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再検討される放射性炭素時計目ざめよ! 1972 | 7月8日
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あとの今日の実状はどうですか。前述の仮定は依然として当時と同様確実なものに思えますか。
ウプサラ会議の報告を読んでみると,実は,前述の仮定はいまや一つとして正しいものとはされていないという結論に達します。いくつかの仮定はほんの少しまちがっているだけかもしれませんが,他の仮定はかなりまちがっていることがわかりました。それで,その一つ一つを現在の知識に ― もしかするとそれは依然無知のたぐいかもしれませんが ― 照らして,もう一度調べてみましょう。
標本の有効性
放射性炭素による年代測定に生じうる誤りの一つは,標本の元の状態がそこなわれることによるものです。(仮定3)もし標本が,より古い,あるいはより若い放射性炭素を含む物質との接触で変化するか,またはそれを含有することによって汚染されているならば,それを分析しても正しい答えは出せません。しかし,経験に富んだ考古学者は,自分が予期していたのとは違う年代が標本に付されて研究室からもどされる場合どうすべきかを心得ています。チェコ科学アカデミー考古学協会のイブセン・ニューストプニー博士がシンポジウムで語ったとおりです。「もし測定結果が予期していた値とひどく食いちがっているなら,標本が,現代か古代の炭素によって汚染されていることがはっきりわかる場合が多い」。2
同博士のことばを言いかえれば,標本を研究室に送る前にはそれが汚染されていることはわからないが,いやな答えが付された標本をもう一度見なおすと,それが汚染されていたことがはっきりわかるということです。
また同専門家は,同じ時代の標本を選ぶことの重要性に関して,次のように指摘しています。(仮定4)「多くの考古学者は無視しているようであるが,次のことははっきり理解しておかねばならない。つまり放射性炭素の量は,標本の有機組織の年齢,すなわちその生成年代を定めるということである。ある歴史上の(もしくは,有史前の)事件の年代を算定する根拠となる標本の組織は,それが古代人に使用されるときまでには,生物学的に死んでから数十年またはいく世紀も経過していたかもしれないのである。このことは建物の木材,炉床の木炭,そして他のほとんどの物についても言える」。2
これは読者のみなさんが,どこそこの洞穴から堀り出された木炭の放射性炭素測定結果は,いくいく千年前にそこに穴居人が住んでいたことを証明する,といったような新聞記事をお読みになるときにおぼえておかれるとよい点です。キャンプをする人たちが,何百年も,それどころか何千年も前に生育していた木を拾い集めてたきぎにできる場所は今日でもあるのです。
この種の誤りがたびたび起こるので,考古学者たちは,放射性炭素で測定された年代を全面的に受け入れることに難色を示します。しかし彼らは,特定の標本にはこの測定法を応用することで満足しなければならないのです。というのは,一つの標本の年代は誤って測定されるかも知れませんが,他の標本の年代は正しく測定されるかもしれないというわけです。
このほかにもさらにむずかしい問題が,放射性炭素による年代測定法を支持する人々に投げかけられています。それは理論そのものを根底からくつがえしかねない問題です。そうした問題に対して,もし満足のいく解答が出されなければ,放射性炭素による測定法では,どんな標本の年齢も正確には出せないのではないかという疑問が生じます。
放射性炭素の半減期
問題の一つは仮定1と関係があります。炭素14の半減期はどこまで確実でしょうか。ペンシルベニア大学放射性炭素研究所の専門家2人が述べた次の意見に注目してください。
「それら半減期の測定の正確さにかんする最大の不安の原因は,特定の分解速度を測定するガス計量器を調べ,次いで,測定された炭素14の正確な量を質量分析計で測定するという,同じ基本的方法に依存しているということにある。まず最初の段階ではガス計量器の絶対目盛りを得るという難事があり,後者の段階では,正確な希釈,および“ホット”炭素14を質量分析器にかけるという問題がある。容器の壁に炭素14が吸収されることから生ずる誤差は,半減期測定のすべての場合に普通に,まただいたい同様の規模で見られるであろう。炭素14の真の半減期はこれだと確信をもって言えるようにするには,全く他に依存しない方法と技術を用いる必要があることは明らかである」。3
リビー自身,半減期の確度にこうした限界があることに気づいていました。1952年には,絶対分解速度の測定の非常に重要なことについて書き,次のように述べました。「放射性炭素の半減期を,いっそのこと全く異なった技術でさらに測定されることが望まれる」。4 ところがこの希望はまだ実現していないのです。
炭素14の生産
宇宙線が一定しているという点についてはどうですか。(仮定2イ)観測によると宇宙線は少しも一定してはいません。現在では,宇宙線に大きな変動を起こさせる要素がいくつか知られています。
その一つは,地球の磁場の力です。この力は,低エネルギー粒子を大気圏からそらすことによって,大部分が陽子(電荷をもつ水素原子核)である宇宙線に影響を与えます。地球の磁場が強くなると,地球に到達する宇宙線は少なくなり,放射性炭素の生産は減少します。地球の磁場が弱くなると,より多くの宇宙線が地球に達し,より多くの放射性炭素が生産されます。
調査の示すところによると,およそ5,500年前から1,000年前までは磁場の力は倍になりましたが,現在ではまた減少しています。この影響だけを考えても,ずっと古い年代の場合,1,000年近く訂正する必要のあったことが理解できます。
