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エホバの証者が困難な状態下で働く国々からの報告ものみの塔 1963 | 9月1日
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事は疑いない」と主張しています。同じ第6節は,兄弟たちが住んでいるところで改宗勧誘を行なうことは実質的に不可能であることを認めていますが(ほんの数軒の家があるだけの小さな村),36キロほど離れた町まで毎週行って宣教活動を行なったと非難しています。この問題は現在スペイン最高裁判所で審理中です。
一般の新聞や雑誌によっても,私たちのことは広く報道されました。そうした記事の多くはどちらかと言えば批判的なものでしたが,世の関心を高めるのに役立ちました。「汝らのうちにあるのぞみの理由を問う人には,柔和とおそれとをもて常に弁明すべきそなえをな」せと述べた使徒ペテロの言葉をかえり見ず,1962年3月30日付サン・セバスチアン市のエル・ディアリオ・バスコ紙は,「ドアをしめてしまいなさい」と題したその社説の中で,「きちんと礼儀を正して我々の戸口をおとずれる人々に,ひととおりの応対もせず,ドアをバタンと閉めても構わないという意味ではないが,この場合には特に例外として,男であれ女であれ,我々の家族と宗教問題について話し合うために,ドアをそっと叩いてたずねて来る者に対しては,何度たずねてこようと,その人々のいる前でもドアをピシャリと閉めてしまうことを熱心にすすめる。我々はここでエホバの証者のことについて論じているのである」と述べ,さらに読者に次のように警告しました。「家から家にたずね,個々の人と話し合い,おかしな理論でもって,人をカトリック教会のむなもとから奪い去ろうとする者の話を聞いてはならない。彼らがいかにも親切に,いかにも寛容な素振りでさし出す宣伝は,いかなるものであってもはねかえさねばならない」。このような態度は明らかに,使徒の残した模範にもとるものです。
伝道者の増加は,これまでほどではありませんでしたが,多くの喜ぶべき点があります。兄弟たち一人一人の活動はずっと進歩して,野外奉仕のために献げられた時間は年間を通じ一人一月平均12時間近くになり,六つの再訪問の目標も達成できました。伝道者一人平均一つの研究も年間を通して維持され,水のバプテスマによって新たに献身を象徴した人も沢山ありました。
小さな関心の芽が20年以上もの間絶えなかった事を示すのが次の経験。伝道者からの手紙です。「数週間ほど前私は市場で働く婦人に再訪問しました。ところがこの婦人は自分のところへ卵を売りに来る女の行商人に,自分が聞いた聖書のことを話していました。この卵行商人はその話に非常に興味を示し,私がまた来たときに渡すようにと自分の住所を置いていったとのことでした。数日して私は卵行商人をたずねてみました。キリストが支配する国が必要だということを話すと,彼女は,『ちょっと待って下さい。キリストの政府のことを話していると聞いたので,私が買った屑紙の中から三十年ほど前に見つけた本を出しておいたのです。私はこの本を何度も読み返し,これまで色々と考えていたのです』,と言いました。彼女が持って来た本を見ると,おどろいたことにそれは『政府』という本で,ルザフォード兄弟が書いた本の一冊で,スペイン内乱以前のころの支部の住所が印刷してありました。その本を初めて手に入れた時以来,彼女は福音教会,聖霊教会など色々の宗派をたずねて,真理を求めて来ましたが,どこにも満足のゆく答が見出せなかったとの事でした。今彼女は私たちと一緒に勉強し,最近,私たちの小さな会衆の集まりにも出席しました」。
畑が熟しきって,収穫を待つこの国で奉仕するのは実に喜びであり,祝福も豊かにそそがれています。
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読者よりの質問ものみの塔 1963 | 9月1日
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読者よりの質問
● マタイ伝 12章43-45節にあるイエスの言葉の意味を説明して下さい。―アメリカの一読者より
「汚れた霊が人から出ると,休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが,見つからない。そこで,出てきた元の家に帰ろうと言って帰ってみると,その家はあいていて,そうじがしてある上,飾りつけがしてあった。そこでまた出て行って,自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり,そこに住み込む。そうすると,その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も,このようになるであろうし。―マタイ 12:43-45,新口。ルカ 11:24-26。
