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  • 物事がうまくゆかないとき
    ものみの塔 1979 | 6月1日
    • です。逆境に負けて,楽しい事柄をたん能できないようであってはなりません。飲食のような日常の楽しみに喜びを見いだし,物事の『良い面を見る』人は,たとえ不快な状況がいろいろあったとしても,生活上のそうした不快な状況をほとんど思い出さずに済むでしょう。―伝道 2:24-26; 3:12,13,22; 8:15; 9:7-10; 11:8と比較してください。

      特に物事がうまくゆかないときに,より大きな幸福を味わうのに寄与する,聖書のほかの原則は,伝道の書 11章1節と2節(新)に見いだされます。こう書かれています。「あなたのパンを水の表に送り出しなさい。多くの日のたつうちに,あなたはそれをまた見いだすからである。ひとつの分を七人か,いや八人に分け与えよ。あなたはどんな災難が地上で起こるかを知らないからである」。

      この言葉は,寛大さを促す点で優れた激励の言葉になります。単に選ばれた数人の親しい友人に与えるだけでなく,「一つの分を七人か,いや八人に与え」るのです。さまざまな種類の人々,特に貧しい人々や別の意味で困っている人などに与えるのです。(ルカ 14:12-14と比較してください。)そうすると,何らかの種類の「災難」が自分の身に臨んでも,イエス・キリストが次の言葉で言い表わされたとおりになるでしょう。「いつも与えなさい。そうすれば,人びとはあなたがたに与えてくれるでしょう。彼らは押し入れ,揺すり入れ,あふれるほどに量りをよくして,あなたがたのひざに注ぎ込んでくれるでしょう。あなたがたが量り出しているその量りで,今度は人びとがあなたがたに量り出してくれるのです」― ルカ 6:38。

      こうした聖書の諸原則は道理に合っているとは思われませんか。そうした原則に一層親しむための時間を,今すぐに取ってみてはいかがですか。そして,その原則に従って生活するのです。聖書の原則に従えば,たとえ物事がうまくゆかないときでも,人生は楽しいものになります。

  • どうして聖書を読むのですか
    ものみの塔 1979 | 6月1日
    • どうして聖書を読むのですか

      「関心がありません」。クリスチャンが隣人に近づき,聖書を理解する上で助けになりたいと申し出ると,しばしばそのような答えが返ってきます。

      そのような反応を示す理由は人によってさまざまでしょう。ある人々は信仰心が薄く,神を信じてさえいないかもしれません。そのような人にとって,聖書を読むことなど,時間の浪費と思えるかもしれません。信仰の厚い人は,自分たちの崇拝の場で聖句が読まれ,注解されるだけで十分だと思うでしょう。

      しかし,宗教に対する態度がどんなものであれ,だれもが聖書を読むべき強力な理由があります。人間の歴史に聖書が他のいかなる本よりも大きな影響を与えた,という事実だけでも,その内容に精通したいという気持ちを人々に抱かせるはずです。ブリタニカ百科事典(英文,1971年版)は,聖書を描写して,「人類史上,最も影響力のある本の集大成と言える」としています。この同じ参考文献はこう述べています。「聖書の内容についてどのような見解を持っていようと,聖書が西洋文化の発展,および多くの東洋文化の進展に果たした役割のゆえに,聖書の文学と歴史に多少なりとも通じていることが,英語を話す世界に住む,教育のある人間には欠くことのできないしるしとなっている」。

      聖書を読むことは,宗教にほとんど関心のない人々にも有益だとどうして言えるのですか。たいていだれでも,毎日のように人々と接しなくてはならないのではありませんか。聖書は人間関係について,比類のない助言を与えています。では,その幾つかの例を検討してみましょう。

      自分自身のように他の人を愛する

      聖書は,人が他の人と接する際の指針として,愛を推奨しています。愛を示す優れた方法は,黄金律として知られるようになるほどの賞賛を浴びた,次の指針に従うことです。「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません。事実,これが律法と預言者たちの意味するところです」。(マタイ 7:12)この諭しは,単に他の人を虐待しないよう勧めているのではありません。神のみ子はここで,他の人々のために積極的に良い事柄,そうです,自分が人にして欲しいと思うまさにその事柄を,面倒であってもしてあげるよう勧めているのです。