太陽現象もまた大きな変化を引き起こします。太陽の磁場は宇宙空間に遠く広がり,地球の軌道さえ越えて広く広がっています。あまり規則的でないとはいえ,その力は約11年の太陽黒点周期に従って変化するので,これもまた,地球に達する宇宙線の数に影響します。
それからフレーア(太陽面爆発)があります。白熱光を発するそれらの巨大な流れが時々太陽面から噴出し,莫大な数の陽子を放出します。地球に達するそれらの陽子は,炭素14をつくり出します。このために余剰の炭素14が生じますが,それは予測できません。報告の中の一つの表と一つのグラフは,典型的なフレーアによって生産された炭素の量を示すものですが,1956年2月23日には,一度のフレーアで,ほんの二,三時間のうちに,宇宙放射線による1年の平均生産量に相当するほどの炭素14がつくり出されました。放射性炭素時計による測定を是正するにさいして,この種の影響を考慮に入れることは明らかに不可能です。というのは,過去何千年間に,フレーアの活動が現在よりも盛んであったか,あるいはそれほど盛んでなかったかは,だれにもわからないからです。
銀河系から太陽系にはいってくる宇宙線の強度も,ほとんど解明されていないもう一つの要素です。地球化学者たちは,隕石の中の,宇宙線によってつくり出された種々の元素のごく微量の放射能を測定することによって,過去における平均強度を知るなんらかの手がかりを得ようと試みてきました。しかしながら,その結果は,過去1万年間宇宙線の強度は一定していたということに対する希望を確証するものを提供するのにたいして役だっていません。
もし,放射性炭素は今日,その生成速度と同じ速さで崩壊している,ということが示せるとすれば,放射性炭素説は,前述の問題点にかんして,(依然論破不能とまではいかなくても)より強い立場を取り得ます。(仮定2ハ)しかしもしこれが真実でないことがわかれば,炭素14の存在量は一定しているという仮定もまた真実ではなくなります。そして放射性炭素の放射能は一定しているという仮定は,互いに相手とは無関係に上がってゆく2本の係留柱の間に張られた不安定な張り綱にのせられているようなものです。
生産速度を計算するのはたいへんむずかしいことです。リビーは,1952年までの最善のデータをもってこの計算を試みました。そして,自然界の貯蔵所内の炭素各1グラムにつき,1秒ごとに放射性炭素の原子約19個に相当する生産が行なわれていることを発見しました。これは,毎秒16個の崩壊という彼の測定値をやや上回るものでした。しかし,問題の複雑さや,概算に頼らねばならない要素が非常に多いことを考えた彼は,それを自分の仮定に結構合うものとみました。
この生産過程にかんするよりよいデータ,よりよい理解を得た17年後の現在では,これはもっと正確に算定できるでしょうか。シンポジウムの席上で専門家たちは,放射性炭素はおそらく,分解速度の75%と161%の間の速度で生産されているだろうという程度で,それ以上確定的なことは何も言えませんでした。その小さいほうの数字は,放射性炭素の量が現在減少していることを意味するでしょうし,大きいほうの数字はそれが増加していることを意味するでしょう。この測定値は,放射性炭素説が要求するように,放射性炭素が一定していることを確証するものではありません。そこで再び,「過去における炭素14の放射能の相対的不変性は,[この率を]ずっと狭い数値の範囲に限定しておかねばならないことを示唆する」5 という見方が取られるようになりました。ですから,一つの仮定が他の仮定を正当化するのに用いられているのです。
炭素12の貯蔵所
放射性炭素時計が同時性を保つためには,炭素14の存在量だけでなく,交換貯蔵所の中の安定な炭素12の存在量もまた一定でなければなりません。(仮定2ロ)この仮定は妥当であると信じてよい十分の理由があるでしょうか。
炭素は,大気中よりも海洋中に約60倍も多く存在するので,わたしたちはおもに海洋という貯蔵所のことを考えます。この点もウプサラ会議で論議に上り,いわゆる「氷河時代」が,不定の主要な原因かもしれないということに意見が一致しました。リビーはこの可能性を1952年に指摘していました。
「過去1万年ないし2万年のうちに交換貯蔵所内の炭素の量が多少変化したかどうかは,のちほど取り上げるが,この時代にまでおよんだと思われる氷河時代が海洋の容積と平均温度に多少影響しえたかどうかという問題いかんにかかっているといえよう。」6
大洪水の影響
海洋の容積というと,聖書研究者の頭にはすぐに,4,340年前のノアの日の世界的な大洪水が当時の放射性炭素の時計を大きく狂わせたかもしれないという考えが浮かびます。海洋は大洪水後ずっと広く深くなったに違いありません。そのこと自体は,海洋中の炭酸塩を増加させはしなかったでしょう。炭酸はそれによって薄められただけでしょう。炭素14と炭素12の量,および両者の存在比(これが標本の放射能の量を決定する)が,単なる水の落下によって変化したとは考えられません。しかしながら,海洋の容積がふえたことは,結局はずっと多くの溶解した炭酸塩を受容する能力を海洋に付与することになったでしょう。
また,海床上の水の重さが非常に増加したために地殻が調整されたことも考えられます。その圧力は陸のそれよりも大きなものだったでしょう。そして,海底の柔軟な土岩層を海床から陸の方に押しやり,こうして陸地を新たに隆起させたでしょう。このために,地質学者たちの鮮新世の地図の低い陸地帯の中に出てくる浅い海の海床の石灰岩をも含め,岩層の表面はいっそう侵食作用にさらされるようになったでしょう。
ですから,海洋の炭酸塩の蓄積は大洪水後まもなく始まり,徐々に増加してついに今日の濃度に達したのでしょう。では,炭酸塩の蓄積は一定していたと仮定するよりもむしろ,過去4,300年にわたり徐々に増加してきたのかもしれないと考えるべきでしょう。
