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    ものみの塔 1954 | 5月1日
    • 読者よりの質問

      ☆ 黙示録 20章7節は,1000年統治の後にサタンは底無き坑から解き放たれて語つています。この最後の験しは,1000年期の終りの時期に来ますか? それとも1000年期の後に来ますか? それは,7000年の創造または休みの日の中に来ますか? それともその後に来ますか? また,キリストが御国をヱホバに返すのは,サタンの験しの前ですか? それともその後ですか? ― 一読者より

      サタンが解き放たれるのは,1000年統治が終つてからであると黙示録 20章7節は明白に述べています。このように書かれています『千年が終るとすぐに,サタンはその監禁から解き放たれるであろう。』(新世)前にこの読者よりの質問欄で,キリストの1000年統治とサタンと悪鬼共1000年の間,底の無い坑に入れられることは同時に起き,同時に終る,と示されました。それですから,『これらのことの後に,サタンは少しの間解き放たれねばならない』といことは,最後の試験が1000年統治の終つた後に来るということを決定的に証明するものです。(黙示 20:1-6を見よ)それから,サタンとその悪鬼共は『少しの間』底の無い坑から出されるのです。

      全く千年の間,サタンとその悪鬼共からの妨害なしに,キリストは支配しますが,それはコリント前書 15章24-28節(新世)に予言されていることを成就するためです。『彼はすべての政府と権威と権力を滅ぼした時に,御国を父なる神に渡す。なぜならば,彼の足下に神がすべての敵を置かれるまで,彼は王として支配しなければならない。最後の敵として,死は亡ぼされる。実に,神は「すべてのものを彼の足下に従わせられた。」しかし,「すべてのものは従えされる」と彼が言う時すべてのものを彼に従えさせられた方は,この中から除外されるということは明らかである。すべてのものが彼に従わされてから,御子自身も,すべてのものを彼に,従えされた方に従うのである。それは,神があらゆる者にたいしてすべてのものとなられるためである。』

      キリストの王権に反対するすべての政府と権威と権力は取り除かれ,最後には死という敵も亡ぼされるでしよう。つまりこうです,アダムからのうけついで来た死はなくなるということです。なぜならばキリストはその死のすべての悪い痕跡と人間家族への死の影響を拭き取られるからです。それから後には,人間家族はその肉体が完全になり,永久に生きることができます。アダムの子孫であるという理由で,彼らは死ぬことがありません。アダムから相続したすべての処罰はなくなつてしまつたからです。ヱホバ神が『あらゆる者にたいしてすべてのものとなられる』ために,キリストが御国政府をヱホバ神に渡されるのはその時なのであります。イエスがこのことをすることは必要です,なぜならばイエス自身では,この群の人間に永遠の生命を与えることができないからです。『義とし給う』,すなわち新しい翻訳では『義しい者と言明する』方はヱホバ神であるという聖書の原則はいつも真です。―ロマ 8:33,新世。

      さて,神が彼らを義とされる,または義しい者と言明し,永遠の生命の価値ある者と言うためには,彼は裁きを行わねばなりません。イエスは,千年の間のその御国によつて,人類を守る幕として働かれます,それで人類を,人間としての完全さと罪無き状態にイエスが向上せしめられている間,神の怒りは人間に来ないでしよう。千年の終りに,イエスが御国を神に渡す時,人間の家族をも神に渡します。それで神は人間に注意を払われ,人間家族の裁き主として直接に働かれます。神の側に立つか,神に反対するかという裁きをするその試験として,神は悪魔を解き放ちます。神はイエスを用いて悪魔を解き放ちます。なぜならば,イエスが悪魔と悪鬼共とを底の無い坑に入れたからです。彼らは出てきます,そして人間を試験するでしょう。

      その試験は人間を誘惑することではありません。人はその時に知識を持つているからです。アダムの時と同じことです。彼は神から知識を持つていましたから欺かれたのではありません。しかし試験が来た時,自分の妻についての欲望と利己的な願いのために,アダムは誘惑に落ちました。それから彼は罪をおかしましたが,それは自分の意志で決定しておかしたのであつて,欺かれたからではありません。千年の終りもそうでありましよう。知識が足りないからというので,人間は欺かれることはありません。しかし悪魔は人間に働きかけて,アダムの時のように悪と利己的な願いとを引き起して誘惑にさそいこみます。試験として神はそのことを許されますが,それは誰が実際に,心と精神と魂と力をもつて神を愛するかを見るためです。利己主義の路をとつて,悪魔と悪鬼共に従う者は亡ぼされます。そして最後には,悪魔と悪鬼共も実体的なゲヘナである『火と硫黄の池』に投げこまれます。(黙示 20:8-10)ヱホバはこのように試験を準備されます,そして神の側に立つ者と反対する者とを裁き,目に見えるものも見えないものも罪人と叛逆者を処刑します。ロマ書 16章20節に予言されていますように,ヱホバこそサタンを打ち砕かれる方です。しかしそうするのに,彼は刑執行者としてキリスト・イエスを用います。このようにしてヘブル書 2章14節(新世)の成就がなされます。『その死を通して,死をひき起す手段を持つ者,すなわち悪魔を彼は亡ぼすためである。』