      結婚関係の問題では,愛に関する聖書の助言がとりわけ役立ちます。人間の最高の知恵をもって教育された専門の結婚カウンセラーたちも,近年における離婚の著しい増加を抑えることができませんでした。しかし,次のような聖書の原則を当てはめるなら,家庭のいさかいの大半は除かれるのではないでしょうか。

      「会衆がキリストに服しているように,妻もすべての事において夫に服しなさい。夫よ,妻を愛しつづけなさい。キリストが会衆を愛し,そのためにご自分を渡されたのと同じようにです。……このように,夫は自分の体のように妻を愛すべきです。妻を愛する者は自分自身を愛しているのです。自分の身を憎んだ者はかつていないからです。むしろ人は,それを養い,またたいせつにします。キリストが会衆に対してするようにです。……あなたがたひとりひとりも,それぞれ自分を愛するように妻を愛しなさい。一方,妻は夫に対して深い敬意を持つべきです」― エフェソス 5:24-33。

      終始夫に「服し」,「深い敬意」を示す妻がいれば,それは男性にとって実にさわやかなことではありませんか。また,夫が,「自分を愛するように妻を愛し」ていることを,言葉だけでなく,毎日の行動でも示すなら,女性にとって,夫に服し,深い敬意を示すことはどれほど容易になるでしょう。―ペテロ第一 3:1-4,7と比較してください。

      問題を未然に防ぐ

      聖書にはまた,問題を未然に防ぐための優れた諭しが含まれています。7ページに示されている聖書の言葉には知恵が言い表わされていると思われませんか。

      こうした原則や警告に従うなら,生活はより幸福で,より健全で,より有意義なものになると思われませんか。米国ミシガン州フリント市の高校で生活指導を担当する一教師は,こうした点における神のみ言葉の実際性を際立たせ,次のような所見を述べています。「聖書とその助言は,私が大学で研究してきたどんな事柄よりも実際的で,はるかに優れていると思います。学士号と修士号を持ち,高校で生活指導を担当し,精神衛生や心理学に関する本を数々読んできましたが,結婚を成功させる方法,青少年の非行の予防,友人を勝ち得てその交友を保つ方法などに関する聖書の助言は,自分が大学で読んだり,研究したりしたどんな事柄よりもはるかに優れていることを見いだしました」。

      宗教面で活動している人はどうか

      宗教活動にしばしば携わっている人は,教会の礼拝やその他の宗教的な集まりで聖書に関する資料が討議されるため,それ以上聖書を研究する必要はないと考えるかもしれません。しかし,この点に関して,次の二つの重要な聖句を覚えておかねばなりません。「聖書全体は神の霊感を受けたものであ(る)」。(テモテ第二 3:16)「あなたは昼も夜も[神の言葉]を小声で読まねばならない。それは,すべてそのうちに記されていることにしたがって必ず行なうためである。そうすれば,あなたは自分の道を成功させ,またあなたは賢く行動することになるのである」― ヨシュア 1:8,新。申命 6:6-9と比較してください。

      あなたの出席しておられる宗教的な集まりを司会する人は,かなりひんぱんに聖書を用いるかもしれません。しかし,例えば一年のうちにそのようにして扱われる聖句の量は,聖書全体と比べれば,ごくわずかであることに気付かれるでしょう。神は書き記されたみ言葉を通して人類に語りかけておられるのですから,神との親密な交友関係を得るには神のみ言葉を度々読まねばなりません。

      その上,聖書をひんぱんに読めば,神への崇拝を捨てさせる原因になりかねない誘惑に抵抗する上で役立ちます。使徒パウロはこう述べています。「以前に書かれた事がらはみなわたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」。(ローマ 15:4)確かに,極めて危機的な状況にあっても,神が古代のその忠実なしもべたちを保護された方法をよく考えるなら,今日の人々は信仰を強められ,神の目に正しいと思う事柄を行ない続けるよう促されます。詩篇 116篇は,そのような聖書の励ましの優れた例です。この詩篇を今すぐに読んで益を受けられるでしょう。その際,コリント第二 4章7-13節と比較してみてください。

