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『王国を第一に求めよ』― 私たち家族の目標ものみの塔 1985 | 12月1日
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会いますが,王国の業の拡大に伴って,さらに幾百人もの兄弟たち,そしてさらに多くの会衆と親しくなりました。
ウッドバーン家の元の7人のうち3人はもう亡くなりましたが,残っている私たち ― 80歳のベスと78歳になるトム,それにジムと私 ― は,引き続きエホバに仕えています。兄弟の一人マーチンは34年間,全時間の伝道の業を行なって,1973年に忠実のうちにその歩みを終えましたが,やもめとなったマリーはスコットランドのグラスゴーで今も活躍しています。私たち家族は本当に特権に恵まれました。子や孫を全部含めると,私たちのうちエホバに自分の命を献げた者は35人になります。エホバご自身の愛の保護と数々の祝福を受け,それと共に多くの親愛なる兄弟たちから愛と親切を示された私たち一家は,『神の王国を第一に求めること』こそこの時代の真に安全で賢明な道であるということを確信しています。―マタイ 6:33。
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読者からの質問ものみの塔 1985 | 12月1日
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読者からの質問
■ 使徒パウロはクリスチャンの統治体の成員でしたか。
パウロが1世紀のクリスチャンの統治体の成員であったと結論するのは道理にかなったことです。
初期の統治体の構成に関する聖書の詳細な記述はごく限られており,その情報の大半は使徒 15章にあります。その記述の示唆するところによると,西暦49年に統治体を形成していた男子のグループは,「エルサレムにいる使徒や年長者たち」から成っていました。この人たちはだれでしたか。―使徒 15:2,4,6。
イエスの異父兄弟であるヤコブは,キリスト教に改宗した異邦人が割礼を含むモーセの律法を守らなければならないかどうかの問題を討議するためのその集会を主宰しました。使徒ペテロはその討議に加わりました。その記述は,(バルサバと呼ばれる)ユダとシラスが「兄弟たちの中で指導的な人たち」であったと述べていますが,この二人が統治体の成員であったかどうかについてはっきりと述べてはいません。(使徒 15:7,13,22)要は,統治体を構成していた人々の名前の完全なリストを聖書が挙げていないということです。パウロは旅行する宣教者で,シリアのアンティオキアにある会衆からその問題を持って来たので,統治体に含められていなかったと考える人もいます。
確かに,パウロはイエスと共に歩んだ「十二人」の一人ではありませんでした。ユダ・イスカリオテの代わりにマッテヤが選ばれていたからです。a しかし,弟子ヤコブも「十二人」の一人ではありませんでしたが,明らかに統治体の成員でした。(使徒 6:2; 1:15-26)そればかりでなく,イエスがパウロに現われて,パウロを『ご自分の名を諸国民に携えて行くための選びの器』とされました。こうしてパウロは,「人々からではなく,人を通してでもなく,ただイエス・キリストと……神とによって使徒」になりました。パウロは自分のことを,「諸国民への使徒」と呼びました。―使徒 9:3-6,15。ガラテア 1:1。ローマ 11:13。コリント第一 9:1; 15:7,8。
パウロが諸会衆を指導した「使徒や年長者たち」の一団の成員になったことをさらに示すものとして,神の力のもとでパウロが行なった事柄を考慮してみてください。パウロはクリスチャン・ギリシャ語聖書の14冊の書を書きました。ペテロは,「わたしたちの愛する兄弟パウロ」の書いたものを,「聖書の残りの部分」と同列に置いています。(ペテロ第二 3:15,16)パウロはキリスト教を広める上で著しい指導力を発揮し,諸会衆に多くの面で導きを与えました。霊感によるその書物は,パウロが時に自ら問題を解決したことを示しています。当時のことですから,統治体の成員の一人が中央にある統治体から遠く離れた所にいて,通信が迅速にいかない場合に予期される事柄です。(コリント第一 5:11-13; 7:10,17)しかし,場合によっては使徒 15章の記述が示すように,問題を統治体全体の前に持ち出すこともありました。
「神の奴隷またイエス・キリストの使徒であるパウロ」は,テトスにこう書き送りました。「わたしはこの理由であなたをクレタに残しました。すなわち,わたしが命じたとおり,あなたが不備な点を正し,都市ごとに年長者たちを任命するためです」。(テトス 1:1,5)ですから,旅行しながらも,パウロは確かに中央の統治体を代表して話しました。―使徒 16:4,5。
ですから,パウロに対する主からの割り当てには広範にわたる旅行が関係しており,その結果中央の統治体の幾つかの集まりに出席できなかったにしても,パウロが神とキリストに用いられたその仕方はパウロが統治体の成員であったことを示しています。
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