      サタンがハルマゲドンの時に千年間底の無い坑に入れられることは,キリストの千年統治の時と同時に起きるということについて,聖書ははつきりと確証しています。また,最後の試験をするためにサタンが解き放たれるのは,千年統治が終つて,キリストが御国政府をヱホバ神に渡されて後であるということもはつきり確証されていますが,しかしこの最後の試験が,ヱホバの7000年の休息の日に来るか,またはその後に来るかは現在では判りません。私たちは待つて,何時ハルマゲドンが終り,千年統治が始まるかを見なければなりません。その時になつて,千年の終りにある最後の試験が,7000年の日に関係しては何時頃来るかはつきりと判ります。アダムの時より6000年経たない前にハルマゲドンが終るならば,1000年統治は7000年の休息の日以前に終るでしよう。それですから,最後の試験は7000年の日の中に起るでしよう。しかし,このことについては明白に言うことはできません。7000年の日に関係して試験の期間が何時あるかということを間違いなく発表するには,ヱホバに待ちのぞみ,私たちが時の流れのどこにいるかということをヱホバから教えていただなけばなりません。

  • 街頭に立つて
    ものみの塔 1954 | 5月1日
    • 街頭に立つて

      この題の下に,新教徒<プロテスタント>監督教会の3月10日号の教会ニユースは次のような論説を発表しました。今,同教会の賛成を得て,ここに引用いたします。

      ※『大都市で最も賑やかな場所の何処にでも彼等は居る。ボストンの大会の時に,彼等は一番混んでいる街頭に立つて,忍耐強くそして,丁寧に『ものみの塔』を提供した。可成り多くの牧師が好奇心に駆られて,買い求め,後になつて読むためにポケツトに入れていた。

      ※ところで,ヱホバの証者達は旗に敬札せず,また戦争に行くよりは牢獄に行くので,人々からあまり好感を持たれていない。我々は十二分に理性があり,尊敬せらるべき者であるが,我々の傾向は彼等を我々の意識から追い払つてしまい,「それらの無法の者共」に非難を言い,そして,別のお茶を注ぐか,二番目のコツクテイル(外国の飲料)を入れることである。

      ※しかし,仮りに今『ものみの塔』を読むとしよう。そして,それらの『特別な者達』にとつてはどのようにこの世が見えるかを研究して見よう。彼等は,信仰の為に牢獄に行くことも,街頭に立つことも等しく喜んでするのである。先づ第一に,証者の宣明する救いにとつては,英語の知識は必要ではないということを知る。『ものみの塔』は40の他の言葉でも発行されている。それらの中には,インドネシヤ語,タガログ語,シロジ語,ツイ語,そしてヨルバ語(言語の名前を我々は書き記しているのではない)を含んでいる。これと同じことが新教徒監督教会の教会ニースに就いても言えることを我々は非常に強く望むものである。

      ※『ものみの塔』を読む時に,全記事に流れている感じを,どんな言葉が一番良く表現するだろうか? 恐らく,『緊急』という言葉であらう。ヱホバの証者はキリストは1914年に戻られ,目には見えないが,現在統治していることを信じている。又彼等は,我々は12時5分前に生存して居り,歴史の終局的な最高潮は明白に完成されつつあり,今の時か,それとも永久に機会を失うかのどちらかであると信じている。― すなはち,神を選び,義しき者の復活に与るか,あるいは神を否定し,あなたの存在を無くし,破滅に落ち入るかのどちらかである。

      ※ヱホバの証者は急いでいる。彼等は時が非常に短いことを信じている。又,各自がする決定は明白な「ハイ」か「イイエ」であり,「ハイ」は永遠の生命への言葉であり,「イイエ」は滅亡の案内言葉なることを信じている。

      ※彼等は他の者よりも正しいかも知れぬ。神の定められた予定の事柄に関して監督教会は干渉しないのであるから,キリスト再臨の時を我々は敢えて予言し得ないのである。しかし,キリストは再び戻るというキリストの約束を我々は持つている。個人に関する事について言うならば,現在の世の毎秒は証者達の言う通りに,永遠の緊急で満ちているのである。我々は今,此の日,此の瞬間を選んでいるのである。我々の大きな決定も,小さな決定も,最後の決定に合計されているのである。

      ※我々がこのことを骨身に徹するまでに,良く知るようになると,何か新しいことが地上の表面に見えるであろう。すなはち,監督教会の人達(牧師も一般信徒も)が手に冊子を持つて街頭に立つであろう。そして街路越しに,『ものみの塔』を提供している者を見,親しい挨拶を送るであろう。どんなに彼等が違つていようと彼等は緊急者に属する同胞兄弟の一員である。』

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