      信仰心のあるなしにかかわらず,聖書を読むべき大きな理由があります。聖書は,幸福で有意義な生活のための最も優れた助言を提供しているだけでなく,神のご意志と目的を識別する方法となっているのです。神のみ言葉を読めば読むほど,人は詩篇作者の次の言葉を認識するようになるでしょう。

      「エホバの律法は完全で,魂を引き戻す。エホバの諭しは信頼に値し,経験のない者を賢くする。エホバの命令は直くして,心を喜ばす。エホバのおきては清く,目を輝かす。エホバへの恐れは清純で,永久に立つ。エホバの判決は真実であり,ことごとく義にかなっていることが明らかになった。それは金よりも,いや,多くの精錬された金よりも一層望まれるべきものであり,蜜また,はちの巣から流れる蜜よりも甘い。また,あなたご自身のしもべはそれにより警告を受けました。それを守ることには大きな報いがあります」― 詩 19:7-11,新。

      [7ページの囲み記事]

      ● 物質主義の愚かさ

      「富もうと思い定めている人たちは,誘惑とわな,また多くの無分別で害になる欲望に陥り,それは人を滅びと破滅に投げ込みます。金銭に対する愛はあらゆる有害な事がらの根であるからです」― テモテ第一 6:9,10。

      「銀を愛する者は銀に満ち足りることなく,富を愛する者も収入に満ち足りることがない。これもまたむなしいことである」― 伝道 5:10,新。

      「母の腹から出て来たように,裸で,来た通りに,人は再び去って行く。人は,その労苦のために,その手で持って行けるものを何一つ持ち去ることができない」― 伝道 5:15,新。

      ● 勤勉な働き手は高く評価される

      「たるんだ手で働く者の資力は乏しくなるが,勤勉な者の手は人を富ます」― 箴 10:4,新。

      「怠惰な者は自分に欲があることを示しているが,その魂は何も得ない。しかし勤勉な者たちの魂は肥えたものとされる」― 箴 13:4,新。

      ● 名を挙げるために“二つの職務”を持つのは時間の浪費

      「またわたしは,あらゆる労苦とあらゆる業の巧みさとを見た。それが互いに対する対抗心を意味するのを。これもまた空であり,風を追うようなものである……一握りの憩いは二握りの労苦また風を追うことに勝る」― 伝道 4:4,6,新。

      ● 暴飲暴食を避ける

      「大酒を飲む者や,肉をむさぼり食う者の間に入ってはならない。大酒飲みや貪欲な者は窮乏に陥り,[そのような過度の飲食による]まどろみは単なるぼろ切れを人に着せることになるからである」― 箴 23:20,21,新。

      ● 性の不道徳を避ける

      「[他人の妻]のくちびるは蜜をしたたらせ,その[口づけ]は油よりもなめらかである。しかしついには,彼女はにがよもぎのように苦く,もろ刃のつるぎのように鋭くなる。……あなたの道を彼女から遠く離し,その家の門に近づいてはならない。おそらくはあなたの誉を他人にわたし,あなたの年を無慈悲な者にわたすに至る。おそらくは他人があなたの資産によって満たされ,あなたの労苦は他人の家に行く。そしてあなたの終りが来て,あなたの身と,からだが[恐らく忌むべき性病によって]滅びるとき,泣き悲しんで,言うであろう,『わたしは教訓をいとい,心に戒めを軽んじ,教師の声に聞き従わず,わたしを教える者に耳を傾けず,集まりの中,会衆のうちにあって,わたしは,破滅に陥りかけた』と」― 箴 5:3-14,口,[今日の英語聖書]。

      「淫行から逃れなさい。人が犯すかもしれないほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行をならわしにする者は自分の体に対して罪を犯しているのです」― コリント第一 6:18。

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