12 聖書および歴史の記録は,クリスチャンの苦難と忍耐についてなんと述べていますか。耐え忍ぶ者をどんな人と呼べますか。

      12 歴史の記録を見ると,クリスチャンたちが土ろうに押し込められたり,火刑に処されたり,子どもの面前で打ち首にあったり,絶壁から突き落とされたり,家々や村々が焼かれたり,女子は裸にされ残虐な暴行を加えられたり,無邪気な子どもたちが虐殺されたりしたことがわかります。使徒パウロは次のように述べています。「すべての事において神の役者のごとく己をあらはす,即ちなやみにも,窮乏にも,苦難にも,打たるるにも,獄に入るにも,さわぎにも,労働にも,眠らぬにも,断食にも,大なる忍耐を用(ふ)」。(コリント後 6:4,5)同じ手紙の中で,パウロは自分の経験した苦難について語り,いかなる場合でも神の霊が対処しえないものはないと述べています。(コリント後 11:23-28)信じられないと言うかたがあるかもしれませんが,同じような試みや試練を耐え忍んでいる人がこの20世紀にもいるのです。そして,神の霊は依然として,いかなる試みにも対処しうるのです。ゆえに,「視よ,我らは忍ぶ者を幸福なりと思ふ」と言うことができます。なぜなら,その人々にとって,とこしえの命に関する神の約束は確かなものにされるからです。―ヤコブ 5:11。黙示 2:10。

      中立のゆえにもたらされる迫害

      13 (イ)神のしもべたちは中立のゆえになぜ苦難に会ってきましたか。(ロ)その結果,どうなりましたか。

      13 クリスチャンは,この世の政治問題に関し,いずれかの側を支持するというようなことはしません。クリスチャンはこの世の一部ではないからです。(ヨハネ 17:16。ヤコブ 1:27; 4:4)神の御国を伝道する宣教の任務は神から来たものであるゆえ,下級のこの世の権威が要求したからといって,神に仕えることをやめるわけにはいきません。(コリント後 3:5。使行 4:18-20; 5:27-29)イエス・キリスト自身地上におられたとき,政治上の職務につくことを拒みました。その足跡に従った追随者も,政治に関与することはすべて避けました。「文明への道,世界史」と題する本はこう述べています。「クリスチャンはローマ市民に課せられた義務のあるものを拒んだ。……彼らは政治上の職務につこうとしなかった」。また,「世界史 ― 人間の偉業の物語」という本にはこう書かれています。「熱心なクリスチャンは軍隊に仕えず,政治上の職務を引き受けなかった」。このように中立の立場を取ったため,彼らはしばしばローマ帝国の怒りを買いました。しかし,彼らのキリスト教の機構上の特質は,ふりかかるどんな激怒にも対処しうるものだったのです。そして,耐え忍んできた人々を,わたしたちは今日幸福な人々と考えます。

      14 現代に至って,だれが中立のゆえに苦難に会ってきましたか。彼らはどんな経験をしましたか。

      14 現代に注意を向けてみましょう。「成人学生」と題する雑誌は『初期教会』という記事の中で次のように述べています。「エホバの証人は,より一般的な宗派の教会に属する会員よりも,初期クリスチャンにさらに似ている」。エホバの証人もその中立のゆえにきびしい苦難にあいました。人間の意志をくだく名人とみなされたナチスは,エホバの証人にクリスチャンの中立の立場を破らせようと必死に努力しましたが,むざんな失敗を喫しました。ベストセラーとなった「地獄の理論と実践」と題する本にはこう書かれています。「戦争がぼっ発したとき,ザクセンハウゼンの強制収容所にいたエホバの証人は,軍役を志願するよう勧誘された。ひとりが拒否すると,その仲間の中の10人が銃殺された。40人の犠牲者が殺されたあと,親衛隊は思いとどまった。……心理学的にいって,エホバの証人の挑戦に親衛隊が対処し得ないという印象はぬぐうべくもなかった」。エホバが証のためにそうした事態を許されるなら,全体主義者はエホバの民を逮捕し,苦しめることができるでしょう。しかし,エホバの霊を閉じ込めることはできません。その霊はエホバの民を勝利者とならせるのです。エホバの証人は,試みに耐え,救いに至らせるクリスチャンの特質を心にいだいていることを実証しました。

      15 エホバのクリスチャン証人は,マラウィでなぜ野蛮な仕打ちを受けましたか。彼らはどんな信仰の質を表わしましたか。

      15 つい最近,すなわち1967年10月,ある政党に加わることを拒絶し,その党の一員であることを証明する党員カードを携帯しなかったため,中央アフリカのマラウィにいるエホバの証人は一連の迫害を受け,野蛮な拷問に苦しめられました。その数ははっきりしていませんが,相当数の婦人のエホバの証人はごうかんされました。その中の40人は妊娠していましたが,受けた乱暴のため,すべての婦人が流産しました。党員カードを買うことを拒否したために,証人たちはむざんにも殴打され,婦女子は犯され,資産も破壊されました。しかし,マラウィのバンダ大統領は,それら証人の忠誠を破らせ証人たちの神エホバを捨てさせることはできなかったのです。彼らは心を動かされて真の証人になった人々だったのです。彼らのうちにはクリスチャンの真実の特質が築かれていました。

