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  • その4 攻勢に出る
    ものみの塔 1955 | 8月15日
    • 大きな都市でのその講演会場はいつも人々で一パイに埋まつていました。この特別の講演では,聴衆に面白い,機智に富んだ地獄旅行をしたような想像をさせました。この講演は地獄の火という偽りの教義を完膚なきまでに曝露し去りました。イートン対ラッセルの討論の前に,ラッセルとその一行は1903年に欧州への2度目の旅行をし,協会の支部をドイツのバァーメン・エルバァーフェルトの土地に設立しました。次に1904年にオーストラリヤにも支部が開かれたのです。この頃までに,南アフリカ,日本,英領西インドの良い土地に真理の種子は播かれて居りました。ジャマイカのキングストンの地では大会が開かれ,それに400名が出席し,日曜日の公開集会には600名が出席しました。

      アメリカの方面では当時まででの最大の大会がオハヨー州プット・イン・ベイで行われ,日時は1908年の8月29日から9月7日までのあいだでした。そのときの出席数は約4800名という最高数でした。1890年から1908年までのこの期間中,文書は幾百万も配布されつづけ,『ものみの塔』の予約者は3万名を超え,そのうちの幾千人もの人々は聖書真理を他の熱心なクリスチャンに伝えるという,この組織された伝道にたゆまず加わつたのです。このようにして,善意の人々がバビロンから脱出して,全能の神とキリストの献身した僕となるため,彼らに援助の手がさし伸べられました。新教派は『獅子』のような怒りを以つて,サムソンのような協会を滅ぼそうとしましたが,協会の成員たちは,ヱホバの聖霊から力を得ていましたから,却つて,ますます強固に活動して行きました。(つづく)

  • 読者よりの質問
    ものみの塔 1955 | 8月15日
    • 読者よりの質問

      ☆ 出エジプト記 6章3節で神がモーセに語られるのにアブラハムはヱホバという名では神を知らなかつたと書かれていますが,創世記 15章7,8節では,神はヱホバであるとアブラハムに示され,またアブラハムはヱホバという名前で神を呼んでいます。このことはどのように説明されますか? ―英国の一読者より

      質問されている出エジプト記 6章3節は二つの方法で翻訳されるでしよう。つまり,事実を話す方法であるか,または質問の方法です。普通の方法は,事実を話す方法であつて,欽定訳のように『我が名のヱホバのことは,彼ら知らざりき』と翻訳します。ベリーの行間註釈の翻訳は,質問の形式にして次のように翻訳しています。『我が名のヱホバのことを彼らは知らなかつたか?』 新世訳の欄外の翻訳も,そのような翻訳の仕方があり得るということを認めて,こう翻訳しています『私の名であるヱホバに関しては,彼らに知らせなかつたか?』 質問の形式で翻訳するならば,もちろん問題はすぐなくなります。しかしそのような翻訳は普通の仕方ではなく,例外であるので,新世訳の主文では従来の形式に従つています。出エジプト記 6章1-8節(新世)を読むことは有益です。

      『ヱホバはモーセに言われた。「王<パロ>に私がなにをするのかあなたは見るであろう。強い手の故に,彼は彼らを去らしめ,強い手の故に国より彼らを追い出すであろう。」そして神はモーセに語り,こう言われた「私はヱホバである。全能の神として,私はアブラハム,イサクそしてヤコブに表われたが,しかし私の名であるヱホバに関しては,彼らに知らせなかつた。また,彼らと契約を立てて,彼らが一時のあいだ住んだ暫時の地であるカナンの地をあたえることにした。私は,エジプト人たちが奴隷にしているイスラエルの子たちの苦しむ声を聞き,私の契約を憶いだしている。それであるから,イスラエルの子たちに言いなさい『私はヱホバであり,エジプト人の重荷からあなた方を導きだし,奴隷の状態から救い出すであろう。そして腕を伸ばし,大いなる裁きをもつてあなた方を回復するであろう。あなた方をたしかに私の民とし,私はあなた方の神となり,エジプトの重荷よりあなた方を導き出す私が,あなた方の神ヱホバであるということをあなた方はたしかに知るであろう。私はアブラハム,イサクそしてヤコブにあたえると手をあげて誓つた地にあなた方をたしかに導くであろう。その地をあなた方にあたえて持ちものとさせよう。私はヱホバである。』」』

      ヱホバという名は,動詞『ある』の3人称単数の使役形で,その文字通りの意味は『彼は生ぜあらしむ』ということです。彼は,彼の目的に従つて『生ぜあらしめ』ます。この時にあたつて,モーセにむかい名前が強調されましたが,それはまつたく適当なことでした。ヱホバは,エジプトにいた御自身の民についての目的を成就し始められたからでした。このことより430年前に,アブラハムから多くの国民をつくると神は約束されていました。(創世 12:2)しかし,アブラハムの裔は外国で奴隷となり,圧迫をうけるが,救い出され約束のカナンの地に定住するであろうと,神は言われました。(創世 15:7,13-16)イサクやヤコブにこれらの約束はつたえられましたが,しかし彼らの時に,ヱホバは約束を実現させられませんでした。彼らはヱホバという文字上の名前は知つており,その名前を使いました。でもヱホバはこれらの約束を成就せられる方であるとは知らずまた経験しませんでした。

