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『すべての国の民への証言』ものみの塔 1968 | 10月1日
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しもべと監督が,弱い人や不活発な伝道者を援助するためにより多くの時間を費やす取り決めにより,このわざは促進されました。そのうえ,御国宣教学校も再開されてこのわざに大きく貢献しました。エホバが祝福をさらに与えられたことは明らかです。
援助を必要とする人と研究をするようにとの協会の提案に従うことにより,わずか6か月のあいだに10人の人が再び活発な伝道者になったとの報告がある会衆から寄せられています。それだけでなく,この会衆では13人の新しい人が奉仕を始め,伝道者は30人から53人に増加しました。別の会衆も,伝道者が4か月間に20名から39名に増加したと報告していますが,これはおもに,不活発になっていた16人の人々を,奉仕に再び熱心になるように援助したためです。同じような経験はたくさんありますが,紙面の都合でお知らせすることができません。
両親たち,自分の子供は真理を理解するのにまだ若すぎる,と考えることがありますか。もしそうお考えなら,次の経験から益を受けることでしょう。献身した両親を持つ8歳の少年は,学校での朗読に備えて,詩を用意するようにとの割当てを受けました。自分の番が来たとき,少年は詩を朗読する代わりに,両親から教わった「真の神」と題する短い話をしました。先生はとても驚いたのでそれを3回くり返すように頼み,それから全部の言葉を黒板に書くように頼みました。そして,クラス全員がそれを自分のノートに写すように命じました。神の御名を聞くとすぐ先生は,エホバとイエスは同じかたであると言いましたが,この若い伝道者はそうでない事を丁寧に説明したのです。翌日,少年は「ものみの塔」と「目ざめよ!」誌を持って行きました。今,先生は少年から雑誌を毎号受けとって読んでいます。
北部ルゾンの24歳になる兄弟は,特に身体障害者の励みとなっています。彼は全く目が見えないにもかかわらず,3年以上も正規開拓者として奉仕しているからです。この3年間,時間の目標に達しなかったことは一度もなく,それどころか,開拓奉仕を始めてから,1か月平均,160時間伝道し,47の再訪問を行なったのです。毎週七つの聖書研究も司会しています。読んで勉強する時は正規開拓者の姉妹や他の伝道者が助けます。そして聖書研究を司会する時は,一緒に行った伝道者が質問を読むのです。もちろん他の人に比べ,知識を得るため,より熱心に勉強しなくてはなりません。しかし,彼と研究した二人の人が昨年献身を象徴した事実から,エホバが彼の努力に報いを与えておられることがわかります。
定期的に家族の研究をすることの益が,9人の子供のある一家族の例からよくわかります。献身した両親は家族で週2回研究をする取り決めを設けました。その一つは書籍を用いての研究です。もう一つは「ものみの塔」を学び,会衆の集会に備えるのです。これは定期的に行なわれ,家族の全部が参加しました。その結果9年のあいだに,5人の子供が献身したエホバのしもべとなり,そのうち3人は開拓奉仕をしています。残りの4人はまだ未成年なので,エホバから豊かに祝福される開拓奉仕に備え,目下訓練を受けています。自分の子供を弟子とするのは本当に大きな喜びです。
昨年タイとインドネシヤに宣教者をまた9人送ることができ,喜んでいます。そしてさらに宣教者が送られる予定です。この地域において,御国を広く宣べ伝えるわざの一端を担えるのは特権です。
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読者からの質問ものみの塔 1968 | 10月1日
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読者からの質問
● 聖霊は人格でないのに,どうして聖霊を「憂ひしむ」ことができるのですか。
エペソのクリスチャンへの霊感された手紙の中で,使徒パウロはクリスチャンがどうふるまうべきかに関して,次の助言をしました。「神の聖霊を憂ひしむな,汝らは贖罪の日のために聖霊にて印せられたるなり」― エペソ 4:30。
キリスト教国の多くの注釈者たちは,一つの神に三つの位格があるという三位一体の教理を信じているため,この聖句をまちがって解釈しています。三位一体が聖書の教えでなく,むしろ異教から生じたものであることの聖書的および歴史的証拠は,すでに当協会の出版物に何度も載せられています。(一例として,「神が偽ることのできない事柄」の第12章,および「『大いなるバビロンは倒れた!』神の御国は支配す!」(英文)の第3章を見て下さい)そのわけで,エペソ書 4章30節は,聖霊を三位一体の一つの神,また人格として扱い,そのゆえに悩むことができると述べているのではありません。