大洪水は炭素14にどんな影響を与えたでしょうか。聖書の示すところによると,大洪水の時に落下した水は,それ以前は地球の大気圏の上方にあったのですから,その水は,宇宙線のはいってくるのをはばみ,それとともに放射性炭素の生産をはばんでいたにちがいありません。もしこの水が,殻状に一様に配分されていたならば,放射性炭素の生成は完全に阻害されたでしょう。しかしそのように仮定する必要はありません。その水の天がいは,両極の上よりも赤道地方の上方のほうが厚くて,弱い宇宙線の照入を許していたかもしれません。いずれにせよ,この保護物が地表に落下してなくなったことは,炭素14の生産速度を速めたことでしょう。
したがって,海洋という貯蔵所内の放射性炭素14と安定な炭素12はいずれも大洪水後急速に増加し始めたと見なければなりません。炭素14の炭素12に対する比がそれに対応する放射能の量を定めることを思い出してください。ですから,土地の侵食の結果,炭酸塩がどれほど急速に海洋に加えられたかによって,その放射能は増減したかもしれません。片方の増加が他方の増加と平衡状態を保ってきたとは思われませんが,ないこととも言えないのはたしかです。その場合には,放射性炭素時計は大洪水中ずっと一定の働きを保ってきたと考えられます。そういう偶発性の平衡状態が,「歴史的に年齢の知られている有機物の予測された放射性炭素含有量と,実測したそれとの一致」8 をもたらす可能性をリビーは指摘しました。しかしこの説明をあまり好みませんでした。
炭素14と炭素12の存在量が互いに無関係である以上,古い標本にかんして報じられた極端に古い年齢を付す原因となる数値を当然のこととして仮定する可能性もあるわけです。たとえば,大洪水前のその特定の量の放射能が現在の数値の半分であったと仮定すれば,大洪水前の標本は実際の年齢よりも約6,000年古いものになるでしょう。大洪水後もしばらくはそうであったでしょうが,大洪水後いく世紀かに渡る炭酸塩の急速な侵食で,誤差は少なくされたでしょう。西暦前1,500年くらいまでに,放射能は現在の数値に近くなったようです。その時以来,放射性炭素による年代は,かなり正確になったからです。
同時性の原理
これらは,放射性炭素にもとづく年代表につきまとう周知の問題のいくつかです。ほかにも,ほとんど考慮されていない問題があり,また思いもかけない問題もいくつかあるかもしれません。20年前に発表された理論がもはや攻撃に耐ええない理由はこうしたところにあります。標本中の放射性炭素を測定して,それを今日の放射能と比較するだけでは,その標本の正確な年齢を出すことは不可能なのです。しかし,放射性炭素説の一つの特色は,今までのところ持ちこたえているようです。それは同時性の原理です。
それによると,放射性炭素の量は,過去のどの時においても,世界中同じだったので,同時に生じた標本はすべて同量の放射能をもっていました。ですから,変質や汚染さえ生じなければ,それらの標本を今日測定すれば同量の放射能を持っていることがわかるでしょう。したがって,たとえ他の仮定全部を放棄しなければならなくても,もし絶対年代の知られている標本を十分の数測定できて,訂正曲線をつくることができれば,次いで放射性炭素による測定を行なって,標本の位置をその曲線に見いだし,標本の年齢を推定することができます。
ある研究所では,樹齢の古い木から標本となる一連の木片を集め,年輪を数えてそれぞれに年代を付しました。それらは放射性炭素研究室の標本となり,それらの年代が,放射性炭素による年代表の堅固な土台となっていることは現在広く知られています。たしかに,この急場しのぎがなければ,放射性炭素時計は今ごろはさんざんにこきおろされて,遺物の真の年齢は大ざっぱにしかわからないものとして,ほとんど信用されなくなっていたことでしょう。
ところで,訂正された放射性炭素年代を信じるということになると,こんどはその基準としての年輪による年代決定を信ずる覚悟を固めなければなりません。この新しい方法はどれほど信頼できますか。次の記事でそのことを調べてみましょう。
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年輪計算と結びつけられている放射性炭素に基づく年代目ざめよ! 1972 | 7月8日
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年輪計算と結びつけられている放射性炭素に基づく年代
第12回ノーベル・シンポジウムの主題は,「放射性炭素測定による年代の偏差と絶対年代表」でした。この主題は,放射性炭素による年代決定がもはや絶対的なものとは考えられていないことを暗示しています。同シンポジウムにおいては,放射性炭素に基づく年代の偏差と,部分的にしか成功していない,それを説明するための試みとに重点が置かれました。絶対年代表として登場したのは,樹木の年輪を数えることを基礎としたものでした。
これは悪いニュースでしょうか。結局のところ,放射性炭素による年代決定は,高度に訓練された少数の専門家たちの専門技術分野です。そしてその理論はここかしこ訂正され調整されて,他の科学者たちでさえ理解しにくいまでになっています。
一方,生育する樹木が毎年,年輪を一つずつ幹の回りに加えてゆくことはだれでも知っています。そして,木が切り倒されたなら,ただ年輪を数えさえすれば樹齢がわかるではありませんか。これ以上簡単なことがあるでしょうか。多くの人は,少しばかり科学的魔術のくさみのつきまとっていた放射性炭素時計が今や,年輪を数えるというようなやさしい,わかりやすい方法によって時間を合わされつつあると知って,ほっとするにちがいありません。