      さてモーセの時になつて,イスラエルはエジプトでくるしんでいました。それでくるしみのあまり,ヘブル人はこんな風に呼び叫んだかも知れません『私たちの祖先アブラハム,イサクそしてヤコブの神であるヱホバは何処にいるのか? 私たちの悲しみにみちた状態を見てごらんなさい。ヱホバは何をなされたか? なぜヱホバは私たちに御自身を知らされないのか? なぜこれらの約束や契約を実現されないのか?」 そうです,430年のあいだ,これらの約束は果されなかつたために,その時こそ成就し始める時でした。それで,神はヱホバという名前をモーセに想い起させ,そして『彼は生ぜあらしむ』というこの名前の適用をイスラエルに見せようとしていました。ヱホバは,その名前の意味について真であるということを示そうとしました。アブラハム,イサク,そしてヤコブになされた約束を実現せしめられることによつて,ヱホバは御自身の御名の意味に忠実であると示しました。ヘブル人たちは,祖先たちが知らなかつた仕方でヱホバを知るでしよう,つまり御名の意味と一致するものを実際に表し示されることによつて御名を知ることでした。ヱホバは,一国民としてのイスラエルを救い,エジプトから導きだしましたが,そのことによつて,ヱホバは昔の約束を成就せしめられたことになります。イスラエルは,忘れられてうち棄てられてしまい,神はもはやなくなつてしまつたと感じたかもしれませんが,モーセは『私は存在する』によつてつかわされたということをイスラエルに言えと,神から命令されました。ヱホバは,その力ある仕事と救助により救助者であるということを証明し,イスラエルの民についての彼の目的をなしとげました。―出エジプト 3:14,新世。サムエル後 7:23。

      エジプトにいたヘブル人たちは,祖先たちが知らなかつた仕方でヱホバを知るようになりましたが,またパロやエジプト人たちもヱホバを知るようになりました。ヘブル人たちは,エジプトの地に215年もいたのでしたから,エジプト人たちは彼らの神の文字上の名前を知つていたに違いありません。しかしパロは怒号しました。『ヱホバは誰か? それでヱホバの声に従つて,イスラエルを去らせるべきであるか? 私はヱホバを全然知らないし,またイスラエルを去らせることもしない。』(出エジプト 5:2,新世)後になつて,神はこう言われました『エジプトに対して手を伸ばすととき,私がヱホバであることをエジプト人たちは必らず知るであろう。』(出エジプト 7:5,新世)王<パロ>やエジプト人たちは文学上の名前ヱホバを知つていましたが,ヱホバが行為の神であり,また実際に力をふるわれる方であるとは知らず,その大切なことを考えに入れるべきであるとは認めませんでした。しかし,彼らにたいして神が行動されたとき,彼らはいままで知らなかつた方法でヱホバを知りました。ちようど,祖先たちであるアブラハム,イサク,ヤコブが知らず,また経験しなかつた方法で,ヘブル人たちがヱホバを知るようになつたのと同じことです。

      今日でも,この世の心高ぶる支配者たちはヱホバという文字上の名前を知つていますが,しかし古代の王<パロ>やエジプト人たちのようにヱホバは大切で重要な方であるということを認めず,知りません。しかし,ハルマゲドンの時に,彼はヱホバであるということを知るでしよう。信仰に背いたイスラエルや,他の国家にたいして,彼らはヱホバを知るであろうと,エゼキエルは60回以上話しました。彼らが文字上の名前を知つていたことは疑いありません。その当時のエゼキエルの警告は,現在のキリスト教国や他の国家についてもあてはまります。イエスが地上にいました時,彼はヱホバにこう言いました『世からあなたがあたえてくださつた人々に,私はあなたの名前を明らかにしました。』モーセはエジプトにいて圧迫をうけていたヘブル人たちに神の名前であるヱホバを知らせましたが,イエスの仕事はそのモーセの仕事のようでした。キリストがハルマケドンの戦いをされるとき,彼はふたたびヱホバの名前を表し示されるでしよう。その表し示される仕方は,すべての人をして確信をさせ,ヱホバは彼の目的と一致して『生ぜあらしめる』神であるということを認めさせるでしよう。―エゼキエル 6:7,10,13,14。ヨハネ 17:6,新世。

      終りに,人間についての説明を考えてごらんなさい。ある人は,戦う勇士として知られているかも知れません。その人は,勇士として呼ばれるかもしれません。しかし,その人は,戦いをするなどとは考えられない程オトなしい人に見えるかもしれません。その人が戦うのをあなたは見たことがありません。でも幾年か後になつて,その人が悪い行いを怒り,正義のために戦つて実際に行動するのをあなたは見るでしよう。まわりの人と同じように,多分あなたは以前にその人を勇士と呼んでいたかもしれません。しかしいまその人は勇士であるという強い意味をもつて,初めてあなたはその人を知るでしよう。その人は,その名を自分自身に適用し,その名を表ししめし,その名に背かなつたことをあなたは見ます。以前には知らなかつた仕方で,あなたはその人を知ります。称号によつて表わされているように,ヱホバ神は多くの特質を持つておられます。そしてこれらの特質は,アブラハム,イサク,そしてヤコブに表し示されました。彼らもまたヱホバという名前を知つていましたが,彼らはヱホバの内面の意味を知りませんでした。ヱホバが彼らの子孫たちについての約束された目的を成就して,イスラエルをエジプトから救出されたとき,イスラエルは,ヱホバという名前の内面の意味を知りました。救出された国民は,ヱホバが『生ぜあらしめる』神であるということをたしかに知りました。

  • 『ものみの塔』研究
    ものみの塔 1955 | 8月15日
    • 『ものみの塔』研究

      9月11日 ヱホバの伝達の経路 1-18,305頁

      9月18日 同 19-26 308頁 及伝達のクリスチャン経路 1-10

      9月25日 同 11-34 312頁

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