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神は人類を救助するために来られる人生には確かに目的がある
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贖いは罪を無効にする
23 イエス・キリストを通して備えられた贖いは罪を無効にすると言えるのはなぜですか。
23 要約して言えば,神のみ子を通して備えられた贖いはアダムの罪を無効にするのです。アダムの罪はすべての人を窮地に追いやりました。もちろん贖いは,人間である魂をことごとく救うわけではありませんが,私たちが生まれつき持っている罪の影響を無効にするのです。どのようにしてですか。罪と不完全さから自由になりたい人は一人残らずそれらをぬぐい去ってもらい,完全に清くなることができるのです。死からよみがえらされた人々でさえ,贖いを利用する機会を得ます。(使徒 24:15)命が得られない人々とは,エホバが自分たちを支配するのを望まない人々です。そうした人々は,義を愛さず,不法を憎みません。受け継いだ罪の上に自分自身の故意の罪を加えて,自らを罪に定めているのです。―ヨハネ 3:17-21,36。
24 (イ)最後には,アダムの反逆行為の“業績”のしるしとなるものが何か残りますか。(ロ)サタンの努力は宇宙に永遠に消えない跡を残しますか。
24 したがって,キリストの王国の支配によって適用されるその贖いの犠牲は,アダムが行なった事柄を完全にぬぐい去ります。最後の敵である死(アダムの罪によって人類にもたらされた死)は無に帰せられます。死がぬぐい去られると,アダムが行なったすべてのこと,彼が人類にもたらしたあらゆる事柄は一切なくなります。アダムの罪のしるしとなるものは何も残っていません。(コリント第一 15:26,55-57)また,悪魔の罪のしるしとなるものも何も残っていません。聖書には,「神の子が現わされたのはこのためです。すなわち,悪魔の業を打ち壊すためです」と書かれているからです。(ヨハネ第一 3:8)サタンは全く無駄骨を折り,しかも自分の命を失うことになります。神のお名前に投げ掛けられた暗い影は全く消されます。神のお名前が永遠にわたり完全に立証され,神の主権を望む人々は生きてそこにおり,神に賛美を帰すのです。―詩篇 150篇。
25 神が人類を救うためになさったことを考えると,わたしたちの心はどう反応すべきですか。
25 神の,なんという愛ある親切なのでしょう! また,主イエス・キリストのなんと深い愛なのでしょう! わたしたちは使徒の次の言葉に和することができます。「ああ,神の富と知恵と知識の深さよ。その裁きはなんと探りがたく,その道はなんとたどり出すことのおよばないものなのでしょう」。(ローマ 11:33)この世が,疑いを抱かせたり,わたしたちの信仰を攻撃したりするために,いかなる手段を講じようとも,わたしたちは,神の愛ある親切やイエスの愛に対する偽りのない感謝を持って,『このような神こそ,わたしたちの全き専念と奉仕を受けるにふさわしい方です』と叫ぶことができます。―フィリピ 3:8,9をご覧ください。
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命の源またその維持者人生には確かに目的がある
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7章
命の源またその維持者
1 エホバを自分の神とするかどうかを考慮する際にどんな疑問が生じますか。
人間男女を罪と不完全さから解放する道を備えたエホバ神は,その後人間を生き続けさせることがおできになりますか。エホバを自分の神とした人が,健康と幸福を享受しつついつまでも生きられるという確かな保証がありますか。
2 宇宙を創造された神は,宇宙を永遠に運行させる能力をも持っておられますか。
2 神は創造する力をお持ちなのですから,地球自体を存続させる力を持っておられるに違いありません。神は,必要なら,太陽のエネルギーを絶えず更新させることができるのです。地球について言えば,神はそれを,廃棄物を“還元”してその表面を絶えず更新する,自給“宇宙船”に造られました。森や河川はほうっておいても,人間の破壊的な行為によって生じた傷をわずかな期間で消し去り,元の姿を取り戻します。
3,4 (イ)伝道之書 1章4節にあるソロモン王の言葉は,人間が永遠に生きられるという考えと矛盾しますか。説明しなさい。(ロ)現在の悲惨な世の中にあってさえ,わたしたちの人生が必ずしもむなしい,あるいは目的のないものとなるとは限らないことを,ソロモンが下した結論はイエスの言葉と相まってどのように示していますか。
3 地上の人間の場合はどうでしょうか。人生の偉大な観察者であるソロモン王は次のように述べました。「代はゆき,代は来る。しかし地は,実に定めのない時に至るまでも立ち続ける」。(伝道 1:4,新。コリント第一 7:31)ソロモンは,人間
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