この検量線は,同シンポジウムの公表された報告にのせられました。(1971年10月号,サイエンティフィック・アメリカン誌にも掲載された。)その曲線は,西暦前5200年ごろまで一年一年さかのぼり,年輪年代と合わせるには,放射性炭素に基づく年代に何年加え,あるいは何年引かねばならないかを示すものです。
その曲線は一見株価グラフに似ています。その曲線には規則だったところがなく,短期間に不規則にゆれ動くかと思えば,突然長期的な傾向を示したりしているところなど,この曲線をいっそう株価グラフに似たものにしています。この是正曲線を使うことによって,放射性炭素年代測定法研究所は,年輪年代学の正確さに全く依存するようになりました。
そこで,放射性炭素による年代を信ずる人は今や,はたしてその信仰は,年輪年代とのこの新しいつながりによって強化されるものか,あるいは弱められるものかを自問してみなければなりません。もちろんその答えは,年輪年代表がどれほど確実なものであるかにかかっています。それは,放射性炭素に基づく年代を,太古の未知の深い海に漂流させないようにするしっかりした錨ですか。
ブリスルコーンパイン年代表
何千年も生きる樹木はそう多くありません。アメリカのカリフォルニアの山々の斜面に生えている堂々とした巨大なセコイアの木は非常に長く生きるので有名です。ところが近年になって,アメリカ南西部の高い岩山の斜面に生育する,なんの変哲もない,いじけたように見えるブリスルコーンパインが,時々セコイアよりも長生きをすることがわかりました。ネバダ州にある1本のブリスルコーンパインは,樹齢4,900年と報告されています。
この長寿の樹木の有用性を最初に指摘したのはアリゾナ大学のエドムンド・シュルマンで,それは1953年のことでした。彼は,東部カリフォルニアのホワイト・マウンテンズの中で,非常に老樹の樹木をいく本か見つけました。ある木はまだ生きており,他の木は枯れて,株や丸太になって残っていました。彼は生育している木や,森の中に倒れている木から切り取ったしんを集めました。そして自分の研究室でそれらを調べ,年輪年代学を打ち立てるのにそれらを用いました。彼は1958年に死亡しましたが,その後この研究は,同じ研究室のC・W・ファーグソン教授によって再開されました。ファーグソンは,この研究の現状をノーベル・シンポジウムに報告しました。彼は,ブリスルコーンパインの年輪年代表を西暦前5522年にまでさかのぼって確立したと主張します。これはほとんど7,500年にわたる期間で,まことに印象的な業績です。これが正確かどうかを疑う何らかの理由があるのでしょうか。
一部の研究者たちの疑問
まず,ファーグソンと同じ大学の地質学部教授P・E・デイモンが,「年輪による年代決定の確実性は一部の研究者によって疑問視されるかもしれない」8a と述べたことに注目し,それから年輪年代表を組み立てる順序を調べ,なぜこれが疑問視されるのか,その理由を考えてみましょう。
最初に尋ねてみなければならないのは,年輪計算の基礎となる仮定,つまり一つの年輪は一年に等しいということです。これが必ずしもそうでないということを知ると,あなたは驚かれるかも知れません。この点についてファーグソンは次のように述べています。「ある場合には,与えられた,いく世紀にもわたる半径範囲の中で,年輪の5%かそれ以上が失われていることがある。標本の中の,そのような『失われた』年輪の位置は,その標本の年輪の型を,『失われた』年輪のある他の木の年輪の型の年代と比較することによって確かめることができる」。9 研究者たちは,それら「失われた年輪」を自分の年表に加えますから,それは年輪の実数よりも一世紀につき5年以上多くなります。
もっと興味深いことは,樹木は1年のうちに二つないし三つの年輪をつくる可能性があるというファーグソンの発言です。「とくに低い場所や,南経度地方で生育するある種の針葉樹においては,一成長期間の肥大幅は,2回ないし3回の急激な生長によって形成され,その一つ一つが年輪に酷似していることがある。ところが,ブリスルコーンパインにおいては,そのような複式の生成の年輪がきわめてまれで,研究の対象となった場所の高度と経度においてはとりわけ少ない」。9
それで,現在の気候状態の下では,複式の年輪はまれです。均一論者の見地からすれば,このような説は十分の安心感を与えるものでしょう。しかしこの見解は,西暦前2370年の大洪水前の気候がずっと温暖であったことを示す多くの証拠を見落としています。また,現在のブリスルコーンパインの生育場所は,当時はずっと低いところにあったかもしれません。先ほど引用した意見と調和するものとして,これらの二つの点による事情の相違はいずれも,当時生育していた樹木の多くの複式の年輪をつくる結果になっていたかもしれません。このことは,大洪水前のみならず,地殻が新たな圧力に対して自らを調整していた大洪水後の一時期についてさえ言えるでしょう。こうした状態のもとで複式の年輪がいく度形成されたか,あるいは,そのためにいく世紀ほど余分の年が年代表に含まれているか,だれにわかるでしょうか。
いくつかの型を継ぎ合わせる
次の注目すべき点は,7,500の輪をもつ樹木は1本もないということです。ある立木は樹齢3,000年以上とか4,000年とさえ言われていますが,年代表に含まれている最古の生きた樹木は,わずか西暦800年にさかのぼるにすぎません。ところが,ある1本の枯れた木に2,200ほどの年輪がありました。そして幅の広い年輪と幅の狭い年輪の型を調べたところ,その枯れた木の外側の層と,生きている樹木の内側の層とが類似していることがわかりました。そこで,その2本の木の樹齢は西暦800年から同1285年まで重なっていると考えられ,古いほうの木は西暦前957年という年代が付されました。この方法が,439から3,250までの年輪をもつ他の17本の倒木の遺物に対してくりかえされ,年輪の計算は合計7,484年前までさかのぼりました。