聖霊は一つの人格であって,エホバと同等の一つの神であるという教えとはまったくちがい,聖書は,それが神の目に見えない活動力であることを明らかにしています。バプテスマのヨハネが水でバプテスマを施したように,イエスは「聖霊と火とにて」バプテスマを施すはずでした。(ルカ 3:16)人は他の人を水か炎の中に完全に沈めることにより,その人に水か火でバプテスマを施すことができます。しかし,ある人に他の人でもってバプテスマを施すことなどどうしてできますか。水と火は人格ではありません。聖霊も人格ではないのです。西暦33年の五旬節のとき,120人の弟子たちは「聖霊にて満され」ました。彼らが人格的なもので満たされなかったことは明らかです。(使行 1:5,8; 2:4)イエスは天において,エホバから聖霊を受けそれをご自分の追随者に注がれたのです。そのように扱われた聖霊は人格ではなく,神の活動力です。―使行 2:33。
パウロが「神の聖霊を憂ひしむな」という手紙をあてた第1世紀の人々は,油を注がれたクリスチャンでした。彼らはすでに聖霊を受けて,天の生命に召されていました。この天的な級の人々に,パウロはこう言っています。「汝らは……子とせられたる者の霊を受けたり」。その霊は印,すなわち「保証」でした。(ロマ 8:15。コリント後 1:22)しかし彼らがまだ地上にいるあいだ,聖霊は彼らに何をしましたか。それは,いつかは来る死と天への復活に備え,忠実な人生を送れるように彼らを導きました。(ロマ 8:14,17)そして,神の是認を受けられなくさせ,聖霊を全く失わせる事態にも通じる「肉の行為」を避けるのを助けました。そのうえ,「御霊の果」を表わすことをも援助したので,彼らは霊に導かれて歩み,神の是認を得ることができました。―ガラテヤ 5:19-25。
クリスチャンが,聖霊の導きの下に書かれた聖書のすばらしい助言を無視するならば,やがては意識的な罪に陥って恵みを失う結果を生む反逆的な態度を育てることになるでしょう。最初はまだ罪を犯していないかもしれませんが,やがては霊の導きとはまったく正反対に人を導く横道にそれてしまうこともあり得ます。それは,パウロのことばを借りて言えば,聖霊を「憂ひし」めることです。聖霊は人格ではありませんが,聖書がそうであるように,神の人格的個性を表現するものです。もしある人が,美しい音楽をまずく演奏したとすれば,その音楽を侮辱したと非難されるでしょう。それは作曲者にとっても侮辱になります。同様に,霊は神の指図の下にありますので,それを怒らせたり,「憂ひし」める人は,エホバに逆らい,エホバを悲しませていることになります。
地上で永遠に生きる希望を持つ神のしもべは霊によって油を注がれず,天の生命にも召されていませんが,それでも天的な級の人々と同じように神の霊を受けることができます。それで彼らも,神の霊を「憂ひし」めることがあり得るのです。
しかし,意識的にするにしても,あるいは知らずにするにしても,どんな事をすれば霊を「憂ひし」めることになるのですか。同じエペソ書 4章の中で,パウロは,うそを言う癖,憤り続けること,怠惰それに悪いことばを避けるようにと述べました。クリスチャンの新しい人格を着けた人が,もしそのような悪い行ないに再びふけるとすれば,聖書の霊感された助言に逆らい,周囲の円熟したクリスチャンの良い影響や模範を無視していること,つまり聖霊を「憂ひし」めていることになります。
パウロは続いてエペソ書 5章において,不品行,恥ずべき行ない,みだらな冗談といったふさわしくない行ないに関心を払わないようにとの助言をしています。霊を「憂ひし」めることは何でも避けたいと願うクリスチャンは,娯楽を選んだり,休暇のあいだ何をするかを決める際,このことを忘れてはなりません。そのようなことについて話したり,本や新聞で読んだり,映画やステージで上演されるのを見たりして,興味を示すならどういうことになりますか。
他の事態についても考えてみましょう。聖霊は会衆内の一致を促進し,クリスチャンをしもべに任命するのに用いられています。かりにだれかがうわさを広め,どうでもいいようなささいな事柄で言い争い,あるいは徒党を組むことに熱心だとするなら,平和と一致をもたらす霊の導きに逆らっています。概して,そのような行ないは聖霊を「憂ひし」めます。そのわけで,会衆内に分裂をもたらしたコリントの人々は,霊の働きに逆らっていたことになります。(コリント前 1:10; 3:1-4,16,17)興味深いことに,パウロはエペソの人々に対しても,一致の重要さについて強調しました。(エペソ 4:1-6,16)霊によって任命されたしもべを敬わないなら,やはり霊を悲しませることになります。―使行 20:28。テサロニケ前 5:12,13。
それでクリスチャン一人一人は,自分のふるまいや態度を顧み,それが聖書や今日のクリスチャンの組織を通して表わされた霊の導きにかなっているかどうかを調べられます。そうすることは,霊に協力する助けとなります。そして,霊を「憂ひし」める結果となって,ついには神の是認と霊とを全然受けない立場に陥れる道に行かないようにするにも役立つでしょう。
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