悪鬼につかれていた人から悪鬼が出た場合,空白状態が残ります。悪鬼の出た後に残ったこの空白の状態を主の御霊でみたし,神のことばと一致した行いの伴う信仰でみたさなければなりません。そうすれば悪鬼が戻ってきても,悪鬼の住み家にたとえられているその人の状態が,「あいていて,そうじがしてある上,飾りつけがしてあった」のを見ることはありません。かえって悪鬼は自分の出た後にもっと強い霊すなわちエホバの活動力がみちているのを見て,その人に再びつくことをしないでしょう。イエスがここに言われた人の場合,この人は悪鬼の出た後の空白をみたさなかったに相違ありません。この人はエホバへの奉仕を始めず,エホバの御霊を受ける生活をしませんでした。むしろ自分を清めたに過ぎず,敬虔ぶって自分を飾りました。このような人は悪鬼の戻るのを防ぐことができません。そして再び悪鬼につかれた時の状態は前よりも悪くなることでしょう。今度はもっと多くの悪鬼がつくからです。
この原則を一般的にあてはめると,次のことが言えます。滅びに定められ,神から離れた世の一部だった人が真理の知識を得,この世とサタンの悪い精神を捨てたとします。しかしその後も神の道を歩みつづけることをしない場合,その人は神の御霊を受けません。また御霊に導かれて良いわざを行ない,御霊にみたされようとしないために,御霊を受け入れる余地がありません。その人は神の御霊を消してしまい,以前の世の汚れを捨てたのちに見せかけだけの敬虔に満足して空白の状態を残します。認識と奉仕,神の御霊に導かれたよいわざに欠けるこの人は,再びサタンの悪い影響に身をさらすことになります。そして悪鬼は以前にもましてその人の生活をもっと完全に,巧妙に支配します。―ヘブル 6:4-8; 10:26,27。ペテロ後 2:20-22。
イスラエルの民族の場合にも,このことが見られました。この国民は異邦の民から分けられ,サタンの支配を離れたにもかかわらず,間もなくエホバの律法と契約という大切な事柄を忘れ,エホバの御霊に導かれた奉仕にいそしむかわりに小さな問題や言伝え,見せかけだけの敬虔,儀式による清めなどに心を奪われました。イエスが来られた時,ユダヤ人の悪しき世代はサタンに全く支配されており,メシヤを拒絶しました。神を知っただけに責任の重かったこの国民の終りは,そのはじめより悪いものでした。
サウル王の例を見てもわかるように,エホバの御霊でみたされていない人は,往々にして悪鬼にとりつかれます。悪しき王サウルのかわりにダビデが王として油そそがれ,エホバの御霊はダビデの上に留まりました。そのときサウルはどうなりましたか。「かくてエホバの霊サウルを離れエホバより来る悪鬼これを悩せり」。(サムエル前 16:13,14)エホバが実際に悪鬼を送ってサウルを悩ませたのではありません。エホバが御霊をとり去ってのち,今度は悪鬼が代りにとりついたのです。エホバが御霊を取り去ったため,悪鬼はサウロにつくことができました。それでエホバから悪鬼が来たように書かれています。
エホバがパロの心をかたくなにしたと述べている聖句の場合も同様に理解できます。エホバがそうしたのではなく,エホバの音信を聞いてパロが自分で心をかたくなにしたのです。エホバの音信と,エホバがエジプト人に対して行なわれたことのために,パロは怒り,心をかたくなにして行動しました。そしてパロの聞いた音信と,エジプト人のこうむった災はエホバからのものでしたから,エホバは間接にパロの心をかたくなにされたと言えます。(出エジプト 7:3; 8:15,32)エホバがイザヤに告げられた次の言葉も,この原則を示す別の例です。「あなたはこの民の心を鈍くし,その耳を聞えにくくし,その目を閉ざしなさい」。(イザヤ 6:10,新口)イザヤが文字通りにこの事をするのではありません。イザヤは音信を宣べ伝えました。しかしそれを好まなかった反逆者たちが音信に対して耳を閉ざしたのです。このようにエホバがサウロから御霊を除いたとき,悪鬼は空いた家にはいり込むようにサウロにとりつきました。
● 数人の聖書学者が集まって,色々な聖書のほん訳を比較したそうですが,「新世訳聖書」もその中に含まれていますか。―アメリカの一読者より
お手紙にあるのは,アーネスト・カドマン・コルウェル教授による,「一番すぐれた新約聖書はどれか」,という題名の本の事と思います。これは,シカゴ大学出版局の発行で,印刷初版は1952年です。コルウェル教授が,色々なほん訳を集め,ヨハネ伝の中から64の言葉を引用して,比較研究したのは1947年です。この本は,その64の引用句一つ一つについて,どの聖書がいちばん正確に訳出しているか,コルウェル教授の意見をのせています。「新世訳聖書」が発表されたのは1950年です。したがって,コルウェル教授は,このほん訳を資料として使うことはできませんでした。
しかし,読者がそれら64の引用聖句についてコルウェル教授が述べている事を調べ,それぞれを「新世訳聖書」とくらべてみれば,その本が満点をつけているグッドスピード博士のほん訳によるクリスチャン・ギリシャ語聖書と並んて,「新世訳聖書」が64点の満点にふさわしいことが分かるでしょう。前述の通り,コルウェル教授の本の初版は1953年であり,これが利用できるようになったのは,「新世訳聖書」が発表されたニューヨーク大会のあった1950年より2年後のことです。それで,「クリスチャン・ギリシャ語聖書の新世界訳」を作る際に,新世訳聖書翻訳委員会は,コルウェル教授の本を参照にしませんでした。
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