そこで,生育年代の重なっている類似した型を合わせることはどれほど確実だろうかという疑問が生ずるかもしれません。ファーグソンは,17の各標本を合わせうる方法はただ一つしかないと確言ます。彼はこう言います。「全部の標本のための親年表は,一年一年の型が異なり,広い年輪と狭い年輪の型が長期にわたって全く同様につづいているところは全体をとおしてどこにもない。なぜなら,気候の変化が年々全く同じということは決してないからである」。9 一部の人はこの見解を額面どおりに受け取ることにやぶさかではないでしょうが,他の研究者たちは,デイモンが言っているように,それに疑問をもつかもしれません。
もう一つの疑問。もし枯れた木に年輪の型の合致する部分が一箇所以上あるとすれば,どういう考察を指標として“正しい”適合例を選定できるのでしょうか。ファーグソンの次のことばは一つの手がかりとなるかもしれません。「時々,まだ年代を付されていない標本が,放射性炭素を利用して分析される。それによって得られる年代は標本の大体の年輪を示し,この年齢は親年表のどの部分を精査すべきかに関する手がかりを与える。したがって年輪の年代はより容易に明らかにすることができよう」。10 「樹齢400年を示す良質の一連の年輪をもつたった1箇の小さな標本に関する放射性炭素による年代分析によれば,およそ9,000年の古さのものであることを示している。これは年輪年代表をさらに過去にさかのぼらせうるという大きな希望を与えるものである」。11
そういうわけで,炭素14による年代決定が,時おり年輪に問題のある標本を合わせるのに指標となっていることは明らかです。では,この手段がとりいれられていることは,年輪年代学もそれほど確実なものではなく,その支持者たちは,放射性炭素による年代決定の支えを求めているのではないか,という疑念を持つ理由になりますか。この疑念はあながち事実無根とは言えません。というのは,デイモン教授は,年輪年代への私的な確信を述べたあと,「それでも,なんらかの客観的な比較が,たとえば別の年代測定法との客観的比較ができれば気強い。歴史的に年代の決まっている標本を炭素14によって測定することが実はそれなのである」8 とつけ加えているからです。
もし年輪に基づく年代が,歴史に基づく年代によって支えられている範囲,つまりわずか4,000年前まででも放射性炭素に基づく年代との比較によって支持される必要があるとすれば,それより4,000年も5,000年も昔にさかのぼる場合はいったいどうすればよいのでしょうか。
木質の年代を決定するさいの問題
二つの年代を相互に支持するものを強化する努力は,専門家のあいだでかなりの論議を呼んだ別の問題ではばまれています。現在,放射性炭素に基づくすべての年代の基礎となっているブリスルコーンパインの標本の放射性炭素による年代分析においてさえ,標本に変化が生じた可能性を考慮しなければならないのです。貝殻の石灰岩や骨の中の炭酸塩などのような無機物が,溶解した古い炭酸塩または若い炭酸塩のいずれかと交換しやすいことは知られています。そのために,それらは,年代測定にはほとんど役にたちません。セルローズのような有機物はおそらく交換しないものと考えられています。生の樹液は枯木から洗い流されます。しかしもしいく百年もいく千年も木の中を循環してきたものならば,その樹液が崩壊しつつある炭素14を一部とりかえなかったと断言できるでしょうか。
樹液とちがって樹脂は除去が困難です。ファーグソンは,ブリスルコーンパインの木材の「樹脂の多い性質」に言及しています。12 樹脂が若い木質部から古い木質部にはいり込み,それが誤差のもとになりうるということは,専門家たちも一様に認めています。「樹脂が内部に向かって広がるのはたしかに当然の結果である」。13 「この樹脂の問題は重要である。樹脂が木の内部に深く入りこむにつれて訂正がふえる場合はとくにそうである」。13 一つの実験では,抽出された樹脂は木質部よりも明らかに400年ほど若いものでした。
しかしながら,このような化学的処理の効果については,専門家の意見はまちまちでした。ある専門家は,木材を酸で,次にアルカリで煮ると「樹脂は全部なくなる」14 と言いました。別の専門家は,「ブリスルコーンパインの樹脂を,無機化学物質による処理で完全に除去することはできないと思う」14 と言いました。けれども,有機化学溶剤を使えば,その溶剤があとで完全に除去されたかどうかを心配しなければなりません。なぜなら,その溶剤のほんのわずかな新しい炭素でも,古い木材の標本の年代を若返らせるおそれがあるからです。もちろん,その種の誤差を全部排除するよう良心的努力が払われてはいますが,完全に成功しているでしょうか。わたしたちはどれほどの確信がもてますか。
氷縞を数える
会議では,過去にさかのぼって年を教えるもう一つのよく似た方法が論議されました。それは氷河の氷縞にもとづく方法です。氷縞というのは,砂と沈泥が交互に重なった層で,毎年,氷河が溶けるときに形成されると考えられています。そしてこれは継続した記録を提供すると言われており,スウェーデンのある氷縞は1万2,000年の昔にさかのぼります。これもまた,放射性炭素に基づく年代と結びつけて考えうる絶対年代表として推薦されました。しかしその土台は実際にどれほど確実なものでしょうか。
スカンジナビアの氷縞年代表は,スウェーデン全土の方々で観測された部分を継ぎ合わせたものです。その記録は,いくつかの理由で,年輪にもとづく年代表よりもずっと有効性にとぼしいようです。