      16 (イ)マラウィのエホバの証人は他のどんな試みを受けましたか。(ロ)わたしたちはどのように自問すべきですか。なぜですか。

      16 チィフニヤィア村のひとりのエホバのクリスチャン証人は,党員カードを買うのを拒んだために打たれましたが,その際バンダに組する青年たちがナイフで彼の両腕と両脚に傷の輪をつけ,頭にもたくさんの切傷を与えました。他の証人たちは15センチほどのくぎを足に打ち込まれ,脚部にはスポークを刺し通されたうえ,走るよう命令されました。また燃える棒を腕,脚,頭そして全身にあてられ,拷問を受けた人もいます。それでも,これらの証人は妥協して宗教上の信念を曲げず,そうした野蛮な拷問にもかかわらず,自分たちの神エホバを否定することを拒みました。あなたは同じような試みに立ち向かうだけのクリスチャンの忍耐の特質を身につけておられますか。あなたの信仰を実証する番がいつか来るかもしれません。あなたの信仰はどのように耐えるでしょうか。

      家族からの迫害

      17 妻や夫はどんな苦難にあっていますか。どんな約束に信頼を置くことができますか。なぜですか。

      17 キリストの時代から今日に至るまで,妻はクリスチャンとして信仰のゆえに,不信者の夫から受ける虐待を耐え忍ばねばなりませんでしたし,不信者の妻を持つ夫も同じように忍耐してきました。アメリカでのことですが,ある夫は妻に聖書の研究をやめるように命令し,さもなくば別れることにすると告げました。妻が1年間の辛苦に耐えたところ,夫の心は変わりました。その後まもなく,妻はバプテスマを受けエホバの証人になりました。他方,ワシントン州のブレマートンでは夫が妻にののしられるのを忍耐しました。やがて,妻の心は変わり,今ではふたりともいっしょに聖書を研究しています。ニューヨークに住むある男の人は,アルコール中毒者で,そのうえ,たばこを片時も離せませんでしたが,その悪習をやめました。ところが思いがけないことに,夫の驚くべき変化を見て気持ちを害したその妻は,ひどく憤り,「新興宗教につかれている」と言って夫を非難しました。妻が特に憤ったのは,夫の悪い習慣をやめさせようと,12年間も努力したにもかかわらず失敗したためだったのです。夫がついに神の霊の助けでその悪習を克服したため,気持ちを害された妻は,夫の忠誠心を砕こうとしてあらんかぎりのことを行ない,暴力さえ使いました。そしてある日のこと,妻から最終的な条件が持ち出されました。妻かエホバか,どちらかを選べというものでした。もちろん夫はエホバを選びました。それからというもの,妻は夫のために洗濯はおろか食事を用意することさえ拒みました。それでも夫の忠誠心が破れないのを見て,妻は夫のもとを去って行きました。その人は多くのことを忍耐しました。そして,忍耐した人々は幸福であると,わたしたちは思います。その人は,将来さまざまな問題に直面することを知っています。現在の邪悪な世が存続するあいだ,また,サタンがつながれないかぎり,エホバの証人のだれひとりとして試みを受けないでいられるわけではありません。しかし,問題がどんなものであれ,神の霊がそれに対処しうることを心にとめてください。使徒パウロは次のような保証を与えています。「神は真実なれば,汝らを耐へ忍ぶこと能はぬほどのこころみに遭はせ給はず。汝らがこころみを耐へ忍ぶことを得んために,これとともにのがるべき道を備へ給はん」。(コリント前 10:13)この約束を心にとめ,エホバを信じ,全幅の信頼をエホバに置いてください。―箴言 3:5-7。

      18 (イ)忍耐の特質をなぜ心に十分に教え込まねばならないのですか。(ロ)忍耐の特質をつちかうならば,どんな希望をいだくことができますか。

      18 忍耐の特質は絶対に必要であり,献身して,バプテスマを受けた,キリストの弟子であるわたしたちが,「大かん難」に生き残るには,この特質を心に十分に教え込まねばなりません。それは現在の,また「大かん難」の際の火のような試みに生き残るためばかりではなく,神の建てられる地上の正義の新秩序に生き長らえるためにも必要です。(マタイ 24:21,22)神の霊の関係する良いことを禁ずる律法はありません。それらのものはいつまでも絶えることがないのです。忍耐の生きた証拠として,わたしたちにセコイアの巨木を設けてくださったエホバは,エホバから知性を備えて創造されたわたしたちも,そのみことば聖書,霊そして組織を通して,わたしたちが救いを得るために必要な忍耐の特質を身につけることができるようにしてくださいました。この特質をわたしたちの心の中につちかい,同時に,わたしたちとともに聖書を研究している人々の中にもその特質をつちかい,それらの人が献身してバプテスマを受けた,キリストの弟子になるのを助けるなら,人が所有しうるもののうちで最もとうといもの,すなわち,限りなく保つ命を授けられるのです。

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