一つには,その年代表には,樹木の年輪に相当するような,現代につながるものがありません。最後の氷縞が形成された時にかんする推定年代の相違にも大きな開きがあります。また,年ごとの堆積層を見分けるさいの問題も事を不確実にする要素です。ある地質学者は,スカーネにある一連の氷縞の生じ始めた年代を西暦前1万2950年とし,別の地質学者は西暦前わずか1万550年としています。「スウェーデン地質調査局」のE・フロム博士は次のように述べています。「これらの例は,いろいろ考えられる年代を地質学上の状況から演繹的に制限できることを示すものではなかった。また,いわゆる『テレコネクション』から得られる結果が,とても信頼できるものでないことが明瞭だった。さらに,スカーネのこれらの場所の場合,氷河の溶けた水でできた小さな湖沼底に沈殿作用で形成されたしま状の堆積物すべてが,実際に年ごとにできた氷縞であるかどうかに疑問がある」。15
ここで,氷縞は必ずしも年ごとの堆積物を示すとは限らないということが認められている点に注目してください。現実には氷縞は,速い流れとゆっくりした流れが交互に起こる状態を示すもので,その流れは気候の状態によっては1年に数回起こるかもしれません。「スウェーデン地質調査局」のホーンステン博士の指摘するところによると,各氷縞の調査には,1年分を2年分に数えないように非常な注意が必要であった。1年のあいだに堆積した一つの氷縞が,溶けた氷の流量の変化のために,一つか二つの疑似冬期層を持つかもしれないからである(樹木の二重年輪と比較せよ)」。16 エール大学の著名な地質学者R・F・フリント教授は,一つの氷縞を定める規準をはっきり述べてもらいたいと頼みましたが,シンポジウムの記録の示すかぎりでは,それは示されなかったようです。17
以上が,ノーベル・シンポジウムで提出された「絶対年代表」です。人気のある科学雑誌の記事を読むと,放射性炭素による年代決定はこれまでになく確立されたという印象を受けやすいかもしれません。しかし,ウプサラ会議で行なわれた舞台裏の討論に注意深く目を通すと,不確実な点がいっそう多くなったことがわかります。放射性炭素説はもはや,それに基づく年代を受け入れてよい確実な根拠を提供するものではありません。20年にわたる研究結果は,放射性炭素説の根底にある仮定の大半を大いに薄弱なものにしました。
そこで今頼りとされているのは,新しい方法 ― 年輪による年代決定 ― を研究する,ただ一つの研究グループの活躍です。この技術も,方々の研究所で20年にわたって熱心に研究されたなら,さらにどんな弱点が発見されるでしょうか。近い将来重大な決定をしなければならないときに,あなたは聖書よりも,むしろこういう現状にある年輪年代学に頼られますか。
[脚注]
a 参照文献は20ページに掲載されています。
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科学的な年代表,それとも聖書の年代表 ― 信ずるに足るのはどちらですか目ざめよ! 1972 | 7月8日
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科学的な年代表,それとも聖書の年代表 ― 信ずるに足るのはどちらですか
聖書を読む人は,それもたまに読む人でさえたいてい,人類の経た年数はおよそ6,000年であることを知っています。が,聖書のどんな句がそのことを示しているのかは知らないでしょう。もしかするとあなたは,ある聖書の創世記 1章の欄外で西暦前4004年という年代に接したことがあるかもしれません。
では,その年代が正しいかどうか,あるいはどんな論拠に基づいているかをご存じですか。それに,放射性炭素による新たな年代測定によれば,考古学上のある遺跡は8,000年ないし9,000年前の原始人の居住跡であることがわかった,というようなニュースに接したとすればどうですか。創造に関する聖書に基づく年代はいったいどれほど確かだろうかと疑問に思いますか。あるいは,結局のところ進化論者が正しいのではなかろうかという考えが浮かんできますか。
聖書の誠実な研究生は,聖書の著者が勤勉な時間厳守者であられることを知っており,ある顕著なできごとから別のそれまでの正確な年数を示す聖句を順に調べてきました。そして,聖書にしか収められていない人類の古い年代表が,信頼の置ける歴史上の年代表と合致するものであり,またそれゆえに西暦前4026年におけるアダムの創造以来しるされてきたできごとの正確な年代を定められるということも知っています。
それだけではありません。彼らは次のことも知っています。聖書は預言の書ですから,将来のできごとに時間的要素を結びつけている場合が多く,しかも,それらのできごとは予告されていた年に正確に起きているということです。多くの人は,この20世紀にまで及ぶ「異邦人の時」に関する長年月にわたる預言の成就を個人的に目撃してきました。それらの人は預言された年,1914年に第一次世界大戦の勃発を見ました。この世界はその大戦を契機として決して回復されることのない苦難の時期にはいりました。それら聖書研究者は今や人類生存の6,000年目がこの1970年代に満了するものと見ており,第七千年期が平和の君の千年統治をもたらすことを確信をもって待望しています。
円熟したクリスチャンは研究と経験を通して聖書の正確な年代表に精通しています。ですから,神は人間の創造の時を誤ったのではなかろうかとか,神は記録を備えさせたり保存させたりする点で非常に不注意だったため,今日のわれわれはその肝要な情報を持っていないということもありうるとする考え方は,彼らにはとても受け入れられるものではありません。聖書の年代表と矛盾する科学的な年代表が示されると,彼らは,神は「偽りなき」かたであられるゆえに,科学者のほうがまちがっているに違いない,と確信をいだいて穏やかに語ります。―テトス 1:2。
ところで,あなたはこうした確信の持ち主ではないかもしれず,次のように思案しておられるかもしれません。科学者が学んでいる事柄とはあまりにも合わないように見えるのに,人間の創造に関する聖書の記録はほんとうに信用できるのだろうか。もし人類の初期の居住地に関する,放射性炭素に基づく年代が正しいとすれば,聖書の年代表はとにかくまちがっているに違いありません。とすれば,わたしたちは時の流れの中でどこに位置しているかをどのようにして知るのですか。それよりも悪いことに,もし聖書の時間表が信頼できないとすれば,聖書中の他の事柄も信用できないのではありませんか。では,聖書の時間表はほんとうに信頼できるのでしょうか。
もしあなたが放射性炭素時計に基づく年代測定のゆえに新秩序に関する聖書の約束を心から受け入れかねておられるのでしたら,この記事の前の二つの記事に載せられている資料を慎重に考慮なさるようお勧めいたします。あなたの将来にきわめて重大な影響を及ぼす事柄に関して,科学者の意見を究極的真理として軽々しく受け入れてはなりません。一世代の科学的「事実」が,次の世代の科学者によって放棄されることがいかに多いかを忘れないでください。放射性炭素に基づく年代決定の理論そのものを考えてみてください。この理論を最近の研究に合わせるため,その基本的な仮定のなんと多くが訂正されなければならなかったのでしょう。他の方法による年代測定の実例による支持(時として非常に疑わしいもの)がなかったなら,放射性炭素に基づく年代決定は今ではきわめて不確かな代物となっていたでしょう。聖書に対するあなたの信仰を捨てて,その代わりにこのような不安定な科学上の理論を信ずるのははたして賢明なことでしょうか。
今にもくずれそうな炭素14に基づく年代
ウプサラで開かれた1969年のシンポジウムに参加した科学者は,自分たちの数多くの問題を理解し,克服するうえで進歩が見られているとの感じを受けました。特に放射性炭素による年代決定と年輪に基づく年代計算とを比較して満足感を得ました。年輪に基づく年代表は放射性炭素に基づく年代をかなり不都合なものにしましたが,それでも各の支持者は確かにある意見の一致を見ました。つまり,互いに矛盾しない是正曲線を作り出し,偏差の主要な傾向に対するもっともらしい説明を行なえました。
しかしながら,それら科学的な年代表はその支持者が信ずるのを好むほど独立した方法ではないと言えるでしょう。それはおそらく循環論法的な考え方に依存していると言えます。放射性炭素による年代測定者は,年輪の研究所によって確認されるゆえに,自分たちの年代決定を正しいと信じ,一方,年輪の研究者は,放射性炭素に基づく年代と一致しているとの理由で自分たちの親年表は正しいとして満足しているのではありませんか。両者は歴史のブイ(浮標)のある水路を進むかぎり,合理的に進路を定めて航行しますが,その水路を越えて霧の深い海域に乗り出すと,何のためらいもなく互いの姿を絶えず見ながら航海してゆきます。
これは不当な判断だと取られてはこまるので,放射性炭素による年代測定法という船の操縦者が直面しなければならない横風や逆流の幾つかをちょっと考えてみましょう。
(1)放射性炭素の半減期は,科学者が望むほどには確実に知られていない。
(2)宇宙線は決して一様ではなく,過去1万年間は,一般に考えられている以上に強かったかもしれず,弱かったかもしれない。
(3)フレーア(太陽面爆発)は放射性炭素の量を変化させるが,これまでにどれほどの変化があったかはだれも知らない。
(4)地球の磁場は短期間の規模で断続的に変化し,何千年もの間には徹底的な変化を遂げるため,南北両極が逆になる場合さえあるが,科学者はその理由を知らない。
(5)放射性炭素の研究者は,「氷河時代」に大洋の水の量と温度が変化し,大気中の放射性炭素の含有量が影響を受けた可能性のあることは認めているが,そうした変化の度合いはわからない。
(6)彼らは4,300年前,全世界に及んだ大洪水を裏づける科学および聖書上の証拠すべてを無視しているため,彼らの測定する,その時期以後の標本が当時の大異変によってこうむったに違いない激しい影響を認めない。
(7)気象または気候上の変化は大気と海洋間の放射性炭素の混合に影響を及ぼしうるが,それがどれほどのものかはわからない。
(8)地殻表層部と深い海洋間の放射性炭素の混合は影響を及ぼすが,ごく不十分な理解しか得られていない。
(9)放射性炭素時計の目安として用いられてきた,年輪に基づく年代計算は,過去の時代の気象状態が相当異なっていたと考えられるため,疑問視されている。
(10)古い樹木の放射性炭素の含有量は,樹液や樹脂が心材の中に拡散すると変化する場合がある。
(11)埋没した標本は,地下水による濾過作用または汚染によって放射性炭素を失ったり取得したりする場合がある。
(12)あるできごとの年代を算定するために選んだ標本ができごとと実際に関連があるかどうかは決して確証できない。多かれ少なかれ,遺跡の考古学上の証拠に照らして,そうであろうと推測するにすぎない。
これは放射性炭素による年代決定につきまとう落とし穴すべてを列挙したものでは決してありませんが,聖書を退けるのを思いとどまらせるにはこれで十分でしょう。前述の事柄の多くはあまり遠くない過去の年代の場合,さほど重大な影響は与えませんが,時代をさかのぼるにつれてその影響は増大します。ゆえに,この測定方法は2,500年ないし3,500年前までの年代であればかなりよくできますが,それ以上過去にさかのぼればさかのぼるほど,測定結果はいっそう疑わしくなります。また,放射性炭素時計がノアの大洪水以前も今日と同様に働いていたと期待できるものではありません。それほどの衝激を受けたのち1,000年以内にそれが元に収まったとすれば,それは驚くべきことです。
前述の一覧表の最後の点に特に注目してください。たとえ放射性炭素による年代決定に関する他の事柄がみな正確だとしても,イラクのジャルモの遺跡から掘り出された木炭の小片が6,700年前のものだと判明したところで,それは聖書がまちがっていることの証拠になりますか。それは標本を採集した考古学者の解釈に基づいてはいませんか。学者は決してあやまちを犯さない人間ですか。たとえ学者が,その標本は異論や反論の余地のない正真正銘の証拠物件であると保証したところで,その人の意見はあなたの信仰の確かな根拠となりますか。
証拠を慎重に考慮するさい,放射性炭素による年代決定のもたらしたたいへん意義深い結果を見過ごさないでください。それはすなわち,人間の存在と関連のある標本に対して算定されたあらゆる年代の大半,おそらくその90%以上が6,000年以下であるということです。
人類は何十万年も生存してきたとする進化論者の考えがもし正しいとすれば,炭素14の有効範囲内で1万年もしくは2万年前の年代を付される人工物件が確かにもっと大量に発見されるはずです。ほとんどすべての標本がそれも6,000年以下の年代に該当するのはどういうわけですか。わたしたちは,年代の科学的な測定方法に,信頼できる目撃証人としての権威をもって語ることを,期待してはいません。それは状況証拠を提供できるにすぎません。しかし,統計上からすれば,放射性炭素時計は人間の起源に関して進化論の仮説を否定し,創造の記録を支持する圧倒的な証拠を示しているといえます。
年輪に基づく年代表の弱点
一見して,年輪に基づく年代測定方法は炭素14によるものよりもずっと簡単に見えます。しかしながら,詳しく調べてみると,生育年代の重複期間を示す一連の類似した年輪の型を合わせる点で弱点のあることがわかります。厚さや薄さの点で厳密に同じ型の年輪を持つ木は一本もありません。そして,種々の型の年輪を合致させるには,そのすべてに失われた年輪を補わねばなりません。であれば,失われた年輪をどこに挿入するかに関して分析者の判断はいつでも正確であると考えるべきですか。もしそれがさまざまな箇所に挿入されるとすれば,生育年代の重複期間を示す年輪は記録上の別の時期にもっとよくあてはまるということもありうるのではないでしょうか。当の木材に関してすでになされた炭素14による年代測定が,その木材の年代上の正しい位置を定めるのに役だつ場合があるとも言われています。こうした情報によって偏見をいだくことなく,あるいは記録全体を短縮させたいとの先入主をいだかずに,別の分析者が同程度に確実な計算を行ないうるでしょうか。聖書の筆者たちの記録した年代を計算することよりも,年輪に基づく年代計算を信ずべきかどうかを決めるというのであれば,これらは重大な問題です。
科学上の結論についてはいずれも同様ですが,年輪に基づく年代決定の信頼性にも限界があります。なかには,失われた年輪や二重年輪などの多少のやっかいな問題を考量すれば,樹齢を算定できる木もあるようです。それらの木は枯死して長年たっていますが,その年輪を保持しています。しかし,枯死した木それ自体は,年輪をいつ形成しはじめて,いつやめたかを告げるものではありません。それは種々の型の年輪を合わせて計算する人間が決めなければならないのですから,自分の意見や偏見を加えずにそうした主観的決定を下せるわけがありません。あなたは,その決定にはまちがいがないとする主張にご自分の命をかけてもかまわないと思われますか。
いかに高名な科学者が言うにしても,年輪に基づく年代測定の裏づけがあるのだから,放射性炭素による年代決定からすれば,ノアの時代に聖書の述べるような洪水がなかったことは今や確実である,というようなことばを信じたいと思われますか。イエス・キリストはそのような洪水があったと言われました。(マタイ 24:37-39。ルカ 17:26,27)神みずから霊感によるそのみことば聖書の中にそれを記録させられました。生死にかかわる決定を下すにさいして,あなたはむしろだれの権威を受け入れますか。
聖書の年表代のすぐれている点
これら科学的な年代測定方法と,聖書のそれとを比較してごらんなさい。「セム百歳にして洪水の後の二年にアルパクサデを生り……アルパクサデ三十五歳に及びてシラを……生り……シラ三十歳におよびてエベルを生り」。(創世 11:10-26)これは,いずれかの年を見落としたり2度数えたりすることなしに計算し,その数字を書きしるして保存しうる人間の手で保持されてきた年代表です。そして,わたしたちも計算を行なえますし,それらの記録中の年数を大洪水の時から加算して,今日までの年代を4,340年と算定できます。このほうが,枯死して長年を経た木の年輪を相互に関連させながら計算したり,地層に基づいて算定したり,放射性炭素時計にかかわる不確かな要素すべてを考量して算定したりするよりももっと当てになるのではありませんか。
聖書の年代表には科学的な年代表に見られない独特のすぐれた点があります。放射性炭素時計は巻きが切れて進み方はいよいよおそくなっていますが,いつ止まるのかがわかりません。年輪に基づく年代計算は最後の年輪
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最も塩分の濃い湖水目ざめよ! 1972 | 7月8日
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最も塩分の濃い湖水
● イスラエルとヨルダンの間を流れるヨルダン川の南端に位置する死海は,地上で最も塩分の濃い二つの湖水の1つである。その塩分は海水のそれのおよそ6倍もあり,おもに塩分から成る無機物を約24%含んでいる。塩分の含有量の点でこれと比肩できるもう一つの湖水はアメリカ,ユタ州のグレートソルト湖である。
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